2022年9月23日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈006〉最も危険な〝遊具〟

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「パオパオ・ロックとは」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

 


〈006〉最も危険な〝遊具〟


なかなか旅行や里帰りなどが難しい昨今だけに、最近では屋外施設であるアスレチックやレジャープールの人気が高いようです。

福岡でも海の中道サンシャインプール今宿野外活動センターなど、福岡市民には昔からなじみのある施設だけでなく、海の中道には新しく巨大アスレチックタワー「シー・ドラグーン」もできて、話題となっています。


シー・ドラグーンは、高さ16.8mの展望デッキを有する国内最大級の巨大アスレチックタワーで、「自己と対峙し、勇気を持って困難を乗り越えた者だけが希望を掴むことができる」がコンセプトのアスレチックなんだそうです。壮大!

規模も大きく危険が伴うため、遊ぶためにはいくつもの注意事項があり、また参加同意書も必要です。安全第一ですもんね。


とはいえ、遊園地の絶叫系マシーンなど、遊具において〝高くて大きくて怖い〟という要素は、人の好奇心を刺激するようです。


それは昔から変わらないようで、今から約100年前、大正~昭和初期の百道海水浴場では、ある意味現代に勝るとも劣らないような、というか現代では考えられない、ちょっとレベルが段違いな巨大遊具がつくられて、来場者の人気を博していました。


それがこちら。

(絵葉書「(福日主催)百道海水浴場 Momoji seabeach」部分、大正末期)
ドォーーーーーン!!!

(絵葉書「福岡百々道海水浴場」部分、大正末期)
バァーーーーーン!!!

ちなみにこれ、すべり台です。……え、すべり台???

いまでいうところのウォータースライダー的な遊具だと思うのですが、どう考えても角度と高さがおかしい……。

しかもこれ、素材は明らかに木の板。いや、絶対ケガするでしょ……。



さらにこちらは海上につくられたブランコです。

(絵葉書「(福岡)百々道海水浴場 The Fukuoka Momodi」、大正10年前後ヵ)
どうやって乗るんだよ?!という高さ。

インスタ映えするフォトスポットとして話題の西区北崎海岸「#ジハングン」にある巨大ブランコをほうふつとさせるような存在感です。

まあ、現代の巨大ブランコと違って、当時は別に写真映えを気にしてのサイズではないでしょうが、このように絵葉書の被写体としてたくさん残っているところを見ると、当時の人も本能的に「これは映える!!」と感じていたのかもしれません。



一方、こちらは遊具ではなく、海水浴場のシンボルでもあった大桟橋です。

(絵葉書「(福日主催)百道海水浴場」、大正末期)
見晴らしが良いとかいうレベルではない高さ(柵なし)。


(絵葉書「(福岡)百々道海水浴場 The Fukuoka Momozi Seabasing」、大正10年代)
見る者の恐怖を増幅させる簡素なつくり。

潮の満ち引きによって海面からの高さが変わるとはいえ、これらの写真を見ただけでも相当な高さということが分かります。

桟橋の形は、当初約30mの橋が1本海に向かってのびていましたが、大正11(1922)年からは1辺約55mのコの字型へと巨大化。この2枚の写真もコの字型期のものじゃないかと思います。

当時の新聞でもこの桟橋について「浮城のような壮観を呈して居る」(大正11年7月1日『福岡日日新聞』朝刊より)と書かれており、写真を見るとそれも納得です。



これはその桟橋のさらに沖にあったやぐらです。

(絵葉書「福博夏の楽天地 ももぢ海水浴場 The Momoji Bathing-Place Fukuoka」部分、大正末~昭和初期)
え、まさかそこから飛び込むの……?(飛び込みます)

このやぐらは鉄骨製で、具体的な高さは分かりませんが、昇っている人と比べると10mくらいはありそうに見えます。

さらには上からの景色を楽しむだけではなく、そこから飛び込む人も多かったようです。


実はこちらは広告塔としても機能しており、よく見ると「福助足袋」の文字が見えます。

余談ですが、大正12年~昭和9年(1923~1934年)まで、中洲には福助足袋の広告塔が建てられていました。この時期は福助足袋が全社的にこうした広告塔による宣伝に力を入れていたため、写真もほぼ同時期のものと思われます。

(絵葉書「(福博名所)水上公園附近」、福岡市博物館所蔵)
西大橋のたもとにあった福助足袋の広告塔。なかなかのインパクトですね。



こちらは桟橋の沖にあった飛び込み台です。

(絵葉書「福岡夏の楽天地 ももぢ海水浴場」、大正末~昭和初期)
美しい放物線……というかさ……。

美しい放物線を描いて今まさに飛び込もうとしている人と、それを見守るギャラリー。

これ、本当に大丈夫なんでしょうか……?


やぐらや飛び込み台から飛び込む遊びは、バンジージャンプのように度胸試しの要素もあったようです。


これらの〝最も危険な〟巨大遊具には、どれもとくに柵や命綱などの安全装置はなかったようですが、そのスリルもまた人気の理由の一つだったのでしょう。


※百道海水浴場の設備については『シーサイドももち』の「2 遊びに行こう!ー百道の海水浴場ー」で解説しています。

※所蔵表記のない画像はすべて福岡市史編集委員会所蔵、年代は推定です。

#シーサイドももち #百道海水浴場 #巨大遊具 #絶叫系マシーン


[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]

2022年9月16日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈005〉思い出のマッスル夏の陣 in 百道

 埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「パオパオ・ロックとは」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)」)

 


〈005〉思い出のマッスル夏の陣 in 百道



突然ですが皆さん、筋肉は好きですか~?

最近はコロナ禍によるおうち時間の増加もあって、筋トレに目覚めたという人も多いそうです。

筋肉は裏切らない!!(らしい)


ところで9月17日は何の日かご存知でしょうか。

そう、福岡市東区出身でいまやトップオブ筋肉芸人でもある、なかやまきんに君さんのお誕生日です! ヤー!!

なかやまきんに君さんは1978年9月17日福岡市生まれ。NSC(吉本総合芸能学院)大阪校の22期生で、同期には南海キャンディーズの山里亮太さんやとろサーモンの久保田かずのぶさんなどがいます。

これまでに2度の〝筋肉留学〟を経て、2021年には「筋肉活動を優先したい」として独立。現在はお笑いタレントやYouTuberとして活躍しながら、本気で筋肉と向き合うボディビルダーでもあります。

最近では「JBBF第34回日本マスターズ選手権」というガチのボディビル全国大会に出場され、40歳以上級で6位に入賞し話題になりました。


個人的なことで恐縮ですが、筆者はなかやなきんに君さんとは同級生。

とはいえ、住んでいた区が違うので、昔も今も一切何の接点もありませんが、同じ時代を同じまちで過ごしてきたと思うと、勝手な親近感が湧くのが人情。数万人いた福岡市内の同級生の一人として、勝手に応援している次第です。


そんな筋肉芸人さんたちの活躍もあり、すっかりメジャーになったボディビルですが、かつては海水浴場のイベントの一環として、大会を開いていたことがありました。


海と筋肉。


日本でボディビルディングが本格的に普及したのは戦後になってからのこと。

昭和31(1956)年に現在の社団法人日本ボディビル連盟の前身である「日本ボディビル協会」が誕生しました。

協会本部は東京でしたが傘下のジムが全国にあり、福岡にも東中洲に「福岡ボディビルセンター」という福岡で最初のボディビル専門ジムがあったようです(その後、住吉などに移転)。


協会はボディビル普及のため、「ミスター日本コンテスト」というボディビル大会を毎年開催、これに新聞社やテレビ局が協賛したことでマスコミにも取り上げられ、ボディビルブームが起こります。

大会審査員には当時大人気だったプロレスラーの力道山や、作家の三島由紀夫などを招き、こちらも大きな話題となりました。


当初、大会は公会堂などを会場に行われていましたが、昭和32(1957)年の第3回大会では、江の島西浜海水浴場のステージを会場に、「ビーチ・コンテスト」として開催されました。


はい、出ました海水浴場!


百道海水浴場でも、昭和33(1958)年から「ミスター百道撮影(ボディービル・コンテスト)」として、ボディビル大会が開催されています。

当日の新聞記事には、

「(略)福岡はもちろん熊本、長崎からはせ参じた体格に自信のある十六人の男性が自慢の筋肉を披露した。〝動く彫刻〟さながらのたくましい筋肉の躍動に黒山の観衆も大かっさい。」(昭和33年8月3日夕刊『西日本新聞』)

と、写真付きで紹介されており、その盛り上がり具合がうかがえます。

こうして福岡のボディビル大会は、昭和41(1966)年まで毎年百道海水浴場で開催されていました。


こんな感じで開催されてたようです。

ところで「ビーチ・コンテスト」や「ミスター百道撮影」という名前だけ見ると、何となく気軽な夏のイベントのようですが、実はそうではなく、どうやら協会主催の本気(マジ)の大会だったようです。

昭和35(1960)年大会に出場した富永義信さんという方が、ボディビル専門誌に寄せた手記の中で、当時の様子を次のように振り返っています。




どうでしょう、この熱…アツい…。とても海水浴場の一イベントの回想とは思えません。

市内でも有数の海水浴場として知られていた昭和30年代の百道の浜では、レジャーを楽しむ人々をよそに、九州の筋肉自慢たちが集まる本気の〝マッスル夏の陣〟が繰り広げられていたのでした。

パワー!!



【参考文献】

・太田実「ボディビルと私~情熱と試練~」/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/executive/page2359.html

・田鶴浜弘「日本ボディビル史〈その3〉」(『月刊ボディビルディング』1975年10月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3346.html

・田鶴浜弘「日本ボディビル史〈その4〉」(『月刊ボディビルディング』1975年11月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3352.html

・田鶴浜弘「日本ボディビル史〈その5〉」(『月刊ボディビルディング』1975年12月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3367.html

・「ミスター全日本選抜コンテストの採点簿」(『月刊ボディビルディング』1972年9月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3064.html

・「☆ボディビルと私☆ボディビルと共に歩んだ二十年 1976年6月号」(『月刊ボディビルディング』1976年6月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page5709.html



#シーサイドももち #百道海水浴場 #ボディビル #なかやまきんに君 #筋肉は裏切らない


[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]


2022年9月13日火曜日

未来の学芸員を育てる「博物館実習」

福岡市博物館ブログをご覧いただき、ありがとうございます。


今回は、未来の学芸員を育てる「博物館実習」についてのお話です。


皆さんは、「学芸員」という職業をご存じですか?

そう、博物館や美術館で見学できる展示を企画し、つくっている博物館の職員のことです。


学芸員は、博物館法で資格要件を定めている専門職です。

このため、学芸員の資格を取得するためには、大学で博物館に関する知識を得た上で、博物館活動を実地で学ぶ必要があります。

そこで、福岡市博物館では、毎年夏に、県内外の大学から学芸員を目指す大学生を受け入れ、実際に学芸員の仕事を学ぶ「博物館実習」を実施しているのです。

 

今年も、10の大学から12名の大学生を受け入れ、のべ7日にわたって、古代・中世、近世、近現代、美術、民俗、考古、教育普及の各分野の学芸員・職員が、実習の指導にあたりました。

 

資料の展示だけが学芸員の仕事ではありません。

実習生の皆さんには、資料の収集や管理、調査・研究、市民の皆さんに歴史文化に親しんでもらうための普及活動など、普段学芸員が行っているあらゆる業務について、学習・体験してもらいました。









最後には、未来の博物館に関する3つの課題を班ごとに議論し、その成果を発表しあうことで、実習のまとめとしました。

[Aグループ]


課題:福岡市博物館の常設展示は、どのように刷新したらよいか?


通いたくなる展示、珍しいものが見られたという満足感、わかりやすく学べるの3つを軸に、現代から古代にさかのぼる「タイムトラベル」案が示されました。

[Bグループ]

課題:博物館と地域が連携するためには、どのような事業を行ったら良いか?


カフェやレストランを設置し、食材の調達や飲食店の出店などを通じて、地域とのつながりをつくる案がひとつ。
さらに、大学生を中心としたボランティアを募り、博物館での情報提供や館内外でのイベント(池の清掃やウォークラリー、マルシェなど)を開催するのはどうかという意見でした。


[Cグループ]

課題:博物館に来たことがない若年層に来館してもらうためにはどうしたらよいか?


キャンパスメンバーズ制度の導入や、周辺文化施設と共通のテーマで展示を行って回遊性を高めるのはどうかという意見が。

また、市民のくらしと結びつく情報発信を充実させ、休憩スペースを拡充することで居心地良くし、若い世代が気軽に楽しめるような環境づくりをする案が示されました。



実習生の皆さん、本当にお疲れさまでした。

 

当館の学芸員たちも、何事にも真摯に取り組む実習生の皆さんと一緒に仕事をすることで、新たなパワーをもらいました。

 

博物館の未来につながる「博物館実習」。

これからも続けていく、大切な博物館活動のひとつです。

 

(文責:博物館実習担当 松尾奈緒子)

2022年9月9日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈004〉開局! よかトピアFM(その1)

 埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「パオパオ・ロックとは」)


〈004〉開局! よかトピアFM(その1)

 

1989年3月1日、まだ開会していない「アジア太平洋博覧会―福岡'89(よかトピア)」の会場で、FMラジオの放送局が開局しました(博覧会の開会は3月17日から)。


よかトピアのためにつくられたイベント放送局、「よかトピアFM」です。

(コールサイン JOBZ-FM、周波数 76.3MHz、送信出力 100W)


愛称は「MOMO」。

応募853通のなかから選ばれたニックネームです。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

博物館の横にあった「よかトピアFM」。

場所は今の福岡市博物館の西口あたり(福岡市総合図書館がある方向ですね)。

ここはよかトピアのときには、メーンストリートに面していて、目立つ場所でした。


こういう放送局は、これまでも「国際科学技術博覧会(つくば万博)」(1985年)などでつくられたことはあったのですが、それは試験放送扱い。

なので、正規の放送局のようには運営できず、CMも入れられませんでした。


ところが、よかトピアの前年に放送法が改正されて、大きなイベントがおこなわれる間に限って、その情報などを提供する臨時目的放送局(イベント放送局)を開くことができるようになりました。

これで正規の放送局と同じように活動できます。


博覧会を主催するアジア太平洋博覧会協会は、さっそく国に免許を申請して、1988年10月27日に受理されました。

「よかトピアFM」が新設されたイベント放送局の第1号でした。


1989年1月26日にスタジオの建物が完成すると、次々と機材の搬入が始まって、2月6日にはもう試験電波が出されています。

22日に免許証を受け取り、3月1日の開局を無事に迎えました。

放送エリアはおおむね、東は宗像、西は糸島、南は小郡あたりまでを想定していました。


当時はFMの音楽番組が人気の時代です。

80年代の前半には、『FM Fan』『週刊FM』『FMレコパル』『FM STATION』といったFM雑誌で、事前に番組でかかる曲を調べて、ラジカセでカセットテープにエアチェックするのが、音楽ファンの楽しみでしたが(懐かしい)、よかトピア開催時はそのなごりがまだあったころ。

『FM STATION』は鈴木英人さんのイラストをつかったりしていて(イラストレーベルがほしくて毎号買ってました…)、FMがおしゃれな媒体だったのですよね。


ところが、福岡にはFM局がNHKとエフエム福岡くらいしかまだなくて(CROSS FMの開局は1993年)、そこに突然「よかトピアFM」が現れたわけです。


(福岡市博物館所蔵

「よかトピアFM」のタイムテーブル(3~4月)。


「よかトピアFM」は、「海と夏」をイメージした音楽パビリオンとして、ロック・ポップスを中心に選曲する、おしゃれな番組づくりを目指しました。


そのため、スタッフは大学生・専門学校生・外国人など若い世代が中心。

若いスタッフが、はじめてのことが多いなかで、企画・技術・パーソナリティーとして、国際色豊かで既存の放送局とは違った番組をつくっていきました。


「よかトピアFM」の運営に協力していたのは、九州朝日放送(KBC)です。

若いスタッフの研修にあたったのは、KBCの岸川均さんでした(当時50歳・KBCラジオ局制作部副部長)。


岸川さんといえば、ラジオ「歌え若者」で福岡から多くのミュージシャンを世に送り出したディレクター。

福岡内外の多くのミュージシャンから信頼が厚く、退職されたときには、山下達郎さん浜田省吾さんスターダスト・レビュー海援隊チューリップ甲斐バンドサンハウスARBロックンロール・ジプシーズほか、たくさんのミュージシャンが集まって、福岡サンパレスでわざわざコンサートを開いたほどでした(1998年2月26日~3月1日の4日間!)


ちなみに、「FMよかトピア」の開局パンフレットには、山下達郎さんが写真入りで、「いつも心がわき立つような楽しいFMであってほしい」とコメントを寄せています。

もしかしたら、これも岸川さんと山下さんの音楽を愛する交流から実現したことだったのかもしれません。


岸川さんが亡くなってからも、岸川さんの音楽への思いを受け継ぐイベント「風音」が、毎年開催されていました(ARBの石橋凌さんが発起人)。

「風音」はコロナ禍の前までは、毎年秋ごろに西南学院大学のチャペルで開かれるのが恒例でした。


MCのスマイリー原島さんの進行で、西南学院高校出身の杉真理さんが毎回ギター1本でご出演されたり(賛美歌と「ウイスキーが、お好きでしょ」が定番)、Charさん・麗蘭(RCサクセションの仲井戸麗市さんとザ・ストリート・スライダーズの土屋公平さんのバンド)・チバユウスケさん(The Birthday)などゲストも豪華。

石橋凌さんが客席に降りて観客と目を合わせて歌ってくださったり、最後は出演者全員と観客が一体になってセッション大会になるなど、岸川さんの人柄や音楽への向き合い方を追体験できる、とてもあたたかいコンサートでした(またやってほしいなぁ)。


岸川さんはこの西南学院大学の卒業生(1956年卒業)。

在学中はグリークラブに所属されていて、建てかわってはいますが、チャペルはたくさんの練習・本番をおこなった思い入れのある場所なのだそうです。


岸川さんの在学中は、キャンパスから少し北に歩けば、すぐそこが百道の海でした。

その海が埋め立てられ、よかトピアの会場になって、そこで若者・音楽を中心とする新しいラジオ局を一からつくることには、岸川さんも特別な思いがあったのではないでしょうか。

開局5日前の岸川さんは「ほぼ完全な状態で本番に入れそうだ」と自信を見せています(『日刊スポーツ』1989年2月24日)。


実は福岡市博物館のアジア太平洋博覧会の資料には、博覧会閉会後に岸川さんからいただいた物もいくつかあります。

『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』に写真を載せている、よかトピアFMのTシャツ(P128)、カード型ラジオ(P137)もそうです(岸川さんに改めて感謝致します)。

(福岡市博物館所蔵

本にも載っている岸川さん寄贈のカード型ラジオ。


さて、こうして始まった「よかトピアFM」。

岸川さんのおかげもあって評判がよく、人気パーソナリティーも生まれていきました。


今もテレビのナレーションで活躍されている木村匡也さんも、そのお一人。

先日RKBラジオにご出演されていたのですが、学生時代に優勝したDJコンテストのオーディションテープは、「よかトピアFM」の機材でつくったのだそうです。

このときの優勝が現在のお仕事に繋がっていったと聞いて、びっくりでした(RKBラジオ「田畑竜介 Grooooow Up」)。


開局後の話はまだまだ尽きませんので、また今度に。

参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)



#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #よかトピアFM #MOMO #KBC #岸川均 #山下達郎 #石橋凌 #風音 #木村匡也

 

Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル]

2022年9月2日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈003〉パオパオ・ロックとは

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

 




〈003パオパオ・ロックとは


アジア太平洋博覧会(よかトピア)の「ヤングフェスティバル1」は、男闘呼組の登場で大人気でした(→男闘呼組の記事はコチラ)。

この「ヤングフェスティバル」、「1」があるということは「2」もありました(「3」はないです…)。


その名も「ヤングフェスティバル2 ニッサン・パオパオ・ロック」。

「1」と同じリゾートシアターを会場にして、7月24日(月)~29日(土)に開催されています(博覧会入場料のみで、イベントは無料)。


よかトピアは、7月1日から毎日夜間開場を始めたため(21時まで)、イルミネーション・光のパレード・花火などを目当てに、夜の入場者も増えていました。

今回の「ヤングフェスティバル2」は、そういう夜のよかトピアでの開催。

24日(月)19時30分からの前夜祭でスタートしました。


前夜祭は、リゾートシアターを巨大ディスコに見立てた「トワイライト・ディスコ・パーティー」。

MCは永淵幸利(BUTCH)さん、DJは吉田俊二さん、今も福岡のFM局などでご活躍のお二人を迎えて、音楽・おしゃべり・仮装大会でイベントのスタートを盛り上げました。

ディスコというのがバブルっぽい企画で、いいですよねー。


(福岡市博物館所蔵パネルより)
海沿い会場はやっぱりこちら、ビーチに面したリゾートシアター!


25日からは、毎日アマチュアバンドのコンテストとゲストミュージシャンのコンサートの組み合わせ。


このころは「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称「イカ天」)の放送が1989年2月に始まって、空前のアマチュアバンドブームです。

福岡からもたくさんのバンドがイカ天に出場していきました(「THE KIDS」「たけのうちカルテット」「F.E.W.」「SOLID BOND」etc.)。


(ただ福岡ではイカ天の放送開始が遅れたため、番組初期に次々と現れた人気バンドをリアルタイムで見られず、悔しかったことを思い出します。「パオパオ・ロック」がおこなわれた7月といえば、コミカルなのに演奏は実力派だった「宮尾すすむと日本の社長」が勝ち抜いていたころでしょうか)


そうしたバンドブームにのって、「ヤングフェスティバル2」はプロ・アマをまじえたロックバンドのお祭りとなりました。

毎回16時(26日は17時)から始まるコンテストで出場者を応援して、19時からはゲストのコンサートを楽しむというスケジュールです。


ゲストは25日(火)が桑名正博さん

「セクシャルバイオレットNo.1」の大ヒットで有名ですよね。

よかトピアへの出演は、シングル「そこからがパラダイス」(しっとりした名曲)、アルバム「For Paradise」の発売を予定していた時期でした。


つづく26日(水)は池田政典さん

今では俳優や声優(アニメ『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚』の志々雄真実など)として活躍する池田さんですが、当時はアイドルなみに大人気の歌手です。

アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌にもなった、軽快な曲調の「NIGHT OF SUMMER SIDE」がヒットしました。

よかトピア出演直前にはシングル「冷たいベッドでDance」を発売していて、こちらはベースのスラップ(チョッパー)が印象的で、重厚な80'sアレンジがかっこいい曲です。


ゲストがなかった27日を経て、28日(金)はシーナ&ザ・ロケッツ(シーナ&ロケッツ)

いよいよ福岡ロック界の大先輩の登場です。

シナロケはこの翌月にアルバム「DREAM & REVOLT」を発売するのですが、このアルバムは、作曲を鮎川誠さん(G&Vo)、作詞をかつて鮎川さんとバンド「サンハウス」を組んでいた柴山俊之さんが担当された名盤。

福岡のファンにとっては特に大事なアルバムの発売を間近にしたタイミングでの、よかトピアのステージとなりました。


29日(土)は、かまやつひろしさんが出演してトリを飾りました。

元ザ・スパイダースのメンバー(G&Vo)で、「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」などたくさんのヒット曲をつくったかまやつさんは、「ムッシュ」の愛称で親しまれた日本ロック界の大御所。

よかトピア出演時には、シングル「キスの下手な男」のリリースを控えていました(9月21日発売)。


こうしてふり返ってみると、はやりのバンドコンテストを取り入れたり、ゲストに近い時期にシングル・アルバムを発売する旬のミュージシャンをブッキングして、絶好のプロモーションの場にしたりと、観客・演者の双方が楽しめる企画になっていました。


ところで、イベントの名前「パオパオ・ロック」って、かわいいですけど、全然ロックっぽくないですよね…。


このイベントの協賛は福岡県日産自動車グループ。

日産といえば、1989年1月に〝パイクカー〟の第2弾「PAO(パオ)」を発売したばかりでした。

テーマは「冒険心」、車名は遊牧民の移動式家屋を意味する「包(パオ)」から名付けられたそうです。


この車、無骨なのに丸目をしたかわいい外観、棒状の素朴なハンドルの向こうに見える愛らしい丸いメーター、パチパチと上下させる操作が楽しいスイッチ類、鉄なのにあたたかみを感じさせるダッシュボードなど、乗っているだけで楽しい車でした。

見た目はレトロですが、ベースが日産マーチでしたので、運転免許をとって間もなく友達に乗らせてもらったときに、意外に乗りやすいなーと感じたのを覚えています。

今でも大事に乗っている人が多く、若い世代にも人気がある車ですよね。


よかトピアが開かれた1989年の日産は「PAO(パオ)」推し。

「パオパオ・ロック」はこの車名から名付けられたものでした。

博覧会ではパビリオンだけでなく、イベントも企業が新商品をアピールする絶好の場になっていたわけですね。


レトロでかわいい日産パオ。本のなかにもイラストでさりげなく登場しています。
レトロでかわいい日産パオ。本のなかにもイラストでさりげなく登場しています


ところで、バンドコンテストですが、応募した250組からテープ審査を経て(オリジナル曲のみ)、57バンドが会場での予選・決勝に出場しました。

2200人収容の会場、ゲストと同じステージ、最高の音響・照明で演奏できるのは、どのバンドもうれしい思い出になったはすです。


さてそのなかで優勝したバンドは…。



残念…。実はその記録がまだ見つからないのです…。

全力で探しているのですが、今のところ表彰式の写真1枚のみ。

その写真から、あのバンドではないかとあれこれ想像してはいるのですが、決め手はなく…。


優勝したご本人の方、「私たちが優勝しました!」とご連絡くださらないでしょうか…。






参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・Webサイト「日産ヘリテージコレクション」 https://nissan-heritage-collection.com



#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #日産パオ #パオパオ・ロック #私たちが優勝しました

 

Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル]



2022年8月26日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈002〉ダンスフロアでボンダンス

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。

 

本についてはコチラ

 

この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。

 

1回はコチラ(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)。

 

2回は、さらに時をさかのぼり、昭和の時代にあった海水浴場でのお話です。

 



〈002〉ダンスフロアでボンダンス

 

お盆といえば、なんといっても盆踊りですよね!

ここ数年はコロナ禍ということもあり、人が集まるお祭りなんかは中止を余儀なくされましたが、今年は3年ぶりに行動制限のないお盆休みということで、開催されたところもあったようです。

 

盆踊りといえば、提灯が飾られたやぐらの上に太鼓やお囃子、そして歌い手が立ち、その周りをみんなでぐるぐる、一定のリズムに乗って同じ踊りを踊る…。

この音頭のリズム、もはやDNAに深く刻まれているのでは? と思うほど、正確な振付を知らなくても、自然と身体が動いてしまいます。

 

盆踊りは日本に限らず、今ではハワイやマレーシアなどでも「ボンダンス」として広まっていて、時には数万人が集まって盛り上がるのだそうです。

そんな一体感も楽しい盆踊りは、今も昔もまさに夏の風物詩です。

 

なぜか身体が動いてしまう…。

ところで昭和初期、当時の福岡市内で初めて盆踊り大会が開催されたのは、実は百道だったという話があることをご存知ですか? 

それは昭和31928)年のこと。会場は、当時百道にあった海水浴場でのことでした。

 

百道海水浴場を運営していた福岡日日新聞社(西日本新聞社の前身)はこの年、姪浜町の炭鉱から踊り手を呼んで、盆踊り大会を開催しました(姪浜は昭和8年まで福岡市ではなく早良郡でした)。

これが当時の新聞紙面で「福岡市内で最初の盆踊り」と報じられています(「福岡日日新聞」昭和3815日夕刊)。

 

盆踊りはそもそも、村や町内など、ごく限られたコミュニティの人々による、死者の供養や地域の娯楽のための行事でしたが、西新で初めて行われた盆踊りは、別の地域から踊り手を呼んだ〝イベント盆踊り〟だったんですね。なんて都会的…。


盆踊りが普及していった背景には、レコードやラジオの存在が大きな意味を持っていました。

昭和81933)年に「東京音頭」が大ヒットしたことで音頭ブームが起こり、戦後は昭和231948)年に発売された赤坂小梅の「炭坑節」の大ヒットなどにより、民謡ブームが巻き起こります。そして、これらのヒット曲が盆踊りに採用され、広まっていきました。

こうして広まった盆踊りですが、昭和20年代後半になるとさらに大きな進化を遂げていきます。当時のレコード会社は、戦後に各所で設立された民謡(民踊)団体と提携し、制作した音頭や民謡に振付をして「踊る音楽」として売り出しました。今でいう、ダンスミュージックです。


そうしたダンスミュージックが求められた背景には、戦時中の厳しい抑圧から解放された若者の間でフォークダンスやスクエアダンスなど、みんなで踊る〝ダンス〟(レクリエーション)が流行していたこともありました。

その中で、盆踊りもレクリエーションの一環として広まり、年齢を問わず楽しまれたのでしょう。


さらに、レコード会社はプロモーションのため、また協会は民踊普及のため、新曲レコードを流して日本舞踊の一流の師匠が踊りを教えるという、その名も〝ボンダンス講習会〟を、全国各地で開催します。

百道海水浴場は夜も営業していたので、こうしたボンダンス講習会や、またフォークダンスなどのダンスパーティの会場として頻繁に利用されました。百道の浜は、夜な夜な若者が集まる場所でもあったようです。


最近話題になる、Bon Joviやサカナクションの曲に合わせて盆踊りを踊るという、いわば〝盆踊りアップデート〟ですが、実は昨日今日に始まったものではなく、約50年前の若者も同じように、盆踊り会場をダンスフロアにして、みんなでボンダンスを楽しんでいたんでしょうね。


ダンスフロアでボンダンス! ※ イメージです。


ところで、戦後の〝民謡ブーム〟ではさまざまな「音頭」が作られますが、今でも知られている「サザエさん音頭」もその一つです。

 

「サザエさん音頭」は昭和29年にキングレコードから発売。B面は「かっぱ踊り」で、歌詞カードには2曲の振付解説が付いていました。

そして発売から5年後、百道で開催された「海浜フォークダンスパーティと盆踊り」では、ついに百道でも「サザエさん音頭」が踊られたのです!(昭和3484日、キングレコード・日本ビクター・講談社協賛)

 

ご存知の方も多いでしょうが、百道の浜は長谷川町子さんがサザエさんの構想を練った「サザエさん誕生の地」としても有名です。

町子さんが「サザエさんうちあけ話」(昭和53年「朝日新聞」日曜版で連載、翌年に姉妹社より刊行)で百道のお話をするずっと前に、百道の浜ではサザエさん音頭が踊られていた…そう考えると、偶然にもサザエさんは思ったよりも早い時期に、百道に〝里帰り〟を果たしていたのでした。




#シーサイドももち #海水浴場 #盆踊り #ボンダンス #サザエさん音頭

 

Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]

2022年8月19日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈001〉よかトピアに男闘呼組がやってきた!


『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)の販売が始まりました。


こんな本です。イラストがカワイイ!!(自画自賛)

※ 本の内容についてはコチラをクリックしてご覧ください。


この本は、埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」を、その前史からマニアックに深掘りした1冊です。


1つのまちだけを取り上げる本なんて、なかなかないのですが、「シーサイドももち」の歴史をふり返ると、福岡市全体の過去と今と未来の姿までもが浮かび上がってきました。


博多・天神とは違った歴史をたどる「シーサイドももち」を通してはじめて知ることができる福岡の姿。

これまでにない新しい視点の本になっています。


ここがかつて海だったときに大賑わいだった「百道海水浴場」、まちのスタートと福岡の未来を印象づけた「アジア太平洋博覧会―福岡'89(よかトピア)」など、当時の写真や記録にもとづいて描いたイラストも満載。

知っている人は懐かしく、知らない人も楽しくどうぞご覧ください。


おいでよ! シーサイドももち!


ところでこの本、全部で176ページあるのですが、いざ作り始めると、実は全然ページが足りなかったのです…。

書きたいことは山ほどあって、載せられなかった出来事や、詳しく触れられなかったこともたくさん。


そこでこの連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本に載らなかった蔵出し記事やこぼれ話など、スピンオフとして発信していこうかなと思っています。

本と一緒に楽しんでもらえるとうれしいです。


記念すべき第1回は、「よかトピア」のお話から…。


 

〈001〉よかトピアに男闘呼組がやってきた!


先日、男闘呼組(おとこぐみ)のメンバーが久しぶりに集まってテレビで演奏したことが話題になりました。


男闘呼組は1988年にジャニーズ事務所からデビューしたバンド。

メンバーは、成田昭次さん(Vo、G)、前田耕陽さん(Vo、key)、高橋和也さん(Vo、B)、岡本健一さん(Vo、G)の4人です。


ジャニーズ事務所のアイドルが本格的なバンドでデビューしたとあって、当時はアイドルファンだけにとどまらず、幅広い人気を集めました。


1993年の活動停止以来の再結集には、ほんとびっくり。

カラオケの場所がコンテナや電話ボックスみたいな形だったころに(文字通りの「カラオケボックス」)、友達と「TIME ZONE」(オリコン週間1位)を歌っていたことが蘇ってきました。


この男闘呼組、実は「シーサイドももち」にやってきています。


埋め立てられたばかりの「シーサイドももち」で開かれた「アジア太平洋博覧会―福岡'89(よかトピア)」(1989年3月17日~9月3日)は、“イベント博”と呼ばれていたくらい、毎日たくさんのステージやショーをやっていました(その数なんと全部で8881回!)


当時人気だったタレントも数多く出演していますが、なかでも飛び抜けて人気だったイベントの1つが、この男闘呼組のコンサートです。

(もう1つはジャッキー・チェンのショーなのですが、この話はまた今度…)


男闘呼組のコンサートは5月6日(土)、ゴールデンウィーク中の週末でした。

公演は午後に2回、博覧会に入場した人であれば、コンサートの観覧は無料です。


会場は、福岡タワーの北側にあった、海辺の大ステージ「リゾートシアター」でした。

帆船をイメージした外観の「リゾートシアター」は、開会式・閉会式や大きな国際イベントもおこなう、よかトピアのメーンステージです。

収容人数は2200人、常設大型劇場なみの音響・照明装置を備えた本格派でした。


(福岡市博物館所蔵パネルより)
リゾートシアターは砂浜に面した場所にありました。
海沿いのステージなんて、まるで夏フェスみたい!


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

リゾートシアターの平面図。ほ、本格的…。


ただ、当時の男闘呼組といえば、よかトピアの前年に発売したシングル1枚目「DAYBREAK」、2枚目「秋」はともにオリコン週間1位を獲得しています。

その年には日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞して、NHK紅白歌合戦にも出場していますし、年が明けて1989年2月発売の3枚目シングル「TIME ZONE」もオリコン週間1位という、人気の絶頂です。


「リゾートシアター」でおこなわれる人気のコンサートでは、当日会場前で座席券が配布されるのが通常でした。

しかし、そういう大人気のなかでのコンサートでしたので、異例の事前応募という措置がとられました。


男闘呼組のコンサートへの入場には、往復ハガキに2回のうちどちらかの回を指定したうえで、住所・名前・電話番号を書いて、よかトピアを主催しているアジア太平洋博覧会協会へ送る必要がありました。


あて先は、「〒814 福岡市早良区郵便局内 アジア太平洋博覧会協会・男闘呼組係」。


今ならインターネットでの受け付けがメーンになるのでしょうけど、往復ハガキのみというのが時代を感じさせます(郵便番号もまだ3ケタ)。

「男闘呼組係」という直球のネーミングは、当時の大人気があってこそ通じる文字面ですよね。


締め切りは4月18日(火)必着で、2枚以上の応募は無効でした。

今見ると、4月18日に受け付けを終えて、それから抽選、開催までにハガキの返送というスケジュールですから、協会職員さんのご苦労も忍ばれます。


また、今でしたらSNSを通じて事前応募制であることを拡散できますが、当時は募集に気付いたときには、もう締め切られていたという人もいたのではないでしょうか。


当日は満員御礼のなか、15時と17時の2回にわたってコンサートが無事に開催されました。


ただ、会場にはやはり男闘呼組を観たいという入場者が「リゾートシアター」の外にあふれていました。

そのため、この日だけ会場の「東広場」に大型のモニターを置いて、「リゾートシアター」に入れなかった人にもコンサートを楽しんでもらったそうです。


(市史編さん室作成)
リゾートシアターと東広場の位置関係はこんな感じ。


男闘呼組は、その3か月後の8月には東京ドームでコンサートをおこないましたので、福岡で無料(博覧会の入場料は必要でしたけど)で見られたこのコンサートはまさにプレミアチケットになりました。


この男闘呼組のコンサートは、これから連日開かれた「ヤングフェスティバル1」という人気アイドルのコンサートのスタートをかざるものでした。


男闘呼組の翌日、5月7日には荻野目洋子さん、8日は芳本美代子さん、9日は渡辺美奈代さん、10日は早見優さんが、次々とこの「リゾートシアター」に登場して、中盤にさしかかる博覧会を盛り上げました。


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #男闘呼組




【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)


[Written by はらださとし/Illustration by ピー・アンド・エル]