2023年7月28日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈047〉トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―

         

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回(「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回(「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回(「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回(「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回(「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回(「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回(「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回(「百道海水浴場はどこにある?」
第45回(「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)






〈047〉トラジャのアランとコーヒーと ─よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船─


福岡にアジア太平洋の景色をつくってしまったアジア太平洋博覧会(よかトピア)

博覧会としては異例だったその景色は、福岡タワーのまわりにつくられたアジア太平洋ゾーンに広がっていました。


このアジア太平洋ゾーンに入るルートはの2つ。

福岡市地下鉄に近い「南ゲート」から入場した観客は、メインストリートを海に向かってまっすぐ歩き、巨大な「パンドール」をくぐって、このアジア太平洋ゾーンに入りました。一方、一般駐車場に近い「東ゲート」から入場した観客は、モニュメント「飛翔」がある東広場を通り、人工の川にかけられた橋を渡って入りました。


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アジア太平洋博覧会(よかトピア)が、同時期のほかの地方博覧会と大きく違っていたのは、アジアの景色や人びとの生活をそのまま再現したことでした。...
http://fcmuseum.blogspot.com/2022/11/013.html

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アジア太平洋博覧会(よかトピア)の会場には、2つの入り口がありました。 1つは、公共交通機関(福岡市地下鉄や会場バスターミナル発着の路線バスなど)でやってきた入場者が通る南ゲート...
http://fcmuseum.blogspot.com/2022/12/018.html



(市史編さん室作成)


この「東ゲート」からの道に建てられていたのが「アラン」。

橋を渡ってアジア太平洋ゾーンに足を踏み入れた観客は、まず自分の左右に立つ大きな「アラン」を見上げながら、アジア旅行への気分を高めていったのでした。


場所はこのあたり。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


もっと寄るとこんな建物。これがよかトピアの「アラン」です。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


「アラン」はインドネシアのスラウェシ島、トラジャ族の建物です。

「トラジャ」は「山の人」の意味(ネット検索ではまず「トラビス・ジャパン」がヒットするのですが、そっちではないです。そちらからこのページに来られた方、ごめんなさい…)。その名の通り、トラジャ族は島の山奥で暮らしています。農業を生業にしていて、斜面には棚田も広がっています。


(Google MAPより作成)



トラジャ族の集落には、伝統的な家屋「トンコナン」と米蔵「アラン」が方角を揃えて整然と立ち並んでいます。

どちらも高床で、壁にはカラフルで凝ったデザインの装飾が施されています。そのデザインは幾何学的でもあり、抽象的でもあり。よく見ると、動物がモチーフになっているものもあります。

そして何より目立つのは、ダイナミックに反り返った屋根。その姿はまるで宙に浮かんだ船のようです。この船にも似た流線型を形づくる骨組みには竹が使われていて、軒下から見上げるとそれがよくわかります。無数の竹が細やかに、そして美しく整然と並べられて、空に向かってどこまでも高くそり上がる屋根を支えています。こんなに躍動感があるのに、釘は使っていないのだそうです。竹と竹とを竹ひごで結び付けながら、組み上げられているのだとか。驚異的な職人技と美的センスです…。


山に浮かぶ船のようなこの建物は、今ではインドネシアを訪れる観光客にも人気です。こうした派手な建物の形や方角を揃えた配列は、20世紀以降、特に観光が大きく影響しながら発展した結果とのことなのですが、それを実現した工法は長く受け継がれてきた技術のたまものなのでしょう。




よかトピアの「アラン」は高さが10mもあります。柱部分の幅は2.5m、奥行きは5mほどなのですが、それをはるかに超える大きさの屋根が乗っているので、とにかく巨大です…。壁にはちゃんとカラフルな彫刻も施されていました。

高床の下の広い空間は、日射しを避けようとする観客にとってちょうど良い休憩場所にもなって、トラジャ族の集落にお邪魔した気分が味わえる場所でもありました。


さきほどの写真をアップにしてみると、こんな感じ。



(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
ちょっとピンとがぼんやりしていますが、高床下の日陰や、
壁のカラフルな装飾が写っています。



このよかトピアの「アラン」、映画で使うようなセットではなくて、本物なのです。わざわざスラウェシ島からトラジャの方々が来福して、54日間をかけてつくったものでした。



「アラン」の建設のことは、貞刈厚仁さんが書かれた本のなかで回顧されていて、とても楽しい話を読むことができますので、ここで少しご紹介します。


貞刈さんは当時、福岡市の職員としてアジア太平洋ゾーンを担当されていました。研究論文などを読み込んで企画を練るなかで、ぜひ展示したいと思われた1つがトラジャの高床建物だったのだそうです。

ただそれが実現するには、博覧会のテーマでもある「であい」があったのだとか。


貞刈さんは、アジア各地を見て回りながら展示を具体化していくなかで、トラジャ族が暮らすスラウェシ島の高地も訪れたとのこと(空港から車で9時間の距離だったそうです…)。

そこでたまたま出逢ったのが、1人のTシャツのおじさん

ところが、その方はなんとトラジャの集落のリーダー、ティンティンさん(37歳)でした(ドラマでよく見る、まちで助けたあの人が実は取引先の社長だった的展開!)。話しているうちに、福岡に行っても良いよと言われ、よかトピアの会場で本物の「アラン」を組み立ててくれることになったのだそうです。


この「であい」によって、現地からコンテナ数台分の竹などの建築材が福岡に運び込まれ、1989年1月、ティンティンさんを含めた5人がスラウェシ島から来福されました(はじめて島を出られたそうです)。


貞刈さんの本には、ティンティンさんたちが滞在したときのエピソードがいろいろ載っているのですが、これがどれも楽しいのです(何度読んでもほんと大好きな話です)。

空港の税関でアランを組み立てるためのナタを持っていたことから一悶着あったり、着工の儀式に必要な黒豚・白豚の血を探すために貞刈さんが奔走したり(当時黒豚はあまり流通していなかったのだそうです)、会場近くの市営団地に滞在しながら「アラン」をつくっていたティンティンさんたちが、ベランダでニワトリを育てて、ご近所から苦情が来たり(竣工のお祝いには鶏おこわが欠かせないのだとか)、ご苦労を察しながらも笑ってしまう話ばかり。


ただ、滞在中に気分転換のために登った四王寺山で、トラジャのみなさんがスラウェシ島の方角を見ながら、故郷の歌をうたい涙するエピソードには、ほろりとします。


建設中、ティンティンさんは新聞の取材にもこたえられています(『読売新聞』)。

壁の装飾の意味を尋ねられて、神妙な表情でそこに込められたストーリーを抽象的に語ったり、高床の機能について、床下の柱はつるつるにしてあるのでネズミは登ってこられないと笑ったり、記事の短い文章からだけでもティンティンさんの人柄が伝わってきます。


貞刈さんの本やこうした新聞記事を読みながら、出会った方々の献身的な協力や、そこから生まれた喜びと涙があって、あの博覧会のにぎわいが生まれたのだなぁと改めて思いました。

ご興味のある方は、ぜひ貞刈さんの本を読まれてみてください(ティンティンさんたちのお写真も載っています)。


悲喜こもごもとハプニングの連続の54日間。2棟の「アラン」が完成したのは、開幕の3日前だったそうです。ティンティンさんたちのご協力のおかげで、「アラン」はよかトピアを代表する景色の1つになりました。




こうした独特な建物で有名なトラジャは、コーヒー豆の生産でもよく知られています。コーヒー人気が高い今だと、むしろこちらの方で名を聞くことが多いかもしれないですね。

トラジャコーヒーは生産が17世紀にまで遡り、長年珍重されてきましたが、第二次世界大戦によって途絶えかけたとのこと。それがKEY COFFEEによって復活したのは、1978年でした。

※その歴史やトラジャのコーヒー栽培の様子については、KEY COFFEEの特集サイトが詳しいです(トラジャの写真や動画もあります)。




幻のコーヒーとも言われたこのトラジャコーヒー、実はよかトピアでも飲むことができたのです。


そのお店は、KEY COFFEEのカフェ「エナ・スカリ」。「エナ・スカリ」はインドネシア語で「とても美味しい」という意味です(ネットで検索しました)。


よかトピア会場の西側には、観覧車のそばに「こども広場」がありました。広場の真ん中に立つ時計台は、西エリアのランドマーク。そのため、会場案内カウンターや迷子保護室などを備えた「西サービスセンター」や、公式グッズを販売する「記念品売店」(会場内には全部で7店舗ありました)もここに入っていました。

「エナ・スカリ」はこの時計台の一角にあったお店です(とても目立つ良い場所)。


(市史編さん室作成)


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
矢印のお店がKEY COFFEEのカフェ「エナ・スカリ」


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
時計台の平面図。飲食店舗①が「エナ・スカリ」。
時計台の下ってスタッフ用のトイレになっていたのですね。
今回初めて知りました…。



『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89』のなかにわずかに残っている写真を見ると、お店の概観は跳ね上げの窓や軒の茅葺きがトラジャの一般的な家をイメージさせます。

店内は狭いのですが、風がよく通るようにつくられていて開放的。立ち飲みスタイルで、バーテーブルとカウンターで構成された内装はヨーロッパのおしゃれなスタンドバーのようです。

一角には「トンコナン」(もしくは「アラン」)の模型も飾ってありました。「東ゲート」から入場した人なら、きっと「あ、さっき見た!」となって、ここのコーヒーと「アラン」が同じ場所のものだと気づくはずです。


「エナ・スカリ」では、イートイン、テイクアウト、どちらでもコーヒーや軽食を楽しむことができました。ちなみにメニューとお値段ですが、このようなラインナップ(分かったもののみですけど…)。


・トアルコ トラジャコーヒー 200円

・アイスコーヒー 250円

・ジュース類 200円

・アイスクリーム 値段が分からず…

・デニッシュ(バナナ、アプリコット、アーモンドの全3種類) 150円


え、安くないですか!

よかトピアの飲食は高かったという思い出もよく聞くのですが、ちゃんとリーズナブルなお店も用意されていたようです。コーヒーとデニッシュをテイクアウトして、外のテーブルでちょっと休憩というのも良いですよね。


ちなみに3種類のデニッシュの方は、ロイヤル(福岡の企業!)の「アペティート」のものとのこと。

まさか食でもトラジャと福岡がよかトピアで出会ってコラボしていたとは…。34年経って今さらなのですが、ちょっとうれしい発見でした(そしてとても美味しそうなので、今からさっそくトラジャコーヒーとデニッシュを買いに走ります)。







【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)

・鳥越憲三郎・若林弘子『倭族トラジャ』(大修館書店、1995年)

・細田亜津子『雲の上の哲学者たち―トラジャ族が語りかけるもの』(西田書店、2006年)

・『読売新聞』1989年2月15日「(ショットよかトピア)収穫の守り神」

・KEY COFFEEのサイト「トアルコ トラジャ」https://www.keycoffee.co.jp/toarcotoraja/




#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #インドネシア #スラウェシ島 #トラジャ #アラン #トンコナン #コーヒー #KEY COFFEE #ロイヤル


Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル  

2023年7月21日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈046〉百道テント村100年 大解剖スペシャル!

        

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回(「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回(「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回(「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回(「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回(「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回(「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回(「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回(「百道海水浴場はどこにある?」
第45回(「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」






〈046〉百道テント村100年 大解剖スペシャル!


突然ですが、2023年7月21日は何の日かご存知でしょうか?


実はいまからちょうど100年前の1923(大正12)年7月21日は、百道にテント村が開村した記念すべき日なのです!!!(大声)



おめでとう~!!!


以前、7月7日は大正7(1918)年に百道海水浴場がオープンした日ということで、7月7日は(勝手に)「百道海水浴場の日」とさせていただきましたが、今回も7月21日は「百道テント村の日」ということでここに記念日を制定いたしますので(勝手に)、何卒よろしくお願いいたします。

※ しつこいようですが、どちらも筆者が一人で勝手に記念日に制定しているだけですので、あしからず…。



さてその「百道テント村」。

以前こちらのブログでも紹介させていただきましたが、その際にはそもそもの企画理念や、モデルとなった大阪の浜寺海水浴場、そして当時の経済界で流行していた「むだせぬ会」についてのお話でした。


くわしくはコチラ。

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近年、キャンプはすっかり定着して、いまもっともメジャーで人気のある趣味といっても過言ではありません...
http://fcmuseum.blogspot.com/2022/12/016.html
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前回は、百道海水浴場が参考にしたという、大阪の「浜寺海水浴場」のテント村について紹介しました。詳しく見てみると...
http://fcmuseum.blogspot.com/2022/12/017.html




〈017〉「百道にできた「村」(村の生活編)」では少しだけ百道海水浴場テント村の生活について触れていますが、せっかくの記念日ですから、もう少し深く百道テント村について知っていただきたい!(謎のテント村推し)ということで、今回は「百道テント村大解剖スペシャル」と題してお届けします!(…ついて来てます??)


* * * * * * *


百道テント村では参加者は〝村民〟という設定で、村内では村民たちの自治性によって共同生活を送ることになっています(〝村長〟は主催する福岡日日新聞社〈現在の西日本新聞社〉社員)。

村民による自治が基本とはいえ、一応次のような規則もあったようです。規約というかお願いですね。


〈百道テント村規約〉

百道テント村生活者はお互の共同生活を楽く意義あらしむる為にお互に規約を厳守したいと思ひます

規約はテント生活の全部を尽して居ません細部に亘る事はお互の常識で判断致しませふ

一、百道テント村は自由、寛潤な簡易共同生活であります

一、テント生活は自治、自制を尊みます、従って自身の事は自身で処理されんことを望ます

一、テント生活は規律を重んじます多人数の共同生活でありますから起床、食事、就寝等の時間を左の通り一定します

起床 午前六時△朝食 午前七時△昼食 正午△午睡 随意△夕食 午後六時△就寝午後十時

一、外泊、時間外の外出の際は村役場にお届け願ひます、外出時は貴重品等は村役場にお預けください

一、一テントを一家族と見做します、一家族に代表者一名を選み村役場との交渉は其人を通じて願ひます

一、テント村の訪問者は直接自身のテント内に招き入れず応接室で願ひます、ドンナ事情があっても訪問者をテント内に宿泊せしむる事はお断りします

一、テント生活者は自他の為めに衛生に御注意を願ひます、身体に変調ある方は村役場に申出でください

一、何かとお気付の点は御遠慮なく村役場にお申出を願ます

(大正12年7月21日『福岡日日新聞』朝刊7面「今日から開かれた百道テント村」より)



百道テント村は、百道海水浴場の裏手にあった松原の中にありました(場所は年によって若干変わったようです)。

写真が残されています。


(絵葉書「百道海水浴場テント村」、福岡市史編集委員会所蔵)


松原は遠くから見ると一見密集しているように見えますが、根本は意外とスペースが空いていて、しかも生い茂る松は良い日影になっています。まさに〝松蔭〟ですね。


ちなみに筆者、最近新たな百道テント村の写真(絵葉書)を入手しました。

それがコチラ。


(絵葉書「百道海水浴場に於けるテント村」、個人蔵)
じゃーーーーーーん!!


どこが違うの?!」という問いはナンセンスです。こういうのは多ければ多いほどいいものなのです(個人の感想です)。


その証拠に、これらをあわせて見ることで、テント村があった環境のイメージが膨らんできますし、細かいところを拡大してよく見てみると、新たな発見もあります。


まず、手前にあるテント

入口が開いていて、しかも中がちょっと見えています。


見える?! 分かる?!


これは今まで見ていた写真にはなかった情報です。

中には椅子のようなものが見え、ここで村民はくつろいでいたのでしょう。この写真から「テント村の中で村民がどのような景色を見ていたのか」という想像(妄想)が広がります。



さらに奥の方を見ると、白いテントの向こうにひときわ大きな、ストライプ模様のテントがあるのが確認できました! なんだこれは!!


見える?! 分かる?!(難易度上がります)


これまで新聞記事などでたびたびテント村の様子を目にし、その動向に注目してきた百道テント村TO(トップオタ)を自称する筆者ですが、これは初めて見たかもしれません。

なにか特別な施設でしょうか? テント村において中心となるのは「村役場」テントですが、新聞記事で見た村役場はこんなポップなテントではありませんでした。


(大正12年8月7日『福岡日日新聞』夕刊2面、福岡市博物館所蔵)


百道テント村は記録が少なく、こうした断片の情報を地道に集めるしか全貌を把握する方法がないため、とくに写真資料は貴重な情報源です。今後もTOとして収集に励みたいと思います。




さて、役場の話が出ましたので、百道テント村の設備についてもご紹介したいと思います。

まず村の中心あったのが「村役場」です。

ここには主催する福岡日日新聞社(以下、福日社)の社員や、専属で雇われた事務員さんなどが常駐していました。来村者の受付をしたり貴重品を預かったり、またケガなどに備えて応急手当ができるようになっていたりと、テント村にかかわるさまざまな業務を引き受けていたようです。言ってみればホテルのフロントみたいなもので、予想以上に多忙だったようです。


そして写真の説明文にある「小野寺内科の血液検査所」。

(大正12年8月7日『福岡日日新聞』夕刊2面、福岡市博物館所蔵)


これは何かと言うと、当時九州帝国大学医学部の第三内科教授だった小野寺直助氏による健康診察室のような場所です。

小野寺教授は百道テント村のコンセプトに興味をもち、村の「顧問医」を引き受け、その後家族4人で入村もしています(大正12年第2期、7月28日~8月4日)。

教授は当時「理学的療法の大家」と言われていて、「外気(浴)療」にも大変造詣が深い人物でした。外気浴とは、「主に食塩泉療養地、海洋療養地で行われる伝統的な療法」で、「自然の海塩粒子を含んだ潮風を吸入する」ことが身体に良いという療養法です。


そこで小野寺教授は、このテント村での生活が人の健康に与える影響について、希望する村民には血液検査を行い、赤血球、白血球、血色素、血圧、血液粘度、血液凝固速度などを無料で検査することにしました(この活動に際して写真のように小野寺教授は医局から数人の助手を引き連れていました)。

検査結果は退村の際に聞くことができ、また疾病や健康に関する相談も受け付けるとあって、村民には好評だったようです。


ちなみに公表された実験結果は次のとおり(1週間の滞在、14人の検査結果の平均)。


(大正12年8月5日『福岡日日新聞』掲載
「一週間の村生活が生理的に挙げた成果」より作成)


血圧が若干高くなったのは「気候の涼しさと海水浴の結果であろう」としつつ、赤字で示した部分が「好成績」とされた数値です。

とくに「血液凝固速度」については一般的な平均が「5~10分」であるのに対し、被験者の入村時の数値が「12分」だったため、「生活状態の良好ならざりし人多きを察すべし」としながらも、結果平均「7~8分」まで回復したとしています。

つまり1週間の野外生活は、海水浴などの運動、日光浴、食事などの変化によって確実に影響が出ており、「百道におけるテント生活が如何に有効なるかを有力に語るもの」であると記事では結論づけています。

レジャーの宣伝に科学的根拠をもってくるというあたり、当初の村民が大学教授や弁護士などのインテリ層が多かったことを示しているようにも思えますね。




続いての設備は、先ほどの新聞記事の写真にも奥にちょっと見えている「娯楽室」です。

これはテント村の目玉の一つで、娯楽室には卓球台囲碁・将棋盤輪投げ闘球盤(クロキノール)などが置いてあり、村民はここで自由に過ごすことができました。


(大正12年8月9日『福岡日日新聞』夕刊2面、福岡市博物館所蔵)
卓球に興じる村民(上)と、下は闘球盤で遊ぶ子供たち。楽しそう!


(大正12年8月6日『福岡日日新聞』朝刊6面、福岡市博物館所蔵)
こちらも娯楽室の内部。大勢の〝村民〟がくつろいでいます。



村の共同施設はこの「役場」「娯楽室」のほかにも「食堂」がありました。ここではみんなで食卓を囲んで過ごすほかにも、講演会や交流会の場にもなったようです。


(大正12年8月10日『福岡日日新聞』朝刊7面、福岡市博物館所蔵)



このような充実した設備の揃ったテント村生活では、村民のためにさまざまなレクリエーションが行われました。


たとえば最初の開村式

「開村式」というといかにも格式張った式典を想像しますが、そこはテント村。

食堂で行われた開村式に列席したのは澤田福岡県知事、西新にゆかりのある元代議士の藤金作氏をはじめ、当時の内務部長、近隣にあった福岡監獄の刑務所長など約60名は、当日のドレスコードである「浴衣姿」で参列しました。

参列者たちは九州初お目見えのテント村の設備を回り、さっそく娯楽室で卓球や囲碁・将棋に興じたりと大変くつろいだ会だったようです。

会食後にはテント村につくられた土俵やテニスコートで一勝負。テント村初日は和やかで賑やかなスタートを切りました。


ほかにも演芸会講演会レコード鑑賞会筑前琵琶の演奏会、また運動会志賀島への遠遊会など、連日行われたさまざまな催しによって村民たちは親交を深め、充実した休暇を過ごしたことでしょう。

またこの様子は連日『福岡日日新聞』紙面で報じられ、それを見た人が見学に来るなど、百道テント村の知名度は上がり、入村希望者も一気に増えていったようです。


(大正12年8月8日『福岡日日新聞』朝刊7面、福岡市博物館所蔵)
子供たちによる運動会。みんなガンバレ!!

* * * * * * *


百道テント村の様子を一部ご紹介しましたが、いかがだったでしょう?

イベントも設備も1つ1つが面白く、こんな「摩訶不思議」な設備が百道にあったとは、知れば知るほど興味は尽きません。


最近は、海の中道に「泊まれる公園 INN THE PARK 福岡」という、オシャレかっこいい球体テントの宿泊施設が登場しました。こちらも海辺のオシャレなテントに泊まって乗馬や海水浴を楽しみ、バーやカフェラウンジで音楽を楽しみ、さらに一流シェフによる豪華な夕食に舌つづみ…と、ラグジュアリーなレジャー体験ができると話題ですが、テント村では100年も前にすでに優雅な「リゾートライフ」を提案していたとも言えますね(言えます!)。


(Google ストリートビューより)
これは現代のテント村ですね!!(心の目で見てください)


…実は百道テント村開村と同年、奈多にもテント村が出現していました。

こちらは九州日報社(現在の西日本新聞社の前身の一つ)が主催したものなのですが、そのお話はまたいずれご紹介したいと思います。




それでは最後に、大正12(1923)年に村役場の職員がつけていたという「村の日記」なるものに百道テント村役場の女性事務員さんが書いたという、テント村の詩をお届けします(「村の日記」、すごく見たい!!!)。

百道テント村についてはまた機会(隙)を見つけてご紹介していきたいと思いますので、お付き合いいただけますと幸いです!




テントが白い

ベットが白い

蚊帳(かや)も真白

松の青さよ

海の青さよ


百道テント村役場職員が記した村謡  









【参考文献】

・宮地正典「「気候療法」 第四回 気候療法の実際(2)」(『日温気物医誌』第74巻4号、日本温泉気候物理医学会、2011年8月)

・新聞記事
 ・大正12年7月3日『福岡日日新聞』朝刊7面「愉快な文化生活 百道テント村」
 ・大正12年7月21日『福岡日日新聞』朝刊7面「今日から開かれた百道テント村」
 ・大正12年7月27日『福岡日日新聞』夕刊2面「百道テント村の誇り 小野寺博士が顧問」
 ・大正12年7月30日『福岡日日新聞』朝刊3面「涼風の松間にテント村開き 簡易生活と相応しい来賓 大童となった課長連の土俵開き」
 ・大正12年8月4日『福岡日日新聞』夕刊2面「期毎に栄え行く百道テント村 明日から第三期に入る」
 ・大正12年8月5日『福岡日日新聞』朝刊7面「一週間の村生活が生理的に挙げた成果 入村当時と退村当時との比較 小野寺内科の血液検査」
 ・大正12年8月6日『福岡日日新聞』朝刊6面「百道テント村【娯楽場の一部】」※写真
 ・大正12年8月7日『福岡日日新聞』夕刊2面「百道テント村 村役場と小野寺血液検査所」※写真
 ・大正12年8月8日『福岡日日新聞』朝刊7面「百道テント村昨日の賑ひ 涼しい松蔭の運動競技」
 ・大正12年8月8日『福岡日日新聞』朝刊7面「百道テント村の運動会」※写真
 ・大正12年8月9日『福岡日日新聞』夕刊2面「百道テント村娯楽室」※写真
 ・大正12年8月10日『福岡日日新聞』朝刊7面「百道テント村の食堂」※写真
 ・大正12年8月11日『福岡日日新聞』朝刊7面「百道テント村々民 涼風を趁ふて志賀島へ」
 ・大正12年8月13日『福岡日日新聞』朝刊8面「テント村の二十四時間」



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Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル