2022年9月23日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈006〉最も危険な〝遊具〟

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。

 


〈006〉最も危険な〝遊具〟


なかなか旅行や里帰りなどが難しい昨今だけに、最近では屋外施設であるアスレチックやレジャープールの人気が高いようです。

福岡でも海の中道サンシャインプール今宿野外活動センターなど、福岡市民には昔からなじみのある施設だけでなく、海の中道には新しく巨大アスレチックタワー「シー・ドラグーン」もできて、話題となっています。


シー・ドラグーンは、高さ16.8mの展望デッキを有する国内最大級の巨大アスレチックタワーで、「自己と対峙し、勇気を持って困難を乗り越えた者だけが希望を掴むことができる」がコンセプトのアスレチックなんだそうです。壮大!

規模も大きく危険が伴うため、遊ぶためにはいくつもの注意事項があり、また参加同意書も必要です。安全第一ですもんね。


とはいえ、遊園地の絶叫系マシーンなど、遊具において〝高くて大きくて怖い〟という要素は、人の好奇心を刺激するようです。


それは昔から変わらないようで、今から約100年前、大正~昭和初期の百道海水浴場では、ある意味現代に勝るとも劣らないような、というか現代では考えられない、ちょっとレベルが段違いな巨大遊具がつくられて、来場者の人気を博していました。


それがこちら。

(絵葉書「(福日主催)百道海水浴場 Momoji seabeach」部分、大正末期)
ドォーーーーーン!!!

(絵葉書「福岡百々道海水浴場」部分、大正末期)
バァーーーーーン!!!

ちなみにこれ、すべり台です。……え、すべり台???

いまでいうところのウォータースライダー的な遊具だと思うのですが、どう考えても角度と高さがおかしい……。

しかもこれ、素材は明らかに木の板。いや、絶対ケガするでしょ……。



さらにこちらは海上につくられたブランコです。

(絵葉書「(福岡)百々道海水浴場 The Fukuoka Momodi」、大正10年前後ヵ)
どうやって乗るんだよ?!という高さ。

インスタ映えするフォトスポットとして話題の西区北崎海岸「#ジハングン」にある巨大ブランコをほうふつとさせるような存在感です。

まあ、現代の巨大ブランコと違って、当時は別に写真映えを気にしてのサイズではないでしょうが、このように絵葉書の被写体としてたくさん残っているところを見ると、当時の人も本能的に「これは映える!!」と感じていたのかもしれません。



一方、こちらは遊具ではなく、海水浴場のシンボルでもあった大桟橋です。

(絵葉書「(福日主催)百道海水浴場」、大正末期)
見晴らしが良いとかいうレベルではない高さ(柵なし)。


(絵葉書「(福岡)百々道海水浴場 The Fukuoka Momozi Seabasing」、大正10年代)
見る者の恐怖を増幅させる簡素なつくり。

潮の満ち引きによって海面からの高さが変わるとはいえ、これらの写真を見ただけでも相当な高さということが分かります。

桟橋の形は、当初約30mの橋が1本海に向かってのびていましたが、大正11(1922)年からは1辺約55mのコの字型へと巨大化。この2枚の写真もコの字型期のものじゃないかと思います。

当時の新聞でもこの桟橋について「浮城のような壮観を呈して居る」(大正11年7月1日『福岡日日新聞』朝刊より)と書かれており、写真を見るとそれも納得です。



これはその桟橋のさらに沖にあったやぐらです。

(絵葉書「福博夏の楽天地 ももぢ海水浴場 The Momoji Bathing-Place Fukuoka」部分、大正末~昭和初期)
え、まさかそこから飛び込むの……?(飛び込みます)

このやぐらは鉄骨製で、具体的な高さは分かりませんが、昇っている人と比べると10mくらいはありそうに見えます。

さらには上からの景色を楽しむだけではなく、そこから飛び込む人も多かったようです。


実はこちらは広告塔としても機能しており、よく見ると「福助足袋」の文字が見えます。

余談ですが、大正12年~昭和9年(1923~1934年)まで、中洲には福助足袋の広告塔が建てられていました。この時期は福助足袋が全社的にこうした広告塔による宣伝に力を入れていたため、写真もほぼ同時期のものと思われます。

(絵葉書「(福博名所)水上公園附近」、福岡市博物館所蔵)
西大橋のたもとにあった福助足袋の広告塔。なかなかのインパクトですね。



こちらは桟橋の沖にあった飛び込み台です。

(絵葉書「福岡夏の楽天地 ももぢ海水浴場」、大正末~昭和初期)
美しい放物線……というかさ……。

美しい放物線を描いて今まさに飛び込もうとしている人と、それを見守るギャラリー。

これ、本当に大丈夫なんでしょうか……?


やぐらや飛び込み台から飛び込む遊びは、バンジージャンプのように度胸試しの要素もあったようです。


これらの〝最も危険な〟巨大遊具には、どれもとくに柵や命綱などの安全装置はなかったようですが、そのスリルもまた人気の理由の一つだったのでしょう。


※百道海水浴場の設備については『シーサイドももち』の「2 遊びに行こう!ー百道の海水浴場ー」で解説しています。

※所蔵表記のない画像はすべて福岡市史編集委員会所蔵、年代は推定です。


 

#シーサイドももち #百道海水浴場 #巨大遊具 #絶叫系マシーン


[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]

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