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2025年4月25日金曜日

【『ふくおか歴史探検隊』間もなく発売!】マナブンと謎解き探検に出かけよう!


このたび、市史編さん室が作るブックレット・シリーズの新刊、『ふくおか歴史探検隊』が4月30日に発売になります !





新修福岡市史ブックレット・シリーズ』もこれが3冊目。


第1弾は『わたしたちの福岡市―歴史とくらし―』と題して、小学校3年生~6年生で学習する内容(市の様子の移り変わり・身近な地域や市区町村の様子・地域に見られる生産や販売の仕事・人々の健康や生活環境を支える事業・県内の伝統や文化、先人の動き・県内の特色ある地域の様子・我が国の歴史上の主な事象)をベースにしながら、福岡市域のさまざまな事象を1冊にまとめました。





そして第2弾は『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』。

こちらは第1弾とうってかわって、福岡市内の狭い地域をググッとズームアップして、その歴史を掘り下げるというものでした。

この本では埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」を取り上げ、シーサイドももちとその周辺の前史から現代までをマニアックに深掘り。博多・天神とは違う歴史をたどってきたシーサイドももちを見ることで福岡市全体が見えてくるというものでした。



また、こちらのブログでも書籍『シーサイドももち』には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを【別冊シーサイドももち】として紹介していますので、ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。

※【別冊シーサイドももち】はコチラをクリックするとご覧いただけます。






そして3冊目となるのがこの『ふくおか歴史探検隊』。

この本は、小学生の皆さんにもぜひ読んでもらいたい! という思いで作りました。




本の中では「てるお」と「もも」という2人の小学生が、案内役の「マナブン」に連れられて、福岡市内のいろいろな場所へと出かけていきます。

そこで見た何気ない風景の中から「実は外国との交流で繁栄してきた福岡市の歴史が隠されている」ということを、読んでいる皆さんと一緒に解き明かしていくというストーリーです。



歴史探検に出かけるのはこの3人。




「歴史」に苦手意識があり、「覚えることが多そう!」「役に立つの??」と最初は面倒くさそうな様子の小学6年生コンビのてるおともも。




そこへ、歴史を学ぶ楽しさを広めるためにどこからかやって来た「マナブン」が登場し、「なんで歴史を学ぶの?」という2人の疑問に答えるため、わたしたちの身近なところに隠れている歴史のヒントをめぐる探検に連れ出します。







 福岡市を舞台にした2人(3人?)の歴史探検は、古い時代から順に進んで行きます



この本で追いかける「ナゾ」(目次)
Q1 福岡にはいつから人が住んでいるの?[旧石器・縄文時代]
Q2 お米はいつから食べているの?[弥生時代]
Q3 干支はいつから使われているの?[古墳時代]
Q4 昔から外国との仲は良かったの?[飛鳥・奈良時代]
Q5 「コーロカン」って何?[奈良・平安時代]
Q6 四角くて細長い石のナゾ[平安・鎌倉時代]
Q7 海を見つめる巨大な2体の銅像[鎌倉時代]
Q8 博物館だよりのタイトルが「Facata」?[室町・戦国時代]
Q9 「タイコー○○」って何?[戦国~江戸時代]
Q10 どうして長崎に博多があるの?[江戸時代]
Q11 明治になって博多港はどうなった?[明治~昭和時代]
Q12 福岡には「アジア」がいっぱい?[昭和・平成時代]



そして、この本の大きな特徴の一つはそれぞれの「Q」(時代)にまつわる「物」を実物大で掲載しているところです。





たとえばコチラ。

どどーん!


これは、板付遺跡(博多区板付)の水田跡から見つかった「弥生人の足跡」を型に取ったものです。

本の見開きいっぱいの足跡、本の横の長さが30cm弱なので、その大きさはだいたい21~22㎝くらいでしょうか。


こうしてみると、だいぶ小さいですよね。

現代でいうと、小学5年生の男の子、または小学6年生の女の子の平均的な足の大きさが、だいたいそのくらいだそうです。

ということは、てるおやももと同じくらいの足の大きさかもしれませんね!





次はコチラ。

金印は縮小せずにこのサイズ!


福岡市博物館にある、有名な「国宝 金印「漢委奴国王」」です。

教科書などにも掲載されているので、多くの人が見たことがある国宝だと思いますが、その大きさは意外と小さく、1辺が約2.3㎝!

さきほどの足跡と比べてもその小ささがお分かりいただけると思います。

現物をご覧になった方の多くは、まず「思った以上に小さい!」という感想を持つ、でお馴染み(?)の金印も実物大サイズで掲載しています。





ちょっと変わったところでは、コチラも実物大で掲載しています。

さすが大判! その名のとおり大きくて迫力があります。


こちらは天正年間(1573年~1591年)に豊臣秀吉が作らせたという金貨です。

金貨としては世界最大級で、その大きさはなんとタテ約17cm、重さは165g!

黒田長政(1586年~1623年)が息子たちに遺した莫大な軍資金の一部で、贈答品などにも使われたのだそうです。


わくわく!



さて、てるおとももはこのような福岡市にまつわる実際の歴史資料を見ながら、マナブンの案内でそれぞれの「Q(ギモン)」にちなんだ場所や物を追いかけながら福岡の街を探検します。




たとえば「Q5 「コーロカン」って何?」で2人がギモンを持ったのは、地下鉄赤坂駅近くにある「福岡城・鴻臚館前」というバス停です。


バス停には歴史にちなんだ名前がたくさん!




また「Q9 「タイコー○○」って何?」では、早良区原4丁目にある「太閤道通り」の看板から謎解きが始まります。


最近は愛称がある道路も増えましたよね。
そこにも歴史にちなんだ名前がたくさんあります。




※くわしい謎解きの続きは、ぜひ本編でお確かめください!




このように、福岡市内の街角にある何気ない風景がたくさん登場するので、読んでいる皆さんも日常的に接していて、「見たことがある」「聞いたことがあった」、でも改めて考えてみると一体なんのことだろう…? と感じるものもあるかもしれません。


そんな気づきや何気ない「Q」を掘り下げることから福岡市の歴史が見えてきて、歴史というのはそんなに難しいものではなく、意外と身近にあってわたしたちの生活につながっているということが実感できるかも。


この本は、福岡市のまちをてるおともも(とマナブン)の目を通して一緒に探検することで、読み終わった後には皆さんが知っているいつもの風景がちょっと違ったものになる、そんな発見のきっかけになればいいなと思っています。








『新修福岡市史ブックレット・シリーズ③ふくおか歴史探検隊』のご紹介

福岡の歴史のナゾを解き明かし、未来について考えよう!

『新修福岡市史ブックレット・シリーズ』第3弾となる『ふくおか歴史探検隊』では、2人の小学生「てるお」と「もも」が、街角の何気ない風景のなかに、実は外国との交流で繁栄してきた福岡市の歴史が隠されていることを、読者と一緒に明らかにしていく内容です。

『新修福岡市史ブックレット・シリーズ』は、福岡市博物館ミュージアムショップのほか、全国の書店やオンライン書店で販売の予定です(発売日:4月30日予定)。


この本のくわしい内容については、コチラをクリックすると目次などの紹介ページがご覧いただけます。




また、『新修福岡市史ブックレット・シリーズ③ ふくおか歴史探検隊』は、福岡市教育委員会が提供する「福岡 TSUNAGARU Cloud」でも公開しています(ご利用に当たっては一部、Googleのアカウントが必要な場合があります)。

地域学習などの教材として、また自由研究や郷土史研究などにぜひご活用ください。




(文責:加峰)

2024年12月13日金曜日

【別冊シーサイドももち/増刊号】まちの移り変わりをシーサイドももちから考える~福岡教育大学附属福岡小学校の授業から~

 

11月19日、福岡教育大学附属福岡小学校3年生の皆さんが社会科学習のために来館されました。

今回は、【増刊号】としてその時の様子をご紹介したいと思います。


* * * * * * *


この日は3年生17名の皆さんと先生方2名が来館されました。

授業のテーマは「ともに描こう! 未来の福岡市~福岡市の移り変わり~」。

まちの移り変わりについて、現在まさに開発真っ只中の「天神地区」と、約35年前に埋立地として新しくつくられた「シーサイドももち」を比較し、交通・公共機関・土地利用の時期による違いを捉え、福岡市や人々の生活の変化について考えるという授業です。


まずは今日の授業の説明から。


今回は「シーサイドももち」が題材ということで事前に先生から相談があり、書籍『シーサイドももちー海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来ー』を下敷きに、まちの開発やその後の人々の暮らしに焦点を当てた構成で、座学と見学を行うことになりました。




まずは30分ほどの座学からスタートです。

シーサイドももち地区は埋立地としてつくられたまちですが、時代をさかのぼるとそこには白砂青松の海岸があり、海水浴場として人々が賑わっていた時代がありました。


よかトピア通りには「百道海水浴場の碑」があります。


ですが、1970年代になると水質の悪化が進み、ついに海では遊ぶことができなくなってしまいます。

当時は海に直接下水などを流していたこともあった」というお話をした際には「信じられない!」といった悲鳴にも似たリアクションが。

現在の常識からはとても考えられないことですよね。



さらにはこの時期、博多湾内では少しずつ埋め立てが進んでおり、その影響で潮の流れが変わったことで百道の海岸は浸食で削られ、逆にガレキや岩が流れ着く有様。

かつての美しい砂浜は面影もなくなってしまいます。


また、そこには海岸線で生計を立てていた人々も存在していました。

海浜にあった旅館や休憩所で組織された海水浴場組合や、百道の沖合で養殖を行うノリ漁師の方々です。


問題が山積み…どうしよう??



そこで福岡市は1976年の「福岡市総合計画」の中で、次のことを決めました。


・新しい住宅地をつくる

・場所は百道・地行など

・海を埋めて場所をつくる

・緑をたくさん植える

・元の海辺のようにする

※百道を埋め立てて住宅地にすることは1960年の「福岡市総合計画」でも触れられています。






こうして計画された埋め立て工事が進む中、1984年には当時の進藤一馬市長が市制100年を記念した事業として、この埋立地を会場として博覧会を開催することを明言しました。


当時はまだ名称がなく「福岡国際博覧会」と仮称が付けられていましたが、これがのちの「よかトピア」です(正式名称は「アジア太平洋博覧会―福岡’89」)。

また博覧会開催にあわせて都市高速道路などの整備も進みました。


(福岡市博物館所蔵)
お祭りが集まったような賑やかさ!


一方で、総合計画にもあった「元の海辺のようにする」という目標については、単なる埋め立てではなく、そこに人工海浜をつくり美しい砂浜を再現することに。

さらには百道の代名詞でもあった美しい緑の松原を再現するため、有志の方々によって海浜沿いに松原が植えられました(はかた夢松原の会)。

これを記念した碑がシーサイドももち海浜公園の一番西側の一角に建てられており、松原は現在でも青々とした美しさを保っています。


海岸沿いに建つ「夢松原」の碑。
近くには協賛された方々のお名前を記した陶板も。



こうして新しいまち「シーサイドももち」が誕生しました。

当初は住宅地として計画されていましたが、最終的にはそれだけでなく、人々が働く場所や学ぶ場所、文化施設や病院、救急センターなどが集まる場所となっています。





…といったところで座学は終了。

質問や意見も飛び出し、皆さんメモを取りながら真剣に聴いてくれました。



次は常設展示室に移動です。





常設展示室では、先ほど学んだ「よかトピア」について、その会場の模型を見ながら内容をおさらい。

現在の姿を思い浮かべながら、博覧会会場の様子をみんなで想像します。


みんな真剣です。



博物館内での学習はここまで。


最後に実際にシーサイドももちのまちの中にある「よかトピア遺産」を探しに、福岡タワー周辺に向かいました(余談ですがこの「よかトピア遺産」というワードは、以前発行した広報誌『市史だよりFukuoka』22号〈2016年〉でシーサイドももちを特集した際に市史編さん室が提唱したと言っても過言ではない!…と思っています ^^; )。


お話と模型の内容を頭に入れて、実際にまちへ。

途中、ついでに博物館敷地の工事も少し見学。

タワーが見えてきましたよ。




まず見つけたのは巨大な「よかトピアマーク」。

これには皆さんも興味津々です。


足下にあるよかトピアマークを確認。


経年でちょっと一部欠けていますが、こんな感じです。



そしてその周りに立つ「インドの神像」。

こちらは元々あった場所から移動しているものの、よかトピアの際に実際にインドからやってきた神様たちです。


周囲に居並ぶ神様を見学。
ちなみにみんなが見ているのは「ガネーシャ」ですよ。



最後はちょっとニッチなよかトピア遺産として、福岡タワー前にある時計もご紹介。

これはちょっと言われないと気付かないかもしれませんね。


実はこれも立派な「よかトピア遺産」です。



以上、約1時間半ほどの授業を終え、最後はタワー前で質問タイム


次々と質問の手が挙がります。


皆さんからは続々と質問が飛び出し、中には「なぜ新しいまちを作ったからといって博覧会をやる必要があるの?」といった質問も。



考えてみると、これまで福岡市は明治時代からまちの開発と博覧会は切っても切れない関係でした。

明治になり、まず東中洲(岡新地)の開発後に開催された「第5回九州沖縄八県連合共進会」(1887/明治20年)と、その後に福岡城の外堀の一部を埋め立てた広大な土地(天神周辺)を使って行われた「第13回九州沖縄八県連合共進会」(1910/明治43年)で天神・東中洲という、福岡の中心地の開発が進みました。

第13回共進会を契機に市内路面電車が整備された明治通りは、現在でも福岡市の大動脈となっていますよね。


その後も須崎裏(現在の須崎公園付近)と西公園下の整備とともに行われた「福岡工業博覧会」(1920/大正9年)、大濠公園の整備後に開催された「東亜勧業博覧会」(1927/昭和2年)、博多港の築港工事完成を記念して沿岸の埋立地(現在の中央区長浜・舞鶴周辺)で開催された「博多築港記念大博覧会」(1936/昭和11年)など、枚挙に暇がありません。


余談ですが、西新でもかつて「大東亜建設大博覧会」(1942/昭和17年)が開催され、西新町の発展に勢いを付けました。




シーサイドももちでの博覧会開催もそのような流れの一つだったとも言えそうですが、現代を生きる子供たちには「わざわざ? なぜ??」という感想をもった子たちも多かったようです。



博覧会「よかトピア」が開催されてもう35年が経ちました。

今回学んだ3年生の皆さんのお父さん・お母さん世代でも、その記憶はあまり…というか全然知らない…という方が多いかもしれません(ということはおじいちゃん・おばあちゃん世代の思い出なんですね…)。

そんな皆さんからすると、この場所がかつては海だったというだけでも驚きの事実でしょう。


この学習から皆さんが何を感じてもらえたか、われわれとしても気になるところですが、皆さんの新鮮な反応を見ながら何も数百年、数千年とさかのぼるだけがまちの歴史ではないということを改めて実感した機会となりました。






※ クレジットのない写真はすべて福岡市史編さん室撮影。



新修福岡市史ブックレット・シリーズ』のご紹介

福岡市史編さん室では福岡市域の歴史をより身近に感じてもらうために、『新修福岡市史ブックレット・シリーズ』を刊行しています。

第1弾は「わたしたちの福岡市」。
これは小学校3年生~6年生で学習する内容(市の様子の移り変わり・身近な地域や市区町村の様子・地域に見られる生産や販売の仕事・人々の健康や生活環境を支える事業・県内の伝統や文化、先人の動き・県内の特色ある地域の様子・我が国の歴史上の主な事象)をベースにしながら、福岡市域のさまざまな事象をまとめた一冊です。
小学生の皆さんだけでなく、子供たちを教える先生方や地域の方々にぜひご覧いただきたい内容になっています。
また、市外・県外から福岡市に引っ越して来られた皆さん、あるいはずっと福岡市にお住まいの皆さんにも、きっと新しい発見があると思いますよ。




そして第2弾が「シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―」。
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りし、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。



また、こちらのブログでも書籍『シーサイドももち』には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを【別冊シーサイドももち】として紹介していますので、ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。

【別冊シーサイドももち】を読むにはコチラをクリックすると、これまでの記事がまとめてご覧いただけます。



どちらの本も各書店のほか、Amazonや楽天ブックスなどのECサイトからもご購入いただけますので、ぜひお手にとってご覧ください!

※「わたしたちの福岡市」についてはコチラをクリックすると目次などの紹介ページがご覧いただけます。

※「シーサイドももち」についてはコチラをクリックすると目次などの紹介ページがご覧いただけます。



[Written by かみね]

2024年11月22日金曜日

第19回福岡市史講演会「近代都市福岡の発展と筑豊炭坑家」を開催しました!


さる10月14日(月・祝)、毎年恒例の福岡市史講演会を開催しました。

市史講演会は今回で19回目となり、毎年1回だいたい秋ごろに開催しています。


第19回福岡市史講演会のチラシ


ありがたいことに、いつも多くの方がお越しくださるのですが、今回はとくに申込みの時点で定員を大幅に超えてしまっため、やむなく抽選となってしまいました。

残念ながら落選してしまった皆さまには、せっかくお申込みいただいたにもかかわらずお断りせざるを得ない状況になってしまい、本当に申し訳ございません。


なんとか落選した方にもご覧いただけないかということで、市史講演会としては初めての試みでしたが、YouTubeでのライブ配信も行うことにし、多くの方々にご視聴いただくことができました。


開演を待つ会場の様子。



今回のテーマは「近代都市福岡の発展と筑豊炭坑家」。

大正期~昭和初期の資料を集めた『新修 福岡市史 資料編 近現代3 モダン都市への変貌』(令和6年3月刊行、以下『資料編 近現代3』)の内容にちなみ、当時の福岡の都市発展について、安川敬一郎や麻生太吉といった筑豊炭坑家たちとのかかわりから見ていくという趣旨の講演会です。



『資料編 近現代3』では、九州大学附属図書館記録資料館に寄託された膨大な「麻生家文書」のうち、「麻生太吉宛安川敬一郎書簡」をはじめ、大正前半期の福岡市長候補者選定や安川敬一郎の衆議院選挙立候補に関する資料を掲載しています。


そのご縁で、今回の市史講演会は同館との共催という形で行い、会場も西新の樋井川沿いにある「九州大学西新プラザ」(早良区西新2丁目16-23)での開催となりました。


樋井川沿いに建つ九州大学西新プラザは、
九州大学創立80周年記念事業の一環として
平成13年に建てられた施設です。



今回のプログラムは次のとおり。

講演1本と報告2本、そして講師そろってのシンポジウムという3部構成です。


[講演]
遠城 明雄 先生
(九州大学大学院 教授/福岡市史編集委員会 近現代専門部会副部会長)
「福岡市の都市発展と市政の展開」


[報告]
日比野 利信 先生
(北九州市立自然史・歴史博物館 学芸員/福岡市史編集委員会 近現代専門部会専門委員)
「安川敬一郎と福岡市」


原口 大輔 先生
(九州大学附属図書館付設記録資料館 准教授)
「麻生太吉と福岡市」


[シンポジウム]
パネラー:遠城明雄先生・日比野利信先生・原口大輔先生
コーディネーター:有馬 学 先生(九州大学名誉教授/福岡市史編集委員会 委員長)




開催にあたっては、まずは記録資料館館長である井手誠之輔先生にご挨拶をいただきました。

ご挨拶いただいた井手誠之輔先生。






そしていよいよ本編がスタートです。

まず最初は、遠城明雄先生によるご講演「福岡市の都市発展と市政の展開」。


市史の編集を通して見えてきた、福岡市の都市発展(市制施行~昭和初期)の特徴を、「インフラ整備と工業化」、「近世と近代」、「中央と地方」というキーワードをもとに、講演いただきました。


遠城先生ご講演の様子。
福岡市の近代化は「社会資本の整備と工業化」がカギとのこと。




次に、日比野利信先生によるご報告「安川敬一郎と福岡市」。


安川敬一郎がどのような人物であったか、福岡市にどう関わったかを、生い立ちや家族関係、その後の事業展開などをふまえて、福岡市での政治的な動向はもとより、教育的、文化的な貢献についても報告していただきました。


ご発表いただいた日比野先生。
長年安川敬一郎についてご研究されており
その成果の一端をお話しいただきました。




2本目のご報告は、原口大輔先生による「麻生太吉と福岡市」。


麻生太吉は購入整備した浜の町別荘(現・中央区舞鶴3丁目付近)を拠点として、電力会社合併や製鉄会社誘致など福岡市での事業展開を計画していた一方で、同業組合の運営など政治的手腕にも高い期待が集まっていた、とのことでした。


ご報告いただいた原口先生。
記録資料館での「麻生家文書」整理事業を踏まえて
お話しいただきました。





プログラムの最後は、すでにご登壇いただいたお三方に加え、有馬学福岡市史編集委員会委員長をコーディネーターとして、ここまでの内容を総括し、さらに理解を深めるためのシンポジウムを行いました。


短い時間ではありましたが、麻生や安川が残した資料について、また近代都市の発展と現代への転換についてなど、話題は多岐にわたりました。


コーディネーターをお願いした有馬先生。


「麻生家文書は少なくとも10万点を数える膨大なもの。
段ボール箱にして1600個程度はあります」(原口)


「安川敬一郎資料は古文書だけで約1000点。
麻生に比べると少なく思えますが、膨大な資料です」(日比野)


「福岡市は工業化がなかなか進まなかった。
だからこそいろいろなものを受け入れることができて
変化しやすかったのではないでしょうか」(遠城)



最後に有馬先生から、「やっぱり歴史はとにかく1にも2にも資料ありき。資料が残っていなければ、われわれは過去を再構成できないのです。幸いにして内容豊かな大きな資料を残していただいたので、そういうものを活用しながら、多様な地域の歴史というものをこれからも掘り起こしていきたいと思います。」とのコメントがあり、シンポジウムは幕を閉じました。





ご来場くださった皆さんの中にはもともと炭坑の歴史に関心があったという方も多かったようで、皆さん熱心に先生方の話に聞き入っておられました。

筑豊炭坑家」というと北九州との関係をまず思い浮かべがちですが、今回のような福岡市の市政や経済など都市発展に深く関わっていたというお話は、新鮮な驚きだったのではないでしょうか。


ご講演ご報告くださった講師の先生方、講演会にお越しくださった皆さま、本当にありがとうございました。



なお、今回の講演会の様子は、福岡市博物館公式YouTubeチャンネルから全編ご視聴いただけます(動画はプログラムごとに分かれています)。



※ コチラをクリックすると別画面でYouTubeページが開きます。




また、来年3月に発行予定の研究誌『市史研究 ふくおか』第20号には、講演会記録として内容を掲載する予定ですので、こちらもどうぞお楽しみに!

※『市史研究 ふくおか』は福岡県内をはじめとする各図書館で閲覧が可能です(非売品)。くわしくは、コチラをクリックすると『市史研究 ふくおか』についての紹介ページがご覧いただけます。






新修 福岡市史 資料編 近現代3 モダン都市への変貌』のご紹介

本書は、今回の講演会で取り上げた麻生家文書のほか、大正~昭和初期の福岡市が近代都市として成立していく足跡を示す資料群を多数掲載しています。

大正時代から昭和初期までの福岡市の政治・行政・社会の動向を中心に、今日の福岡市の出発点となった「モダン都市」への変貌を資料から浮き彫りにした一冊です。

基本的には古文書や公文書などの資料を翻刻したものですが、資料の概要をまとめた解説も載っていますので、今回の講演会で初めて福岡市の近代史に関心をもってくださった方も、よかったらぜひお手にとってみてください。


『新修 福岡市史』は、各図書館のほか、販売については福岡市博物館ミュージアムショップをはじめ、ジュンク堂書店福岡店さんや丸善博多店さんなどで購入できます。


※「資料編 近現代3」についてはコチラをクリックすると目次などの紹介ページがご覧いただけます。




(文責:鮓本・加峰)