2023年12月8日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈066〉子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内―よかトピアの象のはなし―

                 

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回(「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回(「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回(「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回(「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回(「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回(「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回(「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回(「百道海水浴場はどこにある?」
第45回(「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)
第50回(「百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~」)
第51回(「よかトピアのトイレと日陰の話」)
第52回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正編~」)
第53回(「リゾートシアターは大忙し ―よかトピアのステージ裏―」)
第54回(「ピオネとピオネ ―百道海水浴場最後の海の家に隠された名前の謎―」)
第55回(「34年前のよかトピアではこれが当たり前の景色でした ―電話やカメラや灰皿の話―」)
第56回(「百道で行われた戦時博覧会「大東亜建設大博覧会」とは」)
第57回(「キャラクターが大集合した「いわたや(岩田屋)こどもかん」と、ついでによかトピアの迷子事情も」)
第58回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編①~」)
第59回(「巨大な鳥かごに入ってみたら、極楽鳥がであいを伝えてくれた─よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(1)─」)
第60回(「西新町に監獄ができるまでの話」)
第61回(「鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた─よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)─」)
第62回(「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈前編〉
第63回(「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈後編〉
第64回(「よかトピアの海上レストラン ―マリゾン(1)―」)
第65(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編②~」)







〈066〉子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内─よかトピアの象のはなし─


先日、福岡市動物園に4頭のゾウがやってくるというニュースが話題になりました。


すでに4頭はミャンマーのヤンゴンにあるゾウキャンプで暮らしていて、来福の準備をしているとのこと。


ヤンゴンは福岡市の姉妹都市なのですよね。

12月3日にオープンした動物園内を見渡せる展望デッキ付きの休憩施設は、「ヤンゴン館」と名付けられています。


2012年に「おふく」(1975年入園)が、2017年には「はな子」(1973年入園)が亡くなり、空っぽになったゾウ舎を見るたびに寂しくなっていたので、うれしいお知らせでした。


4頭のゾウの来福がとても待ち遠しいです。





実はかつてシーサイドももちにもゾウがいました


そんなことができたのは、そう、よかトピアです…。



福岡が市になってから100周年を迎える1989年にむけて企画されたアジア太平洋博覧会(よかトピア)。

1985年7月15日から博覧会の基本構想委員会がスタートしました。


この委員会では、会場内の配置やそこでおこなわれる展示・催事(イベント)、広報や交通輸送など、これから博覧会を具体化させていくための基本的な考え方が話し合われていきました。


イベントでは、アジア太平洋地域の各国から舞踊団や芸術家を招いたりすることとあわせて、そうした地域の景色や生活をイメージできるような、動物を活かした会場づくりも話題にあがったようです。


まだ構想の段階ですから、そこではカンガルーフラミンゴパンダに至るまで夢は広がっていきました


このうちアジア太平洋の鳥についてはバードカントリーという形で実現して、フラミンゴ(コフラミンゴ)も福岡にやってきました。




博覧会で野外展示を担当された貞刈厚仁さんの著書によると、インドからは蛇使いに来てもらう企画もあったのだとか。

ところが、その蛇が毒をもったコブラだったために断念されたのだそうです。

川口浩探検隊シリーズ」に恐怖していた世代としては、ぜひ見たかった企画です(いや、どう考えても危なくて無理でしょ…)。




そうしたなかで、基本構想のときから候補にあがっていた動物がゾウでした。



さいわい当時の円高が予算面で後押ししたこともあって、アジアゾウの来福を実現することができました。


やってきたのは3頭。

故郷のタイから12日間に及ぶ船旅でした。



ゾウの名前は、プライジット(オス・6歳)、センドアン(メス・6歳)、ブアンガン(イープレイと呼んでいる資料もありました。メス・5歳)。

3頭とも、こどものゾウでした。



一緒にゾウ使いスクラットさん(38歳)、オドさん(27歳)、トンスックさん(20歳)、ウイライさん(18歳)も来福されました。

育ての親でもあるみなさんと一緒で、ゾウたちも安心していたようです。



ゾウ使いのみなさんをまとめるのは、タイ出身のワタナシリさん(21歳)。


ワタナシリさんは現地の大学を卒業してすぐに来日されたそうです。

『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89』のインタビューでは、日本で困るのは言葉くらいで仕事は楽しいと答えながら、「寒い。タイは暑いので。でもゾウは大丈夫」と笑いながらお話しされています。




この3頭のゾウたちは、博覧会の開会(3月17日)から少し遅れ、数日のリハーサルを経たのち、4月22日からパフォーマンス「子象のパレード」を披露しはじめました。


「子象のパレード」の場所は、「三和みどり・エスニックワールド」のなかにある野外広場「パフォーマンス・プラザ」。

このブログでは、スタンプラリーをやっていた場所として紹介したことがあります。

今だと、TNC(テレビ西日本)があるあたりですね。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)




これは「三和みどり・エスニックワールド」を上から撮った写真です。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


よく見ると、広場にはちゃんとゾウが写っていました。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


「子象のパレード」は雨の日以外は毎日見られました。


ゾウの登場は1日に3回

日によってたまに開始時間が違うときもあるのですが、おおよそ10時30分・13時・15時、もしくは(特に7~8月は)12時30分・14時30分・16時30分というパターンがほとんどでした。



「子象のパレード」は「子象のタクシー」と「ショー」の2本立てです。



「子象のタクシー」は、ゾウがこどもたちを背中に乗せて歩く大人気企画。


タクシーの乗客は小学生以下限定で、料金は1回100円です。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


こどもたちを乗せて「パフォーマンス・プラザ」を歩きながら、広場にいるほかの観客と鼻でタッチしたりもしていました。


福岡タワーのすぐ下にゾウが歩いていたり、しかもその背中に乗ったりするこんな経験って、今後もないのではないでしょうか。



この「子象のタクシー」、会期中に約3万人のこどもたちが乗せてもらったそうです。




ところで、ゾウの食事は青草のほかにリンゴ・バナナ・ニンジンなどだったそうですが、こどものゾウとはいえ3頭もいますし、けっこうたくさん食べそうですよね。

そうなると、食事代も気になるところ…。


ちょっとお金の話で恐縮なのですが、「子象のタクシー」では1回のタクシー代が100円ですから、3万人乗せればざっと300万円になります(こどもの日は小学生以下は無料でしたので、あくまでざっとした計算ですけれど)。

よかトピアを主催したアジア太平洋博覧会協会の事務局長、草場隆さんの回顧によれば、このタクシー料金でゾウの食事代がずいぶん助かったのだそうです。




ちなみに、よかトピアの会期中に迎えた計量記念日にちなんで、3頭のゾウたちの体重をはかって、その重さの合計をクイズにする企画もおこなわれました。

※ 計量記念日は現在は新計量法の施行(1993年)にあわせて11月1日になりましたが、その前までは6月7日(1952年~)でした。


このクイズのために、わざわざ日本に3台しかない工業用の計測器が持ち込まれたそうです。


その結果、ゾウたちの体重は来福したときよりも重くなっていました。

見知らぬ土地での生活ですから心配になってしまいますが、ちゃんとたくさんご飯を食べていたということでしょう。




では、3頭の体重の合計はどれくらいだったでしょう?



ちなみに、おとなのアジアゾウの体重は、オスが4~5トン(4000~5000kg)、メスが2~3トン(2000~3000kg)くらいだそうです。





さて答えは…










































3.843kg!




その内訳は、プライジット(オス・6歳)が1505kg、センドアン(メス・6歳)が1394kg、ブアンガン(イープレイ、メス・5歳)が944kgでした。


あわせて約3.8トンですから、3頭でようやくおとな1頭くらいの大きさだったのですね。

体重が増えたとはいえ、まだまだこどもの3頭でした。




「子象のパレード」のもう1つのパフォーマンスは、ゾウたちの「ショー」です。



こちらは、ゾウたちがダンスを踊ったり、サッカーをしたりというものでした。

こどものゾウですから、その姿はさらにかわいかったはずですよね。



(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)



この写真のボールを追う姿からも、そのかわいさと楽しさが伝わってきます。

(お尻のところに見える文字からすると、ボールを蹴っているのはブアンガンなのでしょうか?)




このほか、6月の毎週土曜日には、マリゾンがある浜辺「ビーチパーク」で、ゾウとの綱引きもおこなわれました。


14時~17時まで参加を受け付けて、17時30分からはじめるスケジュールです。

6月の土曜日は夏を前に夜間開場をはじめて、21時まで開けていましたので、それにあわせた夕方のイベントだったのでしょう。


まさか、今観光客で賑わっているマリゾンの海辺をゾウが歩いていたなんて…。




よかトピアを盛り上げてくれたこのゾウたちは、今でも多くの来場者の記憶に残っているようです。


今度福岡にやってくる4頭のゾウとも、たくさん思い出をつくっていきたいですね。









【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)

・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)


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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル

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