2023年5月19日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈037〉開局!よかトピアFM(その8)「今日もリスナーさんからおたよりが届いています」

 

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回(「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回(「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回(「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回(「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回(「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回(「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)





〈037開局!よかトピアFM(その7)「今日もリスナーさんからおたよりが届いています」


音楽を中心としたプログラムが人気だった「よかトピアFM」(愛称はRADIO MOMO)。

アジア太平洋博覧会のために開局したFMラジオでしたが、番組自体の魅力でラジオファン、音楽ファンを増やしていきました。


今だとリスナーは、番組独自のハッシュタグをつけてツイッターにつぶやいたり、メールでメッセージを放送局に寄せますが、当時はインターネットすら一般的ではない時代。リスナーはハガキや電話・ファックスでメッセージを届けました。


「よかトピアFM」にも、毎日そうしたメッセージがたくさん届きました。メッセージと言うより「おたより」と呼ぶのがぴったりな感じです。

この「おたより」を介して、生放送のラジオならではの、リスナーとパーソナリティーとの双方向のコミュニケーションが連日かわされていました。


このブログの元ネタ、『radio MOMO よかトピアFMの記録』には、ほんの一部ですが、そういうリスナーさんのおたよりが残っていました。

当時の「よかトピアFM」の雰囲気がとてもよく伝わってきますので、ここでいくつか紹介します(一部省略したりしますが、言葉遣いなどは当時のままにお届けします。お名前はラジオネーム以外はイニシャルで掲載されていましたので、そのまま失礼します)。


せっかくリスナーさんのおたよりを紹介しますので、ラジオのパーソナリティーになった気分で、やってみても良いでしょうか…。

30年以上経ったおたよりを、2023年の素人パーソナリティーが読んでみます。


(そんな訳で、ここからはどうぞ脳内で滑舌が良くて素敵な声に変換して、お好みの音楽を思い浮かべながらお読みください…)


(福岡市博物館所蔵)
「よかトピアFM」の番組表(7~9月)

ではスタートです。




今日最初のおたよりは…、福岡市中央区のIさんからです


「いろんな音楽が次から次に展開されて、テンポがあり、そのうえちゃんと特集コーナーもあり、なかなかグッドです。とにかくエキサイティングなものを感じます。音楽バンサイ。FM-MOMOバンザイです。いつも会社で聞いていますが、みんな気にいっています。」


Iさん、メッセージありがとうございます!

当時、会社のみなさんで聴いてくださっていたのですね。福岡の会社のなかにはそういうところも多かったのでしょうか。みなさんが「よかトピアFM」の音楽を聴きながら、楽しくお仕事されていた姿が目に浮かびます。



続いては、宗像郡福間町(現在の福津市)のUさんです。


「福間町でもバッチリ、クリアに受信できます。けっこう選曲がよいので1日中聞いても飽きませんよかトピアFMのジングルってやつですか、とてもしゃれていて、いいと思います。」


番組の節目に流れるジングルって、それ自体は短いですが、ラジオ局や番組の雰囲気を一気につくってくれますよねー。ジングルと思い出が結びついていて、それを聴くだけで、一瞬にしてそれぞれの「あの頃」の気持ちに戻るから不思議です。

ちなみに記録によると、「よかトピアFM」のスタジオができて、放送機器が設置されはじめたのが1989年1月26日から。発注していたジングル用のサンプラーが届いて搬入されたのは2月1日だったそうです。このサンプラーから、Uさんお気に入りのジングルも流されていたのでしょうね。

その後、スタッフさんが現場の機材で研修をはじめたのが2月6日、サービス放送開始が26日、開局が3月1日だそうですから、ほんと慌ただしいスケジュールで開局の準備が進んだようです。



「よかトピアFM」の選曲の良さは、福岡市東区香椎のHさんもほめてくださっていますのでご紹介しましょう。


「さすがに日本のリバプールといわれる博多のFM局。特に運営局が独自のライブ番組や選曲をもつKBCだけあって貴局の選曲は素晴らしい。」


福岡を「日本のリバプール」に育てたお一人、KBCの岸川均さん仕込みの放送局ですから、毎日さすがの選曲だったのでしょうね!(→ 004

当時はレコードからCDへの過渡期。今みたいに曲をハードディスクに取り込んでデータベース化して、クリック一つで曲を出したりはしていないはずですから、1曲を選んでかけるのもセンスと記憶だより、そして手動でレコードやCDを次々と入れかえていたはずです。

このラジオのために集められ、いちから研修を受けて放送をはじめられたスタッフ・パーソナリティーのみなさん。かっこいい1曲の裏にあった大変なご苦労を、今さらながら想像してしまいます。



同じく東区箱崎のTさんからは、こんなメッセージも届いています。


しゃべりが少なくてとてもいい。バラエティに富んだ選曲もいいですね。なつかしい曲がかかったりするとなぜかホッとしたりして…。けっこう「よかトピアFM」もあちこちに浸透しはじめているようです。車の中、ガソリンスタンド、ブティック、美容室etc。よく耳にするようになりました。」


今はおしゃべりが楽しいFM番組がたくさんあったり、AM局がワイドFMの高音質で音楽を届けていたりして、FM局とAM局の違いをそんなに感じないことも多いのですよね。でも以前はおしゃべりのAM音楽のFMのようにイメージすることが多かったように思います。

当時、お店で聴いてくださることで、お客さんが「よかトピアFM」にたまたま出会って聞きはじめるなんてことも多かったのかもしれませんね。ちょっと良い服のお店を「ブティック」と呼んでいたことを思い出しました。懐かしい!



では、福岡市東区原田のKさんのおたより。


「朝8時前にセットして待ってて、“グッドモ~ニン”からバイトに行く2時まで聞いています。知らない曲いっぱい聞けて気持ちが良い。10時から11時頃「こーんなのラジオで流してて聞く人いるのかな」と思うようなのかけてくださってますねぇ。デッド・ケネディーズとかスペシャル・デューティーズとかパンクがかかって感激しています。好きな曲とかは家でレコード聞くより、ラジオや街の中でふとかかっている方が感じが数倍違いますよネェ(いい気持ち)。私はよかトピアFMで毎日それを味わせて頂いてます。ああ私って生きているんだなぁ…とか感じるんです。」


「よかトピアFM」の放送開始は朝8時(博覧会は9時半会場)。Kさんは毎日最初の放送から聴かれていたのですね。

デッド・ケネディーズはアメリカのハードコア、スペシャル・デューティーズはUKパンクですよねー、確かにこれが午前中のラジオから流れてきたら、刺激的だったでしょう!

まちで偶然出会った音楽って、確かに特別に感じます。今、コンビニでたまたま好きな曲がかかっていたら、スマホでいつでも聴けるのに、わざわざ店内で最後まで聴いてしまう感覚と同じかも。聴いたときの場所や気持ちなんかも一緒に思い出になるから不思議です。音楽愛「よかトピアFM」愛が伝わってくる、すてきなおたよりでした。


当時の番組なら、ここで「じゃぁ、せっかくだからKさんの好きなスペシャル・デューティーズを1曲かけましょうか」となりそうですが、このブログではそれができずに残念(みなさんそれぞれでぜひ…)。


(福岡市博物館所蔵)
『radio MOMO よかトピアFMの記録』。このブログの元ネタです。
わずか26ページの一見そっけない冊子ですが、読んでみると、
当時の「よかトピアFM」の魅力がつまっていました。



ラジオはリスナーとの距離感が近いのも良いところ。こんなこともリスナーさんが聞かせてくれていました。



まずはMOMOさんです。


「私のニックネームもMOMOです。彼だけが呼ぶ私のニックネームです。彼はいつも車の中でRadio Momoを聞いています。グーゼンだけど同じ呼び名で彼もちょっとくすぐったいねって言っています。」


短いおたよりなのに、MOMOさんとお相手の表情が見えてくるようなメッセージですね。



次は福岡市早良区原のMさん


Bonjour リスナーの私、6月の終わりからラジオのフランス語講座で勉強をはじめました。そのきっかけは実はラジオMOMOにあるのです。時たま流れるフランス語の短い放送アムパモケとか、ハウパートウトウと言っているのを口真似しているうちに面白くなっちゃったというわけ。ラジオMOMOが私の身に思わぬ変化をもたらしてくれました。」


「よかトピアFM」をきっかけに、語学や海外のことに興味を持つ方も当時多かったのでしょうね。博覧会ではパビリオン「国際館」のフランスコーナーが、博覧会オリジナルのワインを販売したりして大人気でしたけど(『シーサイドももち』P.107・126)、Mさんも行かれたのでしょうか。



つづいては会場のすぐそばから。早良区百道のTさん中学生のリスナーさんです。


「暑中お見舞い申し上げます! 私たち百道中の夏休みプール開放でもRadio MOMOが活躍中ですが、この前はじめて中央市民プールに行ったんです。そしたらMOMOが流れていました! よかトピアが終わるとMOMOがなくなるのですか? さみしい~。夏休みの方がジュク多くて録音したりしています。これからもず~とガンバッテ!」


1989年の夏休み、百道中学校のプールでは「よかトピアFM」が流れていたのですねー。さすが、よかトピアの地元!

塾で忙しいのに、録音までして聴いてくださっていたなんて…。若いリスナーさんが多いという、聴取状況調査(→035)どおりのメッセージでした。




なかには、海外から福岡に来られている方から英語でおたよりが届いたこともありました。おたよりの雰囲気を重視して、やや意訳ぎみにお届けします。


「1989.7.5. Dear DJs Rockatopia 楽しいエンタメと新しい情報がいいですね! 番組に夢中なリスナーの一人です。私はフィリピンからの研修生で、音楽が大好きです。番組を聴いているときは、いつもとても幸せ。間違いなくスーパー・ミュージック・ステーションです! 夜の9時~10時の番組の間は、ラジオをそばに置いて、番組から流れる音楽にとても心地よく癒やされて、眠りについています。日曜日のお休みには、MOMOを聴いて週末を始めるのが最高。すばらしい音楽放送局を聴けて良かったです。これからもがんばってください! ずっと聴いてます。 Your avid listener」


Rockatopia(ロッカトピア)は「よかトピアFM」の多国籍パーソナリティーグループ。母国語まじりのにぎやかな番組が大人気でした(→007)。先ほどのおたよりにあった、午前中にデッド・ケネディーズやスペシャル・デューティーズをかけていたのも、ロッカトピアの番組『Music Channel』(平日10~13時)です。

「よかトピアFM」の番組が、海外から福岡に来られている方にとって気持ちが安らぐ時間になっていたことは、こういうメッセージが残っていてはじめて知ることができました。当時福岡を好きになって帰国されていたらいいなーと思います。




こうして、各方面でファンを増やしていった「よかトピアFM」。博覧会終了とともに閉局するのを惜しむ声も多かったようです。



福岡市早良区有田にお住まい、24歳のMさんです。


「私はRadio MOMOの放つ音楽シャワーを頭からつま先までたっぷり浴びて、実に心地よい中毒になってしまいました。(どうしてくれる?)」



続いては、春日市のKさん


「いつも聞かせてもらっています。はっきり言ってこれまでの福岡のライフスタイルを変えたと言っても過言でないほど新鮮さをもった局だと思います。試験放送の時から期待していましたが、今は大変感動しています。というのも単にヒット曲でなく、トークも楽しく、それでしつっこくなく、日ごろ聞けない変わった音楽がたくさん聞けるからです。春先は知らなかった人も多かったようでしたが、今では「絶対いいから」というコマーシャルが広がったのかどうか、すっかり定着した感があります電波法か何か知りませんが、なくなったらこまりますよ。」



糟屋郡宇美町のNさんからも、放送を続けてほしいというメッセージです。


「このラジオMOMO、よかトピアの間だけとか? FMの少ない福岡なのでこのまま残しておくことはできないのでしょうか? いっつもごきげんなミュージックがかかっているので気に入っています。ガンバッテ下さいネ!。」


よかトピアの会期中、わずか半年間の放送でしたけど、すでに「よかトピアFM」が生活の一部になっている方もいらっしゃったみたいですね。

当時の福岡は民放FMはエフエム福岡だけでした。こういうおたよりを読むと、単なるイベントFM局の枠をこえて、自分好みの番組・パーソナリティー・音楽を求めるラジオファンや音楽ファンに、チャンネルの選択肢が増えたことを喜んでもらっていたようです。




では、もう最後のおたよりになりました。福岡市東区香椎のラジオネーム「耳のこえたリスナー」さんからです。


「連休にはじめてRADIO MOMOを聞いた。私が待ち望んでいたものに近くてうれしい。長い間、関東に住んでいたので音楽に対しても不満をもっていた。東京には何といってもFENが24時間の放送をしていた。九州ではラジオから聞こえてくるのはいつも同じ。CDレンタル屋に行ってもどこも同じ音楽ソース。もううんざりしていた。福岡のリスナーを一味違うジャンルの広いリスナーに育てあげようではないか。そしたら後から新しい文化も育つし、九州のためにも大変いいことだと思うのだが。あまりおおげさかな。」


かつては福岡でもFENを聴くことができました。先日惜しまれながら他界されたシーナ&ロケッツ鮎川誠さんが、FENで海外の音楽に親しんだ話をインタビューなどでたびたび語られていたことを思い出します。

かつてのFENのように、「よかトピアFM」で自分の大好きな1曲にめぐりあった人もいたかもしれないですね。






さてここまで、30年以上経って当時のおたよりを読む、素人パーソナリティーのコーナーでした。お付き合いくださってありがとうございました。


リスナーさんのおたよりにもあった通り、「よかトピアFM」に寄せられた期待と、その後の影響は大きかったようで、当時は新聞に「好評よかトピアFM 第二FMの期待生む」という記事が載ったほどでした。

この新聞記事では、既存局にない番組がリスナーの心をとらえたこと、音楽局の可能性を提示して福岡の第二FM局への期待を生んだこと、地元企業をスポンサーにして文化行事に参加する機会を広げたこと、そうした点でよかトピアFMの波及効果は十分評価できることなどを書いています(『日本経済新聞』1989年7月6日夕刊)。


実際、よかトピアが終わって90年代になると、現在につながる「CROSS FM」が1993年に、現在の「LOVE FM」につながる「FREE WAVE」「LOVE FM」が1996年・1997年に、すでに閉局した「FM MiMi」(のち「StyleFM」)が2000年に、それぞれ開局して福岡にFM局が増えていきました。


似たような例だと、よかトピアと同じ年に開催された名古屋市の「世界デザイン博覧会」(1989年7月15日~11月26日)のイベント放送局「FM DEPO」(1989年7月1日~11月26日)があります。運営はCBC(中部日本放送)が担当しました。洗練されたプログラムを300W出力で愛知県内に放送して、愛知県2番目のFM局「ZIP-FM」の開局(1993年)をうながしました。




「よかトピアFM」では、博覧会情報を来場者に届けることをこえて、このために集った国際的なパーソナリティーが楽しいトークを繰り広げ、一日中新鮮な音楽を流して、連日訪れる豪華なゲストからは福岡だけでしか聴けないことを語ってもらうことで、福岡都市圏はもちろん、広く県外にまでファンを増やしました。


今回こうして当時のリスナーさんからのおたよりを読んでみると、半年間の短い放送でしたが、「よかトピアFM」のパーソナリティーさんや音楽との「であい」(←よかトピアのテーマです)が、音楽のまち「福岡」にふれ、「福岡」そのものまでも感じるきっかけになっていたようです。


よかトピアが現在の福岡を特徴付ける起点になったことはよく知られていますが、福岡タワーやアジア太平洋の個性的なパビリオンやイベントのなかにあって、音楽のパビリオン「よかトピアFM」がはたした役割はあまり語られてきませんでした。


でもその番組は、博覧会の会場を訪れていない人にまでも〝「福岡」ブランド〟を広める、オリジナルなメディアとして機能していたように見えます。


その方法が音楽だったというのが、実に福岡らしくて楽しいです。

こうしてふり返ってみると、「よかトピアFM」は現在のイベント「Fukuoka Music Month」に道をつないでいった、「音楽都市・福岡」の先輩と言っても良いのではないでしょうか。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)




【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)

・『よかトピアFMタイムテーブル』VOL1~3((財)アジア太平洋博覧会協会)

・『日本経済新聞』1989年7月6日夕刊

・塚田修一「米軍基地文化としての米軍ラジオ放送FEN─音楽関係者の聴取経験と実践を中心に─」(『三田社会学』26、2021年)


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #よかトピアFM #リスナーさん #「アンテナを揺さぶる、新鮮さ。」(タイムテーブル(3~4月)のキャッチフレーズ)


Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル

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