2022年12月16日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈018〉天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

10(「元寇防塁と幻の護国神社」)

11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

12(「百道地蔵に込められた祈り」)

第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)

第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)

第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)

第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)

第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。




〈018〉天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」


アジア太平洋博覧会(よかトピア)の会場には、2つの入り口がありました。


1つは、公共交通機関(福岡市地下鉄や会場バスターミナル発着の路線バスなど)でやってきた入場者が通る南ゲート

今の福岡市博物館(よかトピアのテーマ館)のすぐそばにあって、正面にパンドール(→〈013〉「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)や福岡タワーを望む入り口でした。

ゲートを入ると、モニュメント「ウォーターランド」(菊竹清文さんの作品)が迎えてくれました。

この「ウォーターランド」は今も同じ場所に立っていて、当時の景色を思い出させてくれます。

サザエさん通りで写真を撮るときの定番スポットにもなっていますね。


photo by 加藤淳史


もう1つは、自家用車や観光バスの駐車場から会場に入る東ゲート

当時は今の福岡PayPayドームヒルトン福岡シーホークの一帯が駐車場になっていて、そこからよかトピア橋を歩いて渡り、この東ゲートを通って入場していました。


(市史編さん室作成)

東ゲートから入ると、モニュメント「飛翔」が迎えてくれました。

ただ、こちらは南ゲートとは違って、今ではすっかり景色が変わっています。

東ゲートは今のAIビル富士通九州R&Dセンターがある辺りにあったのですが、もう当時の面影はなく、「飛翔」の姿も見あたりません。


コチラからもご覧いただけます。→ Googleマップ


東ゲートから入場した人は、必ずこのモニュメント「飛翔」を目にしたはずなのですが、実はあまり詳しい記録が残っていないのです。

そのため、『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』を編集したときも、誌面に載せることができないままになってしまいました…。


矢印のところに写っているのが「飛翔」です(この写真じゃ全然見えない…)。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』には、少しだけですが「飛翔」の写真と概要が載っています(181ページ)。

それによると、12メートル四方の波状の植栽のなかに、高さ4.5メートルの石製のモニュメントが立つ作品で、九州産業大学・九州造形短期大学が制作したとのこと。

波状の植栽は太平洋を表していて、アジア太平洋の希望に満ちた将来をイメージしたモニュメントだったそうです。

ただ、設計者などの詳しい記述はありません。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

ところが、この『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』の別のページを見ていたときに気付きました。

閉会したあとの施設について説明したページ(442ページ)に、「天神中央公園に設置されたモニュメント「飛翔」」「中村産業学園寄贈」と記した写真が載っていたのです。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

今もまだある! しかも天神に??



これは見に行かなくてはと、さっそく天神中央公園に出かけて行きました。


天神中央公園は福岡市中央区天神のど真ん中、北側にはアクロス福岡、西側には福岡市役所があります。

人気の飲食店が入るハレノガーデンやレトロな旧福岡県公会堂などもあって、いつもたくさんの人で賑わっています。


コチラからもご覧いただけます。→ Googleマップ


もともとは福岡県庁があった場所ですので、その石柱を噴水広場に残していたりはするのですが、「飛翔」には見覚えがなく、頼りはさきほどの移設時の写真のみ…。

この写真の奥の方には、先端の形が特徴的な大同生命福岡ビルが写っていますので、方角からすると公園の北西にあるはずです。


しばらく公園をうろうろしていたら、ありました!


福岡市役所側の道路に面した植え込みのなかに、写真で見た「飛翔」らしき姿を見つけました。


近寄ってみます。



やっぱり間違いなく「飛翔」です!!


興奮しながら、しばらくたくさん写真を撮ってしまいました…(だいぶん怪しい人だったと思います)。





ただ、我に返ってよく見ると、なにか違和感が…。

もう一度よく移設時の写真と比べてみると、太平洋を表した植栽がなくなっていて、モニュメントの方向も変わっています

どうも、のちに場所が少し動いているようです。

まわりを見渡してみましたが、よかトピアのモニュメントであることを示した説明板もありませんでした。


作品の一部である植栽がなく、大きな木に囲まれて当時の姿とはだいぶん様子が変わっていますので、かつてよかトピアで目にされた方であっても、気付かないかもしれないですね。



もっとこの「飛翔」のことが知りたくなってしまい、制作した九州産業大学にダメ元で問い合わせてみました。

そうしたら、なんと造形短期大学部(旧九州造形短期大学)の事務室のみなさまがわざわざ調べてくださいました!(不躾な問い合わせだったのに、ありがたいことです…)


しかも、造形短期大学部の学長室には「飛翔」の模型があるとのこと。


事務室の方が送ってくださった写真がこれです。

九州産業大学造形短期大学部の学長室に飾られている「飛翔」の模型
(撮影は造形短期大学部事務室)

後日、この模型を見せていただいたのですが、手に持てる大きさながら、石製なのでかなり重くて、持つのがやっとなほどでした(ちなみに3分割できるようになっていました)。


そして造形短期大学部の小田部黃太(こたべこうた)学長が、みずから当時「飛翔」を制作された先生方にご連絡してくださいました(ご厚意に感謝するばかりです。ありがとうございました)。


制作されたのは、当時の九州産業大学・九州造形短期大学の先生で、彫刻をご専門とされるお二方。

木戸龍一(きどりゅういち)先生河原美比古(かわはらよしひこ)先生とのことでした。

お二人とも今は大学を退職されていたため、木戸先生には小田部学長がお電話で当時のことを聞いてくださり、河原先生には学長のお取り計らいで直接お会いする機会に恵まれました。



河原先生は、ご退職後は福岡市内で「LENTEMENT(ラントマン)一級建築事務所」を経営されています。

2022年11月30日、先生の事務所にお邪魔して当時のお話をうかがいました(とてもおしゃれな空間で、1つ1つの雑貨もかわいく、つい長居をしてしまいました…)。


河原先生のお話によると、制作は木戸先生からのお声かけによって、お二方のみで進められたそうです。

大学として出展する作品だったため、当時お二人の名前はあまり表に出さなかったのだとか。


テーマ「飛翔」を決めるにあたっては、博覧会が九州・福岡やアジア太平洋地域の未来に向けて開催されるものであること、大学からの出展なのでみんなが希望を持てるテーマであることなどを考慮されたそうです。

この作品がなぜ石を素材としているのかが気になっていたのですが、それについては、屋外展示をふまえて耐久性を重視したためで、お二方で設計したうえで、市内の國松石材株式会社に制作をお願いしたとのことでした。


ちなみに、造形短期大学部事務室が送ってくださった学内の記録によれば、この石は黒みかげ石(南アフリカ産)白みかげ石(韓国産)で、重さは14トンもあるそうです。

木戸先生のお話では、当初はもう少し高くつくるつもりだったそうですが、入手できた石材の大きさの関係で、現在の高さになったとのこと。


河原先生は、制作時には國松石材に足を運び、一部は自分で石を削ったりもしたと当時をふり返ってお話ししてくださいました。

博覧会場への設置にも立ち会われ、作品の向きや植栽についても指示をして、会期中は何度か足を運ばれたそうです。


実は木戸先生も河原先生も西新にある修猷館高校のご出身で、先輩・後輩の間柄。

河原先生はかつて西新・百道で過ごされており、百道の海は学生時代に彫刻の道に進むことを決意した思い出の場所なのだそうです(先生には西新・百道の楽しい思い出話もうかがいましたので、また別の機会にご紹介したいと思います)。


ただ、河原先生は「飛翔」を天神へ移転した経緯についてはご存知ないとのことでした。

移転については、引き続き市史編さん室でも調べていきたいと思います(どなたかご存知でしたら、ぜひお聞かせください)。



それにしても、天神に引っ越して以来、30年以上もここで福岡の変化を見続けてきた「飛翔」ですが、今「天神ビッグバン」によって急ピッチで進むまちの変貌ぶりには、さぞかしびっくりしていることでしょうね。

これからも、百道では「ウォーターランド」が、天神では「飛翔」が、それぞれよかトピア以後の福岡のまちの変化をずっと見守ってくれるものと思います。



今回はみなさまのご厚意によって、ずっと気になっていた「飛翔」の制作にまつわるお話を聞くことができました。

よかトピアのテーマ「であい」の通り、「飛翔」がいろいろな方と出会う機会をつくってくれたことがとてもうれしかったです。

ご協力くださった、木戸龍一先生、河原美比古先生、九州産業大学造形短期大学部の小田部黃太学長と事務室のみなさまにあらためて感謝申し上げます。



【参考文献】

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)


※クレジットのない写真は市史編さん室撮影。


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #飛翔 #九州産業大学 #九州造形短期大学 #天神中央公園

 

Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル]

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