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2026年9月25日金曜日

【連続レポ/最終回】縄文時代よりの使者④ 土器から見つかったムシの謎を解け!―生活者としての縄文人を推理する―

 

こんにちは。市史編さん室です。


9月の特別コーナーとして、Love FMで毎週月~木の21:30~23:00まで放送中の「月下虫音」内で放送されておりますゲストコーナー「縄文時代よりの使者」。

こちらは、福岡市史が発行する『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ ④ 縄文時代のタネとムシ』の著者である小畑弘己先生(熊本大学名誉教授/福岡市史編集委員会考古専門部会専門委員)と、ラジオパーソナリティの大田こぞうさんとの対談企画です。


いよいよ今回が最終回…! 第4回は、縄文時代の「土器」と「ムシ」にまつわるお話です。



(福岡市埋蔵文化財センター所蔵)
有田遺跡で出土した縄文時代晩期の土器


土器から出たムシ

前回、お米が日本に来る前からコクゾウムシは日本にいたんだ!という話題になりました。

それではそのコクゾウムシはどうやって、どこから見つかったのでしょう??


コクゾウムシが見つかったのは、なんと「土器の中」。

とはいえ土器を作るためには500~800度ほどの高温で焼く必要があります。すると、もし土器の中にムシを入れたとしても、間違いなく焼けて消えてしまいます。

ではどうしてそこにムシがいたことが分かったのか?


それは、土器の表面や内部に焼けてしまったムシの「形」だけがスタンプのように残されていたのです。


このスタンプにシリコンゴムを流し込んで型を取ると、元の形を立体的に復元することができます。この残されたスタンプのことを「圧痕(あっこん)」と言い、そこから型を取る方法を「圧痕レプリカ法」と言います。

イメージとしては、チョコレートを溶かして型に流し込んだり、鋳物を鋳造するときに溶かした鉄を型に流し込んだりするような感じですね(伝わりますか…?)。


(UnsplashのSerghey Savchukが撮影)
あくまでイメージです。


こうした研究方法は20世紀に入ってから行われるようになったものですが、その後技術が発達してX線やCTなどの電子器機で土器の内部を見てみると、実はムシたちは土器の表面だけでなく内部にも埋め込まれていたことが分かりました。

こうした事例は北海道から沖縄まで、日本各地で見られるのだそうで、中には500匹以上ものコクゾウムシが練り込まれた例も見つかっています(館崎遺跡/北海道福島町)。


それにしても、なぜ人々は土器の中にコクゾウムシを練り込んだのでしょうか??



ムシに託した願い?

その理由は、はっきりとは分かっていません。

そこで小畑先生がまず考えたのは、「彼らはコクゾウムシを単なる害虫だと思っていたのだろうか?」ということ。

これまで同じようにタネが練り込まれた土器というものも見つかっていて、これについては土器を大地に見立て、豊穣を願っての行為ではないかという説があります。

そこで先生は、前回のお話にもあったようにコクゾウムシがクリを好むムシだったことから、もしかしたらタネと同じようにコクゾウムシをクリなどの収穫物の化身として、やはり豊穣を願って土器に練り込んだのではないかと考えているのだそうです。


(写真提供:福岡市)
福岡市の秋の風物詩「放生会」も五穀豊穣を祈るお祭りとして定着しました。


生活者としての縄文人

これに対して大田こぞうさんの説はちょっと視点が違っています。

もちろん豊穣の意味を込めてムシを土器に練り込んだというのも納得ですが、500匹ものコクゾウムシを1から手で集めるのは大変だし、何よりもムシの動きは速いので簡単には集められないのではないか…。

そこでこぞうさんが「自分ならどうするだろう…」と考えたところ、思いついたのはなんとコロコロローラー説!


ムシがたくさん集まって来てしまうけども、動き回るムシを手で集めるのは難しい…。

そこで、粘土をカーペットを掃除するコロコロローラーのように利用して、粘土を使って食事や食料に集まるコクゾウムシを捕まえたのではないか、というのです。


斬新!!


でもわたしはこの説を聞いたとき、視点がとてもリアルで、ハッとさせられました。まさに目から鱗。

行動原理に何かしら願いが込められていたとしても、その一つ一つが必ずしも特別だったわけではなく、いまのわたしたちと同じように、縄文人も生きていくためにさまざまな工夫をして暮らしている「生活者」だった。

この視点は意外と盲点となる見方かもしれないなと感じました。


単に「何千年も昔から人が住んでいた」という教科書的な記述だけでは漠然としていて、何だか遠い世界の話に感じるかもしれません。

ですが、ちょっと肩の力を抜いてこの視点から見てみると、人々は何千年も昔からわたしたちと同じように生活者として日々を過ごしていた、さらにその営みは現代のわたしたちまで地続きの日常として続いているという姿が浮かび上がってきませんか?

もちろん「これが真実だ!」という証拠もありませんし、それは今のところ誰にも分かりませんが、こんな風に少しだけ彼らの生活を自分に近づけて想像してみると、それまで自分とは関係のない遠い存在だった縄文人が、なんだかちょっと身近に感じられるかもしれませんね。




* * * * * * *



さて、4回にわたってお送りした特別対談「縄文時代よりの使者」はいかがだったでしょうか?


実は当初、この対談はもっとコクゾウムシに焦点を当てた内容になる予定でした。

ところがホストである大田こぞうさんが事前に本書をかなり読み込んでくださっていて、打ち合わせの段階で「もっと縄文人(あるいはその前の旧石器人)の生活に注目した構成にしたい」とのご提案があり、おかげでより深く本書の内容に迫った対談となりました。

本のタイトルは「縄文時代のタネとムシ」ですが、実は旧石器と縄文時代の「人々の生活」こそが本書のもう一つのテーマでしたので、ムシが主役とはいえ、かなり核心の部分を深掘りしていただけたんじゃないかと思います。


大田こぞうさん、小畑先生、本当にありがとうございました。

またいつか、お二人のふかーーい対談をゆっくりじっくり聞いてみたいです!




9月24日(木)の放送は、スマートフォンやパソコンのアプリでラジオが聴ける無料サービスradikoでも、放送から1週間以内であればタイムフリー機能で聞くことができます。

すでに聞いてくださった方も聞き逃した方も、ぜひ聞いてみてくださいね!

※ radikoについてはコチラをご覧ください。



月下虫音 (げっかちゅうね) | LOVE FM | 月~木  21:30-23:00

9月のゲストコーナー「縄文時代からの使者」

第1回 縄文時代の定住革命(9月3日放送)>>> 放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者① ギャートルズ的時代のくらしが激変した定住革命とは?」が開きます)

第2回 縄文人たちが直面した新たな大問題(9月10日放送)>>> 放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者② 縄文人たちが直面した新たな大問題」が開きます)

第3回 コクゾウムシは米より先に栗やドングリを食べていた?(9月17日放送)>>> 放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者③ 米喰い虫は"栗"喰い虫? ―人と共に変化したムシたちの食生活―」が開きます)

第4回 X線で見えた、土器に練り込まれた約500匹の虫(9月24日放送)>>> コチラをクリック(radikoのサイトが開きます)


『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ④ 縄文時代のタネとムシ』目次

はじめに

第1章 狩猟と遊動の旧石器時代
1-1 旧石器時代のくらしと家
項目情報 旧石器時代とは/旧石器時代の環境/世界の旧石器時代のイエ/旧石器時代の囲炉裏はどこ?/石器ブロックは男性が残したのか?

1-2 旧石器人の道具と技術
項目情報 道具を進化させた旧石器人/福岡市最古の旧石器/朝鮮半島から来た石器/今山で採集された角錐状石器/最初の組み合わせ槍/遊動生活に最適な石器・細石刃/究極の組み合わせ道具・植刃器/週游生活と石材原産地の「埋め込み戦略」/北部九州の旧石器時代遺跡と生活圏/移動生活の必須アイテム・水筒/狩猟場に残された狩猟具/解説コラム① 姶良Tn火山灰の降灰/解説コラム② 繊維と結びの歴史

Column 1 「害虫」が語る衣服の歴史と人類の拡散
Column 2 楽器を奏でた旧石器人
Column 3 考古学の真実とは~発掘者の心得~

第2章 縄文人の自己紹介
2-1 縄文人のくらし
項目情報 縄文人の一生/骨に残る縄文人の病理と生活習慣/墓地の発生/縄文人の利き手/イヌと仲良し縄文人/土偶と祈り/解説コラム① ひっつきむしと縄文人

2-2 縄文人の生活道具
項目情報 平底土器と尖底土器/土器発明の意義/多様な生活材、籠・網・衣類/土器が教える縄文の布と衣/縄文時代の網/福岡市内の編組製品/縄文時代と旧石器時代の道具立ての違いとその意味/罠猟の発達/解説コラム② 見よう見まねの大切さ/解説コラム③ 年代を知る~放射性炭素年代IntCal20~

第3章 遊動から定住へ
3-1 定住はいつ始まったのか?
項目情報 定住という生活スタイル/遊動生活から定住生活への動機の変化(定住革命)/縄文時代の家比べ/屋外の調理施設

3-2 縄文人のトイレとゴミ問題
項目情報 縄文時代のトイレはどこ?/貝塚から出た食べものとゴミ/ゴミ処理問題の発生と森林への負荷/解説コラム① 縄文時代の環境変化①~縄文海進~

Column 1 食料貯蔵とともに始まったムシとの闘い
3-3 縄文人の交易
項目情報 ヒトが動く→モノが動く/交易による資源調達システムの確立/石斧の生産と交易/縄文人のアクセサリー/クロム白雲母と九州ブランドの拡散

3-4 縄文人の対外交流
項目情報 韓国最古の穀物発見/対馬越高遺跡の発掘調査/アカホヤを遡らない隆器文土器/石器石材とクジラ漁/解説コラム② 縄文時代の環境変化②~鬼界カルデラの噴火~

第4章 ムシとの共同生活
4-1 縄文コクゾウムシの発見
項目情報 コクゾウムシの意味するもの/コクゾウムシの起源と害虫化/ムギ害虫とイネ害虫(コクゾウムシの拡散)/イネを食べなかった縄文コクゾウムシ/海峡を越えたコクゾウムシ(食料運搬)/中国初の新石器時代コクゾウムシの発見/解説コラム① 土器圧痕と土器圧痕法

4-2 土器の中のコクゾウムシ
項目情報 土器に練り込まれたコクゾウムシ/冷蔵庫と食器棚の中身―コクゾウムシの居場所―/土器はおうちの中で作られた/土器作りと混和材/土器作りともう一つの混和材/土器圧痕として発見されるタネやムシの特性/解説コラム② 「雑草」を食べた縄文人/解説コラム③ 大原D遺跡は「80%コクゾウムシ」?

Column 1 法垣遺跡のノミとコクゾウムシ
4-3 縄文人のムシとの付き合い方
項目情報 「ガイチュウ」って何?/縄文時代の防虫剤?/縄文時代の害虫たち/縄文人の家に侵入したゴキブリ/ネズミだらけだった縄文ハウス

Column 2 ムシ食はあったのか?

第5章 縄文農耕論の今
5-1 縄文時代の栽培植物
項目情報 四箇遺跡の栽培植物の謎/縄文時代の栽培植物/イネ・ヒエ・オオムギは別時代のもの/解説コラム① ダイズとアズキの見分け方

Column 1 栽培とは?
5-2 「縄文農耕論」とは何か?
項目情報 考古学の「栽培化」と新たな理論/「縄文農耕論」とは?/縄文時代の真の栽培植物とは?/アク抜きか中長期貯蔵か/福岡市内にも縄文晩期の雑穀農耕はあったのか?/樹木を育てた縄文人/植物性資源利用の増大/南九州縄文にヒエ栽培はあったのか/定住化と濃厚開始による人口増加のメカニズム/解説コラム② AIは遺跡出土のタネを同定できるか

Column 2 土器にタネをまいた縄文人

第6章 弥生時代の開始と新たな縄文人像
6-1 縄文時代の稲作
項目情報 時代区分の基準とは/土器圧痕を用いた新たな手法/稲作の始まり=弥生時代の始まりではない?

6-2 新たな縄文時代・縄文人像
項目情報 土器圧痕のタネとムシからみえてきたもの/新たな縄文時代・縄文人

Column 1 X線が見つけた大発見~日本最古の貝殻入り土器~

おわりに


(文責:加峰)


2026年9月18日金曜日

【連続レポ】縄文時代よりの使者③ 米喰い虫は"栗"喰い虫? ―人と共に変化したムシたちの食生活―

 

こんにちは。市史編さん室です。


9月の特別コーナーとして、Love FMで毎週月~木の21:30~23:00まで放送中の「月下虫音」内で放送されておりますゲストコーナー「縄文時代よりの使者」。

こちらは、福岡市史が発行する『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ ④ 縄文時代のタネとムシ』の著者である小畑弘己先生(熊本大学名誉教授/福岡市史編集委員会考古専門部会専門委員)と、ラジオパーソナリティの大田こぞうさんとの対談企画です。


前回は、遊動から定住へと生活スタイルが変わったことで、食料を貯蔵する習慣が生まれ、そこにムシやネズミも食料を求めて集まるようになり「害虫問題」が生まれた、というお話でした。

第3回となる今回は、こうして集まったムシについてのお話のようです。


※ 写真はイメージです

縄文時代の人々にとって貴重なエネルギー源となっていたのは、クリやドングリだったとされています。堅い殻をもち保存がきいて、実には多くのデンプン質を蓄えており、とくにクリは甘くて美味しいし、利用もしやすかったことでしょう。

縄文時代の日本では、東日本はクリが多く、九州などはイチイガシなどのドングリが多く見つかっていて、日本の東西でも「主食」が違っていたようです。

また、東日本で見つかった縄文時代のクリの木には生育に人間が関与したと思われる痕跡が見つかっていて、縄文時代から効率よく実を採るために人間が管理していたという説もあります。


甘くて美味しい栗はこれからがシーズンですね!


前回のお話にもあったように、縄文時代の人々はこうしたクリやドングリを採集し、それを貯蔵して暮らしていました。

この「宝の山」には、食べものを求めてネズミや多くのムシたちが寄ってきたわけですが、そこには今から考えるとちょっと意外なムシがいた痕跡が見つかっています。


それが「コクゾウムシ」です。

コクゾウムシといえば、お米に湧く黒いゴマのような害虫。現代では「米喰い虫」として知られています。


この象の鼻のような口が特徴。


ちょっと余談ですが、このコクゾウムシ。一定年齢以上の大人の皆さまには割と馴染みのある、というか見たことくらいはあるという方が多いと思います。まさにわたしたちの生活に馴染んだムシの代表格だと思うのですが、最近は衛生環境やお米の品質管理も機械化が進み厳密化したことで、若い方では見たことがないという方も多いそうです。

出荷側の要因とともに、自炊する機会が減った(外食だけでなくパックご飯やレトルト食品の利用など)ということも、その要因の一つかもしれませんね。

小畑先生曰く、大学で講義をする際、こちらは当然コクゾウムシを知っていると思って話していると、学生さんたちは一様に「ポカーン(゜Д゜)」としていて、思わぬところでジェネレーションギャップを感じ頭を抱えた、とおっしゃっていました。


UnsplashのCristiano Pintoが撮影


閑話休題。


このコクゾウムシの痕跡が縄文時代の遺跡から見つかったというのです。正確には縄文時代の土器にスタンプのように跡が残っていて、これをゴムで型取りしたところ、コクゾウムシだということが分かったのだそうです。

コクゾウムシは米を食べるのが当たり前と考えられていたので、コクゾウムシは米と共に日本に渡ってきたと考えられていました。

お米の栽培(農耕)といえば弥生時代ですが、見つかったのは縄文時代の土器。このことから、見つかった当時(20年ほど前)は「縄文時代の後期にはすでにお米があったんだな」と解釈されていました。


ところが2010年(平成22年)、小畑先生が種子島の三本松遺跡(鹿児島県西表市)で行った調査では、1万年前ほど(縄文時代の中でも古い方の時代)の土器からもコクゾウムシが見つかったのです…!


1万年前の種子島に米があったとはとても想定できず、なぜ米と共に生きていたはずのムシがここにいるのかと大変困惑したのだとか。

ちなみにこの時見つかったコクゾウムシの痕跡は日本国内でも最古の発見例とされていて、また世界的に見ても最古級の家屋害虫と評価された発見となりました。


▼三本松遺跡についてはこちら(発掘調査報告書)

三本松遺跡 -全国文化財総覧-
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/90346




この発見をきっかけにしていろいろと調べていくうちに、「どうやらコクゾウムシは米以外にもクリやドングリを食べていたらしい」という結論が見えてきたのだそうです。

ゾウムシの仲間ではクリギシゾウムシなどはクリを食べる昆虫として知られていますが、コクゾウムシたちも人間が農耕を始めて米を栽培するようになったことで、食べるものがクリやドングリから米に変化したと考えられるようになりました。

コクゾウムシは元は「米喰い虫」ではなく、縄文人にとっては「栗喰い虫」だったんですね。


コクゾウムシは米にだけに依存していて、米と共に来日したわけではなく、もともとはクリやドングリを食べていたのが、環境(人間の食生活)の変化と共に、対象が米になっていった――。

人間がより効率よくエネルギーを摂取したい、あるいはもっと美味しいものを食べたいと考えて食事を変化させていったように、ムシたちもこの人間の生活スタイルの変化に影響されて、食事(加害対象)を変えていった生き物だったんですね。


* * * * * * *


さて、来週はいよいよ最終回。

第4回は、今回のお話でも登場したムシ、そしてタネと土器との関係についてのお話です。


次回もどうぞお楽しみに!




9月17日(木)の放送は、スマートフォンやパソコンのアプリでラジオが聴ける無料サービスradikoでも、放送から1週間以内であればタイムフリー機能で聞くことができます。

すでに聞いてくださった方も聞き逃した方も、ぜひ聞いてみてくださいね!

※ radikoについてはコチラをご覧ください。



月下虫音 (げっかちゅうね) | LOVE FM | 月~木  21:30-23:00

9月のゲストコーナー「縄文時代からの使者」は、毎週木曜日21:45頃~放送!

「縄文時代からの使者」

第1回 縄文時代の定住革命(9月3日放送)>>> 放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者① ギャートルズ的時代のくらしが激変した定住革命とは?」が開きます)

第2回 縄文人たちが直面した新たな大問題(9月10日放送)>>> 放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者② 縄文人たちが直面した新たな大問題」が開きます)

第3回 コクゾウムシは米より先に栗やドングリを食べていた?(9月17日放送)>>> コチラをクリック(radikoのサイトが開きます)



『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ④ 縄文時代のタネとムシ』目次

はじめに

第1章 狩猟と遊動の旧石器時代
1-1 旧石器時代のくらしと家
項目情報 旧石器時代とは/旧石器時代の環境/世界の旧石器時代のイエ/旧石器時代の囲炉裏はどこ?/石器ブロックは男性が残したのか?

1-2 旧石器人の道具と技術
項目情報 道具を進化させた旧石器人/福岡市最古の旧石器/朝鮮半島から来た石器/今山で採集された角錐状石器/最初の組み合わせ槍/遊動生活に最適な石器・細石刃/究極の組み合わせ道具・植刃器/週游生活と石材原産地の「埋め込み戦略」/北部九州の旧石器時代遺跡と生活圏/移動生活の必須アイテム・水筒/狩猟場に残された狩猟具/解説コラム① 姶良Tn火山灰の降灰/解説コラム② 繊維と結びの歴史

Column 1 「害虫」が語る衣服の歴史と人類の拡散
Column 2 楽器を奏でた旧石器人
Column 3 考古学の真実とは~発掘者の心得~

第2章 縄文人の自己紹介
2-1 縄文人のくらし
項目情報 縄文人の一生/骨に残る縄文人の病理と生活習慣/墓地の発生/縄文人の利き手/イヌと仲良し縄文人/土偶と祈り/解説コラム① ひっつきむしと縄文人

2-2 縄文人の生活道具
項目情報 平底土器と尖底土器/土器発明の意義/多様な生活材、籠・網・衣類/土器が教える縄文の布と衣/縄文時代の網/福岡市内の編組製品/縄文時代と旧石器時代の道具立ての違いとその意味/罠猟の発達/解説コラム② 見よう見まねの大切さ/解説コラム③ 年代を知る~放射性炭素年代IntCal20~

第3章 遊動から定住へ
3-1 定住はいつ始まったのか?
項目情報 定住という生活スタイル/遊動生活から定住生活への動機の変化(定住革命)/縄文時代の家比べ/屋外の調理施設

3-2 縄文人のトイレとゴミ問題
項目情報 縄文時代のトイレはどこ?/貝塚から出た食べものとゴミ/ゴミ処理問題の発生と森林への負荷/解説コラム① 縄文時代の環境変化①~縄文海進~

Column 1 食料貯蔵とともに始まったムシとの闘い
3-3 縄文人の交易
項目情報 ヒトが動く→モノが動く/交易による資源調達システムの確立/石斧の生産と交易/縄文人のアクセサリー/クロム白雲母と九州ブランドの拡散

3-4 縄文人の対外交流
項目情報 韓国最古の穀物発見/対馬越高遺跡の発掘調査/アカホヤを遡らない隆器文土器/石器石材とクジラ漁/解説コラム② 縄文時代の環境変化②~鬼界カルデラの噴火~

第4章 ムシとの共同生活
4-1 縄文コクゾウムシの発見
項目情報 コクゾウムシの意味するもの/コクゾウムシの起源と害虫化/ムギ害虫とイネ害虫(コクゾウムシの拡散)/イネを食べなかった縄文コクゾウムシ/海峡を越えたコクゾウムシ(食料運搬)/中国初の新石器時代コクゾウムシの発見/解説コラム① 土器圧痕と土器圧痕法

4-2 土器の中のコクゾウムシ
項目情報 土器に練り込まれたコクゾウムシ/冷蔵庫と食器棚の中身―コクゾウムシの居場所―/土器はおうちの中で作られた/土器作りと混和材/土器作りともう一つの混和材/土器圧痕として発見されるタネやムシの特性/解説コラム② 「雑草」を食べた縄文人/解説コラム③ 大原D遺跡は「80%コクゾウムシ」?

Column 1 法垣遺跡のノミとコクゾウムシ
4-3 縄文人のムシとの付き合い方
項目情報 「ガイチュウ」って何?/縄文時代の防虫剤?/縄文時代の害虫たち/縄文人の家に侵入したゴキブリ/ネズミだらけだった縄文ハウス

Column 2 ムシ食はあったのか?

第5章 縄文農耕論の今
5-1 縄文時代の栽培植物
項目情報 四箇遺跡の栽培植物の謎/縄文時代の栽培植物/イネ・ヒエ・オオムギは別時代のもの/解説コラム① ダイズとアズキの見分け方

Column 1 栽培とは?
5-2 「縄文農耕論」とは何か?
項目情報 考古学の「栽培化」と新たな理論/「縄文農耕論」とは?/縄文時代の真の栽培植物とは?/アク抜きか中長期貯蔵か/福岡市内にも縄文晩期の雑穀農耕はあったのか?/樹木を育てた縄文人/植物性資源利用の増大/南九州縄文にヒエ栽培はあったのか/定住化と濃厚開始による人口増加のメカニズム/解説コラム② AIは遺跡出土のタネを同定できるか

Column 2 土器にタネをまいた縄文人

第6章 弥生時代の開始と新たな縄文人像
6-1 縄文時代の稲作
項目情報 時代区分の基準とは/土器圧痕を用いた新たな手法/稲作の始まり=弥生時代の始まりではない?

6-2 新たな縄文時代・縄文人像
項目情報 土器圧痕のタネとムシからみえてきたもの/新たな縄文時代・縄文人

Column 1 X線が見つけた大発見~日本最古の貝殻入り土器~

おわりに


(文責:加峰)


2026年9月11日金曜日

【連続レポ】縄文時代よりの使者② 縄文人たちが直面した新たな大問題

 

こんにちは。市史編さん室です。


先週から、Love FMで毎週月~木の21:30~23:00まで放送中の「月下虫音」内で放送されておりますゲストコーナー「縄文時代よりの使者」。

こちらは、福岡市史が発行する『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ ④ 縄文時代のタネとムシ』の著者である小畑弘己先生(熊本大学名誉教授/福岡市史編集委員会考古専門部会専門委員)と、ラジオパーソナリティの大田こぞうさんとの対談企画です。




第1回の放送を受け、さっそく番組には「本を手にしました!」というお便りが届いたという紹介がありました。ムシ好きの皆さまにも本書に興味を持っていただき、大感激です!


さらにはお便りを送られたこの方のエピソードが衝撃すぎたので、ちょっとここで紹介させてください。


この方、本書の表紙を飾っているムシの絵(本の中にもいたるところに登場しています!)に目を留めてくださったようなのです。

本当に繊細で緻密で美しい絵なんですよね。



そこでさっそく巻末を見てみると、そこには「Paleoart  ATABO」というクレジットが。

普通なら「なるほど、こういうアーティストがいるのね~」で終わるところ、いくら検索しても引っかからないこのナゾのアーティストが気になって、さらなる追跡捜査を進めていかれるのです…。


この表紙の精密なイラストは一体誰が描いたのか…?


すると、「Paleoart」が科学的根拠に基づいて古生物などを復元した絵のジャンルであることが判明(そういうジャンルがあるんですよね~。わたしもこの編集に携わって始めて知りました)。

じゃあその後に続く「ATABO」って一体何なんだ…???


ATABO、ATABO、ATABO、ATABO……と、字面を見て推理した結果、このアルファベットが逆からも読めることに注目!


そう、「ATABO」を逆さまから読むと…「OBATA」になる…!

ついに「これは小畑先生が書いた絵なのでは?!」という結論に達したのです…!



その推理力、素晴らしすぎます!!!



その通り、実はこれらの絵はすべて小畑先生の手によるものなのです!

本に興味を持ってくださっただけでなく、まさか小畑先生によるこの仕掛けにまで気がつかれるとは…!

編集担当としてはそこまで細かくチェックしてくださったことが本当に嬉しかったです。

本当にありがとうございます!!


名探偵、爆誕。



さてさて、嬉しさのあまり前置きが長くなってしまいましたが、ようやくここから本題です(失礼しました…)。



前回の第1回では、「縄文時代よりの使者」といいつつも、その前の旧石器時代のお話まででタイムアップとなってしまいました(でもその前史、前段が大事なのです!)。

今回はいよいよ縄文時代のお話が始まります…!




生活の変化=食べものの変化

前回、旧石器時代に大型動物とともに遊動しながら狩猟生活を送っていた人々が、ついに「定住」という新たな生活スタイルを手に入れました。


じょうもんじんは「ていじゅう」をてにいれた!


「定住」、つまり「決まった場所に住む」という生活スタイルは、よく考えると現代のわたしたちにとっては当たり前の生活ですよね。

現代のわたしたちは、多くの人々が一軒家やマンションなど、特定の住所がある家に暮らしていることを標準とされた世界に生きています。このような現代に生きるわたしたちの生活スタイルの根本は、大きく言えば縄文時代にはじまったと言って良いようです。



(UnsplashのBreno Assisが撮影)


生活スタイルが変わると、食べものを獲得する方法も変わります。

遊動をしていた頃、旧石器時代の主な食べものは、マンモスに代表される大型動物がメインでした。しかし定住を選択した以上、小さな動物は捕まえることはできても、以前と同じようなわけにはいきません。

そんなとき重宝したと考えられるのが、住処の近くの森に山ほどある木の実、とくにドングリやクリなどの堅い殻を持つ実(堅果類)など、保存がきく食べものだったようです。



縄文時代のドングリ(イチイガシ)と浅鉢は
福岡市博物館の常設展示室に展示しています。



ここで「保存」というキーワードが登場します。

人々はいろいろなところから木の実などを集めてくるわけですが、それを全部その場で食べてしまうわけではありません。

食べきれない分、あるいは明日、明後日、その先の分として、家の中に「貯蔵」する必要が出てきます。これがこの時代の重要なポイントです。


このようにして、これまでと違って食べものを蓄えはじめると、明日の食べものに困らないという安心が得られます。

ところがそれと引き換えにして、これまでにはなかったさまざまな問題をも、同時に抱えることになっていくのです…。




食べものを巡る「ムシ vs. ニンゲン」の仁義なき闘い

定住をはじめて食料とともに生活するようになると、せっかく貯蔵した食料に「やつら」の影が忍び寄ります。

そう、ムシ(害虫)の登場です。


ニンゲンが明日、明後日、その先を生きていくためにせっかく貯めたクリやドングリですが、それらはニンゲンだけでなく、ムシたちにとっても貴重な食料です。

というか、むしろ先に食べていたのはムシたちで、言ってみればそれをニンゲンが「横取り」したようなもの(ムシだけに…)。ムシたちにとってはいい迷惑です。

ムシたちはムシたちで、これまで通り生きていくため、そこにあるクリやドングリに近づく。するとニンゲンたちにとってはそれが敵になる…(当時の人々が「害虫」という概念を持っていたかどうかわ分かりませんが)。


ここに、「ムシ vs. ニンゲン」による、食べものを巡る「オレが食べるか、お前が食べるか問題」(by大田こぞうさん)が勃発したのです…!



ここから長い長い闘いの歴史が始まるのであった…



ムシ目線で見ると、これまでは決まった時期に限られた数だけそこにあった食料が、何だか知らないけど一か所に、しかも大量に集められているわけです。

これはムシにとってまさに天国。そして繁殖チャンス以外、何者でもありません。


そして彼らの中にはこの天国のような環境に適応していく者も現れます。

たとえばマメゾウムシ(甲虫目ハムシ科でゾウムシ科ではない)の仲間は、ニンゲンが貯蔵した穀物などを食べる「貯穀害虫」と呼ばれていますが、彼らは成虫になると食べものを食べません。ひたすら交尾をし、ニンゲンが集めた大事なマメにどんどん卵を産み、繁殖し続けることで有名です。

現生の個体が食料ですこし生きながらえることよりも、仲間(子孫)を増やして種が永く生き残ることに集中するようになるわけです。



ですが、結果的に「横取りを横取り」されたニンゲンも黙ってはいません。

ムシの害に落胆しながらただ食べものを貯め続けたわけではなく、動物のフンや特定の薬草などムシが嫌がる成分を見つけ出し、それを貯蔵した食べものと一緒に保存したり壁に塗ったり、そういった「防虫」に注力するようになります。


…これって今のわたしたちの生活とあまり変わりないですよね?

このように、人々が食べものを貯蔵しはじめた瞬間から現代にいたるまで、防虫には長い歴史があり、ムシとの終わりなき闘いは今も果てしなく続いているというわけなのです。






貯蔵の安心と引き換えに生まれたゴミ問題

貯蔵という術を身につけたことで、人々は明日の生活(=食べもの)に困るということは、あまりなくなりましたが、ムシとの闘いという問題を抱えることにになりました。

ですが問題はそれだけではありません。人が同じ場所で生活していく上で、決して避けては通れない問題…。


そう、日々発生するゴミ問題です。

これも現代と変わりありませんが、生活の中で出たゴミをどこに捨てるかというのは、縄文人たちにとっても大きな問題だったに違いありません。


結果として、当時の人々は自分たちが住む家のまわりに食べたものの残りや不要になった道具をまとめて棄てる場所を決めました。

それが「貝塚」です。


写真はイメージです。



とはいえ小畑先生曰く、家のまわりにゴミを捨てたと言っても、決してゴミ屋敷のように「ゴミと一緒に暮らしている」といった意識はなかったのではないかといいます。

「貝塚=ゴミ捨て場」というイメージが強いかもしれませんが、貝塚には食べたものや使えなくなった道具など役割を終えた物だけでなく、まだ使える道具類や、あるいは人骨なども一緒に見つかることがあり、ある種の儀式を行ったような跡も見られたというのです。

これは、食べものや亡くなった人が「また戻ってくるように」という願いが込められていたと考えられています。


小畑先生によれば、こうした願いを込めたような行動は、当時の人々が新たに直面した「ゴミ」という課題に対して、これをどう解消しようかと葛藤した末に生まれた精神性ではなかったかとのこと。

かつて遊動生活を送っていた頃のようにそこから移動することはできないわけですから、そういう意味で、日々溜まっていくゴミというストレスとどう付き合い、どう折り合いをつけてゴミと暮らしていくかという問題に対峙していた――。


「ゴミが出たらその辺に捨てればいい」といった、そんな簡単な考えではなかったんですね。

かつてはただのゴミ捨て場として認知されていた貝塚ですが、現在ではただ不要になったものを捨てる場所というよりも、言ってみれば現世とあの世をつなぐような、言わば「再生の場」として捉えられていたと考えられているのだそうです。




実は、福岡市内でも貝塚はいくつか見つかっています。

といってもその数は少なく、中でも縄文時代のものとされているのは、元岡瓜尾貝塚(西区大字元岡)、長浜貝塚(西区今津)、桑原樋櫛貝塚(西区大字桑原)、浜の町貝塚(中央区舞鶴)の4か所だけ。

このうちの3か所は、いずれも今津湾の周りに位置しています。


とくにこの中の元岡瓜尾貝塚は福岡県指定史跡に指定されていて、九州大学伊都キャンパスに隣接する農業用のため池(通称:大阪の池)周辺がその場所です。

池には見学用の通路が設けられており、現在でもそこから貝塚の断面を見ることができます。





以上、第2回はここまで!

今回は前回よりも若干長い対談時間となり、レポートも長めのお届けとなってしまいました。


そして今回の締めにかかった音楽は、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」(1974年)。

縄文時代の人々が本当はどのような思いで生きていたのか、それは誰にも分かりません。

現代のわたしたちは、残されたものからその用途や精神性を想像することしかできませんが、もしスイッチ一つで好きな時代に行けるタイムマシンがあったなら、一体どんな世界を見ることができるのでしょう。

そんな夢と空想をふくらませた放送となりました。



* * * * * * *



さて、来週の第3回では、縄文人たちが一生懸命貯蔵していたクリやドングリに集まったムシたちについてのお話のようです。


次回もどうぞお楽しみに!




9月10日(木)の放送は、スマートフォンやパソコンのアプリでラジオが聴ける無料サービスradikoでも、放送から1週間以内であればタイムフリー機能で聞くことができます。

すでに聞いてくださった方も聞き逃した方も、ぜひ聞いてみてくださいね!

※ radikoについてはコチラをご覧ください。



月下虫音 (げっかちゅうね) | LOVE FM | 月~木  21:30-23:00

9月のゲストコーナー「縄文時代からの使者」は、毎週木曜日21:45頃~放送!

「縄文時代からの使者」

第1回 縄文時代の定住革命(9月3日放送)>>>放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者① ギャートルズ的時代のくらしが激変した定住革命とは?」が開きます)

第2回 縄文人たちが直面した新たな大問題(9月10日放送)>>> コチラをクリック(radikoのサイトが開きます)



『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ④ 縄文時代のタネとムシ』目次

はじめに

第1章 狩猟と遊動の旧石器時代
1-1 旧石器時代のくらしと家
項目情報 旧石器時代とは/旧石器時代の環境/世界の旧石器時代のイエ/旧石器時代の囲炉裏はどこ?/石器ブロックは男性が残したのか?

1-2 旧石器人の道具と技術
項目情報 道具を進化させた旧石器人/福岡市最古の旧石器/朝鮮半島から来た石器/今山で採集された角錐状石器/最初の組み合わせ槍/遊動生活に最適な石器・細石刃/究極の組み合わせ道具・植刃器/週游生活と石材原産地の「埋め込み戦略」/北部九州の旧石器時代遺跡と生活圏/移動生活の必須アイテム・水筒/狩猟場に残された狩猟具/解説コラム① 姶良Tn火山灰の降灰/解説コラム② 繊維と結びの歴史

Column 1 「害虫」が語る衣服の歴史と人類の拡散
Column 2 楽器を奏でた旧石器人
Column 3 考古学の真実とは~発掘者の心得~

第2章 縄文人の自己紹介
2-1 縄文人のくらし
項目情報 縄文人の一生/骨に残る縄文人の病理と生活習慣/墓地の発生/縄文人の利き手/イヌと仲良し縄文人/土偶と祈り/解説コラム① ひっつきむしと縄文人

2-2 縄文人の生活道具
項目情報 平底土器と尖底土器/土器発明の意義/多様な生活材、籠・網・衣類/土器が教える縄文の布と衣/縄文時代の網/福岡市内の編組製品/縄文時代と旧石器時代の道具立ての違いとその意味/罠猟の発達/解説コラム② 見よう見まねの大切さ/解説コラム③ 年代を知る~放射性炭素年代IntCal20~

第3章 遊動から定住へ
3-1 定住はいつ始まったのか?
項目情報 定住という生活スタイル/遊動生活から定住生活への動機の変化(定住革命)/縄文時代の家比べ/屋外の調理施設

3-2 縄文人のトイレとゴミ問題
項目情報 縄文時代のトイレはどこ?/貝塚から出た食べものとゴミ/ゴミ処理問題の発生と森林への負荷/解説コラム① 縄文時代の環境変化①~縄文海進~

Column 1 食料貯蔵とともに始まったムシとの闘い
3-3 縄文人の交易
項目情報 ヒトが動く→モノが動く/交易による資源調達システムの確立/石斧の生産と交易/縄文人のアクセサリー/クロム白雲母と九州ブランドの拡散

3-4 縄文人の対外交流
項目情報 韓国最古の穀物発見/対馬越高遺跡の発掘調査/アカホヤを遡らない隆器文土器/石器石材とクジラ漁/解説コラム② 縄文時代の環境変化②~鬼界カルデラの噴火~

第4章 ムシとの共同生活
4-1 縄文コクゾウムシの発見
項目情報 コクゾウムシの意味するもの/コクゾウムシの起源と害虫化/ムギ害虫とイネ害虫(コクゾウムシの拡散)/イネを食べなかった縄文コクゾウムシ/海峡を越えたコクゾウムシ(食料運搬)/中国初の新石器時代コクゾウムシの発見/解説コラム① 土器圧痕と土器圧痕法

4-2 土器の中のコクゾウムシ
項目情報 土器に練り込まれたコクゾウムシ/冷蔵庫と食器棚の中身―コクゾウムシの居場所―/土器はおうちの中で作られた/土器作りと混和材/土器作りともう一つの混和材/土器圧痕として発見されるタネやムシの特性/解説コラム② 「雑草」を食べた縄文人/解説コラム③ 大原D遺跡は「80%コクゾウムシ」?

Column 1 法垣遺跡のノミとコクゾウムシ
4-3 縄文人のムシとの付き合い方
項目情報 「ガイチュウ」って何?/縄文時代の防虫剤?/縄文時代の害虫たち/縄文人の家に侵入したゴキブリ/ネズミだらけだった縄文ハウス

Column 2 ムシ食はあったのか?

第5章 縄文農耕論の今
5-1 縄文時代の栽培植物
項目情報 四箇遺跡の栽培植物の謎/縄文時代の栽培植物/イネ・ヒエ・オオムギは別時代のもの/解説コラム① ダイズとアズキの見分け方

Column 1 栽培とは?
5-2 「縄文農耕論」とは何か?
項目情報 考古学の「栽培化」と新たな理論/「縄文農耕論」とは?/縄文時代の真の栽培植物とは?/アク抜きか中長期貯蔵か/福岡市内にも縄文晩期の雑穀農耕はあったのか?/樹木を育てた縄文人/植物性資源利用の増大/南九州縄文にヒエ栽培はあったのか/定住化と濃厚開始による人口増加のメカニズム/解説コラム② AIは遺跡出土のタネを同定できるか

Column 2 土器にタネをまいた縄文人

第6章 弥生時代の開始と新たな縄文人像
6-1 縄文時代の稲作
項目情報 時代区分の基準とは/土器圧痕を用いた新たな手法/稲作の始まり=弥生時代の始まりではない?

6-2 新たな縄文時代・縄文人像
項目情報 土器圧痕のタネとムシからみえてきたもの/新たな縄文時代・縄文人

Column 1 X線が見つけた大発見~日本最古の貝殻入り土器~

おわりに


(文責:加峰)

2022年4月29日金曜日

古代エジプト展 ウラ話~その4~ ミイラづくりの技術

2022年6月19日(日)まで開催中の「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」。

展示作業中に担当者が感じたことや、監修の中野智章先生にうかがったお話などから、資料に関するウラ話をご紹介します。

 

今回ご紹介するのは、コチラ!

No.191 センサオスのミイラ

 

このミイラ、ほかのミイラとなんか違うと感じませんでしたか?

なんというか・・・太くてゴツイ。



 

 

 

 

 

 

 

 

復元された顔は、こんなに美人なのに。



 

 

 

 

 

 

 

 

このミイラは1990年代にスキャン調査されています。

その結果、大量の包帯と樹脂が使われ、中に砂が入っていたとのこと!!!

そのせいで、めちゃくちゃ重いんです。

どうしてそういうことに?

 

監修の中野先生によると、

このミイラがつくられたのは、グレコ・ローマン時代のローマ時代109年。

ミイラ作りの技術は廃れかけており、おそらく見よう見まねでミイラを作ったのではないか、とのこと。

 

アレクサンドロス大王のエジプト征服、クレオパトラ7世の死に伴うプトレマイオス朝の滅亡後のローマによる支配を経て、古代エジプト文明がそれまで築き上げ、受け継いできたものが失われつつあった時代。

ミイラそのものよりも、ミイラを飾るマスク等の外観の美しさが重視されていたとも言われています。

 

ミイラづくりという技術の衰退とともに、文明の終焉が見えた気がしました。

 

(古代エジプト展担当)

2022年4月22日金曜日

古代エジプト展 ウラ話~その3~ 棺をリサイクル?!

2022年6月19日(日)まで開催中の「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」。

展示作業中に、担当者が感じたことや、監修の中野智章先生にうかがったお話などから、資料に関するウラ話をご紹介します。

 

今回ご紹介するのは、コチラ!

No.148 ホルの外棺



 

 

 

 

 

 

 

 

  

今回の展覧会のメインビジュアルでよく使われているので、

みなさんも一度は目にされているのではないでしょうか?

 

監修の中野先生から「この棺はここが特徴的なんですよ」と教えていただいた部分を、よーく見ると・・・



 







あれれ。

死者の書でのメインイベントである、心臓を真実の羽と重さ比べするシーンに、心臓がない!!

  

そして、足元の、おそらく死者の名前に関連する場所は、一部が空白・・・。

いったい、どういうことでしょう?



 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回(「古代エジプト展ウラ話その3」参照)、ちょっと触れたように、

エジプトでは棺にするほどの大木の木材は貴重品でした。

棺を作るにも、めちゃくちゃお金がかかる。

そこで、古代エジプト人は考えた。

「そうだ!この棺、別の人にも使っちゃおう!」

 

中野先生によると、こういった棺の再利用が行われていたからか、棺が男性を表現していても、中のミイラが女性の場合もあったり、またその逆もあるとのこと。

 

棺に描かれているのは、死後の世界へ旅立つために必要な「死者の書」。

古代エジプト人にとっては、時に人の棺を借りてまで、とにかく、死後の世界で復活・再生するためにきちんと葬儀を行うことが最重要事項だったのでしょう。

 

古代エジプト人のたくましさと死後の世界への強い想いを垣間見たような気がしました。

 

(古代エジプト展担当)

2022年4月15日金曜日

古代エジプト展 ウラ話~その2~ 重い?軽い?

2022年6月19日(日)まで開催中の「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」。

展示作業中に、担当者が感じたことや、監修の中野智章先生にうかがったお話などから、資料に関するウラ話をご紹介します。

 

今回ご紹介するのは、コチラ!

No.152 金彩のミイラマスク

グレコローマン時代、プトレマイオス朝(前304~30年頃)のものです。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

  

とても立体的で重厚感のあるこのマスク。

でも、実際は見た目よりもずっと軽いんです。

これは、カルトナージュといって、亜麻布、にかわ、漆喰を重ね合わせてつくられたもの。

福岡の伝統工芸で例えれば、博多張子のようなものでしょうか。

 

エジプトは砂漠地帯が多くを占め、棺等に使う材木は大変貴重なものでした。

今回展示している棺の中にも、カルトナージュで作られたものもあります。

実は他の木棺が重いため、展示をする際に持ち上げた、カルトナージュでできた棺にはあまりの軽さにびっくり。

ひょっとすると、古代の人びとも「軽いなぁ・・・」と思いながら持っていたのかもしれませんね。

(古代エジプト展担当)

2022年4月1日金曜日

古代エジプト展 ウラ話~その1~ 不機嫌な顔の理由

 

2022年6月19日(日)まで開催中の「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」。

展示作業中に、担当者が感じたことや、監修の中野智章先生にうかがったお話などから、資料に関するウラ話をご紹介します。

 

今回ご紹介するのは、コチラ!

No.96 黄金の顔を持つパヘルペンエスの像



 

 

 

 

 

 

って、あれ?

なんだか不機嫌そうな顔してませんか?(注:担当者の主観です。)

 

別の角度からは・・・やっぱり。(再注:担当者の主観です。)



 

 

 

 

 

 

なんかあったのかな?

 

ちょっと失礼して後ろも拝見。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

えっ?あれっ?!

銘文が刻まれているはずの背中部分が空白!!

何やら下書きらしき線はあるのに。

よく見ると、台座側面のヒエログリフも途中までの書きかけ。

まさかの未完成?!

 

中野先生によると、もともとこの台座はプタハという神の像につけられるタイプで、本当にパヘルペンエスの像に付属していたものかは今後研究の余地があるとのこと。

 

もしかしたら、ちがう台にのせられているから、ちょっと不機嫌な顔なのかぁ・・・(再々注:担当者の主観です。)

(古代エジプト展担当)

2022年1月5日水曜日

今年の正月はとらじゃった

 新年あけましておめでとうございます。

令和4(2022)年の干支は寅。

 

常設展示室内では、新春特設展示として、福岡市博物館が所蔵する「とら」にちなんだ資料を展示しています(2月6日(日)までの予定)。

 

そのうちの1点。

かわいらしい虎の絵が描かれた色紙には、こう記されています。

「若いくさ 今年の正月は とらじゃった」


これは、五七五の句形をとった「博多にわか(一口にわか)」のオチなのですが、意味がわかりますか?

※「博多にわか」とは?半面を着け、博多弁で会話し、会話の後に地口のオチをつけて、話を決着させるもの。日常生活や世相を反映させたものや温かいユーモアに包まれた内容のものがあります。(博多仁和加振興会事務局HPより)

 

「こんなの、解説するほうが野暮だよ」という学芸課長のお言葉ですが、

博多にわかに親しんで育ったわけではない県外出身の私にとっては難解・・・

 

私と同じように「意味がわからない」というあなたに、こっそり教えますね。

 

標準語になおすと・・・

そりゃわかいよ 今年の正月は (歳を)とらなかったからね

となります。

 

「とら」に干支の「寅」と、歳を「とら」ないをかけています。

 

また、昔は誕生日ごとに歳をとるわけではなく、お正月が来たらみんな一歳ずつ歳をとっていた(いわゆる数え年ですね)、という背景もあるんですね。

 

なるほど~!!

あ、よかった。すっきりしましたか?

この他にも普段は見られない「とら」に関する資料を展示していますので、是非、福岡市博物館へお越しくださいませ。(FUK)

※今回紹介した資料は、「色紙「にわか 若いくさ 今年の正月は とらじゃった」」田中龍一資料(追加分)2008P3307です。