2021年7月5日月曜日

社会科への恩返し /『わたしたちの福岡市』はこんな本

 市史編さん室の宮野です。今回は、先日から店頭に並び始めた『新修 福岡市史 ブックレット・シリーズ① わたしたちの福岡市 –歴史とくらし–』(以下 『わた福』)について、ご購入を検討されている方のご参考になればと思い、編集意図や活用方法について簡単にご紹介させていただきます。


※『わた福』の概要や目次についてはこちらを、販売元の梓書院のサイトはこちらをクリックしてご覧ください。

※福岡で活躍される著名人の方々にもご紹介いただきました。ありがとうございます。

 ・福岡テンジン大学の岩永学長によるご紹介はこちら

 ・『福岡路上遺産』などの著者・Y氏によるご紹介はこちら


1、子どもに地域の歴史を伝えるのは誰?

 市史編さん室では、当初、「市史ブックレット」の第一弾として、子ども向けの歴史本を考えていました。そこで、取り掛かりとして子どもたちと日常的に接している学校の先生の意見を聞くため、市教育センターを訪ねました。編さん室としては、歴史に対する子どもたちの関心度合いや表現上で気をつけた方が良いポイントなど聞こうと思っていたのですが、先生たちからは予想外の答えが返ってきました。それは、福岡市の先生たちが、近年は市外出身の人も多く、また、忙しいこともあり、郷土の歴史について、教材研究を十分に行えていないというものでした。子どもたちに福岡の歴史を伝える前に、先生をはじめとする大人の皆さんに知ってもらう必要があると私たちは痛感しました。こうして、ブックレットの第一弾は、子ども向けの本を作るという当初の方向性を改めて、学校の授業や家庭教育で使ってもらえるような内容を目指すことになりました。



先生たちに地域の歴史を知ってもらう方が先なのでは? 

た、たしかにそうですね。



2、学校での学習内容と市史の成果を結びつける

 まず、最初に取り掛かったのは学習指導要領の再確認です。近年の改訂で郷土教育の比重が高まったことは知っていましたが、具体的に各出版社の教科書と照らし合わせながら、各学年で学ぶ内容をおさらいしました。おおまかにいえば、3年生で市町村のこと、4年生で都道府県のこと、5年生で国のこと、6年生で政治や歴史のことを学ぶので、市史編さん室としては3、4、6年生で学ぶことの、歴史に関わる部分にターゲットをしぼって素材集めを始めました。例えば、「市の様子の移り変わり(3年)」では、『新修 福岡市史 特別編 自然と遺跡からみた福岡の歴史』の成果を使うことができました。また、「地域にみられる生産や販売の仕事(3年)」、「地域の安全を守る働き(3年)」、「県内の伝統や文化、先人の働き(4年)」、「県内の特色ある地域の様子(4年)」については、『新修 福岡市史 特別編 福の民』『新修 福岡市史 民俗編二』が大いに参考になることが分かりました。このようにして、社会科で活用できる内容を市史の過去の成果から抽出、整理する作業を続けていきました。


 

『民俗編二 ひとと人びと』大活躍の予感?



3、一般の読者の方にとっても分かりやすい工夫を

 今回の『わた福』は学校現場での活用を第一義的に考えていました。そのため、学校の先生たちにとっては何年生のどの単元なのかを素早く理解できるようにページの左側に学年と単元名を入れ、目次でも総覧できるようにしました。しかし、『わた福』は一般書籍としても流通させるため、書店で普通に手に取られた方にも楽しんでいただけるような構成にする必要もありました。そこで、学年・単元にとらわれない組み換えを行い、最終的な構成は、第1章「福岡らしさとは?」で市の対外的なイメージを、第2章「福岡という空間」で空間と時間的な移り変わりを、第3章「土地に刻まれた記憶」で地名、石碑、高低差、埋蔵文化財などについて、第4章「くらしといとなみ」では、生活インフラ、産業、様々な生業に携わる人びとの言葉を、第5章「興し、伝え、守る」では、過去・現在にわたって福岡をもり立ててきた人びとの事績を紹介し、第6章「福岡のあゆみ」で、人びとが暮らし始めてから現在にいたるまでの福岡の出来事を年表にまとめました。




アレをこっちにして、ナニをそっちですね。



4、「One more thing」を忘れずに

 一通り話を聞いたあとに、「実はもう一つとっておきがあるんだ」というオマケはとてもうれしいものです。『わた福』での「もう一つ」は、巻末付録の「ふくおか調べ物案内」のページです。この本だけでは紹介しきれなかった情報へ読者がアクセスできるように、福岡市の歴史を調べる上での参考文献を網羅的に集めました。調べてみて分かったのは、福岡市には地域単位で発行された記念誌類が思いの外多かったということです。ただ、これらの本は部数も少なく、関係者に配布されて終わりというものもあるので、新しくその地域に来られた方にも分かるように、図書館で閲覧できる本を中心に校区やジャンルごとにまとめました。ちょっとマニアックかも知れませんが、便利な資料集にしたつもりです。



 

      「One more thing…」 「Yeah!!!!!」



5、社会科への恩返し

 小学校で習う主要な教科の中で、社会科は地域のことやそこで暮らす人びとの営みを学ぶので、教材が全国一律にはならないという点で少し特殊です。だからこそ先生たちにとっては教材研究のやりがいのある面白い教科といえるかもしれませんが、負担が大きい教科であることも否定できません。今回の『わた福』は校区単位の細かいお話までは触れることはできませんでしたが、先生たちの授業の一助やご家庭での学習のお役に立てたらうれしいです。この本をきっかけとして、掘り起こされた地域の歴史が大人から子どもたちへと引き継がれ、将来の福岡のまちづくりの担い手が育っていくことを願います。歴史に携わる者として自分たちを育ててくれた社会科に少しでも恩返しができれば本望です。




おまけ

自主学習や自由研究のテーマ選びにこんな活用例はいかがでしょうか?

 ・「ふくおか校章マップ」(第1章)→ご近所の会社のマークを調べよう

 ・「昔の人が考えた未来」(第2章)→市の都市計画を調べてみよう

 ・「言い伝えのある樹木」(第3章)→ご近所の古い木のいわれを調べよう

 ・「地域のモニュメント」(第3章)→ご近所の石碑マップを作ろう

 ・「地名と歴史」(第3章)ご近所の電信柱に書かれた地名を調べよう etc.


本書を活用した子どもたちの研究成果がございましたら、市史編さん室までお気軽にお知らせください。



2021年6月19日土曜日

6月19日は「福岡大空襲」の日

太平洋戦争末期の昭和20年(1945619日。この日の深夜から未明にかけて、福岡市にアメリカ軍の長距離爆撃機B29の大編隊が飛来し、1300トン以上の大量の焼夷弾を投下しました。天神、中洲、博多など市内の中心地は焼け野原となり、特に博多部の奈良屋、冷泉、大浜校区、福岡部の大名、簀子、警固校区は大きな被害を受けました。

福岡市は619日を「福岡大空襲」の日として戦災者、戦没者、引揚死没者の追悼式を行っています。博物館では毎年619日を含む会期で企画展示「戦争とわたしたちのくらし」を開催し、戦時期の福岡のひとびとのくらしを紹介しています。今年は、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言にともなって、619日に企画展示を見ていただくことはできませんでしたが、622日(火)からは皆さまにご覧いただけるようになります。


米軍が撮影した空襲後の福岡市の空撮写真。市街地には大きな建造物が残るだけで、多くの建物が焼失したことがわかります。この写真は常設展示室にパネルとして展示しています。

 

企画展示「戦争とわたしたちのくらし30」、今回のテーマは「モノ不足」です。戦争の拡大、長期化は、石油や鉄などの資源の輸入停止につながり、国内にある物資を活用することが必要になりました。物資を軍事に優先的に配分するため、直接戦闘に参加しない「銃後」の国民は、不用な金属を回収したり、金属の代わりに木材、竹、陶器などで代用した「代用品」を使用したりするなど、さまざまな困難に直面しました。


  上から)缶詰の代用品である陶製の「代用食」容器、陶製ボタン、竹製ヘルメット

 

展示で要注目なのは、昨年度博物館に寄贈された新規公開資料、米軍兵士が撮影した終戦後の福岡の写真です。縁を結んだのは、SNSでした。昨年の619日に展示の様子を投稿したところ、これを見た海外の方からご連絡をいただき、寄贈していただけることになったのです。インターネットで世界とつながるって素敵ですね。さて、展示の話に戻すと、寄贈された写真のうち、今回は昭和20年(1945)から21年の福岡のものを公開します。空き地が多く残る天神地区や、米軍に接収された軍需工場など、これまで知られていなかった終戦後の福岡の姿を知ることができます。


   昭和2012月の天神地区。中央に見えるのは市役所と県庁です。がれきの残る空き地が目立ちます。

雑餉隈にあった軍需工場。航空機の部品が大量に残っています。昭和2012月撮影。戦時中、銃後の国民から回収された金属類は、軍需品に使われました。 

板付基地から廃材をもらって帰るひとびと。昭和2012月撮影。戦後もモノ不足が続きました。

 

これらの写真は、戦争とともに進行した「モノ不足」が、戦争が終わってもすぐに解消しなかったことを教えてくれます。空襲で被害を受けた街の復興と、ひとびとのくらしの復旧には、もうしばらくの時間が必要でした。

 

今日という日が、福岡大空襲に思いを馳せ、戦争と平和について考える機会になれば幸いです。

ではでは。

2021年5月17日月曜日

ついてゆけない…鬼やばな活用?! 企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の漆

  「鬼胡桃」、「鬼教官」。大きいものや怖いもの表すときに言葉の頭に「鬼」をつけることがあります。一方で「鬼〇〇」という用法はそれだけでなく、若者言葉としてもつかわれ続けているようです。

 

 言葉の年鑑『現代用語の基礎知識2020』の若者用語の解説をのぞいてみると、「意味、使用法の進化系」のカテゴリに「鬼」が「とても。やばいくらい。」という強調表現として採集されています。過去の『現代用語の基礎知識』をめくってみると、2006年くらいからこのような説明で「鬼」が記載されています。

 もう少しさかのぼってみると、1989年には「鬼ざん」という言葉が載っていました。解説には「鬼のような残業。デートなどの約束がある時にいや応なしに押しつけられる残業。」とあります。鬼のような……拘束時間や内容が長い・重いというところでしょうか。ここでは「残業」自体がネガティブワード、というのもありますが、「鬼」自体もどちらかというとネガティブなイメージをもってつかわれていそうですね。

 翌年の90年には、「鬼」単独で採録されています。解説には、「ものすごく、鬼ごみ、鬼ぶす」とあり、こちらの用例もマイナスイメージの単語の強調になっています。

 

 用例に変化が出てくるのは94年からです。「鬼うま、鬼かわ、鬼ごみ、鬼こわ、鬼すご、鬼だる、鬼へん(へんてこ)」と用例のバリエーションが一気に増え、ポジティブな単語にもつかわれています。

 

 ちょっとくすっとしてしまったのが98年。「鬼」が採録されているカテゴリは「超強調」。「いくら強調してもし足りないほど言葉が不足している」とことばが添えられていました。

 

 さて、『現代用語の基礎知識』2010年~2020年には「鬼○○は最上級を意味する。」と書かれていますが、ここまで『現代用語の基礎知識』に頼りすぎてしまったので、ここで少し視点をひろげて「鬼」用例を拾ってみたいと思います。若者言葉としての「鬼○○」は2010年代に入ってさらに広がりを見せているようです。

 

「鬼コ」

 これは2015「ギャル流行語大賞」(GRP by TWIN PLANET)で6位にランクインした言葉です。聞きなれない方は「コ」が何を意味するのか考える楽しさがありますね。どんな意味でしょう。

 

 正解は、鬼コール。ひたすら電話をかけ続けること、でした。

 (隣の先輩いわく「鬼電」ならわかるけど!「鬼電」なら!!!)

 

 続きましてギャル雑誌eggの「egg流行語大賞2018」(株式会社MRA)にはこんな「鬼」用語がふたつランクインしています。

6位「鬼盛れ」

2位「鬼パリピ」

 

 「鬼盛れ」は「すごく盛れる事」とあります。ちなみに「盛る」は物理的に高さ、大きさを出していく・(話を)おおげさにいうという意味もありますが、最近はSNSにあげる写真映えなども関係してきらびやかする・見栄えをよくするという意味でも使われているように思います。「鬼盛れ」したらテンション爆アゲよいちょまるですね。

 

 さて、学芸課鬼殺係のメンバーでふと、「鬼」って言葉としても滅びずに現役だよね、なんて話から意識し始めた「鬼」若者言葉ですが、今回初耳で悔しかったのが最後にご紹介の「鬼パリピ」です。

 こちらは「鬼」よりもさらに上級表現。「鬼パリピかわいい!」(とんでもなくはちゃめちゃにかわいい!)などという使い方をします。ここでの「パリピ」、パーティーピーポーの略語も強調表現の一種なのだそうで、「鬼」+「パリピ」ということで、それは大変な強意を感じます。うーん、若者言葉の勢いの凄まじさには、もはやぴえんこえてぱおん。

 

 ということで、「鬼」は若者言葉の強調表現として、少しずつ用法を変えながら少なくともここ30年ほどつかわれ続けてきたようです。その用例を見ているとポジティブな意味にも多くつかわれています。

 まさに、「いくら強調してもし足りないほど言葉が不足している」若者にとって「鬼」とは、良いも悪いもなく、ただただ物足りなさを補うときの心強いアイテムなのかもしれません。

 「鬼」しか勝たん!

 

企画展「鬼は滅びない」連載ブログ担当ひとこと裏話、これにて閉幕……!

(学芸課鬼殺係・さとう)

 


■企画展「鬼は滅びない」は2021613日(日)まで開催中。

※緊急事態宣言の発出を受け、531日(月)まで閉室中です。 

2021年5月10日月曜日

鬼瓦は鬼じゃない?!  企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の陸

 

鬼瓦は鬼じゃないって?!そんなわけないやん。だって「鬼」瓦なのに。

 

でも、よ~く屋根を見上げてみて。



あれ?鬼の顔じゃなくて「水」って書いてある。こっちのは花だし、あっちのは家紋?動物や七福神が付いているものまであるばい!!

 


「鬼瓦」という名称は鬼モチーフの瓦が多く作られていた頃の名残なんだ。棟の端からの漏りを防ぐ役割のものは、鬼の顔じゃなくてもすべて「鬼瓦」と呼ばれているよ。

そもそも日本で使われ始めた頃は、神獣や蓮の花がモチーフとして使われていて、僕たちがイメージする「鬼瓦」となったのは室町時代のことなんだって。


 

鬼瓦って、鬼のパワーで家を守ってくれているものだと思うとったとに・・・。

 


確かにそういった意味合いもあるみたい。ただ、魔除けの意味合いが強かった時代とは違って、現代は装飾性がより強く意識された様々な鬼瓦が造られるようになってきたようだね。といっても最近は、瓦を葺いている家も少ないけど。

 

 

次週「ついてゆけない…鬼やばな活用?!517日公開です。つづく!

(学芸課鬼殺係・考古担当)

 

■企画展「鬼は滅びない」は2021613日(日)まで開催中。

2021年5月3日月曜日

鬼を食らう?!  企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の伍

 中国では、古くから「鬼」によって引き起こされる「鬼病」が研究されてきました。紀元前後に記されたさまざまな医書には、その症状や治療法が記されています。今回は、「鬼病」にまつわる裏話をご紹介します。

 

まず、ひとくちに「鬼病」と言っても、さまざまな種類があります。

原因が思い当たらないのに突然体が痛んだり出血したりする場合や、夢や現実で鬼に出会い不調をきたす場合、鬼に憑りつかれておかしくなる場合、そして伝染性の病などが、「鬼」のせいだと考えられていたようです。

「鬼病」というと何か特殊な、遠い世界の話のようですが、たとえば原因が思い当たらないのに体が痛んだり出血したりするケースは、誰しも経験があるのではないでしょうか。
 特に何をしたわけでもないのに鼻血が出やすい人、いますよね。個人的には、いつのまにかスネに打ち身(青タン)が出来ていることがよくあります。あれは、鬼の仕業だったんですねえ。

夢に鬼が出てくることもありえますし、伝染病も日常的なリスクです。「鬼病」とは、案外身近な病だったのかもしれません。


古い医書によれば「鬼病」の治療には、薬や鍼(はり)・灸(きゅう)などの医学的治療と、現代では理解しづらい呪符や呪文などの呪術的治療が、併用されていました。

呪術的治療の例を、ほんの一部ご紹介しましょう。

今では解読困難なものも多くありますが、「鬼病」に用いられる呪文には、鬼を威嚇し退去を命じる内容のものがよくみられます。鬼が逃げ出せば「鬼病」は治ると考えられていたのでしょう。

中には「鬼を食らう」と宣言する呪文もあるようです。

鬼に食べられるのは御免ですが、かといって鬼を食べるのもなかなか…呪文とはいえ、胃腸のあたりがもぞもぞします。相当の覚悟がないと出来ないことだよな、と当時の医療者と現代のあれこれを思い出します。

「鬼を食らう」という発想は、美術資料や説話集ではあまり見かけません。医学分野には、少し特殊な「鬼」観がみられるようです。(参考:企画展示解説「鬼は滅びない -Demons Die Hard-」


 呪術的治療をもう一例挙げましょう。

 医書に残る最古の「鬼病」として知られるのは「■(き)※「鬼」の右上に「支」と書くのですが変換できず…」という病です。その予防治療には「東側に張り出したの枝」が使われました。

 一見不思議な素材指定ですが、ピンときた方もいらっしゃるでしょう。

 東といえば「朝日」を浴びる方角ですし「桃」も本展でご紹介したとおり、どちらも鬼を退ける力を秘めたものだからです。参考:博物館ブログ「鬼は朝日が苦手?! 企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の参」) 

 神話や説話集に出てきた鬼除けアイテムが、実際に暮らしのなかで使われていたなんて、鬼の存在がよりリアルに感じられてわくわくしませんか。

 なおこの「■(き)」とは、鬼が母親の腹の中にいる胎児に嫉妬心を起こさせ、先に生まれた兄弟児に下痢や発熱悪寒を引き起こす、という現代人二度見必至の病ですが、後代になるとこの症状は、母親の懐妊や悪阻に伴って乳離れさせられたことによる乳児栄養失調症であるとされ、「弟見悪阻(おとみづわり)」などと呼ばれるようになります。

 医学の進歩によって「鬼病」はひとつひとつ解体され、別の病になっていったのかもしれません。スネの打撲傷も、今や鬼ではなくて不注意のせい…世知辛い!

 

 

次週「鬼瓦は鬼じゃない?!」は510日公開す。つづく!


(学芸課鬼殺係・ささき)

■企画展「鬼は滅びない」は613日(日)まで。

参考文献:長谷川雅雄、辻本裕成、クネヒト・ペトロ著「「鬼」のもたらす病(上)」(『南山大学研究紀要』2018

2021年4月26日月曜日

鬼の嫌いな香り、好きな香り?!  企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の肆

   

 今年の福岡は、藤の開花が早かったように思います。「藤」といえば、昨今話題の漫画によると鬼は藤の香りが苦手なのだそうです。本展で展示中の「大江山絵巻」【写真1】に描かれている酒呑童子の屋敷には、東西南北に四季が存在し、梅、芒(すすき)萩(はぎ)、菊、柳のほか藤の花も常に盛りを迎えています。藤はあまり例がないのですが、多くが年中行事や風習の中で魔除けや厄除けとされる植物ばかりです。好きなのか?嫌いなのか?一体どちらなのでしょう?

 

【写真1】「大江山絵巻」 右下に藤(東・春)が描かれています。

 

  さて「鬼と香り」と言えば、節分の日に門口に飾る「鰯(ひいらぎいわし)」があります。柊の枝に(いわし)や鯔(ぼら)などの頭を挿したもので、鬼や邪気はその強力な魚臭を嫌がると言われています。(反対に好むとする地域もあるのですけれど…)

  

漫画の中では、藤の「匂い袋」が鬼除けのお守りになっているのですが、季節限定の藤より、産地や種類によっては年中獲れる鰯の「臭い袋」の方がもしや便利なのでは?と考えてしまいました。とはいえ鬼みたいに「刺激的なニオイ」なのでしょうけれどね。(其の壱「鬼はくさい?!」を参照 http://fcmuseum.blogspot.com/2021/04/blog-post.html

  

 また本展での「護摩を焚く」コーナーでは、『源氏物語』を主題とする能の演目「葵上」で、高貴な女性が変じた鬼(六条御息所)について取り上げています。恋敵への強い嫉妬のあまり生霊となる六条御息所は、自身に染み付いた芥子(けし)の香に気づき、自らが護摩で調伏されるべき物の怪(鬼)と化したことを悟る云々というものです。

 

 仏教の世界では、芥子の辛味が災いや不幸を取り除くことに功能がある、芥子の種を焼いて煙を服に染み込ませれば邪鬼払いになる、とされているようです。『源氏物語』に記される「芥子の香」とはどのような香りなのでしょうか。「けし(芥子・罌粟)」には、古くから仏教の護摩で用いられてきた「カラシナ」【写真2】と室町時代に日本に入ってきたとされる「ポピー」(あんぱんに付いている粒々ですね)【写真3】があります。現在ではポピーを護摩でつかうお寺もあるとのことで、園芸用カラシナと護摩用ポピーを使って芥子の香を学芸課鬼殺係が確かめてみました。

 

【写真2】カラシナ(焚く前)

 

 

 

 

 

【写真3】ポピー(焚く前)
 

 

 

 

 

 

 

 焚く前の状態は「無臭」です。わずかにカラシナの種に肥料臭さを感じる人もいました。火であぶる(一部は火に直接投げ込みました)と「バチバチッ」という破裂音とともに香ばしい匂いが漂ってきました。ふむふむ、これが生霊(鬼)を調伏する際の香りなのですね。

 
【写真4】「芥子の香」を嗅ぐ学芸課鬼殺係 

 

 学芸課鬼殺係の表現を引用するならば、「どちらも香ばしいけれど、カラシナはポピーよりツンとする感じ(わずかに刺激的)」、「ポピーは甘く、米粉パンのようなにおい」とのこと。また少量では鼻を近づけないと香りが分かりにくく「芥子の残り香」というには結構な量が必要そうです。一説には六条御息所のお話に出てくる「取れない芥子の香」自体、六条御息所の精神状態が正常ではないことを示している(芥子の香が取れないのは幻覚である)という見方もあるようです。本展では、実験で使ったポピーを(実際に嗅ぐことはできませんが)参考資料として紹介しています。 

 

次週は「鬼を食らう?!」は53日公開です。つづく!

 

 (学芸課鬼殺係・かわぐち)

 

■企画展「鬼は滅びない」は613日(日)まで。

■参考文献

 定方晟2002「芥子粒」『文明研究』(21 

 藤本勝義2002「六条御息所の幻覚の構造―芥子の香のエピソードをめぐって」『日本文学』(51

2021年4月20日火曜日

鬼は朝日が苦手?! 企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の参

 こちらは百鬼夜行図巻の最後に描かれる赤い玉。



 そして、それに背を向けて逃げる鬼。



「百鬼夜行図巻」より

 

 皆さんはこの赤い玉は何だと思われますか? 

 太陽!と思われた方。私もそう思っていました

 今回はそんな太陽と鬼の話です。

 さっそく話は脱線しますが、時代が下りつくられた様々な百鬼夜行の絵には、同じような構図で火の玉に「朝日」と詞を添えて描かれるものもあります。一方で、近年の研究では、説話での退散理由の傾向や、絵巻の成立過程などの検討が重ねられ、尊勝陀羅尼、不動明王の火炎、火車など仏教に関わるものと解釈される説もみられるようになりました。

 

 闇夜に活動し夜明けとともに姿を消す鬼。その活動の様子は、世の中を明るく照らす太陽を嫌うようです。平安時代に成立した説話集などからは、鬼のその活動スタイルを探ることができます。

 例えば、「(アク)(ホド)(ナリ)ヌレバ」鬼たちが皆「(カエ)(サリ)ヌ」(『今昔物語集』巻13の1)。日の出の直前、明け方の空が明るくなる時分に、いずれかの場所へ戻ったようですね。

 もう一例ご紹介しましょう。「(あかつき)(とり)など()きぬれば、(おに)ども(かえ)りぬ」(『宇治拾遺物語』1の3)。夜から朝に変わろうとするあたりに、こちらも鬼たちが住処に帰っています。(この頃の「暁」はまだ暗い時間帯のことをさしていたようです。)

 

 ちょっと物足りなく思われたでしょうか。

 今回の展示のテーマである「滅ぼす」という点で非常に有効そうな「太陽」ではありますが、陽光を浴びて鬼の身体がジュワッと焼き尽くされるような描写は、説話などからはなかなか探すことができません。

 先にあげたように、鬼が夜明けに消えるというのは、朝日を浴びる前に鬼が自らの足で退散をしているのです。

 

 実は嫌いというだけで、そこまで決定的なダメージを与える要素ではないのでしょうか。

 太陽を避けることに関して、ちょっと緩そうな鬼たちはいました。

 

 『今昔物語集』には、自身の身を助けるために交渉しあう人と鬼の話があります(巻2019)。鬼は最後に「暁」、つまり明け方に人のもとに現れて、交渉が上手くいったことを報告し、「掻消(カキキエ)(ヨウ)(サリ)」ます。すぐに消えたとはいえ、ほかの話では鬼がいなくなる時間帯に登場するとは、鬼の立場からするとはらはらしてしまいます。

 

 もう一つ、鬼と太陽の関係を気にしながら文献をめくっている中で、ちょっと興味深い話がありました。今度は日の入り近くの話です。

 

 8世紀、奈良時代に成立した『日本書紀』には、朝倉宮(いまの福岡県朝倉市あたり)で行われた斉明天皇の喪儀を「(よひ)」に、山から鬼が大笠を着てみていた、という記述があります(斉明天皇78月条)。人々がその姿を怪しんだということですから、日が沈んでいてもその姿を目視できた、まだ明るい時間帯の出来事のようにも考えられます。

 

 鬼と対峙した人にしてみても、基本的にはその局面を乗り切り一安心といったところのようで、去っていく鬼に「逃げるな!」と叫ぶほどのモチベーションはなさそうです。(言いそうなのは……頼光でしょうか。※前回ブログ参照

 鬼は太陽を避けるけれど、薄明の時間は大丈夫だったりするのかもなと、想像してみるのでした。

 

 次回は、 「鬼の嫌いな香り、好きな香り⁈」です。どきどきのレポートがあるみたい?つづく!

(学芸課鬼殺係・さとう)

■企画展「鬼は滅びない」は2021年613日(日)まで開催中。