2023年3月11日土曜日

【別冊シーサイドももち】〈028〉まだまだあった! 幻の百道開発史

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。





〈028〉まだまだあった! 幻の百道開発史


埋立地としてのシーサイドももち地区ができる以前、現在の「よかトピア通り」の辺りが海岸線で、その南側(現在の西新・百道地区)は「白砂青松」の字の通り、白くて長い砂浜と青々とした松林が広がる景勝地でした。

現在のシーサイドももち地区とその周辺。赤い線より上は埋立地なんですね~。


とくに大正時代~昭和初期の百道では、その多くが手つかずの広大な「空き地」状態だったので、この場所に「何か」を建てようという案がいくつも浮上していました。


昭和10年代の西新・百道地区。濃い緑は松林、黄色は砂地。


以前、このブログでも「護国神社建設運動」や「高等学校誘致運動」があったというお話を紹介したと思います。




これらはそれぞれ、大正8年(1919年、高等学校誘致)と大正15年~(1926年、護国神社)のお話でした。

実はこれらとほぼ同じ大正時代末、実は今度は「東亜勧業博覧会」(昭和2年開催)の会場を百道に誘致しようという動きがあったそうなんです。


(東亜勧業博覧会ポスター、福岡市博物館所蔵)


博覧会開催に向け、大正14年8月28日に第1回の準備委員会が福岡市会議場にて開かれました。

※準備委員会には、久世庸夫市議会長(当時)を筆頭に、市議、県や市の課長・所長、博多商業会議所、博多駅長、各新聞社・鉄道会社社長などが参加。

この会議では、博覧会名称会場の場所をどうするか、役員人事について、あるいは予算についてなど、博覧会を開催するためのさまざまな事について話し合いが行われました。


その中で、会場となる場所の条件としては、その面積を最低でも3万坪、できれば5万坪くらいにして本会場と別にサブ会場などは設けない、という方針が決まりました。


その条件から、会場は以下の6つに絞られます。


△ 第一西新町百道松原

△ 第二西公園を背景とし女子師範南方の耕地

△ 第三城外練兵場

△ 第四下警固九水所有地を中心としたる地方

△ 第五新柳町南方高畑大木両区の中間

△ 第六東公園

(大正14年8月29日『福岡日日新聞』朝刊7面「予算百万円で福岡の博覧会」より)


この案をうけて、準備委員会の担当委員による各地の実地踏査が非公式ながら進められていきますが、この段階ですでに「大濠西側が有力」という報道も出ていました。



ところが! われらが西新町も負けてはいません。

西新町総代の西川虎次郎を筆頭に、初代市長でもあった山中立木、そして的野作七伊佐卯之吉など西新町の有力者たちは、「博覧会の会場は百道がもっとも適当である!」と、市当局に対し要望書を出しました。


青が約3万坪、赤が約5万坪。余裕、ありますね!


要望書に挙げられた「百道を推す理由」は、


・博覧会費で一番金がかかるのは敷地の整備であり、候補となっている警固や練兵場付近、あるいは南公園の計画と共同で進めるのでは経費がかかりすぎる

・百道は近くに市有地も県有地もあって取得が容易である

・博覧会場として必要な数万坪の土地も、松原内なら余裕

・高低差がなく平坦なので開発が容易

・博覧会敷地として考える予定地の中には現在建設準備を進めている西新小学校校地5千坪が含まれているので、この際校舎を早く建てて会場の一部として利用すれば一挙両得

・なにより百道は風光明媚で能古島や志賀島を背景として海面・海浜利用をする事もできる(たとえば水上飛行機も飛ばせるし、水族館もつくれる)

・百道はなんといっても元寇防塁の地域なので、これを取り入れて観覧者に見てもらうのもよい


といったものでした。

西新小の利用や水族館建設などはなかなか驚きの提案ですが、やはりここでも「風光明媚」という言葉が売り文句として使われています。


さらに彼らは、東の方ばかりが市街として開発されていて西側の地域(百道)にはまだ原野や松原が20万坪あまりも残っている、この博覧会をきっかけに百道の開発が進めば、西に新市街地ができ、問題となっている住宅難も解消されるはず!と力強く説きました。

(以上、大正14年8月30日『福岡日日新聞』朝刊7面「福岡市の博覧会場大堀西岸が理想地」「博覧会敷地と西新町の要望より要約)




そしていよいよ会場決定の日――。

大正14年9月24日、ふたたび市会議事堂で行われた準備委員会で行われた投票の結果、第1候補地が大濠、第2候補地が警固、そして百道は第3候補地に決まりました。

これにより委員会は県へ一帯の博覧会会場としての利用と、大濠(堀)を埋め立てる要請を正式に提出します(12月14日の福岡県会にて満場一致可決)。

その後の大濠は皆さんご存知のとおり、昭和2年には博覧会が開催され、その後は県営公園として整備されるという道を歩んでいきます。


(撮影者:Fumio Hashimoto)
福岡市を代表する憩いの公園となった大濠公園。
現在では屈指の人気エリアです。


……こうしてまたも大型開発の機を逃した百道

結果的に百道松原は学校や住宅となっていきますが、それも戦後の話です。

またまた「たられば」話になりますが、この時博覧会場として百道松原や海浜が一気に開発され、元寇防塁がより観光地化されていたら、その後にできるシーサイドももち地区の景観も、今とはまったく違ったものになっていたかもしれません。


絵葉書「東亜勧業博覧会絵葉書」本館、福岡市博物館所蔵
こんな風景が……。



(絵葉書「東亜勧業博覧会絵葉書」美術館、福岡市博物館所蔵)
こんな建物が百道にあったかも……。


(福岡市東亜勧業博覧会全景図、福岡市博物館所蔵)
この絵の奧に見えるのが百道海岸であった可能性も……(続く妄想)。





……とはいえ、その数十年後、西新(百道)には本当に博覧会がやって来ます

百道の博覧会といえば、平成元年の「アジア太平洋博覧会(よかトピア)」が有名ですが、その前に一度、西新で博覧会が開かれていました。

それは、昭和17年の「大東亜建設大博覧会」。この博覧会についても、ぜひ改めてご紹介したいと思います。


約60年後、立派な博覧会が開かれるよ!

【参考文献】

・『東亜勧業博覧会誌』(東亜勧業博覧会・東亜勧業博覧会協賛会、1928年)

・新聞記事

大正14年8月29日『福岡日日新聞』朝刊7面「予算百万円で福岡の博覧会 大体の方針は決つた きのふ準備委員会

大正14年8月30日『福岡日日新聞』朝刊7面「福岡市の博覧会場大堀西岸が理想地 西公園伊崎浦を余興場に 両電車の便もよい」「博覧会敷地と西新町の要望

大正14年9月17日『福岡日日新聞』朝刊7面「争奪運動の激しい福岡市の博覧会場 建設物は大体に決定した きのふ専任準備委員会

大正14年9月25日『福岡日日新聞』朝刊2面「明後春開催計画の福岡市の博覧会 第一候補地は大濠 名称は『東亞勧業博覧会』」

大正14年9月27日『福岡日日新聞』朝刊7面「水上公園速成と東亞博敷地争奪 大濠沿岸廿余ヶ町の猛運動」



#シーサイドももち #西新町 #幻の博覧会場 #あったかもしれない歴史


Written by かみねillustration & map by ピー・アンド・エル

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