2023年3月20日月曜日

博物館出前学習 玄界小学校編 その1

福岡市博物館ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、福岡市西区玄界島で行った出前学習のお話です。出前学習とは、博物館のスタッフが市内の小中学校を訪れ、授業や体験プログラムを行う取り組みのことです。


令和51月中旬、玄界小学校の先生から、博物館資料を活用した学習ができないだろうかというご相談をいただきました。対象は、小学校3年生。昔の道具や生活の知恵などを調べることを通じて、道具とともにくらしが変化してきたことを学ぶ、という社会科の単元です。

 玄界島は、18年前の今日、平成172005)年320日に起こった福岡県西方沖地震に見舞われ、全島避難を余儀なくされるほどの大きな被害を受けました。島の皆さんの団結力が功を奏し、わずか3年で希望者全員の帰島が実現しましたが、この震災をきっかけに、島の歴史や生活の様子を伝える多くの資料が失われました。現在、玄界小学校に通う生徒さんは震災後に生まれており、先生方は震災後の島の環境や生活の在り様を踏まえつつ、震災前の島の歴史や文化をどのようにして子どもたちに伝えていくのか、という玄界島ならではの地域学習の課題をお持ちでした。

そこで先生と相談しながら、「玄界島の昔のくらし」という授業を計画し、学校への出前学習としては初めて博物館資料を館外に運び出すことになりました。

島の将来を担う子どもたちに本物をみて、触れて、五感で島の歴史文化を学んでもらいたいという先生方の熱意がかたちとなりました。45分の授業ですから、持ち込むのは昔と今の島の生活につながるもの、島のくらしを象徴するもの、安全に運搬が可能な3点に絞り込みました。

これであとは渡船が欠航しないよう天に願うだけです!

 

みんなの願いが通じたのか、授業当日(216日)はとてもいい天気に恵まれ、博多港を出た福岡市営渡船・みどり丸は無事玄界島へ。今回は、初めての取り組みということで学芸員と教育普及担当職員の計6名で伺いました。港から島の中腹にある玄界小学校までは徒歩。ずっと坂道が続いています。私たちは資料を抱え、かつての島の面影を残す急な石段をのぼり小学校へ向かいました。




授業が始まる前に待機した部屋には、学校の古いアルバムや資料が保管されていました。その中に昭和20年代後半の玄界島の航空写真を発見。急遽こちらの写真を使わせていただくことにしました。

授業の会場となった音楽室に博物館から持ち込んだ資料を並べ、それを布で隠して出前学習のスタートです。講師は民俗担当学芸員の河口。

授業ではまず、さきほどお借りした玄界島の航空写真と、昨年夏に撮影した島の写真を見比べながら、何が変化しているか子どもたちに問いかけました。昔は砂浜があったこと、遠見山の頂上付近まで畑があったこと、車が通れる道が今のようにないことなど、子どもたちが次々に気づいたことを発表します。では、「昔はどんな道だったのか」、「荷物はどのように運んでいたのか」を問うと、子どもたちは「手で運んでいた?」と自分なりの考えを発表してくれました。

これを受けて、博物館で準備した昔の玄界島の生活の様子を写した写真を見ながら解説です。震災前までは、雁木段とよばれた石段で島の人びとみんなが上り下りしていたこと。そして荷物は「オイ」(背負い梯子)を使って運んでいたことなど、写真を見ながらかつての島の生活環境について学びました。

「オイ」について紹介すると子どもたちは「小屋にあるやつだよね」と身近に残る「オイ」の存在に気づき、今と昔で道具の大切さに違いがあることを実感したようでした。


後半では、テーブル上に並べた資料にかけた布をひとつずつめくりながら授業を展開します。

まず細長い鉄の棒「カナテコ」という道具。子どもたちに、棒の先端の形を観察したり、実際に手に持って重さを体感してもらい、「どうやって使うものか」、「何に使った道具であるのか」を問いました。

昔の写真を見ると家の周りが石垣になっている、という子どもたちの気づきから、「カナテコ」は、石垣を造際にテコの原理を使って石を動かすための道具であることを導き出しました。今でも島に残る石垣がどのようにして造られていたのか、石垣を造ることがなくなると道具も必要とされなくなることを伝えることができました。


続いて、古い着物を再利用して作られた昭和時代の手袋や、海士が潜水漁の際に使用した「ハチオ」と呼ばれる藁でできたベルトも紹介しました。なかでも手袋については、「分厚い」「あんまり暖かくない」などさまざまな反応がありました。

手袋の素材にも注目し、木綿布のハギレを組み合わせて作られていることや、中には綿がたくさん詰められていることなど、普段使っている手袋との違いを考えてもらいました。



最後に紹介したのは、昔と今の子どもたちとをつなぐものです。手持ちで島へ運ぶことが難しいこの資料については、様々な角度から撮影した写真を使って問いかけ、それが何の道具か当ててもらいます。

いろいろな言葉が挙るなか、途中で「あかり」という発言が出たところで、資料の全体像を映し出します。それは明治時代に島の夜回りで使用されていた「火の要心」を書かれた手持ちの行灯でした。家々が密集するかつての玄界島にとって火災は大きな脅威の一つでした。一人一人の火に対する意識は、今もずっと受け継がれています。このことを伝える一枚の写真を、ここで子どもたちに見てもらいます。それは午後5時の島内放送の写真です。そこに写っているのは5年前の子どもたちの姿。玄界島ではこの時間になると島の子どもたちが当番で拍子木を打ち「火の用心」と島内放送を通じて家々に呼びかけるのが慣例となっています。行灯と島内放送。昔のくらしは途絶えるばかりではなく、かたちが変化しても今なお受け継がれているものがあることを伝えたかったのです。これからも午後5時の島内放送が続くことを願っています。



最後のまとめでは、子どもたちから先生たちと一緒に島内にある昔のくらしの道具を探しに行きたい、もっと島のことについて知りたいという希望が出されました。

ものに直接触れることによって、子どもたちが島の過去と現在が結びついていることについて深く考えるきっかけになったのならば、この出前学習は成功です。

これから先、島の写真などを一緒に整理してはどうだろう、島内のいろいろな場所を子どもや先生たち、博物館スタッフが一緒に歩いてみるのはどうだろうと、アイデアは膨らむばかりです。


玄界小学校へ資料を館外に運び出す取り組みは、これまでの玄界島での調査や里帰り展示の経験を通じて、現地で資料を安全に輸送するための手段や環境を把握できていたことが大きな後押しとなりました。これまでの玄界島と博物館の活動については、ブログの「その2」でお伝えしますので、お楽しみに。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


(文責:河口綾香 補助:松尾奈緒子)

2023年3月17日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈029〉開局! よかトピアFM(その4)

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「パオパオ・ロックとは」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

10(「元寇防塁と幻の護国神社」)

11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

12(「百道地蔵に込められた祈り」)

第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)

第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)

第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)

第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)

第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)

第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)

第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)

第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)

第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)

第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)

第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)

第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)

第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)

第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)

第27回(「開局!よかトピアFM(その3)」)

第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)




〈029〉開局! よかトピアFM(その4)



1989年に開催されたアジア太平洋博覧会のイベント放送局「よかトピアFM」に出演した豪華なゲストミュージシャンたち。

(その3)では3月・4月に出演したミュージシャンを調べましたので、今回は5月と6月です。

この2か月で22組が出演していました。



では、さっそく5月から。


【5月】

08日 ROLLIE

09日 阿Q

10日 大内義昭

16日 J-WALK

18日 吉野千代乃

18日 谷村有美

23日 SHIHO

25日 安藤秀樹


ゴールデンウィークが終わった5月8日のゲストはROLLIE(ローリー)。のちにTHE COLTS(コルツ)やTHE MACKSHOW(マックショウ)を結成するKOZZY IWAKAWA(岩川浩二)さんとTOMMY KANDA(神田朝行)さんが在籍していたロックバンドです。
ご出演の前年、1988年11月に2ndアルバム『A TOUCH AND GO!』をリリースしていて、出演後の1989年9月にもアルバム『WATCH OUT!』の発売を控えていました。
シングル『ALL NIGHT ALL RIGHT』は、映画『クレージーボーイズ』(松竹/1988年/監督:関本郁夫さん/出演:加藤昌也さん・坂上忍さん・長江健次さん・山本理紗さんほか)の挿入歌にもなっています。
バンドはストレートでポップ、のちのマックショウを思わせるロックンロールな雰囲気もありました。このときすでに岩川さんのよく通る歌声と、神田さんのタイトなベースが目立っています。解散後に結成されたコルツは、スカーフェイスレーベルに所属するなど福岡出身のTHE MODS(ザ・モッズ)とながらく活動をともにしてきましたので、福岡でも人気なのですが、ROLLIE時代によかトピアに来られていたことはあまり知られていないと思います。今回新たな発見でした。


つづく9日は阿Qがゲストです。阿Qは仙台で結成された4人組のバンド。ファンキーな演奏で、エスニックな雰囲気も持つ実力派でした。
ご出演の前年には10月に1stアルバム『MOTHER STANDING』を発売し、11月11日には天神のビブレホールでライブ(マザー・スタンディング・ツアー)をおこなっています。1989年6月にはオーストラリアのパースでレコーディングした2ndアルバム『リレー』をリリースしますので(2ndシングル『ナスティ』も同時発売)、アジア太平洋をテーマとするよかトピアにはピッタリのゲストでした。その後、1990年に活動を休止してしまいましたが、2011年には東日本大震災をきっかけに新しい音源を発表され、オフィシャルサイト「阿Q通信公司」でこれまでの活動のアーカイブを開設されています。このブログでもこの公式サイトを参照しています。


大内義昭さんは北九州市のご出身で、声がとても魅力的なシンガーソングライターです。DU-PLEXやソロとして活動されたほか、小比類巻かほるさんのシングル『Hold On Me』の作曲(1987年発売。作詞は麻生圭子さん)、藤谷美和子さんとデュエットしたシングル『愛が生まれた日』(作詞は秋元康さん、作曲は羽場仁志さん)の大ヒットなど、多方面で活躍されました。
ゲストに来られた1989年はソロの1stアルバム『Back Seat』を発売された年。このアルバムはシティポップの再評価のなかで、もう一度聴きたい曲ばかりです。


16日のゲストはJ-WALK(ジェイ・ウォーク)。
ゲスト出演した1989年は、前年にレコード会社を移籍して、シングルを立て続けに発売していた時期です(4月『勝利者~WINNER~』、6月『それはジェラシー』、12月『ONCE IN YOUR LIFE』)。また、4月にはアルバム『GALE』もリリースされたばかりでした。


18日はお二人のゲストが来られています。お一人目は吉野千代乃さん。1986年にデビューされた歌手です。5月25日にシングル『白い広場』とアルバム『Song Bird』を同時リリースする直前のご出演でした。バラードからアップテンポまで、さまざまなジャンルを歌いこなす確かな歌唱力が魅力のシンガーです。


もうお一方は谷村有美さん。1987年デビューのシンガーソングライターです。ゲスト出演されたタイミングはリリースラッシュのころ。4月7日にシングル『がんばれブロークン・ハート』、6月に3rdアルバム『Hear』、7月にシングル『明日の恋に投げKISS』を発売されています。
ご自身もラジオ番組を持たれており、パーソナリティーとしてもトップ人気でした。出演時は「FUNKY STUDIO 802 MUSIC GUMBO」(FM802)や「谷村有美の気ままにFeel mie」(FM Yokohama)など、このあと長く続けられることになる番組をちょうど始められたばかりのころです。


23日はSHIHOさん。ただ、今回詳細が分からないままでした…。1988年にシングル『Gypsy Queen』(コロムビア)を発売されたSHIHOさんかとも思ったのですが、手元の資料ではゲスト主演されたSHIHOさんはテイチク所属と書いてありますので、どうも違うようです。もしどなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。


25日のゲストはシンガーソングライターの安藤秀樹さん。作詞家として、吉川晃司さんのシングル『にくまれそうなNEWフェイス』(作曲はNOBODY)、『RAIN-DANCEがきこえる』(作曲は佐藤健さん)などのヒットでもよく知られています。5月21日にアルバム『Downtown Hero』を発売されたばかりのタイミングでのご出演でした。


(福岡市博物館所蔵)
「よかトピアFM」のパンフレット。



続いて6月です。6月はけっこうゲストが多いです。


【6月】

01日 真璃子

02日 さとう宗幸

02日 喜屋武マリー(Marie)

05日 De-LAX

07日 DREAMS COME TRUE

08日 大江慎也

12日 キャディラック

13日 南こうせつ

21日 荒木真樹彦(アラキマキヒコ)

22日 POGO

23日 JACO-NELO

26日 松岡直也

28日 Pli:z

29日 スターダストレビュー



6月最初のゲストは真璃子さん。福岡市のご出身です。1986年に歌手デビューされ、当時は所属事務所がとんねるずと同じだったため、とんねるずのお二人からラジオなどでたびたびお名前を聞くことがありました。
出演時は5月に『ふしぎなぼうけん』『セシルの週末』のシングル2枚を立て続けにリリースされたばかり。『ふしぎなぼうけん』はご自身の作詞でした(作曲は松本俊明さん。ちなみに『セシルの週末』は松任谷由実さんの曲のカバー)。デビューされて以降、「オールナイトニッポン(2部)」(ニッポン放送)などのラジオ番組も多数担当されていて、つい先日のオールナイトニッポン55周年記念番組(2023年2月19日の伊集院光さんの回)にもゲスト出演されました。現在も福岡でラジオパーソナリティや歌手としてご活躍です。


2日はさとう宗幸さんがゲストに来られています。シングル『青葉城恋唄』(1978年発売)の大ヒットで有名ですが、俳優としてドラマ『2年B組仙八先生』(TBS)で主演をつとめられたことでもよく知られています(生徒役にはシブがき隊・本田恭章さん(The TOYS →〈027〉)・三田寛子さんらが出演されていました)。現在もご出身の宮城県で、テレビMC・ラジオパーソナリティや歌手として幅広く活動されています。


2日はもうお一方、喜屋武マリーさんも出演されました(現在はMarieさんのお名前で活動)。マリーさんはベトナム戦争時代の沖縄で人気を集めた歌手です。1979年にメジャーデビューされたのち、ふたたび沖縄で「Marie with MEDUSA」を結成して活動されました。マリーさんに取材して連載・出版されたノンフィクション『喜屋武マリーの青春』(利根川裕著)は、1989年6月9日公開の映画『Aサインデイズ』(大映/監督:崔洋一さん/出演:中川安奈さん・石橋凌さんほか)の原作になっています。戦後の沖縄を舞台としたこの作品は、よかトピアがテーマとするアジア太平洋のもう1つの姿を描いたものと言えるでしょう。主題歌はマリーさんの『愛は限りなく』でした。マリーさんのよかトピアFMへのご出演は、まさにこの映画の公開直前のことでした。


De-LAX(デラックス)は宙也さん(Vo)・鈴木正美さん(B)・京極常世さん(Dr)を初期メンバーとするロックバンド。その後、メンバーの入れ替わりやサポートが多いのですが、とにかくそのメンツが豪華。初期には「パーソンズ」の本田毅さん(G)や「戸川純とヤプーズ」の小滝満さん(Key)、のちには「BOØWY」の高橋まことさん(Dr)、「レベッカ」のサポートメンバーだった友森昭一さん(G)、「ローザルクセンブルグ」の玉城宏志さん(G)ほか、個性的なバンドマンが次々と参加しています。それだけに楽曲は高い演奏力でバラエティに富んでいました。それでも宙也さんのボーカルが全然埋もれないところが、バンドの一番の魅力なのでしょう。このときは、シングル『NEUROMANCER』を7月に、同名アルバムを8月にリリース予定のなかでのご出演でした。


7日はドリームズ・カム・トゥルーの登場です。ドリカムのデビューは、1989年3月21日に発売したシングル『あなたに会いたくて』・アルバム『DREAMS COME TRUE』でした。よかトピアは3月17日に開会していますので、開会してすぐのデビューだったことになります。
ゲスト出演直前の6月1日に2ndシングル『APPROACH』を発売して、このときはまだまだ新人としてのキャンペーンでした。『APPROACH』は当時ヒットしていたブラコンを強く意識した曲。特にベースの音やフレーズが印象的です。この後、9月1日には3rdシングル『うれしはずかし朝帰り』(カップリングは『うれしい!たのしい!大好き!』)をリリースし、これを収めたアルバム『LOVE GOES ON…』(同年11月21日発売)はロングヒットしてミリオンセラーになりました。あらためてこう振りかえると、よかトピア閉会は9月3日ですから、ちょうどよかトピアの会期中に、あっという間に人気を得ていったグループでした。


8日のゲストは大江慎也さん。北九州市で結成されたルースターズのボーカルです。ルースターズは1980年にデビューし、福岡市出身の石井聰亙(岳龍)さんが監督した映画『爆裂都市 BURST CITY』(東映/1982年/出演:陣内孝則さん・泉谷しげるさん・町田町蔵(康)さんほか)の音楽にも参加しました(大江さんとドラムの池畑潤二さんはご出演も)。その後、大江さんはルースターズを離れ、1987年にソロアルバムを発売しました。
よかトピアFMへのゲスト出演は、あらたに徳間ジャパンと契約して、アルバム『PECULIAR』を4月25日に発売したばかり。久しぶりの充実した活動が期待された時期でした。

※ルースターズおよび大江慎也さんのソロワークについてはファンサイト「A Young Persons'guide to The Roosters(z)」が大変詳しくアーカイブしています。このブログでも参照させてもらいました。


12日はキャディラックがゲスト出演。ロカビリーやロックンロールに影響を受けたメロディが気持ちよい、3ピース・ロックバンドです。このときは5月25日にアルバム『BLUE MOON』を発売したタイミングでのご出演でした。ただ残念ながら、このあと間もなくして活動を停止しています。結果として福岡のファンにとっては声を聴ける貴重な機会になりました。なお、今はまた活動を再開されています。



(福岡市博物館所蔵)
「よかトピアFM」のTシャツ。


13日は南こうせつさんがご出演。『神田川』のヒットで有名なフォークグループ「かぐや姫」を解散後は、ソロで活動されているシンガーソングライターです。ラジオ「パック・イン・ミュージック」(TBS)・「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティとしても人気が高く、「おいちゃん」の愛称で親しまれました。
大分県のご出身で、1981年からは毎年夏に2~3万人を集客してオールナイトの夏フェス「サマー・ピクニック」を九州で開催されていたこうせつさんは、福岡でも特に人気の高いミュージシャン。この年も7月29・30日に三井グリーンランド(熊本県荒尾市)で、ANGIE・ZIG ZAG・勝誠二さんといったよかトピアFMにも来局したミュージシャン(→〈027〉)をゲストに迎えて「サマー・ピクニック」を開催する予定になっていました。
こうせつさんのご出演は、翌月にこの大きなイベントを控えたタイミングでした。実はこのゲスト出演のあとも、「おいちゃん」とよかトピア・シーサイドももちとの関係が続いていくのですが、それはまた今度。

※南こうせつさんのご活動は「南こうせつ公式サイト」に詳しくアーカイブされています。このブログでも参照させてもらいました。


21日のゲスト、荒木真樹彦さんは佐賀県ご出身のミュージシャンです。1988年にシングル『1999』でデビューされました。ご出演は2ndシングル『I NEED YOUR LOVE』のリリース直前でした(6月25日発売)。『I NEED YOUR LOVE』はミディアムテンポのシンプルなアレンジで、荒木さんの歌のうまさをじっくりと楽しめる曲です。その後、C.C.ガールズ藤原理恵さんとのユニット「Rie ScrAmble」でもヒット曲を出され、現在も精力的なライブ活動や俳優業で活躍されています。


22日に出演したPOGOは80年代らしいビートパンクのバンド。初期メンバーには「the pillows」「The ピーズ」の佐藤シンイチロウさん(Dr)も名を連ねています。インディーズで高い人気を得たのちにメジャーデビューし、アルバム『THE POGO』(1989年5月25日発売)がヒットしましたが、ゲスト出演はこのアルバム発売の翌月のことでした。
小河原良太さんのしゃがれた声がストレートなビートによく合っていて、バンドブームのなかにあって唯一無二の存在でした。激しいサウンドの一方、実は歌メロはポップで、『不幸な星の下で』『しあわせになりたい』『夜になれば』などインディーズ時代にアルバムに収録した曲も名曲ぞろい。吉田拓郎さんの『たどりついたらいつも雨ふり』といったカバー曲も、自然とバンドになじんでいました。


23日のJACO-NELOは詳細が分かりませんでした…。手元の資料ではクラウンレコードに所属されていたようです。もしどなたかご存知の方いらっしゃったら、ぜひ教えてください。


26日は松岡直也さんが出演されています。松岡さんはピアニストで、ラテン・フュージョンの第一人者。中森明菜さんのシングル『ミ・アモーレ』の作曲・編曲でも有名です。5月25日にはアルバム『SONGS and DAYS』を発売されたばかりでした。おなじみの高橋ゲタ夫さん(B)・木村万作さん(Dr)・和田アキラさん(G)・津垣博通さん(Key)ら凄腕ミュージシャンが参加した作品です。
松岡さんのグループは、8月13日によかトピア会場内のリゾートシアター(→〈001〉)で開かれたコンサート「KDD 001 SOUND COCKTAIL '89」にも出演されました。この公演にはサーカスバブルガムブラザーズ大野えりさんらも出演されて、真夏のシーサイドももちを盛り上げました。


Pli:zは、1988年にデビューして、ラジオ「オールナイトニッポン(2部)」のパーソナリティもつとめた6人組のバンド。1988年7月にシングル『せつなさI・N・G』、同年12月に1stフルアルバム『プリーズ・フロム・プリーズ』を発売しています。そして、ゲスト出演直前にはシングル『君にあいたい』(1989年6月21日)をリリースし、直後には2ndフルアルバム『プリーズ・ペインティング・プリィーズ』(7月1日)の発売を控えていました。ミニアルバムを含めた全5枚のアルバムをリリースしたのちに解散して、1993年にメンバーのうち3人があらたに「BLOW」を結成されました。初期はアイドルっぽさを感じる曲も多いのですが、空間系のエフェクターサウンドのギターが80年代っぽくて、リズムもタイト、演奏力が高いかっこいいバンドでした。


6月最後のゲストはスタレビ。4月3日に続いて、まさかの2回目のご登場です(→〈027〉)。シングル『夏のシルエット』が5月25日に発売されたタイミングでの再出演でした。さらには7月10日にはアルバム『In The Sun, In The Shade』のリリースも控えていました。




5月・6月は九州出身のミュージシャンの出演も多く、九州全体で取り組んだよかトピアを盛り上げています。

5月のゲストが少なく、明らかにゴールデンウィークをはずしているようにも見えますが、5月4日には15万人超えの入場者を記録していますので、ゲストを迎えるのを控えたのかもしれません。


ゲスト編を書き始めたときには、こんなに長くなるとは思わなかったのですが、出演者の豪華さに驚きながら、そこには時代をよく表す部分もあったりして、このような連載になってしまいました…。最後の7~9月はまた今度。


【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)

・『よかトピアFMタイムテーブル』VOL1~3((財)アジア太平洋博覧会協会)


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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル

2023年3月15日水曜日

【Discover the Feature Exhibition】 Water and Life

Commemorating the Centennial of Fukuoka City Waterworks

Water and Life

January 17th (Tue.) ~ March 26th (Sun.), 2023

Feature Exhibition Room 4

Painting depicts water vendors in the Meiji period


Fukuoka City began supplying water to residents on March 1st, 1923, the 41st year of the Taisho period, with the completion of a series of facilities that included the Hirao filtration plant and Magaribuchi Dam, both built upstream of the Muromi River. In the year 2023, the 5th year of the Reiwa period, marks the 100th anniversary of the start of the Fukuoka City waterworks project.

Excavations have revealed that wells have been used in communities in the Fukuoka Plain since the Yayoi Period (c.800BCE - 250CE). Numerous wells have also been found at the ruins of Hakata, which was an international trading port during the Middle Ages. During the Meiji period (1868-1912), since the water quality in some places in the Hakata area was poor due to the high concentration of salt, Fukuoka city constructed a well in Higashi Park in Hakata Ward, and water vendors sold water to individual homes.

The city waterworks enabled many people to secure a high quality water supply which dramatically changed their way of life. Unfortunately, Fukuoka City was often plagued by water shortages due to the lack of large rivers in the surrounding area. However, the water supply from the Chikugo River and the completion of the Gokayama Dam stabilized the water situation.

This exhibition displays tools used for well and water pipe maintenance, as well as photographs showing the history of the waterworks projects in the area.

Exhibition view

2023年3月11日土曜日

【別冊シーサイドももち】〈028〉まだまだあった! 幻の百道開発史

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「パオパオ・ロックとは」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

10(「元寇防塁と幻の護国神社」)

11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

12(「百道地蔵に込められた祈り」)

第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)

第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)

第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)

第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)

第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)

第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)

第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)

第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)

第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)

第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)

第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)

第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)

第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)

第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)

第27回(「開局!よかトピアFM(その3)」)





〈028〉まだまだあった! 幻の百道開発史


埋立地としてのシーサイドももち地区ができる以前、現在の「よかトピア通り」の辺りが海岸線で、その南側(現在の西新・百道地区)は「白砂青松」の字の通り、白くて長い砂浜と青々とした松林が広がる景勝地でした。

現在のシーサイドももち地区とその周辺。赤い線より上は埋立地なんですね~。


とくに大正時代~昭和初期の百道では、その多くが手つかずの広大な「空き地」状態だったので、この場所に「何か」を建てようという案がいくつも浮上していました。


昭和10年代の西新・百道地区。濃い緑は松林、黄色は砂地。


以前、このブログでも「護国神社建設運動」や「高等学校誘致運動」があったというお話を紹介したと思います。




これらはそれぞれ、大正8年(1919年、高等学校誘致)と大正15年~(1926年、護国神社)のお話でした。

実はこれらとほぼ同じ大正時代末、実は今度は「東亜勧業博覧会」(昭和2年開催)の会場を百道に誘致しようという動きがあったそうなんです。


(東亜勧業博覧会ポスター、福岡市博物館所蔵)


博覧会開催に向け、大正14年8月28日に第1回の準備委員会が福岡市会議場にて開かれました。

※準備委員会には、久世庸夫市議会長(当時)を筆頭に、市議、県や市の課長・所長、博多商業会議所、博多駅長、各新聞社・鉄道会社社長などが参加。

この会議では、博覧会名称会場の場所をどうするか、役員人事について、あるいは予算についてなど、博覧会を開催するためのさまざまな事について話し合いが行われました。


その中で、会場となる場所の条件としては、その面積を最低でも3万坪、できれば5万坪くらいにして本会場と別にサブ会場などは設けない、という方針が決まりました。


その条件から、会場は以下の6つに絞られます。


△ 第一西新町百道松原

△ 第二西公園を背景とし女子師範南方の耕地

△ 第三城外練兵場

△ 第四下警固九水所有地を中心としたる地方

△ 第五新柳町南方高畑大木両区の中間

△ 第六東公園

(大正14年8月29日『福岡日日新聞』朝刊7面「予算百万円で福岡の博覧会」より)


この案をうけて、準備委員会の担当委員による各地の実地踏査が非公式ながら進められていきますが、この段階ですでに「大濠西側が有力」という報道も出ていました。



ところが! われらが西新町も負けてはいません。

西新町総代の西川虎次郎を筆頭に、初代市長でもあった山中立木、そして的野作七伊佐卯之吉など西新町の有力者たちは、「博覧会の会場は百道がもっとも適当である!」と、市当局に対し要望書を出しました。


青が約3万坪、赤が約5万坪。余裕、ありますね!


要望書に挙げられた「百道を推す理由」は、


・博覧会費で一番金がかかるのは敷地の整備であり、候補となっている警固や練兵場付近、あるいは南公園の計画と共同で進めるのでは経費がかかりすぎる

・百道は近くに市有地も県有地もあって取得が容易である

・博覧会場として必要な数万坪の土地も、松原内なら余裕

・高低差がなく平坦なので開発が容易

・博覧会敷地として考える予定地の中には現在建設準備を進めている西新小学校校地5千坪が含まれているので、この際校舎を早く建てて会場の一部として利用すれば一挙両得

・なにより百道は風光明媚で能古島や志賀島を背景として海面・海浜利用をする事もできる(たとえば水上飛行機も飛ばせるし、水族館もつくれる)

・百道はなんといっても元寇防塁の地域なので、これを取り入れて観覧者に見てもらうのもよい


といったものでした。

西新小の利用や水族館建設などはなかなか驚きの提案ですが、やはりここでも「風光明媚」という言葉が売り文句として使われています。


さらに彼らは、東の方ばかりが市街として開発されていて西側の地域(百道)にはまだ原野や松原が20万坪あまりも残っている、この博覧会をきっかけに百道の開発が進めば、西に新市街地ができ、問題となっている住宅難も解消されるはず!と力強く説きました。

(以上、大正14年8月30日『福岡日日新聞』朝刊7面「福岡市の博覧会場大堀西岸が理想地」「博覧会敷地と西新町の要望より要約)




そしていよいよ会場決定の日――。

大正14年9月24日、ふたたび市会議事堂で行われた準備委員会で行われた投票の結果、第1候補地が大濠、第2候補地が警固、そして百道は第3候補地に決まりました。

これにより委員会は県へ一帯の博覧会会場としての利用と、大濠(堀)を埋め立てる要請を正式に提出します(12月14日の福岡県会にて満場一致可決)。

その後の大濠は皆さんご存知のとおり、昭和2年には博覧会が開催され、その後は県営公園として整備されるという道を歩んでいきます。


(撮影者:Fumio Hashimoto)
福岡市を代表する憩いの公園となった大濠公園。
現在では屈指の人気エリアです。


……こうしてまたも大型開発の機を逃した百道

結果的に百道松原は学校や住宅となっていきますが、それも戦後の話です。

またまた「たられば」話になりますが、この時博覧会場として百道松原や海浜が一気に開発され、元寇防塁がより観光地化されていたら、その後にできるシーサイドももち地区の景観も、今とはまったく違ったものになっていたかもしれません。


絵葉書「東亜勧業博覧会絵葉書」本館、福岡市博物館所蔵
こんな風景が……。



(絵葉書「東亜勧業博覧会絵葉書」美術館、福岡市博物館所蔵)
こんな建物が百道にあったかも……。


(福岡市東亜勧業博覧会全景図、福岡市博物館所蔵)
この絵の奧に見えるのが百道海岸であった可能性も……(続く妄想)。





……とはいえ、その数十年後、西新(百道)には本当に博覧会がやって来ます

百道の博覧会といえば、平成元年の「アジア太平洋博覧会(よかトピア)」が有名ですが、その前に一度、西新で博覧会が開かれていました。

それは、昭和17年の「大東亜建設大博覧会」。この博覧会についても、ぜひ改めてご紹介したいと思います。


約60年後、立派な博覧会が開かれるよ!

【参考文献】

・『東亜勧業博覧会誌』(東亜勧業博覧会・東亜勧業博覧会協賛会、1928年)

・新聞記事

大正14年8月29日『福岡日日新聞』朝刊7面「予算百万円で福岡の博覧会 大体の方針は決つた きのふ準備委員会

大正14年8月30日『福岡日日新聞』朝刊7面「福岡市の博覧会場大堀西岸が理想地 西公園伊崎浦を余興場に 両電車の便もよい」「博覧会敷地と西新町の要望

大正14年9月17日『福岡日日新聞』朝刊7面「争奪運動の激しい福岡市の博覧会場 建設物は大体に決定した きのふ専任準備委員会

大正14年9月25日『福岡日日新聞』朝刊2面「明後春開催計画の福岡市の博覧会 第一候補地は大濠 名称は『東亞勧業博覧会』」

大正14年9月27日『福岡日日新聞』朝刊7面「水上公園速成と東亞博敷地争奪 大濠沿岸廿余ヶ町の猛運動」



#シーサイドももち #西新町 #幻の博覧会場 #あったかもしれない歴史


Written by かみねillustration & map by ピー・アンド・エル

2023年3月8日水曜日

【Discover the Feature Exhibition】 A Collection of Portraits that show Kuroda Josui & Nagamasa

January 17th (Tue.) ~ March 19th (Sun.), 2023

Feature Exhibition Room 2


Portrait of Kuroda Josui (left) and Nagamasa (right) depicted with dignity (1821)


This exhibition showcases portraits and paintings of Kuroda Josui (1546-1604), founder of the Fukuoka domain, and his son Nagamasa (1568-1623), its first lord. What we display is mainly from the museum's collection, and it introduces how the art's characteristics have changed over time.

The portraits drawn at the beginning of the Edo period, soon after the deaths of Josui and Nagamasa, retain their appearances and expressions.

The portraits of the two men each provide insight into their way of life. Josui was depicted as a retiree, leaned on an armrest, while Nagamasa was shown as riding a horse wearing a heroic helmet with a large silver-foiled plate, or in meditation seeking enlightenment. By the late 17th century, half a century after their deaths, the two men began to be portrayed as more dignified and admirable, with Nagamasa in his traditional Japanese court dress, and Josui in his neatly seated position (photo shown above). Those paintings were later enshrined and revered as deities protecting both the Kuroda family and the clan.

Meanwhile, after the Genroku Period (1688-1704), another image of Nagamasa emerged. At first, Nagamasa was depicted as a small figure wearing his regular helmet, with a pair of large bull horns, with Twenty-four major samurai warriors supporting the Kuroda clan. However, he gradually began to be drawn in a variety of ways. He was displayed alone with the same helmet, and he became familiar to samurai families and ordinary people as a symbol of bravery, and a protector of peace and security in Chikuzen Province. 

Exhibition view


2023年3月3日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈027〉開局!よかトピアFM(その3)

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「パオパオ・ロックとは」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

10(「元寇防塁と幻の護国神社」)

11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

12(「百道地蔵に込められた祈り」)

第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)

第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)

第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)

第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)

第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)

第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)

第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)

第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)

第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)

第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)

第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)

第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)

第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)

第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)





〈027〉開局! よかトピア(その3)


アジア太平洋博覧会の会場につくられたオープンスタジオのFM局「よかトピアFM(MOMO)」。

このブログでは、これまで(その1)で開局までを、(その2)で番組とパーソナリティーを紹介しました。


↓〈004〉「開局! よかトピアFM(その1)」


↓〈007〉「開局! よかトピアFM(その2)」



いろいろなゲストを迎えることで、番組が毎回違った楽しさを聴かせてくれるのが、ラジオの魅力のひとつですよね。

というわけで、今回はゲスト編です。


よかトピアFMにもたくさんのゲストが出演されたようです。

なかでもミュージシャンの出演が多く、これは作品リリースのプロモーションとして来福されて、在福メディアの1つとしてよかトピアFMを訪れたのだろうと思います。


なにせ、当時の福岡の民放ラジオ局はKBC・RKB・エフエム福岡くらいでしたし、よかトピアFMはイベント放送局とはいえ、多くの人口を抱える福岡都市圏で聴くことができて、番組の多くは若者や音楽好きをターゲットにしていました。

博覧会場のなかにある放送局という話題性もあって、プロモーション効果は大きかったのでしょう。

そうしたことからは、博覧会への注目ぶりや広告媒体としての期待度も見えてきそうです。


そういうわけで、今回ミュージシャンを中心にゲストを全部調べてみました(ちょっと詳しい番組名までは分からなかったのが多くて、そこは残念だったのですが…)。

ではさっそく。


(福岡市博物館蔵)
「よかトピアFM」のタイムテーブル(7~9月)


まずは開局した1989年3月から。


【3月】

01日 THE ALFEE

13日 勝誠二

21日 THE PEPPER BOYS

22日 ボーイ・ボーイズ

23日 松山千春

24日 麗美

26日 森高千里

28日 MICA


開局日の3月1日には、THE ALFEE(アルフィー)がご出演。よかトピア自体は3月17日開幕ですから、まだ会場に観客は誰もいない、それどころか、まだ会場づくりでFM局の周囲はバタバタだったころです。そんななかに、いきなりの豪華ゲストでした。このときのTHE ALFEEは、3月21日にアルバム『DNA  Communication』を出す直前(シングル『19 (nineteen』」「FAITH OF LOVE」を含む全13曲。LP盤は2枚組)。さらには、コンサートツアー「THE ALFEE with Jean Paul GAULTIER」を控えていました。このツアーはジャンポール・ゴルチエとコラボした異色のツアー。その初日は福岡国際センターでした(4月5日。全9か所で千秋楽は4月21日の東京ドーム)。


13日の勝誠二さんは福岡県のご出身。子供ばんどのベーシストをつとめられたのち、ソロデビューされました。デビューソロアルバム『YO-YO-YO』は1989年3月21日に発売されていますので、よかトピアFMへのご出演は、その1週間ほど前だったことになります。勝さんは今も作曲・編曲家やウクレレ奏者としてご活躍です。


THE PEPPER BOYS(ペッパーボーイズ)は80年代らしいポップバンド。ご出演の翌年にリリースしたアルバム『BREAK』は、強めのビートとギターサウンドにポップな歌詞がうまく乗っていて、個人的にはバンドブーム時代の隠れた名盤だと思っています(セカンドアルバム『PLEASE』もタイトでかっこいいですねー)。


ボーイ・ボーイズはよかトピアで活躍したアイドルグループ。連日のイベント・パレードで大人気でした。その活躍ぶりはまた今度あらためてご紹介しましょう。


23日にはまさかの松山千春さんがご登場。当日はFM局の前にたくさんのファンがつめかけて大変だったそうです。1989年だとALFAレコード時代。ご出演は4月25日にシングル『抱きしめたい』とアルバム『STANCE』の同時発売が近付いていたころでした。『抱きしめたい』はしっとりとした、おしゃれなアレンジの曲ですよね。


麗美さんは1988年に全曲英語のアルバム『SMOOTH TALK』を発売。これに収録された「SPEED OF LIGHT」でアメリカでもデビューされました。よかトピアFM出演時は、その次のアルバム『言葉のない友情』をリリース(3月1日)したばかり。その後、岩井俊二さんが監督した映画作品など映画・ドラマ音楽の制作でも有名です。


26日は森高千里さん。森高さんは俳優・タレントとあわせて、1987年にシングル『NEW SEASON』で歌手デビューされました。1989年2月25日に発売されたシングル『ストレス』は、ご自身で書かれたオリジナリティあふれる歌詞が話題に。印象的なCDジャケットやMVとも重なって、これ以降の作品の方向性を示すものになりました。ご出演は、この『ストレス』と次のシングル『17才』(5月25日発売)のあいだ。オリコン2位だったアルバム『非実力派宣言』の発売が7月25日ですから、どんどん注目度があがっているさなかのゲスト出演でした。


MICAは現在ジャズシンガーとしてご活躍の奥土居美可さん。奥土居さんは1988年にアルバム『MICA』でデビューされ、1989年4月には2枚目のアルバム『HOT COLORS』を発売されました。吉田拓郎さんの『人間なんて』をポップにカバーしたことでご記憶の方もいらっしゃるかもしれないですね。


(福岡市博物館所蔵)
『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』にも載せた、よかトピアFMのTシャツ。



では続いて4月です。


【4月】

03日 スターダストレビュー

05日 鈴木雄大

06日 MINNE

07日 NIGHT HAWKS

13日 横山輝一

14日 今井麻起子

17日 ZIG ZAG

18日 The TOYS

19日 蛎崎弘+"r"project

20日 CHAR(ピンククラウド)

21日 飯島真理

22日 リリー&スージー

23日 アンジー

24日 T-SQUARE

28日 加藤登紀子

30日 夏木マリ


4月3日はスタレビ。1981年デビューの人気・実力を兼ね備えた有名なグループですよね。出演されたのは、ツアー「Lookin’For You RENDEZ-VOUS」を3月に終えられ(福岡公演は1988年10月11日の福岡サンパレス)、シングルの『Northern Lights─輝く君に─』(2月25日発売)と『夏のシルエット』(5月25日発売)のちょうどあいだのころです。『Northern Lights─輝く君に─』はストレートなポップソング、『夏のシルエット』は夏らしい軽快なアレンジの曲でした。


鈴木雄大さんは1980年にシングル『ゴーン・ザ・サマー』でデビューされたシンガーソングライター。出演されたときは15枚目のシングル『君のハートが聴こえる』(3月1日発売)、アルバム『君のハートが聴こえる』(3月25日発売)を出されたころ。今聴くと、懐かしい音色とアレンジに、鈴木さんのさわやかな声がのっていて、とてもかっこいいです。まさに今再評価されているシティポップで、よかトピアFMの番組の雰囲気ともよく合ったのではないかと思います。


6日に出演されたMINNEさんは詳細が分からないままです…。CBSソニーに所属されていたと思うのですけど、もし詳しくご存知の方がいらっしゃいましたら、どうか教えてください。


NIGHT HAWKS(ナイト・ホークス)は1989年デビューのハードロックバンド。この年発売のアルバム『NIGHT HAWKS』は、雄大なハードロックサウンドと親しみやすい歌メロが特徴の作品です。


13日の横山輝一さんは1986年のデビュー。ご出演前の1989年2月1日にはシングル『BREAK OUT』とアルバム『YOU GOT IT!』をリリースされていました。この『BREAK OUT』はファンキーでタイトな名曲で、とてもかっこいいです(途中のピストル音が印象的)。このあと渡米されて、2年ほど活動を休まれたので、貴重な出演の機会になりました。


今井麻起子さんは1988年に松任谷正隆さんプロデュースでデビューされた歌手。ご出演の少し前には、アルバム『CANDY A GO GO!!』(3月1日発売)を出されています。このアルバムは、いっけんアイドルっぽいのですけど、楽器の細かいところまで行き届いたアレンジに、聴きやすいボーカルが心地よくて、今聴いても古さを感じない曲ばかりです。文化放送のラジオ番組『Teens'ブリブリCLUB』では、大西結花さん・中村由真さん・小沢なつきさんのあとをうけて、渡辺満里奈さんと一緒にパーソナリティをつとめられたので、当時はアイドル・タレント的な活動だったのだと思うのですけど、歌手としてもっとお声を聴きたかった方です。


17日のZIG ZAG(ジグザグ)は1985年にデビューしたバンドですが、1989年5月21日にアルバム『』を発売したあと、惜しまれながら解散してしまいました。歌詞をしっかり聴かせるバンドという印象があります。4月には最後のシングルになった『望郷』を出されていますが、こうやって振りかえると、よかトピアFMへの出演は活動末期の貴重な時間だったことになります。

ちなみにこの日は、ドラマ『ゴリラ・警視庁捜査第8班』の撮影日。よかトピアFM前での撮影もあって、いつにもまして賑わいました。ロケに来られた舘ひろしさん・仲村トオルさんは番組にもゲスト出演されています。

↓〈020〉「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」




18日ご出演のThe TOYSはロックバンド。5月1日にシングル『Do It All Again』とアルバム『The TOYS II』を控えたタイミングでの出演です。ボーカル・ギターの本田恭章さんがとても人気だったバンドでした。


蛎崎弘+"r"projectは、ソロでデビューされていた蛎崎弘さんと、安全地帯のギターリスト武沢豊さんが組んだグループです。1988年3月25日発売のシングル『邪魔はさせない』は、フジテレビのアニメ『F』(原作は六田登さん)のエンディングテーマにもなりました。出演の直前にはシングル『ノアールブルーの涙』をリリースされていて、吸い込まれるようなボーカルが印象的な曲でした。


(福岡市博物館所蔵)
「よかトピアFM」のシール。


20日はCHARさんがご登場。番組は平日13時の「NAGISA MUSIC PAVILION」でした(→007)。ご出演は自身が設立されたレーベル「江戸屋レコード」時代になります。1988年12月にアルバム『PSYCHE II』を発売され、次にミニアルバム『WHEN I WAKE UP IN THE MORNING』(1989年8月)を発売するあいだでのゲスト出演でした。


21日にご出演の飯島真理さんは、1983年デビューのシンガーソングライター。近年のシティポップ・ブームのなかでも必ずお名前があがる方です。デビュー前に、アニメ『超時空要塞マクロス』でアイドル歌手のリン・ミンメイ役の声優をつとめられ、主題歌『愛・おぼえていますか』を歌われたこともあって、デビュー時にはすでにそのお名前がよく知られていました。1987年には山下達郎さん・竹内まりやさんのレーベル「MOON RECORDS」に移籍され、アルバムを出されます。よかトピアFM出演時は、この「MOON RECORDS」からシングル『Still』を出される直前でした(4月25日発売)。ストレートで軽やかなサウンドと、それとは対照的な歌詞(男女の別れ)が心に残る曲です。このご出演の翌月には、アルバム『My Heart in Red』(5月10日発売)をリリース。このアルバムは、TOTOのジョセフ・ウィリアムズさん(ボーカル・キーボード)とジェフ・ポーカロさん(ドラム)、ネーザン・イーストさん(ベース)を迎えた意欲作です。出演番組は平日13時の「NAGISA MUSIC PAVILION」でした。


リリー&スージーはスウェーデンの姉妹デュオ。「Oh Mama」がヒットしました。1989年にはアルバム『LET US DANCE!A Remix Retrospective』を発売したり、『Robert And Marie』など数枚のシングルも発売しているのですが、この時なぜ来福されていたのか、事情が分からないままです(ひきつづき調査します…)。出演番組は土日の13時から放送していた「よかトピア Music Heat Wave」でした(→007)。


23日のアンジーはボーカルの三戸華之介(水戸華之介)さんがご出演。番組は土日13時の「よかトピア Music Heat Wave」でした。アンジーは山口県出身で福岡で活動していたバンドです。福岡市内のレコード店「JUKE RECORDS」の松本康さんのプロデュースのもと自主制作盤を発表したのち、上京してインディーズアルバムを発売。1988年5月21日にシングル『天井裏から愛を込めて』でメジャーデビューを果たしました。この時のご出演は、シングル『素晴らしい僕ら』(1988年12月16日発売)を経て、1989年4月21日にシングル『銀の腕時計』をリリースしたばかりのタイミングでの凱旋となりました。個人的には、JUKE RECORDSから発売された自主制作盤をカセットテープが伸びるまで聴きましたので、懐かしいお名前です。

※松本康さんが2022年9月28日に鬼籍に入られました。松本さんがいらっしゃらなければ、今福岡が音楽のまちと言われることはなかっただろうと思います。私のCD棚も1/3はJUKE RECORDSで買ったものです。心からご冥福をお祈りします。


T-SQUARE(スクエア)はインストゥルメンタルバンド。時期によってメンバーチェンジがありますが、ご出演時のメンバーは、安藤正容さん(ギター)・伊東たけしさん(サックス)・須藤満さん(ベース)・和泉宏隆さん(キーボード)・則竹裕之さん(ドラム)でしょうか。このときは1989年3月21日にアルバム『WAVE』を発売されていました。サックスの伊東さんは百道中学校・西南学院高校のご出身で、よかトピア会場の目の前で育ったという特別なご縁がありました。なお、出演されたのは平日13時の「NAGISA MUSIC PAVILION」でした。


28日は加藤登紀子さん。日本を代表するシンガーソングライターのお一人です。大ヒットしたシングル『百万本のバラ』は、1987年4月25日の発売(1986年発売のシングル『海辺の旅』のB面にも収録)。ご出演はシングル『18の頃―Chaz Maria―』を4月21日に発売されたタイミングでした。この年に紅白歌合戦出場、1988年と1990年にはニューヨークのカーネギーホールでコンサートもおこなわれていますので、充実した活動時期のなかでのご出演でした。出演された番組は、平日16時の「よかトピア Music Sky Walker」です。


30日は夏木マリさんがご出演。実は夏木さんは、よかトピアの開幕を飾ったミュージカル「HIMIKO」の主役でもあります。卑弥呼をモデルにしたオリジナルストーリーで、約1000人のキャストが出演した大がかりなこの舞台には、3月17日~30日の14日間(全25公演)で3万5400人の観客がつめかけました。この日は夏木さんの1か月ぶりの福岡へのお帰りを迎えた日になりました。夏木さんは今も斉藤ノヴさんとご一緒に精力的に音楽活動をされていて、かっこいいですよね。最近では橋本環奈さん・上白石萌音さんが主演された舞台『千と千尋の神隠し』の湯婆婆役が印象的でした。



数えてみると、3~4月だけでも24組のゲストを迎えています。

それもほとんどが、実は博覧会の別のステージに出演されるついでというわけではなく、ラジオ出演だけのために来場されていたようなのです。

どなたも大事なリリースのタイミングで、よかトピアFMをプロモーションの場に選ばれているように見えます。

そしてこれはミュージシャンだけですので、各番組へのゲスト自体となると、もっと多かったはずで…。


とてもすべてはご紹介しきれなかったので、5月以降はまた今度に。


【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)

・『よかトピアFMタイムテーブル』VOL1~3((財)アジア太平洋博覧会協会)


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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル