今回はいよいよ縄文時代のお話が始まります…!
生活の変化=食べものの変化
前回、旧石器時代に大型動物とともに遊動しながら狩猟生活を送っていた人々が、ついに「定住」という新たな生活スタイルを手に入れました。
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| じょうもんじんは「ていじゅう」をてにいれた! |
「定住」、つまり「決まった場所に住む」という生活スタイルは、よく考えると現代のわたしたちにとっては当たり前の生活ですよね。
現代のわたしたちは、多くの人々が一軒家やマンションなど、特定の住所がある家に暮らしていることを標準とされた世界に生きています。このような現代に生きるわたしたちの生活スタイルの根本は、大きく言えば縄文時代にはじまったと言って良いようです。
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| (UnsplashのBreno Assisが撮影) |
生活スタイルが変わると、食べものを獲得する方法も変わります。
遊動をしていた頃、旧石器時代の主な食べものは、マンモスに代表される大型動物がメインでした。しかし定住を選択した以上、小さな動物は捕まえることはできても、以前と同じようなわけにはいきません。
そんなとき重宝したと考えられるのが、住処の近くの森に山ほどある木の実、とくにドングリやクリなどの堅い殻を持つ実(堅果類)など、保存がきく食べものだったようです。
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縄文時代のドングリ(イチイガシ)と浅鉢は 福岡市博物館の常設展示室に展示しています。 |
ここで「保存」というキーワードが登場します。
人々はいろいろなところから木の実などを集めてくるわけですが、それを全部その場で食べてしまうわけではありません。
食べきれない分、あるいは明日、明後日、その先の分として、家の中に「貯蔵」する必要が出てきます。これがこの時代の重要なポイントです。
このようにして、これまでと違って食べものを蓄えはじめると、明日の食べものに困らないという安心が得られます。
ところがそれと引き換えにして、これまでにはなかったさまざまな問題をも、同時に抱えることになっていくのです…。
食べものを巡る「ムシ vs. ニンゲン」の仁義なき闘い
定住をはじめて食料とともに生活するようになると、せっかく貯蔵した食料に「やつら」の影が忍び寄ります。
そう、ムシ(害虫)の登場です。
ニンゲンが明日、明後日、その先を生きていくためにせっかく貯めたクリやドングリですが、それらはニンゲンだけでなく、ムシたちにとっても貴重な食料です。
というか、むしろ先に食べていたのはムシたちで、言ってみればそれをニンゲンが「横取り」したようなもの(ムシだけに…)。ムシたちにとってはいい迷惑です。
ムシたちはムシたちで、これまで通り生きていくため、そこにあるクリやドングリに近づく。するとニンゲンたちにとってはそれが敵になる…(当時の人々が「害虫」という概念を持っていたかどうかわ分かりませんが)。
ここに、「ムシ vs.
ニンゲン」による、食べものを巡る「オレが食べるか、お前が食べるか問題」(by大田こぞうさん)が勃発したのです…!
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| ここから長い長い闘いの歴史が始まるのであった… |
ムシ目線で見ると、これまでは決まった時期に限られた数だけそこにあった食料が、何だか知らないけど一か所に、しかも大量に集められているわけです。
これはムシにとってまさに天国。そして繁殖チャンス以外、何者でもありません。
そして彼らの中にはこの天国のような環境に適応していく者も現れます。
たとえばマメゾウムシ(甲虫目ハムシ科でゾウムシ科ではない)の仲間は、ニンゲンが貯蔵した穀物などを食べる「貯穀害虫」と呼ばれていますが、彼らは成虫になると食べものを食べません。ひたすら交尾をし、ニンゲンが集めた大事なマメにどんどん卵を産み、繁殖し続けることで有名です。
現生の個体が食料ですこし生きながらえることよりも、仲間(子孫)を増やして種が永く生き残ることに集中するようになるわけです。
ですが、結果的に「横取りを横取り」されたニンゲンも黙ってはいません。
ムシの害に落胆しながらただ食べものを貯め続けたわけではなく、動物のフンや特定の薬草などムシが嫌がる成分を見つけ出し、それを貯蔵した食べものと一緒に保存したり壁に塗ったり、そういった「防虫」に注力するようになります。
…これって今のわたしたちの生活とあまり変わりないですよね?
このように、人々が食べものを貯蔵しはじめた瞬間から現代にいたるまで、防虫には長い歴史があり、ムシとの終わりなき闘いは今も果てしなく続いているというわけなのです。
貯蔵の安心と引き換えに生まれたゴミ問題
貯蔵という術を身につけたことで、人々は明日の生活(=食べもの)に困るということは、あまりなくなりましたが、ムシとの闘いという問題を抱えることにになりました。
ですが問題はそれだけではありません。人が同じ場所で生活していく上で、決して避けては通れない問題…。
そう、日々発生するゴミ問題です。
これも現代と変わりありませんが、生活の中で出たゴミをどこに捨てるかというのは、縄文人たちにとっても大きな問題だったに違いありません。
結果として、当時の人々は自分たちが住む家のまわりに食べたものの残りや不要になった道具をまとめて棄てる場所を決めました。
それが「貝塚」です。
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| 写真はイメージです。 |
とはいえ小畑先生曰く、家のまわりにゴミを捨てたと言っても、決してゴミ屋敷のように「ゴミと一緒に暮らしている」といった意識はなかったのではないかといいます。
「貝塚=ゴミ捨て場」というイメージが強いかもしれませんが、貝塚には食べたものや使えなくなった道具など役割を終えた物だけでなく、まだ使える道具類や、あるいは人骨なども一緒に見つかることがあり、ある種の儀式を行ったような跡も見られたというのです。
これは、食べものや亡くなった人が「また戻ってくるように」という願いが込められていたと考えられています。
小畑先生によれば、こうした願いを込めたような行動は、当時の人々が新たに直面した「ゴミ」という課題に対して、これをどう解消しようかと葛藤した末に生まれた精神性ではなかったかとのこと。
かつて遊動生活を送っていた頃のようにそこから移動することはできないわけですから、そういう意味で、日々溜まっていくゴミというストレスとどう付き合い、どう折り合いをつけてゴミと暮らしていくかという問題に対峙していた――。
「ゴミが出たらその辺に捨てればいい」といった、そんな簡単な考えではなかったんですね。
かつてはただのゴミ捨て場として認知されていた貝塚ですが、現在ではただ不要になったものを捨てる場所というよりも、言ってみれば現世とあの世をつなぐような、言わば「再生の場」として捉えられていたと考えられているのだそうです。
実は、福岡市内でも貝塚はいくつか見つかっています。
といってもその数は少なく、中でも縄文時代のものとされているのは、元岡瓜尾貝塚(西区大字元岡)、長浜貝塚(西区今津)、桑原樋櫛貝塚(西区大字桑原)、浜の町貝塚(中央区舞鶴)の4か所だけ。
このうちの3か所は、いずれも今津湾の周りに位置しています。
とくにこの中の元岡瓜尾貝塚は福岡県指定史跡に指定されていて、九州大学伊都キャンパスに隣接する農業用のため池(通称:大阪の池)周辺がその場所です。
池には見学用の通路が設けられており、現在でもそこから貝塚の断面を見ることができます。
以上、第2回はここまで!
今回は前回よりも若干長い対談時間となり、レポートも長めのお届けとなってしまいました。
そして今回の締めにかかった音楽は、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」(1974年)。
縄文時代の人々が本当はどのような思いで生きていたのか、それは誰にも分かりません。
現代のわたしたちは、残されたものからその用途や精神性を想像することしかできませんが、もしスイッチ一つで好きな時代に行けるタイムマシンがあったなら、一体どんな世界を見ることができるのでしょう。
そんな夢と空想をふくらませた放送となりました。
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さて、来週の第3回では、縄文人たちが一生懸命貯蔵していたクリやドングリに集まったムシたちについてのお話のようです。
次回もどうぞお楽しみに!
9月10日(木)の放送は、スマートフォンやパソコンのアプリでラジオが聴ける無料サービスradikoでも、放送から1週間以内であればタイムフリー機能で聞くことができます。
すでに聞いてくださった方も聞き逃した方も、ぜひ聞いてみてくださいね!
※ radikoについてはコチラをご覧ください。
月下虫音 (げっかちゅうね) | LOVE FM | 月~木 21:30-23:00
9月のゲストコーナー「縄文時代からの使者」は、毎週木曜日21:45頃~放送!
「縄文時代からの使者」
第1回 縄文時代の定住革命(9月3日放送)>>>放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者① ギャートルズ的時代のくらしが激変した定住革命とは?」が開きます)
第2回 縄文人たちが直面した新たな大問題(9月10日放送)>>>
コチラをクリック(radikoのサイトが開きます)
『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ④ 縄文時代のタネとムシ』目次
はじめに
第1章 狩猟と遊動の旧石器時代1-1 旧石器時代のくらしと家
項目情報
旧石器時代とは/旧石器時代の環境/世界の旧石器時代のイエ/旧石器時代の囲炉裏はどこ?/石器ブロックは男性が残したのか?
1-2 旧石器人の道具と技術
項目情報
道具を進化させた旧石器人/福岡市最古の旧石器/朝鮮半島から来た石器/今山で採集された角錐状石器/最初の組み合わせ槍/遊動生活に最適な石器・細石刃/究極の組み合わせ道具・植刃器/週游生活と石材原産地の「埋め込み戦略」/北部九州の旧石器時代遺跡と生活圏/移動生活の必須アイテム・水筒/狩猟場に残された狩猟具/解説コラム① 姶良Tn火山灰の降灰/解説コラム② 繊維と結びの歴史
Column 1 「害虫」が語る衣服の歴史と人類の拡散
Column
2 楽器を奏でた旧石器人
Column
3 考古学の真実とは~発掘者の心得~
第2章 縄文人の自己紹介2-1 縄文人のくらし
項目情報
縄文人の一生/骨に残る縄文人の病理と生活習慣/墓地の発生/縄文人の利き手/イヌと仲良し縄文人/土偶と祈り/解説コラム① ひっつきむしと縄文人
2-2 縄文人の生活道具
項目情報
平底土器と尖底土器/土器発明の意義/多様な生活材、籠・網・衣類/土器が教える縄文の布と衣/縄文時代の網/福岡市内の編組製品/縄文時代と旧石器時代の道具立ての違いとその意味/罠猟の発達/解説コラム② 見よう見まねの大切さ/解説コラム③ 年代を知る~放射性炭素年代IntCal20~
第3章 遊動から定住へ
3-1 定住はいつ始まったのか?
項目情報
定住という生活スタイル/遊動生活から定住生活への動機の変化(定住革命)/縄文時代の家比べ/屋外の調理施設
3-2 縄文人のトイレとゴミ問題
項目情報
縄文時代のトイレはどこ?/貝塚から出た食べものとゴミ/ゴミ処理問題の発生と森林への負荷/解説コラム① 縄文時代の環境変化①~縄文海進~
Column 1 食料貯蔵とともに始まったムシとの闘い
3-3 縄文人の交易
項目情報
ヒトが動く→モノが動く/交易による資源調達システムの確立/石斧の生産と交易/縄文人のアクセサリー/クロム白雲母と九州ブランドの拡散
3-4 縄文人の対外交流
項目情報
韓国最古の穀物発見/対馬越高遺跡の発掘調査/アカホヤを遡らない隆器文土器/石器石材とクジラ漁/解説コラム② 縄文時代の環境変化②~鬼界カルデラの噴火~
第4章 ムシとの共同生活
4-1 縄文コクゾウムシの発見
項目情報
コクゾウムシの意味するもの/コクゾウムシの起源と害虫化/ムギ害虫とイネ害虫(コクゾウムシの拡散)/イネを食べなかった縄文コクゾウムシ/海峡を越えたコクゾウムシ(食料運搬)/中国初の新石器時代コクゾウムシの発見/解説コラム① 土器圧痕と土器圧痕法
4-2 土器の中のコクゾウムシ
項目情報
土器に練り込まれたコクゾウムシ/冷蔵庫と食器棚の中身―コクゾウムシの居場所―/土器はおうちの中で作られた/土器作りと混和材/土器作りともう一つの混和材/土器圧痕として発見されるタネやムシの特性/解説コラム② 「雑草」を食べた縄文人/解説コラム③ 大原D遺跡は「80%コクゾウムシ」?
Column 1 法垣遺跡のノミとコクゾウムシ
4-3 縄文人のムシとの付き合い方
項目情報
「ガイチュウ」って何?/縄文時代の防虫剤?/縄文時代の害虫たち/縄文人の家に侵入したゴキブリ/ネズミだらけだった縄文ハウス
Column 2 ムシ食はあったのか?
第5章 縄文農耕論の今
5-1 縄文時代の栽培植物
項目情報
四箇遺跡の栽培植物の謎/縄文時代の栽培植物/イネ・ヒエ・オオムギは別時代のもの/解説コラム① ダイズとアズキの見分け方
Column 1 栽培とは?
5-2 「縄文農耕論」とは何か?
項目情報
考古学の「栽培化」と新たな理論/「縄文農耕論」とは?/縄文時代の真の栽培植物とは?/アク抜きか中長期貯蔵か/福岡市内にも縄文晩期の雑穀農耕はあったのか?/樹木を育てた縄文人/植物性資源利用の増大/南九州縄文にヒエ栽培はあったのか/定住化と濃厚開始による人口増加のメカニズム/解説コラム② AIは遺跡出土のタネを同定できるか
Column 2 土器にタネをまいた縄文人
第6章 弥生時代の開始と新たな縄文人像
6-1 縄文時代の稲作
項目情報
時代区分の基準とは/土器圧痕を用いた新たな手法/稲作の始まり=弥生時代の始まりではない?
6-2 新たな縄文時代・縄文人像
項目情報
土器圧痕のタネとムシからみえてきたもの/新たな縄文時代・縄文人
Column 1 X線が見つけた大発見~日本最古の貝殻入り土器~
おわりに
(文責:加峰)