埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
〈102〉福岡刑務所があった時代を思いながら跡地を歩くー尹東柱と福岡刑務所ー
この連載も100回を超えて地道に続けていますと、目に留めてくださる方もじわじわと増えてきたように思います。
記事をきっかけにさまざまなお尋ねやお声かけ、また情報などをいただくことも増えました。どうもありがとうございます。
シーサイドももち地区を中心に、百道&地行地区・西新地区(の、主に海側)の細かい歴史を調べること100回。積み重ねてみてこうしたリアクションをいただくと、「やってみるもんだなあ」と感慨深く思う昨今です。
先日も、本連載の記事を読まれた新聞社の記者さんから、戦時中の福岡刑務所に関するお尋ねがありました。
福岡刑務所(かつては福岡監獄と呼ばれていました)は昭和40(1965)年に現在地である糟屋郡に移転するまで百道の地にあったことは、以前こちらのブログでご紹介しました。
これらの各記事では、主に監獄ができるまで~完成した頃、明治~大正時代当時の様子についてを紹介しましたが、今回は昭和20年代についてのお問い合わせです。
話を聞いてみると、昭和18(1943)年に韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)が福岡刑務所に収監され、昭和20(1945)年2月に獄死。今年は没後80年ということで調べているとのことでした。
尹東柱といえば、韓国では知らない人はいないほどの有名な詩人です。
韓国の学校では必ず習うという尹東柱ですが、どれくらいメジャーかというと、とくに縁もゆかりもない(と思われる)普通のマンションの館銘板碑(マンション名が書かれた碑)の裏に飾りとして尹東柱の詩が彫られていることもあるくらいの存在なのだとか(これは後から聞いた話です)。
そんな方が百道に縁があったとは。
建物(施設)としての福岡監獄(刑務所)の造りや来歴などに気を取られるあまり、そこに関わった人物についてはほとんど意識が及んでおらず…。
※ 文章中、「福岡刑務所」と「福岡監獄」の表記が混在しているのはわたしの意識が「監獄」時代にあることの弊害です。すみません…。
とはいえ、福岡刑務所についてはさまざまな事件や収監された人物からの視点として、文学作品やルポルタージュなどにも多く登場します。
有名なものとしてまず思い浮かぶのは、昭和38・39(1963・1964)年に起きた連続殺人事件・西口彰事件をモデルに書かれた佐木隆三の「復讐するは我にあり」です。昭和54(1979)年に今村昌平監督によって映画化されたことでも超有名作品ですよね。
西口彰事件では福岡拘置所で絞首刑となった西口彰は、事件の前にも詐欺事件で福岡刑務所に収監された過去があるという人物でした。
西口彰事件があったのは、ちょうど百道に刑務所があった最末期に当たります。
また、大貫進名義で発表した藤井礼子による「死の配達夫」(『藤井礼子探偵小説選』〈論創ミステリ叢書 90〉所収、論創社、2015年)では、百道の福岡刑務所の近くにある昭代団地(昭代住宅)が舞台となっており、福岡刑務所に関する記述も多く登場します。これは作家自身が昭代住宅に住んでいたためと言われてます。
さて話を戻しますが、ここ百道の地はそんな尹東柱最期の地ということで、「福岡・尹東柱の詩を読む会」の方々によって毎年百道での追悼式が行われているそうなのです。
せっかく百道でそのような催しが行われていて、しかも今年は没後80年。このタイミングで尹東柱と百道の繫がりを知ったのも何かの縁かも…。
ということで、2月24日(月・祝)に行われた「尹東柱詩人追悼80周年記念式」の様子を取材してきました。
場所は百道西公園。現在福岡拘置所のすぐ北側にある公園です。
ここは、かつて福岡刑務所があった敷地のすぐ西側に面した場所でもあります。
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(地理院地図Vectorより作成) 公園は本当に拘置所のすぐ隣にあるんですね。 |
さすが没後80年ということもあってテレビや新聞社などたくさんの取材陣も集まっており、また駐福岡韓国総領事館からも総領事・領事が参加されていました。
ぞくぞくと参列者が集まってきます。 |
多数のテレビカメラ、そして記者の皆さん…。 |
黙祷から始まった式典では尹東柱の詩の朗読や、尹東柱が愛唱したというアメリカの歌謡「なつかしきヴァージニア」の合唱などが行われ、故人を偲びました。
詩の朗読や合唱などで詩人・尹東柱を偲びます。 |
「読む会」の馬男木代表もおっしゃっていましたが、こうして皆さんが尹東柱の詩に心ひかれるなかで、ゆかりある百道の地で追悼式を行っていること自体が、また大事な百道の歴史の一つとなっていくのだなあと感じたことでした。
皆さんで記念撮影と取材する皆さん。 |
そして午後からは80周年特別企画として、九州大学西新プラザに会場を移して「尹東柱を読み継ぐ2025 尹東柱没後80年」と題した記念講演会が開催されました(主催:福岡・尹東柱の詩を読む会/駐福岡大韓民国総領事館、後援:九州大学韓国研究センター)。
ここでは作家の姜信子さんによる講演「尹東柱 ディアスポラの抒情」があり、つづいて九州大学韓国研究センターの辻野裕紀先生を中心としたパネルディスカッション「私の好きな詩、それぞれの尹東柱」では、九州大学と西南学院大学の学生さんたち、そして姜信子さんも登壇され、尹東柱作品について活発な議論がなされていました。
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訳詩の解釈などについての話も興味深い発表でした。 |
…さて、この催しからさかのぼること約1週間。
尹東柱の命日である2月16日にあわせて、今年は韓国から尹東柱のご遺族が来日されていました。
尹東柱は同志社大学在学中に特高警察によって「治安維持法違反容疑」で逮捕されています。今回、同志社大学では尹東柱に対して名誉文化博士の学位を贈呈することが決まり、ご遺族の来日はその授与式への参列も目的の一つでした。
その後、ご遺族らは今年の命日にあわせて書肆侃官房から出版された氏の対訳詩集『空と風と星と詩 尹東柱日韓対訳選詩集』(訳・伊吹郷)の出版にあわせ、福岡市にもお見えになりました。
ご遺族の代表は、尹東柱の甥であり、ソウルにある成均館大学の名誉教授である尹仁石(ユン・インソク)さんです。
その折り、「かつて福岡刑務所があった場所を訪れたい」とのご希望があり、その巡見にわたしも同行させていただきました。
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中心の男性が甥の尹仁石先生。 (わたしが邪魔でスミマセン…) |
ほかにもその娘さんや韓国の学生さんなども一緒に来福されていたのですが、今回はさらに複数社のマスコミの皆さんも取材に集まっており、かなりの大所帯で福岡市地下鉄の藤崎駅から当時の海岸線であるよかトピア通り付近まで、約1.2kmほどの道のりを往復しました。
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ご遺族より取材陣の方が多い…! |
「尹東柱の詩を読む会」の代表である馬男木さん先導で、福岡刑務所の周囲をまわるようなルートを歩きます。
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(地理院地図Vectorで作成) 藤崎駅がある「藤崎」交差点を出発し、刑務所跡地に沿って歩きます。 現在、早良区役所や文化センターがある一画は全部跡地です。 (福岡拘置所との境のまっすぐな道が刑務所の塀でした) |
また、この日はちょうど2月の寒波が訪れた日で、気温も6~7度ほど。そして海に向かって川沿いを歩いたため風も強く日陰では震える寒さでしたが、皆さん「当時もこんなに寒かったのだろうか」と往時に思いを馳せておられました。
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現在の九州郵政研修センターも跡地の一つです。 |
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最初に紹介した追悼式の会場でもある 百道西公園にも立ち寄りました。 (後ろに見える白い建物は福岡拘置所) |
また仁石さんは建築がご専門ということで、韓国の監獄建築についてもいろいろとご教示くださり、福岡監獄を調べる上でも大変勉強になった1日となりました(一人だけこの日の目的がずれていた気もしないでもないのですが…)。
本連載からのご縁で今回のご遺族とのゆかりの地巡見というところまでつながった今回ですが、よくよく考えてみると、こんなにきちんと福岡刑務所跡地を歩いてみたのは初めてのことかもしれないと気付きました。
それはわたしがあまりにも建築当時のことに意識がいきすぎていたせいでもあるのですが、もう一度原点にかえってちゃんとその場所を見て歩いてみることの大切さを改めて知った、貴重な機会となりました。
【参考資料】
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