2023年2月17日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈025〉よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。





〈025〉よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989


海をまるごと会場にしてしまったアジア太平洋博覧会(よかトピア)。

その会期中には、国際ヨットレースも開かれました。


オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989

ニュージーランドオークランド市から博多湾を目指した、1万200キロの太平洋縦断レースです。


※オークランド市はニュージーランドの最大都市で港町。博多港とオークランド港は1979年に姉妹港、福岡市とオークランド市は1986年に姉妹都市になって交流を続けています。




草場隆さん(アジア太平洋博覧会協会事務局長)の著書によると、1986年の年末には国際ヨットレースの話が関係者と語られているようで、翌年には福岡ヨットクラブ・日本外洋帆走協会を中心に企画が具体化していったそうです。

開催は1988年2月に正式決定されました(ヤマハ発動機・RKB毎日放送が協賛)。


イメージキャラクターも決まって、ヨットに欠かせない風をつかさどる神「風神」を図案化したものが採用されています。



1989年1月22日にエントリーが締め切られ(45艇が応募)、レースには37艇が参加しました。

参加国は、日本・ニュージーランド・オーストラリア・アメリカ・オランダ・イギリス・ポーランド・スウェーデン・ノルウェー、全部で9か国に及んでいます。


参加者のなかには、ニュージーランドのオークランド市で船を新造してレースにのぞむ方もいました。

よかトピアFMパーソナリティーのフランクさんは、一時FMの仕事をお休みしてこのレースに参加するなど(→ 7「開局! よかトピアFM(その2)」、この大規模な国際レースにみなさん大変な熱の入れようでした。



1989年1月31日、いよいよレースの概要が発表されます。

コースは3区間。

【第1レグ】オークランド(ニュージーランド)~スバ(フィジー)の約2140km

【第2レグ】スバ(フィジー)~グアム(アメリカ)の約5000km

【第3レグ】グアム(アメリカ)~福岡(日本)の約3060km

区間ごとのレースとともに、全コースを通じた総合優勝を決めます。


サタワル島からのヤップカヌーは九州の東側を通りましたが(→ 第23回「ヤップカヌーの大冒険」、このレースは九州の西側を通って、長崎方面から福岡入りするコースです。


スタートは4月22日

ゴールは6月中旬の見込みとされました。

なお、参加艇のクラスは、大きさに応じて、レーシンググループ(IORクラス)とクルーザーグループ(GHS)とに分けられました。



こうした間にも、福岡ではレースに向けて気分が盛りあがっていきます。


1988年10月16日には、プレイベントとして「博多湾メモリアルヨットレース'88」が開かれました。

福岡市西区小戸のヨットハーバー沖から能古島西側を往復するコースを、77艇(486人)が競っています。

距離は約8キロ、所用時間は2時間前後です。


結果は次の通り。

【1位】CITY BOY 【2位】ゼフィルス 【3位】ラササヤン

もっとも、レースといっても家族連れでの参加も多く、波と海風を楽しむなごやかな時間だったそうです。


こうして、オークランド~福岡間のレースに注目が集まるとともに、博多湾でのヨット熱も高まっていきました。



さて、肝心のオークランド~福岡ヨットレースの結果ですが…。






最初に福岡にゴールしたチームは「フューチャーショック」(ニュージーランド)!

4月22日にオークランドを出発して、6月15日の到着でした。

ゴールにあたっては、13人のクルーを桑原市長が花束を抱えて出迎えました。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
「フューチャーショック」のクルー。油断すると、すぐ法被を着せられます…
(ヤップカヌーでも着せられてました…)



その後も次々とゴールを果たして、総合順位の優勝はこのようになりました。

 IORクラス 「BBCチャレンジ飛梅」(福岡)

 GHSクラス 「ノーザンクェスト」(ノルウェー)


IORクラス総合優勝の「BBCチャレンジ飛梅」は、あのニュージーランドで船を新造してレースにのぞんだチームです!

実は過去にもハワイの国際レースで優勝経験を持つクルーの船。

地元開催のレースでみごと優勝を果たしました。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
「BBCチャレンジ飛梅」のクルー


6月22日には会場内のリゾートシアターで歓迎レセプションが開かれ、入賞チームの表彰がおこなわれました。



レース後には、実際に太平洋を縦断してきたヨットが、よかトピア会場に展示されました(テーマ館前、7月10日まで)。

展示されたのは、総合2位でゴールした「リベルテ・エキスプレス」号。

エントリーナンバー1番で、当初から優勝候補の一角として注目されていたチームの船です。

この船をデザインしたのは、有名ヨットデザイナーの1人、ブルース・ファーさん(ニュージーランド)。

「リベルテ・エキスプレス」号はファーさんの最新作だったそうで、船体に桜吹雪が舞うその優雅な姿を間近で見ることができる(しかも岡の上で!)、貴重な機会になりました。


また、後日このレースのドキュメンタリー映像が、テレビで放送されています。

スポーツドキュメンタリー 波頭を翔ぶ! 太平洋縦断ヨットレース全記録

【制作】RKB毎日放送

【放送】1989年7月22日(土)14:00~14:54

【放送局】東京放送・北海道放送・東北放送・静岡放送・中部日本放送・毎日放送・山陽放送・中国放送・RKB毎日放送(JNN系基幹9局ネット)



ヨットを介した世界との交流はこれだけではありませんでした。


よかトピア会期中の1989年7月29日・30日には、「広州・オークランド・福岡ジュニア親善ヨット大会」が博多湾で開かれました。

※広州市(中華人民共和国)は1979年から福岡市の姉妹都市です。


これは小戸ジュニアヨットクラブ・福岡県ヨット連盟が企画して、白屋(熊本市)がスポンサーになって実現した、こどもたちのヨットを通じた交流イベントです。

オークランド市(ニュージーランド)・広州市(中国)・日本から60人のこどもたちが招待されました。

「ヨットレース」ではなく「大会」と名付けたのには、海から未来をになうお客さんを迎えて、「であい」「親善」の機会にしたいからという、企画者の思いがこもっているのだとか(なんだかあたたかい気持ちになりますねー)。

この大会の開催が決定すると、前年から広州市の小学生ヨットマンが来福するなど、早くも博覧会のテーマでもある「であい」が広がっていきました。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
広州・オークランド・福岡ジュニア親善ヨット大会


また、よかトピア会期中の博多湾では、ほかにもヨットのレースやデモンストレーションがありました。

 クルーザー(Y23)マッチレース 3月25・26日

 ミニホッパー級ジュニアチャンピオンレガッタ 3月31日~4月2日

 ヨットのデモンストレーション 4月9日~8月27日

 シーホッパー級西日本選手権大会 4月15・16日

 セールボード博多湾オープンレガッタ 4月29・30日

 ヤマハマリンショー 3月17~21日、5月3~5日

 ボードセーリング・レース 5月28日

これは一例で、まだまだたくさん。


そういえば、よかトピア会場の大型休憩施設「よかトピアオアシス」や、よかトピアのフラッグも、ヨットの帆をイメージしてつくられています。

ヨットや帆は、よかトピアのテーマである「海の道」や「であい」をイメージさせてくれる大事なアイテムにもなっていました。


「よかトピアオアシス」。1500人を収容できる無料休憩施設。
夏の暑い日は日除けになってまさにオアシスになりました。

会場内にはためく三角のバナーは、ヨットの帆をイメージしたもの。

※ どちらも西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より。



その後、博多湾では「タモリカップ」(2015年8月1日・2日開催)や、「ルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ福岡大会」(2016年11月18~20日開催。18日は練習レース)など大きなヨットレースが開かれ、博多湾のヨット文化は受け継がれています。


2016年のアメリカズカップ(シーサイドももちの地行浜沖)。
この日は帆走に必要な風がとても弱くて、レースに苦労されていたように覚えています…。


この博多湾のヨット文化、よかトピアが勢いづけたことは間違いないのですが、実はそれに至るには、長いヨットマンの伝統と福岡のまちづくりが関わっていました。

この話はまた今度に。




【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)

・『ヤマハ マリンニュース』65号(ヤマハ発動機(株)広報室宣伝課、1989年)

・『西日本新聞』1988年8月6日「3姉妹都市交歓ヨットレース 広州、オークランドから少年少女30人招待」

・『西日本新聞』1988年8月7日「県境超えヨットマンが握手 唐津の子供たち招待」

・『西日本新聞』1988年8月27日「アジア博で親善ヨット大会」

・『西日本新聞』1988年9月10日「来福の広州市ヨットクラブ 本社など訪問」

・『西日本新聞』1988年10月17日「博多湾に77艇参加 シティボーイ優勝 アジア博前にヨットレース」

・『西日本新聞』1988年11月1日「本場NZでヨット建造中 現地新聞でも紹介」

・『西日本新聞』1989年2月1日「アジア太平洋博記念ヨットレース 9ヵ国、45艇、500人参加」

・『フクニチ新聞』1988年9月10日「よかトピアヨット大会頑張るぞ 広州の少年選手ら来福」

・『フクニチ新聞』1989年2月1日「福岡・ヤマハカップヨットレース 9ヵ国45チーム参加」

・『朝日新聞』1988年9月10日「ヨット大会で来福」

・『朝日新聞』1988年9月14日「広州・オークランド・福岡親善のジュニアヨット大会開催 来年のアジア太平洋博」

・『毎日新聞』1988年9月10日「ニイハオ!ヨット頑張りましょう」

・『毎日新聞』1988年10月17日「家族ぐるみ博多湾“遊帆” 77艇クルージング」

・『毎日新聞』1989年2月1日「よかトピアヨット 45艇、5百人参加」

・『読売新聞』1988年10月17日「博多湾でヨットレース 77艇、さわやか快走」

・『読売新聞』1989年2月1日「NZ―福岡ヨット 9か国45艇参加 よかトピア記念レース」


※ クレジットのない写真はすべて福岡市史編さん室撮影


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #ニュージーランド #オークランド #広州市 #ヨット


Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル

0 件のコメント:

コメントを投稿