2022年12月9日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈017〉百道にできた「村」(村の生活編)

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

10(「元寇防塁と幻の護国神社」)

11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

12(「百道地蔵に込められた祈り」)

第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)

第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)

第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)

第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。





〈017〉百道にできた「村」(村の生活編)


前回は、百道海水浴場が参考にしたという、大阪の「浜寺海水浴場」のテント村について紹介しました(→〈016〉「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)。

詳しく見てみると、海水浴場の一施設にも、生活改善運動や「むだせぬ会」など、当時流行していた社会運動などの影響が、色濃く反映していたことが分かりました。


さて、ではそんな浜寺テント村を下敷きにつくられた百道テント村とは、一体どのようなものだったのでしょう?



百道テント村の思想

百道では浜寺のように「むだせぬ会」の思想を直接語ることはありませんでしたが、負けじと次のような宣言をしています。

 

・テント生活とは世界の富豪やインテリ層などのセレブも「文明生活」から遁れ「原始生活」を送るためにテントで生活するキャンプ・ライフを送るのがトレンドである

・このテント生活では大自然の中で簡素な生活を送るので、そこには労使闘争も貧富の差もなく、参加者はみな平等に自由な生活を送ることができる

・親にとっては絶好の静養となり、また子どもにとっては自然の「大教壇」となり多くを学ぶことができる

・家族全員で「精神と肉体の改造」ができて、再び日常生活に戻ることができる

(大正12年6月18日『福岡日日新聞』5面「夏を忘れる天幕村生る 白砂青松に創設さるゝ理想郷」より要約)


これは、前回紹介した大阪毎日新聞社社長・本山彦一の思いと合致します。 


福岡日日新聞社は、テント村が〝開村〟する前からこのような理想を連日紙面に掲載し、時にはこの企画のすばらしさについて、九州帝国大学(現在の九州大学)教授の久保猪之吉中山平次郎(山好き)などの有識者からもコメントを取り、掲載していました。

また、テント村では〝村長〟の福岡日日新聞社社員・斎田氏による「テント村の制服は裸体である」という言葉を標語としており、こちらも大阪浜寺での本山社長の話と重なります。


そして大正12年7月21日、満を持して百道テント村は〝開村式〟を迎えます。


……と、大々的な宣伝をして始まった百道テント村でしたが、最初の〝入村者〟(紙面では「九州初」を強調)はなんと4人……。

とはいえ、その内訳は九州大学の関係者、鞍手からの申込者、佐世保海軍水交社からの参加者、また当日は船の都合で遅れたものの、もう一人は大連からの申し込みと、意外と遠方からの申し込みの方が多かったようです。4人だけど……。


 

百道テント村での生活

具体的な村での生活はどんなものだったのか、開村した大正12年の記録を追ってみたいと思います。


* * * * * *


〈期間〉
1期 7月21日 ~ 28日
2期 7月28日 ~ 8月4日
3期 8月4日 ~ 11日
4期 8月11日 ~ 18日
5期 8月18日 ~ 25日
6期 8月25日 ~ 9月1日

〈設備〉
8人用テント23棟(蚊帳付き)、村役場、食堂(200人収容可)、コック場、娯楽室(将棋盤・闘球盤・蓄音機・輪投げ台等)、応接室、洗面所、便所、売店、専属テニスコート、ピンポン台、清水浴場(男女別)、図書部、相撲場

(『福岡日日新聞』記事を基に作成)
宿泊テントの内部はこんな構造だったようです。
かなりスペースを必要としそうですが……。

〈料金〉
寝台料 1期4円
食費 朝食40銭、昼食50銭、夕食60銭(昼食は随意)

〈持参するもの〉
毛布・枕等の簡易寝具
※ なるべく軽装な方が良いが、大きな荷物や貴重品は村役場にて預かることも可能

〈その他〉
・海水浴場エリアから電気を引いているので、夜通し電灯あり
・1週間1期だが、2期3期と長期滞在する方は「長老」として歓迎
・子ども用寝台あり
・昼夜ともに3~4人の警備員を配備
・たまに地曳網の漁船が鮮魚を持って売りに来る
・朝は5時ごろから起きる人もあれば、朝寝してくつろぐ人もあるが、朝ご飯は村民全員で食べる
・日中は、テント村から出勤したり町に買い物に行ったり海で泳いだり、あるいは日影で読書をしたりと、好きに過ごす
・夜は娯楽室での遊びや音楽鑑賞などもでき、時には講演会も開催
・共有スペースには裸で参加しても良い

〈できごと〉
7月5日
百道海水浴場開場(水神式)

7月8日
新聞紙面にてテント村役場の女性事務員を募集(2名)

7月21日
テント村開村、晩餐会(主客十数名)

7月25日
医務顧問の九州帝大の小野教授が視察、その場で家族4人で2期の入村を申し込む

7月27日
第1期告別晩餐会(松林内テント村食堂)

7月28日
第2期スタート
澤田知事、藤金作前代議士、原田内務部長、山川刑務所長ほか参列
・澤田知事、リクエストに応えてピンポンを体験
・2期は能楽シテ方金春流の家元である櫻間弓川氏が東京から入村

7月29日
第2期開村式

8月4日
第3期スタート、入村晩餐会開催。村民が100名を超す

8月7日
午前9時~ 第3期運動競技会開催
・競技はテニス、走り幅跳び、走り高跳び、少年・少女マラソン競走
午後8時~ 筑前琵琶会(高野旭嵐女史、的野中外氏)

8月10日
第1回志賀島遠遊会(午前7時・9時・12時に出発、毎週開催)
・モーターボートに分乗して百道から志賀島まで遊覧、志賀海神社参拝ほか

8月15日
第4期スタート

8月17日
午前8時~ レクリエーション・地曳網(姪浜より)
・雑魚を漁獲しお昼ごはんに
午後1時~ 講演会(山梨県教育功労受勲者・一木義三郎氏)
午後3時~ ピンポン大会

8月18日
第5期スタート

8月22日
午前8時~ 宝探し大会

8月25日
第6期スタート

9月1日
閉村

(絵葉書「(福日主催)百道海水浴場テント村」)
宿泊テントはティピー型(三角形)ではなく大人数が収容できるタイプのようですが
はたしてベッドを8台も収容できるのか……。疑問が残りますね。

* * * * * *


さまざまな催しとともに好評だった百道テント村は、最終的にこの年は100名を超える〝入村者〟を迎え、大成功を収めました。


しかし、当初掲げていたような理想はあまり長くは続かず、テント村の募集は昭和7(1932)年まで見られるものの、昭和に入るとほとんど通常のキャンプ施設になっていたようです。


 

余談。「村」に対するあこがれ

「むだせぬ会」のような社会運動と連動した活動で、このような理想を求めた共同生活といって大正時代に思い出されるのは、「新しき村」です。

「新しき村」は、大正7(1918)年に作家・武者小路実篤によって提唱された運動で、調和的で階級による争いがない理想郷の実現を目指して、実篤は宮崎県児湯郡木城村に共同体としての村落「新しき村」を建設しました(昭和14〈1939〉年には埼玉県入間郡毛呂山町にも一部移転)

※「新しき村」についてはコチラをご覧ください。→ 一般財団法人 新しき村

ここでも「村」というキーワードが出てきました。

いまでもよく見かける「○○村」というネーミングは、現実の村とは別の意味を持ち、ごく狭い範囲での理想郷を「村」という言葉で表しているのですが、このお話はさらに長くなりそうなので、また別の機会に……。




【参考文献】

大正12年『福岡日日新聞』記事

・7月3日 朝刊7面「愉快な文化生活 百道のテント村 現代の要求に適した企て 翠緑滴る松林と白砂碧波の間に 今月廿一日から開催」
・7月6日 朝刊7面「文化的設備を以て現るる 本社の百道テント村 諸名士は此企てを如何に観る? 久保猪之吉博士の談」
・7月8日 朝刊7面「百道の天幕村は時節柄誠に結構です 私の経験は重に山嶽生活 九大医学部中山平次郎博士語る」
・7月19日 夕刊2面「九州に一名所が出来た 百道テント村 老松の翠緑を点綴する四十余棟の純白テント お隣は日本一の海水浴場」
・7月23日 朝刊3面「百道テント村開村第一の清餐会 九州に於ける天幕生活の開祖は四人 天幕生活最初の一夜」
・7月27日 夕刊2面「テント村の誇り 小野寺博士が顧問 入村者の希望で身体検査 家族と助手第二期から入村」
・7月29日 朝刊7面「楽しい第二期を迎へた百道天幕村の生活 海水浴場の人では益加はり」
・7月30日 朝刊3面「涼風の松間にテント村開き 簡易生活に相応しい来賓 大童となった課長連の土俵開き」
・8月4日 夕刊2面「期毎に栄え行く百道テント村 明日から第三期に入る 一村水入らずの娯楽室」
・8月5日 朝刊7面「百道テント村の村人百名を超ゆ 第三期満員の盛況 テント村競技団成る」
・8月6日 朝刊11面「テント村第三期の晩餐会 裸体の制服で大賑合」
・8月8日 朝刊7面「百道テント村昨日の賑ひ 涼しい松陰の運動競技 人気を呼んだ少年少女の競走 村の男女総出で応援」
・8月9日 朝刊7面「満員の百道テント村 驟雨の後の弾奏会 涼しい松風に和する筑前琵琶 一家団欒の家族続来」
・8月11日 朝刊7面「百道テント村々民 涼風を趁ふて志賀島へ 志賀島神社に参拝して観光 半日の清遊に苦熱を忘る」
・8月13日 ■刊■面「テント村の二十四時間」
・8月19日 朝刊7面「百道テント村の地曳網 新鮮な鮮魚七貫の漁獲 午餐の膳上に珍味を喜び お伽講演ピンポン大会に賑ふ」
・8月23日 朝刊7面「百道テント村の宝探し 朝涼の松林にて」
・9月2日 朝刊7面「百道テント村 愈閉村 非常に好成績裡に 昨一日限り」

※ 絵葉書はすべて福岡市史編集委員会所蔵。



#シーサイドももち #百道海水浴場 #テント村 #新しき村

 

Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル]

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