2021年4月20日火曜日

鬼は朝日が苦手?! 企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の参

 こちらは百鬼夜行図巻の最後に描かれる赤い玉。



 そして、それに背を向けて逃げる鬼。



「百鬼夜行図巻」より

 

 皆さんはこの赤い玉は何だと思われますか? 

 太陽!と思われた方。私もそう思っていました

 今回はそんな太陽と鬼の話です。

 さっそく話は脱線しますが、時代が下りつくられた様々な百鬼夜行の絵には、同じような構図で火の玉に「朝日」と詞を添えて描かれるものもあります。一方で、近年の研究では、説話での退散理由の傾向や、絵巻の成立過程などの検討が重ねられ、尊勝陀羅尼、不動明王の火炎、火車など仏教に関わるものと解釈される説もみられるようになりました。

 

 闇夜に活動し夜明けとともに姿を消す鬼。その活動の様子は、世の中を明るく照らす太陽を嫌うようです。平安時代に成立した説話集などからは、鬼のその活動スタイルを探ることができます。

 例えば、「(アク)(ホド)(ナリ)ヌレバ」鬼たちが皆「(カエ)(サリ)ヌ」(『今昔物語集』巻13の1)。日の出の直前、明け方の空が明るくなる時分に、いずれかの場所へ戻ったようですね。

 もう一例ご紹介しましょう。「(あかつき)(とり)など()きぬれば、(おに)ども(かえ)りぬ」(『宇治拾遺物語』1の3)。夜から朝に変わろうとするあたりに、こちらも鬼たちが住処に帰っています。(この頃の「暁」はまだ暗い時間帯のことをさしていたようです。)

 

 ちょっと物足りなく思われたでしょうか。

 今回の展示のテーマである「滅ぼす」という点で非常に有効そうな「太陽」ではありますが、陽光を浴びて鬼の身体がジュワッと焼き尽くされるような描写は、説話などからはなかなか探すことができません。

 先にあげたように、鬼が夜明けに消えるというのは、朝日を浴びる前に鬼が自らの足で退散をしているのです。

 

 実は嫌いというだけで、そこまで決定的なダメージを与える要素ではないのでしょうか。

 太陽を避けることに関して、ちょっと緩そうな鬼たちはいました。

 

 『今昔物語集』には、自身の身を助けるために交渉しあう人と鬼の話があります(巻2019)。鬼は最後に「暁」、つまり明け方に人のもとに現れて、交渉が上手くいったことを報告し、「掻消(カキキエ)(ヨウ)(サリ)」ます。すぐに消えたとはいえ、ほかの話では鬼がいなくなる時間帯に登場するとは、鬼の立場からするとはらはらしてしまいます。

 

 もう一つ、鬼と太陽の関係を気にしながら文献をめくっている中で、ちょっと興味深い話がありました。今度は日の入り近くの話です。

 

 8世紀、奈良時代に成立した『日本書紀』には、朝倉宮(いまの福岡県朝倉市あたり)で行われた斉明天皇の喪儀を「(よひ)」に、山から鬼が大笠を着てみていた、という記述があります(斉明天皇78月条)。人々がその姿を怪しんだということですから、日が沈んでいてもその姿を目視できた、まだ明るい時間帯の出来事のようにも考えられます。

 

 鬼と対峙した人にしてみても、基本的にはその局面を乗り切り一安心といったところのようで、去っていく鬼に「逃げるな!」と叫ぶほどのモチベーションはなさそうです。(言いそうなのは……頼光でしょうか。※前回ブログ参照

 鬼は太陽を避けるけれど、薄明の時間は大丈夫だったりするのかもなと、想像してみるのでした。

 

 次回は、 「鬼の嫌いな香り、好きな香り⁈」です。どきどきのレポートがあるみたい?つづく!

(学芸課鬼殺係・さとう)

■企画展「鬼は滅びない」は2021年613日(日)まで開催中。

2021年4月12日月曜日

刀だけじゃ滅ぼせない?!  企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の弐

 あるとき都で、美しい女房の失踪事件が相次いだ。人々は怒り悲しみ、武家の棟梁(とうりょう)・源頼光に「悪鬼を滅」せと勅命(ちょくめい)が下った。頼光は家臣とともに山奥へ分け入り、鬼のボス・酒呑童子(しゅてんどうじ)を毒酒で弱らせ、見事、首を斬り落とした。首だけとなった童子は頼光の兜(かぶと)に噛みついて力尽き、「童子滅て後ハ」鬼の住処も、他の鬼たちの神通力も消え失せた―――(※「 」の中は絵巻詞書からの引用)

これが酒呑童子退治の大筋です。

 

「鬼は滅ぼすものではなくて祓うもの」という言説を時々耳にしますが、大江山絵巻では「鬼を滅ぼせ」と命令が下りますし、討伐隊も「鬼を滅ぼしてやろう」と豪語しますし、酒呑童子は滅びたと記されます。

 

 その滅ぼし方は、一見「刀で首を斬る」ことであるかのように読めますが、よく読むと、毒がなければ童子は弱らず、その首は斬れなかったことがわかります。

また最後にひと噛みされた時、相討ちとならずに無傷で済んだのは特別な兜をかぶっていたおかげなのですが、実はこの兜、人の心を読む酒呑童子の神通力を無効化できる不思議アイテムでもあり、これがなければ、そもそも肝心の毒を盛ることも、鬼のアジトに潜入することもできなかったのです。

 

 童子討伐の鍵となった毒酒と兜は、山奥で出会った「大切な人を鬼にとられた」方々からもらったものでした。彼らは鬼の住処に関する情報も色々と教えてくれ、道に迷ったときも助けてくれました。

 

つまり鬼のボスを滅ぼせたのは、毒と協力者あってこそ! 刀だけでは滅ぼせなかったと言ってよいかもしれません。

 

ちなみに、横で上司が「それだけ鬼が強いってことやろ?」などと言っております。

いやいやここは「似たような話をどこかで読んだ気が…(すっとぼけ)」って反応してほしいところですよ!とりあえず、机に漫画23冊置いときましょう。ドンッ

 

次週「鬼は朝日が苦手?!」は419日公開です。つづく!


(学芸課鬼殺係・ささき)

■企画展「鬼は滅びない」は2021年613日(日)まで開催中。

2021年4月5日月曜日

鬼はくさい!? 企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の壱

企画展「鬼は滅びない」がはじまりました!展示室におさまりきらなかった鬼にまつわる裏話、その名も「担当ひとこと裏話」をブログにて連載します。今回は、鬼のにおいに関するお話です。

 

 

『狭衣物語(さごろもものがたり)』に、「鬼は臭うこそあんなれ」という女房のセリフが登場します。鬼ってくさいらしい、といった意味です。

実際、『本朝法華験記(ほんちょうほっけげんき)』にも、鬼の住処と知らずに宿を求めた修行者が、夜中に牛の鼻の息を吹き掛けるような「甚だ臭い」においを嗅ぐ場面があり、翌朝それが鬼のにおいだったと判明します。

また『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』でも、夢の中で羅刹鬼(らせつき)となり猪を生きたまま食った人が、目覚めてからも現実に「腥キ(なまぐさき)」唾や血が口中に湧き出て「極テ腥シ(きわめてなまぐさし)」と記されます。

 

 平安時代の「臭」「生臭」「腥」の使用例を調べた研究者によると、これらの語は、他の生き物を生きたままむさぼり食らう性質をほのめかす表現なのだそうです。

 つまり、鬼がくさいのは、人間を生きたまま食べた証…?

おぞましい!!

 

なーんて怖がってはみたものの、実は、平安文学において「くさい」と表現される存在には、鬼や毒蛇のほか、人間も挙げられています。

確かに白魚、白海老、牡蠣等々、他の生き物を生きたままむさぼり食らった覚えが…はい、あります。

 

『本朝法華験記』によれば、たとえ肉食を断った僧や断食を長年続ける苦行僧であっても、仙境に至り食物を口にしなくなった聖人(しょうにん)からすると、臭すぎてたまらないのだそうです。

おそらく生野菜サラダであっても、植物を生きたままむさぼり食らうことになるのでしょう。生きるって難しいなぁ。

 

鬼のくささは、野蛮で卑俗な性質のあらわれではあるけれども、実は人間自身の匂いと何ら変わりがない―――なんだか「鬼」を知れば知るほど、「人間」について考えさせられます。

 

そんなこんなで、しみじみと展示作業をしていたら、上司が裏話パネルのタイトルをみて一言。

「鬼白菜ってなに?」(※実話です)

 

がーん……鬼 ‘わ’ くさい、ですってば!!!

皆さんにはちゃんと伝わっていたでしょうか? 万が一、'白菜' の話を期待して読みはじめた方がいらっしゃったらごめんなさい。日本語ってむずかしい…

 

ひとことでは終わりませんでしたが、次の「担当ひとこと裏話」もひとことでは終わりません!

次週「刀だけじゃ滅ぼせない?!」、412日公開です。つづく!

 


(学芸課鬼殺係・ささき)

■企画展「鬼は滅びない」は2021年613日(日)まで開催中。

■参考文献:森正人著『古代心性表現の研究』(岩波書店2019) 

2021年3月31日水曜日

帰ってきたコクホー金印ちゃん

 私の名前は金印ちゃん。今からだいたい2000年前、中国の都だった洛陽ラクヨーで生まれ………って自己紹介はもういいわよね〈註1〉。福岡市博物館の看板娘!みんな私のこと知ってるでしょう?

 

1 金印ちゃんの自己紹介はこちら↓

  http://fcmuseum.blogspot.com/2020/11/blog-post_13.html

 

普段は博物館の常設(ジョーセツ)展示室(テンジシツ)ってところでお仕事してるんだけど、しばらくの間、福岡市美術館(ビジュツカン)ってところにお出かけしてたの〈註2〉。昔のお友達がたくさんいるのよ。何もせずに居候(イソーロー)ってわけにもいかないから、こっちでもお仕事したわ。私が来てること、どこで聞いたのか知らないけど、いくつか取材も来たんだから。どこにいても注目の的ね。

 お客さんの中には博物館にいるのは私のそっくりさんで、今回初めて本物が見れたって思った人もいるみたいよ〈註3〉。博物館でも頑張ってるのに、失礼しちゃうわ。いつも私の美しさをうまく表現できていないってことなんじゃない?もうちょっと頑張ってほしいわね。

 

註2 金印ちゃんの家出編はこちら↓

   http://fcmuseum.blogspot.com/2020/12/blog-post_17.html

註3 博物館で常設展示している金印は、レプリカと間違われることが多い。

 

 そうそう、博物館から出て行って何か月も経ったんだけど、こないだやっと連絡が来たのよ。「そろそろ戻って来てほしい。」って。“そろそろ”じゃないわよ、まったくもう。出ていくときに引き留めなさい。乙女心のわからない人たちね。

 まあ、いいわ。私がいない間に、お部屋もきれいにしてくれたみたいだし、お休みのとき用のベッドも新しく買ってくれたそうよ。前のベッドも50年以上使ってて、気に入ってたんだけど、ちょっとあちこちガタがきてて・・・。もし寝てる間に壊れて落っこちちゃったら痛いじゃない?少し丈夫になったのよ。



金印ちゃんの新しいベッド

 

そんなこんなで、また博物館でのお仕事することにしたわ。今はいろいろと暗い世の中だけど、私の輝きで明るく照らしていきたいわね。きっとまた活気が戻ることを信じて、頑張っていきましょう!

これからもよろしくね。会いたくなったら、私はいつでも待ってるわ。じゃあ、またね。

 

コクホー「漢委奴国王」金印ちゃん ―完―

 

(学芸課 あさおか)

2021年3月10日水曜日

福岡市博物館休館中通信 資料収集のお仕事

 3月になり、日差しも一段と暖かさを増しています。博物館では、来月からの開館に備えて着々と準備を整えている最中です。

 

休館の間でも、博物館では資料収集活動を続けていました。資料が増えていくにつれて、博物館が紹介できる歴史やくらし、芸術の魅力も増していきます。つまり、博物館の魅力向上のため、資料の収集は欠かせない仕事なのです。

 

※資料収集の方法はfacata109に掲載しています。

※資料収集から新収蔵品展での公開の流れはfacata113に掲載しています。


資料収集の第一歩は、資料と出会うことです。博物館に寄せられる電話やメール、直接の持ち込み、他部署と連携した調査など、出会いのきっかけはさまざま。博物館での活用が見込めるものは、一旦博物館でお預かりして、以下のような手順で博物館の資料として収集します。

 出会いを求めて外へ出かける博物館職員

 

大切に保管されていたモノの中には、経年による劣化や汚れがある場合もあります。掃除もまた、博物館の重要な仕事です。

丁寧に埃を払うと、モノ本来の色や形が見えてきます 

お預かりした資料は、11点を確認しつつリスト化して整理します。細かく見ていくことで、モノの状態、使用痕、書き込みといった小さな発見があります。ちなみに、例年は10002000点程度ですが、今年は4000点以上を整理しました!

整理の中で本のタイトル、著者、発行者を確認する

お預かりした資料の博物館への受け入れで重要なのは、外部有識者で構成される「資料収集委員会」の意見です。委員会では、所有者別に陳列された主な資料を委員が確認します。それぞれの資料の特徴については学芸員が説明します。

「資料収集委員会」の様子

「資料収集委員会」を経て博物館への受け入れが決まった資料は、所有者に連絡して書面で正式に手続きを交わします。このようにして毎年、博物館に新たな資料が収集されています。


博物館の資料収集活動は、所有者のご厚意とご協力によって支えられています。末尾になりましたが、御礼と今後とも変わらぬご支援をお願いいたします。(学芸課 野島)

2021年2月18日木曜日

#みんなでふりかえる福岡市博物館の思い出 エッセー 茨城県女性

 わたしが福岡市立博物館を訪れたのは、たまたま取れた茨城空港発福岡空港行きの便が安かったからと言う理由と、オンラインゲーム「刀剣乱舞」がきっかけだった。

「刀剣乱舞とコラボします」と聞き、実物の日本号とへし切り長谷部を見たくなったのだ。

2017年1月に初めて福岡市立博物館を見た第一印象は「建物が高い!思ったより大きい!」だった。

館内に入ると、さらに驚いた。

階段が広い。展示スペースが広い。

「日本号もへし切長谷部もすぐ見られるよねー」と思っていた私は、

広さと大きさにビビりまくった。目立つところにいる長谷部と日本号は、広い館内で広々とくつろいでいるようにみえた。


日本号、へしきり長谷部と来て、印象的だったのは、たまたま観た展覧会で、館長が案内をしているところに居合わせたことである。

わからない質問がくると気軽に学芸員に尋ねる姿に驚いた。親しみやすい館長で、だからこそ、刀剣乱舞とのコラボが実現したのではないか、と感じた。

刀剣以外にも興味深い展示があった。ほとんどの作品は撮影可能で、かなりの枚数を撮り納めたのだが、その中には撮影禁止の屏風があった。それとよく似た屏風を、茨城県水戸市の徳川ミュージアムの春の展覧会で見かけ、不思議なこともあるものだと思った。(以下の2点は徳川ミュージアムで撮ったものである)

それにしても、接点が見えない。福岡市と水戸市ってつながりあったっけ?!燭台切光忠のあるじとへしきり長谷部のあるじに全く接点が見えない。

誰か、あの屏風に込められたヒストリー、謎を解明してもらいたいものだ。

水戸市と違っていつまでも日の高い福岡市の日の光に惑わされ、私は時間を1時間ほど読み間違えていた。福岡は茨城よりも日没が遅い。そのことに驚きながら、博物館をあとにした。

福岡は広い。そして、福岡市立博物館には今度ゆっくり来よう。

いつの日か、福岡の地をふたたび訪れる時がきたら、今度はゆっくりと、展示を見てみたい。

今度は、がいつになることやら。




2021年2月17日水曜日

#みんなでふりかえる福岡市博物館の思い出 エッセー 幸運女 さん

 



嬉しい楽しい思い出はたくさんあるけれど 特に1990年平成天皇(上皇様・上皇后様)にお会い出来たこと。そして1997年皇太子殿下・雅子妃殿下(今上天皇陛下・雅子皇后陛下)にお会いできたこと。


私にとって一生忘れられないかけがえのない宝物。