2022年11月11日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈013〉よかトピアのパンドールはアジアへの入り口

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

10(「元寇防塁と幻の護国神社」)

11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

12(「百道地蔵に込められた祈り」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。




〈013〉よかトピアのパンドールはアジアへの入り口


アジア太平洋博覧会(よかトピア)が、同時期のほかの地方博覧会と大きく違っていたのは、アジアの景色や人びとの生活をそのまま再現したことでした。


会場では、南ゲートから入って、テーマ館(福岡市博物館)を右に見ながら、福岡タワーに向かってメーンストリート(今のサザエさん通りです)を歩いていくと、まずは企業のパビリオンが並んでいます。

さらに進むと川が現れて、その向こうには、アジアの植物・動物・建物・暮らしが広がる「アジア太平洋ゾーン」がありました(ゾーン内の詳しい様子は書籍『シーサイドももち』P100~106でご紹介しています)。

入場者は、突然福岡に集結したアジア各地の景色に囲まれ、まるで海外旅行に行った気分になれました。


このアジア太平洋ゾーンの入り口になっていたのが「パンドール」。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

この写真の下の方に写っているのが、パンドール(正面)です。

その向こうには丸い「であいの広場」(→〈011)があって、福岡タワーも見切れていますね。


ちなみに裏はこんな感じ。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


写真を見ても、とても大きなものだったことが分かりますが、高さが約20メートル幅が約16メートルもあります。


全体の位置からすると、このあたりでした。

(市史編さん室作成)

今のシーサイドももちだと、ちょうど2つの放送局(RKB・TNC)に挟まれた広場あたりですね。

よかトピアを訪れた人は、アジア太平洋ゾーンと企業パビリオンのゾーンを行き来するために、1度は必ずこのパンドールを通ったはずです。


本来、パンドールはスリランカのお祭りで飾られるものです。

スリランカでは、5月の満月の日(ポーヤ・デー、ポヤ・デー/Poya day)に、お釈迦さまの人生(誕生・成道・涅槃)を記念するベサック(ヴェサック、ウェサック/Vesak)というお祭りが開かれます。

街中にランタンや灯籠が並んで、とても華やかなのだそうですが、パンドールもそのときにまちに飾られるのだとか。


なので、よかトピアのパンドールもお釈迦さまの絵が描いてある訳ですね。なるほど。

確かによく見ると、お釈迦さまのいろいろな場面が描かれています。


このよかトピアのパンドールについては、当時アジア太平洋ゾーンの野外展示を担当した貞刈厚仁さんの本に詳しくその経緯が載っています。


それによると、アジア太平洋ゾーンの展示物を探しにアジア各国を訪れるなか、スリランカでこのパンドールをご覧になって、展示を決めたとのこと。

現地のパンドールは竹製のやぐらに絵を貼り付け、シンプルな電極装置で電飾をつけるものらしいのですが、博覧会では安全面を考慮して鉄骨でつくり、電飾もコンピューター制御にしたそうです(これだけ大きなものを会期中の約半年間、野外に置いておくのですから、その実現には大変なご苦労があったわけですね……)。

制作にあたっては、1989年1月下旬、スリランカの都市コロンボから3人の職人さんが来福して、日本の業者さんと共同で52日間かけてつくりあげました。

スリランカの方々はパンドールが福岡の博覧会に展示されることをとても喜ばれたそうです。


貞刈さんの回想からは、その制作過程で現地の方々とのふれあい・信頼・協力が生まれて行く様子がよく分かります。

よかトピアのテーマの1つ「であい」は、博覧会の準備段階からすでに始まっていたのですね。


このパンドール、昼もとても目立ったのですが、日が落ちて電飾がともりその姿が浮かび上がると、さらに迫力があって、福岡タワーとならぶよかトピアの夜景の名物でした。


夜はこんな様子です。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)




この電飾は会期中にクイズにもなっています。


このクイズへの応募は、官製ハガキ(郵便事業が民営化された今となっては懐かしい言い方ですね……)で、6月18日を締め切りにアジア太平洋博覧会協会「パンドール係」で受け付けられました。

正解者には抽選で、ペア1組にスリランカ賞(スリランカ1週間の旅)、99人にパンドール賞(セイロンティー)がプレゼントされました。


さて、その正解は…













【正解】2万個


応募総数は526通、そのうち正解は445通でした。

ちなみにスリランカ旅行は、7歳のお子さんに当たりました。


それにしても、2万個も電球がついていたら、メンテナンスも大変だったことでしょう……。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)






【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)

・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)

 

#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #パンドール #スリランカ

 

Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル]

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