2023年6月30日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈043〉〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~

     

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回(「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回(「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回(「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回(「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回(「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回(「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回(「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)





〈043〉〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~


前回からお届けしております、世界水泳2023福岡大会(勝手に)応援企画。今回もシーサイドももちで行われる競技にまつわるお話をお届けします。

今回は、「オープンウォータースイミング」です。

筆者、前回のハイダイビング回では初めて知ったハイダイビングという競技が面白すぎて、あまり百道の話ができなかったのですが、今回はもう少しちゃんと百道のお古いお話も一緒にご紹介できればと思いますので、どうぞお付き合いください。

※ 世界水泳2023福岡大会についてはコチラをご覧ください。



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世界水泳としては2度目の開催

オープンウォータースイミングとは簡単に言うと遠泳のことです。プールではなく、海や川、湖など自然環境の中で行われ、長距離を泳ぐことから別名「水のマラソン」とも呼ばれています。

競泳と違って自然が相手の競技なので、選手自身の体力や水泳技術のみならず、会場の水質や気象条件、水流(海流)など環境についての知識と経験も必要となる、なかなかハードな競技です。

今回の世界水泳2023福岡大会では、5㎞10㎞、それにリレー(6㎞)が行われる予定で、そのスタート地点がシーサイドももち地区の地行浜エリアに設定されています。


このオープンウォータースイミング、2008(平成20)年の北京オリンピックから正式水泳種目の1つとなったのですが、前回福岡で行われた世界水泳(第9回世界水泳選手権大会福岡2001/2001〈平成13〉年7月16日~29日)でも、やはりシーサイドももち地区(百道浜)を会場として行われています。

この時の種目は、5㎞10㎞だけでなく競技ルール上もっとも長い25㎞も行われました。


(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より作成、下図は地理院地図)
5㎞コースは百道浜をスタートして西へ進み、愛宕浜沖で折り返すコース。



(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より作成、下図は地理院地図)
10㎞コースは同じく百道浜から西へ進み、沖に折り返し周回するコース。


(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より作成、下図は地理院地図)
25㎞コースはなんと能古島をほぼ1周し、さらに折り返してくるコース!
この長大な遠泳を本大会では見られないのは個人的にちょっと残念な気もします。


これらのコースはあくまでも2001(平成13)年の世界水泳のコースですので、本大会ではこれとは違うコースになると思いますが(スタート地点も百道浜から地行浜に変更になりますし)、世界水泳の事務局にお尋ねしたところ、今回の5㎞・10㎞もどうやら湾内を周回するコースになるのは間違いないようです(コースは近日発表予定)。


オープンウォータースイミングのルールは詳細な競技規則によって定められています。

泳ぎ方に決まりはありませんが、選手はルートにあるブイを必ず通過しなければなりません。制限時間もあり、1位の選手がゴールしてから5㎞ごとに15分、最大120分以内にゴールしなければ失格となってしまいます。また、海底に足が着くところで立つことは認められますが、歩いたりジャンプすることは認められません(公益財団法人日本水泳連盟制定「オープンウォータースイミング競技規則 2023-4-1」より)

2001(平成13)年大会では、5㎞ではイタリアのルカ・バルディニ選手が55分37秒(男子)、同じくイタリアのビオラ・バル選手が1時間23秒(女子)、10㎞はロシアのエフゲニ・ベズロウチェンコ選手が2時間1分04秒(男子)、ドイツのペギー・ビューシェ選手が2時間17分32秒(女子)、そして25㎞はロシアのユーリー・コウジノフ選手が5時間25分32秒(男子)、そして5㎞女子の部でも優勝したビオラ・バル選手が5時間56分51秒の記録を残し、それぞれ優勝しています。

※ オープンウォータースイミングでは大会ごとの環境でタイムの変動が大きいため、タイムの世界記録という概念はなく、あくまでも参考記録です。


最長で5時間以上も泳ぎ続けるなんて、ちょっと信じられないタフさですよね!(ちなみにトライアスロンのスイムは最長で4㎞)


(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より)
オープンウォータースイミングの様子。本当に海を泳ぐんですね…。


「水泳=海で泳ぐ」という時代があった

今では「海で泳ぐ」と言えば、夏に海水浴場の浅瀬でぱちゃぱちゃと泳ぐイメージがある方も多いと思いますが、もともと水泳練習はプールではなく海で行われていました。

その理由は簡単。そもそも「プール」という施設がなかったからです。


福岡市に最初に本格的な公共プールが作られたのは昭和2(1927)年のこと。同年3月~5月に大濠公園で開催された「東亜勧業博覧会」閉幕後の跡地の一部に作られた県営プールです(翌年の7月3日に改めてプール開き神事を実施)。

この頃から少しずつですが学校にもプール設備ができていきます。百道の近隣では昭和3(1928)年に御大典記念として修猷館にプールが作られました。

ですがそれ以前、とくに明治・大正時代には水泳部も海で練習を行うのが常で、百道はその場所としてよく利用されていました。


(『修猷館百八十年史』〈福岡県立修猷館高等学校、1969年〉より)
昭和3(1928)年に竣工したプールで泳ぐ生徒たち。
当時はまだ珍しい光景でした。


海での水泳練習

百道海水浴場が開かれたのは大正7(1918)年のことですが、水泳練習の場としてはそれよりもっと前の明治時代から使われていました。プールができる前の修猷館や近隣の小学校など、多くの学校が百道海岸を水泳練習の場として使っていたようです。

福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社の前身の一つ、以下「福日社」)が百道に海水浴場を開いてからは海水浴期間中の催しの一つとして、福日社による水泳練習会が毎年のように開催されました。


とくに最初の開催となった大正7(1918)年は、次のような内容で会員を募集。講師には福岡師範修猷館九州帝国大学の教諭陣長崎水泳協会から講師を招へいしますが、なかにはなんと博多駅員福日社記者など、専門家でなくても水泳を得意とする者(と思われる人)が名を連ねていました。


一、百道水泳練習会は一般水泳術を教授するを目的とす


一、水泳練習会は八月六日に始まり八月三十日終るものとす

一、水泳練習会は毎日午前九時半より正午まで午前二時より五時迄の二回とす但し雨天又は風浪荒き日は休会す

一、練習会の課程左の如し
第一期 犬カキ
    バタ足
第二期 横体=扁り足、一段、二段
    平体=扁平游、蛙平遊
    抜手=互抜手
第三期 横体=片抜手(一段 二段)諸手 横遊
    平体=早抜手
    立体=扁足、踏足、巻足
    跳込=逆跳、直跳、達摩跳
第四期 横体=片抜手、片抜手栲
    平体=小抜手
    跳込=順下、逆下
    潜水=扁平潜、蹴潜
    浮身

一、会員の資格は男女を問はず年齢十二歳以上の者とす

一、練習会には随時進級試験を行ひ、八月末終末試験を行ふ終末試験合格者には終業証書を授与す

一、練習会にては時々競泳会遠泳会を行ふ事あるべし其時には予め掲示すべし

一、教授料は一切無料とす但帽子代実費十五銭を申受く

(大正7年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面「水泳練習開始」より抜粋)


この年は8月に入って募集が始まったにもかかわらず、百道に開かれた待望の海水浴場での水泳練習会という話題性もあってか(あと授業料も無料ですし)、期間中は140名あまりもの参加者があったといいます。


こうして百道初の大規模な水泳練習会は無事に第1回目を終了しましたが、海水浴場の閉幕を前に最後の大きな催しとして、大々的な競泳大会が行われています。

この様子を報じた新聞記事によれば、競泳大会は9月8日午前10時の満潮を待って、海水浴場に隣接した樋井川河口で行われました。

樋井川河口の幅50m水深5尺(約1.5m)前後の場所を会場として、50mと100mの位置にブイを設置。両岸がコンクリートで護岸されているので波も起こりにくく、また観覧者にも大変見やすい会場となったようです。

そんな環境の良さや福博電車の今川橋停車場からのアクセスも良いことで大勢の観覧者が集まり、「立錐の余地なきまで人をもって埋めらる」ような大盛況となりました。


50m100m200m、そしてリレーが行われ、福岡県内各地から集まった選手たちはそれぞれに好成績を残しましたが、なかでも200mに出場した小倉師範学校の高本氏が圧巻でした。彼は3分21秒という結果を残し、これは同年8月に大阪で開催された第4回全国水泳大会の優勝記録だった3分25秒4を破るという快挙を打ち立て、樋井川の両岸に集まった観客は大いに盛り上がりました。



(大正7年9月9日『福岡日日新聞』朝刊5面より、福岡市博物館所蔵)
報道された百道海水浴場競泳大会の様子。
上の写真はおそらくリレーの様子と思われます。橋桁を利用している!



博多湾を縦断する遠泳大会

海での水泳練習は、先に紹介した練習会の募集要項にもあるように競泳だけでなく遠泳も行われました。とくに博多湾は周りを陸に囲まれた内海ですので、風の影響を受けにくく波が穏やかで、遠泳には向いていたことでしょう。

とはいえ、なかなか素人には難しいのでは…? と思うのですが、当時遠泳に挑戦したのは九州大学や修猷館など各学校の水泳部員はもとより、水泳練習会の参加者や、さらには小学生に至るまで、一般の人々も多く参加していました。

遠泳と一言に言っても距離はまちまちで、近いものだと百道~樋井川(直線距離で約4~500m)といったものから、もう少し長い距離だと百道~伊崎・西公園下(同約2.5㎞)や百道~能古島(同約5㎞)、さらには百道~箱崎(同約7㎞)、なかには百道~香椎~西戸崎~能古島~百道(同約27㎞)と博多湾を一周(!)するようなものまでさまざまあり、それぞれたくさんの人が参加しました。


とくに大正9(1920)年に行われた遠泳大会では高等女学校の生徒が唯一の女子参加者として、見事に完泳したという記事が残っています。

この遠泳会は、やはり百道海水浴場主催の水泳練習会の一環として行われました。コースは能古島~百道間の5マイル遠泳。5マイルといえば約8㎞に相当し、現在のオープンウォータースイミングと比べても遜色のない距離です。


8月12日午前10時、参加した36名は能古島東岸より2列縦隊となりスタート。1マイル(約1.6㎞)ほどを過ぎた頃からわずかに風が起こり波が立ち始め、少年ら2、3名が脱落するも、参加者は精一杯泳ぎます。

途中、北西の風が強くなり波が高くなると、参加者は伴走していた救護船からニッケ玉握り飯をもらい体力を回復!

そしてようやく室見川が見えてくると「勇気百倍」、一気に泳ぎ切ろうと最後の力を振り絞り、午後1時40分には32名の参加者が「些少の疲労の色をも見せず」完泳しました(脱落者4名)。


中でも福岡高等女学校の瀬戸ミホ子さん(18)は「殆んど男子を凌ぐ程の元気を見せ」、記者に対してこうに語ったといいます。

『私が遠泳に参加したのは今度が始めてで如何〈どう〉かと思ひましたが、人の行ることは出来ない筈はないとの自信を持って居ましたから加はりました。何分〈なにぶん〉最初一定の距離を泳ぐまでは多少疲れるといふやうな心地もしましたが、長く継続したらも早や〈もはや〉何とも無く、何処まで泳いでも何の変りもない程楽な感じがしました。然〈しか〉結髪の為めか一体に頭が重く、首が後に引かれるやうな気味がありましたが、別に痛いといふやうなことは一寸もありませんでした。後方から寄せる浪に身体を軽く乗せて游〈およ〉ぐ時の心地は何とも云はれぬ程愉快でした。只〈ただ〉、到着間際に一寸疲れたといふ心地がしましたが、夫〈それ〉は安心した結果でせう。でも心身とも何等の障りもありません。男子の方と一緒に游〈およ〉いでも別に劣りはしないとも思いますが、游〈およ〉ぐのは少しく遅くなるやうです。〈しか〉し愉快でした

(大正9年8月12日『福岡日日新聞』朝刊7面「別に疲れもなく楽に泳ぎました 五浬遠泳の婦人 瀬戸ミホ子談」より/句読点、〈 〉は筆者)


なんと爽やかな受け答え! 時間にして3時間半を超す過酷な遠泳を終えた後とはとても思えません。本大会を心から楽しんだ様子が伝わってきます。


現代でもシーサイドももち地区のみならず、博多湾内では志賀島能古島小戸地区などではオープンウォータースイミングトライアスロンなど、多くの遠泳競技が行われ、老若男女さまざまな方々が参加されています。

また能古中学校では、平成3(1991)年から全員参加の恒例行事として、能古島~小戸間の約1.5㎞の博多湾横断遠泳が行われており、今年も7月に開催予定だそうです。

博多湾はその環境から見ても遠泳とは昔から意外と縁が深く、相性がいいのかもしれませんね。


(大正9年8月12日『福岡日日新聞』朝刊7面より、福岡市博物館所蔵)
「遠泳隊帰着」と題された1枚。
続々と海から列になって上がってくる遠泳参加者の様子が見て取れます。
ミホ子さんもきっとこの中にいるのでしょう。


* * * * * * *



さて、2回にわたって世界水泳2023福岡大会(勝手に)応援企画をお届けしました。

シーサイドももち地区で開催されるような屋外の水泳競技は、競泳などと違ってなかなかテレビの中継も少なく、一般には目にする機会は少ないかも知れません。ですが、せっかくご近所で開催されることもあり、こうしてその競技内容やバックボーン、さらには開催地としてのシーサイドももち(百道海岸)との関係を見ていくと、ちょっと興味が湧いてきませんか?


まだまだジメジメした梅雨が続いていますが、間もなく暑い暑い夏がやって来ます。夏と言えば! そして何と言っても海水浴場!!(待ってました!)

この夏の【別冊シーサイドももち】では、引き続き「百道海水浴場」についての事細かなアレコレもご紹介していきますので、どうぞお楽しみに!







【参考文献】

・『修猷館百八十年史』(福岡県立修猷館高等学校、1969年)

・『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』(第9回世界水泳選手権大会組織委員会、2002年)

・三浦裕行「内田正練とその時代 : 日本にクロールがもたらされた頃」(北海道大学総合博物館第20回企画展示「内田正練とその時代―日本にクロールがもたらされた頃―」北海道大学総合博物館、2005年4月5日~6月5日)

・ウェブサイト
 ・世界水泳2023福岡大会公式サイト(https://www.fina-fukuoka2022.org/)
 ・日本国際オープンウォータースイミング協会公式サイト(https://openwater.jp/about_openwaterswim/)
 ・競技規則・公式ルールブックガイド【2023年】/水泳「オープンウォータースイミング〈OWS〉/マラソンスイミング競技規則[JASF日本水泳連盟](https://the-official-rules.com/01-sports/swimming/open-water-swimming#i)

・新聞記事
 ・大正7年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面「水泳練習開始」
 ・大正7年9月9日『福岡日日新聞』朝刊5面「百道の競泳大会 オリンピツク競泳の記録を破る 海水浴場掉尾の壮観」
 ・大正9年8月12日『福岡日日新聞』朝刊7面「碧瑠璃の海を百道へ 本社主催百道海水浴場水泳部 練習生の残島百道間遠泳」「別に疲れもなく楽に泳ぎました 五浬遠泳の婦人 瀬戸ミホ子談」
 ・昭和2年10月3日『福岡日日新聞』3面「男子中等学校水上競技大会 大濠新プールにて」
 ・昭和3年7月4日『福岡日日新聞』2面「大濠のプール開き」
 ・令和4年6月19日『毎日新聞』「博多湾1.5キロを泳ぎ切れ 中学校の伝統行事、3年ぶり再開へ」


#シーサイドももち #百道海水浴場 #世界水泳 #オープンウォータースイミング #遠泳 #海で泳ぐ!


Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル  

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