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2026年9月11日金曜日

【連続レポ】縄文時代よりの使者② 縄文人たちが直面した新たな大問題

 

こんにちは。市史編さん室です。


先週から、Love FMで毎週月~木の21:30~23:00まで放送中の「月下虫音」内で放送されておりますゲストコーナー「縄文時代よりの使者」。

こちらは、福岡市史が発行する『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ ④ 縄文時代のタネとムシ』の著者である小畑弘己先生(熊本大学名誉教授/福岡市史編集委員会考古専門部会専門委員)と、ラジオパーソナリティの大田こぞうさんとの対談企画です。




第1回の放送を受け、さっそく番組には「本を手にしました!」というお便りが届いたという紹介がありました。ムシ好きの皆さまにも本書に興味を持っていただき、大感激です!


さらにはお便りを送られたこの方のエピソードが衝撃すぎたので、ちょっとここで紹介させてください。


この方、本書の表紙を飾っているムシの絵(本の中にもいたるところに登場しています!)に目を留めてくださったようなのです。

本当に繊細で緻密で美しい絵なんですよね。



そこでさっそく巻末を見てみると、そこには「Paleoart  ATABO」というクレジットが。

普通なら「なるほど、こういうアーティストがいるのね~」で終わるところ、いくら検索しても引っかからないこのナゾのアーティストが気になって、さらなる追跡捜査を進めていかれるのです…。


この表紙の精密なイラストは一体誰が描いたのか…?


すると、「Paleoart」が科学的根拠に基づいて古生物などを復元した絵のジャンルであることが判明(そういうジャンルがあるんですよね~。わたしもこの編集に携わって始めて知りました)。

じゃあその後に続く「ATABO」って一体何なんだ…???


ATABO、ATABO、ATABO、ATABO……と、字面を見て推理した結果、このアルファベットが逆からも読めることに注目!


そう、「ATABO」を逆さまから読むと…「OBATA」になる…!

ついに「これは小畑先生が書いた絵なのでは?!」という結論に達したのです…!



その推理力、素晴らしすぎます!!!



その通り、実はこれらの絵はすべて小畑先生の手によるものなのです!

本に興味を持ってくださっただけでなく、まさか小畑先生によるこの仕掛けにまで気がつかれるとは…!

編集担当としてはそこまで細かくチェックしてくださったことが本当に嬉しかったです。

本当にありがとうございます!!


名探偵、爆誕。



さてさて、嬉しさのあまり前置きが長くなってしまいましたが、ようやくここから本題です(失礼しました…)。



前回の第1回では、「縄文時代よりの使者」といいつつも、その前の旧石器時代のお話まででタイムアップとなってしまいました(でもその前史、前段が大事なのです!)。

今回はいよいよ縄文時代のお話が始まります…!




生活の変化=食べものの変化

前回、旧石器時代に大型動物とともに遊動しながら狩猟生活を送っていた人々が、ついに「定住」という新たな生活スタイルを手に入れました。


じょうもんじんは「ていじゅう」をてにいれた!


「定住」、つまり「決まった場所に住む」という生活スタイルは、よく考えると現代のわたしたちにとっては当たり前の生活ですよね。

現代のわたしたちは、多くの人々が一軒家やマンションなど、特定の住所がある家に暮らしていることを標準とされた世界に生きています。このような現代に生きるわたしたちの生活スタイルの根本は、大きく言えば縄文時代にはじまったと言って良いようです。



(UnsplashのBreno Assisが撮影)


生活スタイルが変わると、食べものを獲得する方法も変わります。

遊動をしていた頃、旧石器時代の主な食べものは、マンモスに代表される大型動物がメインでした。しかし定住を選択した以上、小さな動物は捕まえることはできても、以前と同じようなわけにはいきません。

そんなとき重宝したと考えられるのが、住処の近くの森に山ほどある木の実、とくにドングリやクリなどの堅い殻を持つ実(堅果類)など、保存がきく食べものだったようです。



縄文時代のドングリ(イチイガシ)と浅鉢は
福岡市博物館の常設展示室に展示しています。



ここで「保存」というキーワードが登場します。

人々はいろいろなところから木の実などを集めてくるわけですが、それを全部その場で食べてしまうわけではありません。

食べきれない分、あるいは明日、明後日、その先の分として、家の中に「貯蔵」する必要が出てきます。これがこの時代の重要なポイントです。


このようにして、これまでと違って食べものを蓄えはじめると、明日の食べものに困らないという安心が得られます。

ところがそれと引き換えにして、これまでにはなかったさまざまな問題をも、同時に抱えることになっていくのです…。




食べものを巡る「ムシ vs. ニンゲン」の仁義なき闘い

定住をはじめて食料とともに生活するようになると、せっかく貯蔵した食料に「やつら」の影が忍び寄ります。

そう、ムシ(害虫)の登場です。


ニンゲンが明日、明後日、その先を生きていくためにせっかく貯めたクリやドングリですが、それらはニンゲンだけでなく、ムシたちにとっても貴重な食料です。

というか、むしろ先に食べていたのはムシたちで、言ってみればそれをニンゲンが「横取り」したようなもの(ムシだけに…)。ムシたちにとってはいい迷惑です。

ムシたちはムシたちで、これまで通り生きていくため、そこにあるクリやドングリに近づく。するとニンゲンたちにとってはそれが敵になる…(当時の人々が「害虫」という概念を持っていたかどうかわ分かりませんが)。


ここに、「ムシ vs. ニンゲン」による、食べものを巡る「オレが食べるか、お前が食べるか問題」(by大田こぞうさん)が勃発したのです…!



ここから長い長い闘いの歴史が始まるのであった…



ムシ目線で見ると、これまでは決まった時期に限られた数だけそこにあった食料が、何だか知らないけど一か所に、しかも大量に集められているわけです。

これはムシにとってまさに天国。そして繁殖チャンス以外、何者でもありません。


そして彼らの中にはこの天国のような環境に適応していく者も現れます。

たとえばマメゾウムシ(甲虫目ハムシ科でゾウムシ科ではない)の仲間は、ニンゲンが貯蔵した穀物などを食べる「貯穀害虫」と呼ばれていますが、彼らは成虫になると食べものを食べません。ひたすら交尾をし、ニンゲンが集めた大事なマメにどんどん卵を産み、繁殖し続けることで有名です。

現生の個体が食料ですこし生きながらえることよりも、仲間(子孫)を増やして種が永く生き残ることに集中するようになるわけです。



ですが、結果的に「横取りを横取り」されたニンゲンも黙ってはいません。

ムシの害に落胆しながらただ食べものを貯め続けたわけではなく、動物のフン特定の薬草などムシが嫌がる成分を見つけ出し、それを貯蔵した食べものと一緒に保存したり壁に塗ったり、そういった「防虫」に注力するようになります。


…これって今のわたしたちの生活とあまり変わりないですよね?

このように、人々が食べものを貯蔵しはじめた瞬間から現代にいたるまで、防虫には長い歴史があり、ムシとの終わりなき闘いは今も果てしなく続いているというわけなのです。






貯蔵の安心と引き換えに生まれたゴミ問題

貯蔵という術を身につけたことで、人々は明日の生活(=食べもの)に困るということは、あまりなくなりましたが、ムシとの闘いという問題を抱えることにになりました。

ですが問題はそれだけではありません。人が同じ場所で生活していく上で、決して避けては通れない問題…。


そう、日々発生するゴミ問題です。

これも現代と変わりありませんが、生活の中で出たゴミをどこに捨てるかというのは、縄文人たちにとっても大きな問題だったに違いありません。


結果として、当時の人々は自分たちが住む家のまわりに食べたものの残りや不要になった道具をまとめて棄てる場所を決めました。

それが「貝塚」です。


写真はイメージです。



とはいえ小畑先生曰く、家のまわりにゴミを捨てたと言っても、決してゴミ屋敷のように「ゴミと一緒に暮らしている」といった意識はなかったのではないかといいます。

貝塚=ゴミ捨て場」というイメージが強いかもしれませんが、貝塚には食べたものや使えなくなった道具など役割を終えた物だけでなく、まだ使える道具類や、あるいは人骨なども一緒に見つかることがあり、ある種の儀式を行ったような跡も見られたというのです。

これは、食べものや亡くなった人が「また戻ってくるように」という願いが込められていたと考えられています。


小畑先生によれば、こうした願いを込めたような行動は、当時の人々が新たに直面した「ゴミ」という課題に対して、これをどう解消しようかと葛藤した末に生まれた精神性ではなかったかとのこと。

かつて遊動生活を送っていた頃のようにそこから移動することはできないわけですから、そういう意味で、日々溜まっていくゴミというストレスとどう付き合い、どう折り合いをつけてゴミと暮らしていくかという問題に対峙していた――。


ゴミが出たらその辺に捨てればいい」といった、そんな簡単な考えではなかったんですね。

かつてはただのゴミ捨て場として認知されていた貝塚ですが、現在ではただ不要になったものを捨てる場所というよりも、言ってみれば現世とあの世をつなぐような、言わば「再生の場」として捉えられていたと考えられているのだそうです。




実は、福岡市内でも貝塚はいくつか見つかっています。

といってもその数は少なく、中でも縄文時代のものとされているのは、元岡瓜尾貝塚(西区大字元岡)、長浜貝塚(西区今津)、桑原樋櫛貝塚(西区大字桑原)、浜の町貝塚(中央区舞鶴)の4か所だけ。

このうちの3か所は、いずれも今津湾の周りに位置しています。


とくにこの中の元岡瓜尾貝塚は福岡県指定史跡に指定されていて、九州大学伊都キャンパスに隣接する農業用のため池(通称:大阪の池)周辺がその場所です。

池には見学用の通路が設けられており、現在でもそこから貝塚の断面を見ることができます。





以上、第2回はここまで!

今回は前回よりも若干長い対談時間となり、レポートも長めのお届けとなってしまいました。


そして今回の締めにかかった音楽は、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」(1974年)。

縄文時代の人々が本当はどのような思いで生きていたのか、それは誰にも分かりません。

現代のわたしたちは、残されたものからその用途や精神性を想像することしかできませんが、もしスイッチ一つで好きな時代に行けるタイムマシンがあったなら、一体どんな世界を見ることができるのでしょう。

そんな夢と空想をふくらませた放送となりました。



* * * * * * *



さて、来週の第3回では、縄文人たちが一生懸命貯蔵していたクリやドングリに集まったムシたちについてのお話のようです。


次回もどうぞお楽しみに!




9月10日(木)の放送は、スマートフォンやパソコンのアプリでラジオが聴ける無料サービスradikoでも、放送から1週間以内であればタイムフリー機能で聞くことができます。

すでに聞いてくださった方も聞き逃した方も、ぜひ聞いてみてくださいね!

※ radikoについてはコチラをご覧ください。



月下虫音 (げっかちゅうね) | LOVE FM | 月~木  21:30-23:00

9月のゲストコーナー「縄文時代からの使者」は、毎週木曜日21:45頃~放送!

「縄文時代からの使者」

第1回 縄文時代の定住革命(9月3日放送)>>>放送後の記事はコチラをクリック(本ブログ内の記事「【連続レポ】縄文時代よりの使者① ギャートルズ的時代のくらしが激変した定住革命とは?」が開きます)

第2回 縄文人たちが直面した新たな大問題(9月10日放送)>>> コチラをクリック(radikoのサイトが開きます)



『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ④ 縄文時代のタネとムシ』目次

はじめに

第1章 狩猟と遊動の旧石器時代
1-1 旧石器時代のくらしと家
項目情報 旧石器時代とは/旧石器時代の環境/世界の旧石器時代のイエ/旧石器時代の囲炉裏はどこ?/石器ブロックは男性が残したのか?

1-2 旧石器人の道具と技術
項目情報 道具を進化させた旧石器人/福岡市最古の旧石器/朝鮮半島から来た石器/今山で採集された角錐状石器/最初の組み合わせ槍/遊動生活に最適な石器・細石刃/究極の組み合わせ道具・植刃器/週游生活と石材原産地の「埋め込み戦略」/北部九州の旧石器時代遺跡と生活圏/移動生活の必須アイテム・水筒/狩猟場に残された狩猟具/解説コラム① 姶良Tn火山灰の降灰/解説コラム② 繊維と結びの歴史

Column 1 「害虫」が語る衣服の歴史と人類の拡散
Column 2 楽器を奏でた旧石器人
Column 3 考古学の真実とは~発掘者の心得~

第2章 縄文人の自己紹介
2-1 縄文人のくらし
項目情報 縄文人の一生/骨に残る縄文人の病理と生活習慣/墓地の発生/縄文人の利き手/イヌと仲良し縄文人/土偶と祈り/解説コラム① ひっつきむしと縄文人

2-2 縄文人の生活道具
項目情報 平底土器と尖底土器/土器発明の意義/多様な生活材、籠・網・衣類/土器が教える縄文の布と衣/縄文時代の網/福岡市内の編組製品/縄文時代と旧石器時代の道具立ての違いとその意味/罠猟の発達/解説コラム② 見よう見まねの大切さ/解説コラム③ 年代を知る~放射性炭素年代IntCal20~

第3章 遊動から定住へ
3-1 定住はいつ始まったのか?
項目情報 定住という生活スタイル/遊動生活から定住生活への動機の変化(定住革命)/縄文時代の家比べ/屋外の調理施設

3-2 縄文人のトイレとゴミ問題
項目情報 縄文時代のトイレはどこ?/貝塚から出た食べものとゴミ/ゴミ処理問題の発生と森林への負荷/解説コラム① 縄文時代の環境変化①~縄文海進~

Column 1 食料貯蔵とともに始まったムシとの闘い
3-3 縄文人の交易
項目情報 ヒトが動く→モノが動く/交易による資源調達システムの確立/石斧の生産と交易/縄文人のアクセサリー/クロム白雲母と九州ブランドの拡散

3-4 縄文人の対外交流
項目情報 韓国最古の穀物発見/対馬越高遺跡の発掘調査/アカホヤを遡らない隆器文土器/石器石材とクジラ漁/解説コラム② 縄文時代の環境変化②~鬼界カルデラの噴火~

第4章 ムシとの共同生活
4-1 縄文コクゾウムシの発見
項目情報 コクゾウムシの意味するもの/コクゾウムシの起源と害虫化/ムギ害虫とイネ害虫(コクゾウムシの拡散)/イネを食べなかった縄文コクゾウムシ/海峡を越えたコクゾウムシ(食料運搬)/中国初の新石器時代コクゾウムシの発見/解説コラム① 土器圧痕と土器圧痕法

4-2 土器の中のコクゾウムシ
項目情報 土器に練り込まれたコクゾウムシ/冷蔵庫と食器棚の中身―コクゾウムシの居場所―/土器はおうちの中で作られた/土器作りと混和材/土器作りともう一つの混和材/土器圧痕として発見されるタネやムシの特性/解説コラム② 「雑草」を食べた縄文人/解説コラム③ 大原D遺跡は「80%コクゾウムシ」?

Column 1 法垣遺跡のノミとコクゾウムシ
4-3 縄文人のムシとの付き合い方
項目情報 「ガイチュウ」って何?/縄文時代の防虫剤?/縄文時代の害虫たち/縄文人の家に侵入したゴキブリ/ネズミだらけだった縄文ハウス

Column 2 ムシ食はあったのか?

第5章 縄文農耕論の今
5-1 縄文時代の栽培植物
項目情報 四箇遺跡の栽培植物の謎/縄文時代の栽培植物/イネ・ヒエ・オオムギは別時代のもの/解説コラム① ダイズとアズキの見分け方

Column 1 栽培とは?
5-2 「縄文農耕論」とは何か?
項目情報 考古学の「栽培化」と新たな理論/「縄文農耕論」とは?/縄文時代の真の栽培植物とは?/アク抜きか中長期貯蔵か/福岡市内にも縄文晩期の雑穀農耕はあったのか?/樹木を育てた縄文人/植物性資源利用の増大/南九州縄文にヒエ栽培はあったのか/定住化と濃厚開始による人口増加のメカニズム/解説コラム② AIは遺跡出土のタネを同定できるか

Column 2 土器にタネをまいた縄文人

第6章 弥生時代の開始と新たな縄文人像
6-1 縄文時代の稲作
項目情報 時代区分の基準とは/土器圧痕を用いた新たな手法/稲作の始まり=弥生時代の始まりではない?

6-2 新たな縄文時代・縄文人像
項目情報 土器圧痕のタネとムシからみえてきたもの/新たな縄文時代・縄文人

Column 1 X線が見つけた大発見~日本最古の貝殻入り土器~

おわりに


(文責:加峰)

2026年9月4日金曜日

【連続レポ】縄文時代よりの使者① ギャートルズ的時代のくらしが激変した定住革命とは?


こんにちは。市史編さん室です。


3月に発行した『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ④ 縄文時代のタネとムシ』。おかげさまで発売以来、ご好評をいただいております!


一般書店でも好評発売中です!


そして何とこのたび、本書の著者である小畑弘己先生(熊本大学名誉教授/福岡市史編集委員会考古専門部会専門委員)と、巷では「昆虫DJ」として知られるラジオパーソナリティの大田こぞうさん(FBS福岡放送で放送中の「地域検証バラエティ 福岡くん。」のナレーションでもおなじみ)との特別対談が実現しました!


小畑先生と大田こぞうさん。
小畑先生は調査帰りで日焼けが眩しい…。



舞台は、Love FMで毎週月~木の21:30~23:00まで放送中の「月下虫音」。

この番組はタイトルからも分かるとおり、パーソナリティの大田こぞうさんによる身近なムシや動物、自然、そして日々の暮らしの話題を中心としたトークとステキな音楽で構成されており、そのためリスナーさんも生き物好きが多く、なかなかにムシ知識も豊富…。


\そんな番組に『縄文時代のタネとムシ』がハマらないわけがないっ!/

※ちょっと言い過ぎたかも…。



というわけで8月某日、さっそく収録に臨みました。

当日はわたしも同行して、収録中は光栄なことに放送作家ポジションでお二人の「縄文&ムシ談義」を間近で浴びさせていただきました(何もしてないのですが…)。


こぞうさん(と呼ばせていただきます!)には事前に本書をお渡ししていたのですが、当日ご本人が持参された本にはなんとふせんがびっしり…! 

それはこの後の対談でも明らかになるのですが、かなり細かく丁寧に本書を読み込んでくださっていたようで、それだけでも編集担当としては感無量のひとときでした。

とっても気さくだけど専門家への特大リスペクトは忘れないこぞうさんと、いつでもフランクな小畑先生。初対面ながらお二人の話は打ち合わせから大変盛り上がりました。


よく見ると大量のふせんが!!
(「後で撮らせてもらおう」と撮影を忘れた痛恨のミス)




ギャートルズの世界ってホントにあったの??

こうしてさっそくスタートした対談ですが、実はこれまで考古学にはあまり馴染みがなかったというこぞうさん。「思いつくのは『はじめ人間ギャートルズ』のような世界!」ということで、まずは縄文時代より前の旧石器時代のお話から始まりました。そもそも小畑先生はかつては旧石器時代を中心に石器を研究されていたため、いわばそんな「ギャートルズ的な時代」にはお詳しいのです。


旧石器時代といえば、人々は移動しながらギャートルズのゴンたちのようにマンモスのような大型動物を追いかける狩猟生活

時代が少し下ると木組みに帆をかけたテントのような住居に住むようになるのですが、こうしたいわばキャンプ生活をしながら、できるだけ財産は持たず、軽量で最小限度の生活道具とともに移動する遊動生活を送っていました。

ただし、彼らはその日暮らしのようにただ気ままに暮らしていたわけではなく、ちゃんと季節性や動物の行動を理解していたといいます。

動物の行動に合わせて移動し、時期によって適切なキャンプ地を定め、それらを周遊する生活を送っていたようです。


(イメージ画像/UnsplashのMeressa Chartrandが撮影)



遊動から定住へ

そんな彼らにも転機が訪れます。気候や環境の変動です。

大型動物が減少し、草原は森へと変化しました。先生曰く、森は非常に生産性が高くコンパクトにまとまった「資源のプール」のような存在だったのだとか。

そうなると、これまでのように資源量が薄い地域を転々として獲物を追いかける生活ではなく(しかも獲物も減っている…)、資源量豊富な森の近くにいれば小動物も寄ってくるし木の実も採れる。食べるのには困らない。

こうして森に依存した定住生活が始まります。


彼らが移動生活をやめたのは、「そろそろキャンプ生活も飽きちゃったな~」といった動機からではなく、こうした環境の変化に合わせてそれまでの遊動生活をやめ、新たな生活スタイルを選んだという、まさに「定住革命」が起こったというのです。

※「定住革命」とは、生態人類学者の西田正規氏、考古学者の加藤晋平氏らが提唱した概念で、人類史の画期的な転換点とされています。(参考:西田・加藤共著『森を追われたサルたち―人類史の試み』〈1986年、同成社〉、西田正規『定住革命ー遊動と定住の人類史』〈1986年、新曜社/絶版〉、西田正規『人類史のなかの定住革命』〈2007年、講談社学術文庫〉など)



キャンプ生活もたまにはいいですよね。


こうして始まった定住生活ですが、この新たな生活スタイルが人々に何をもたらしたのか…。





と、第1回はここまで! 

なんと4回の構成のうち1回目はまだ縄文時代に到達せず…そしてムシも出てこない…!



収録で一度聞いていた話のはずなのに、あらためてお二人の話にすっかり引き込まれていたところ、コーナーの終わりにかかった曲は「やつらの足音のバラード」…。

そう、お若い方はご存じないかもしれませんが、アニメ『はじめ人間ギャートルズ』のエンディング曲です。

いつもはどことなく切なく響くこの曲が、今日のお話を聞いたことでより深く心に沁みわたり、太古のキャンプ生活にそっと想いを馳せた夜となりました(まだ本題は始まっていませんが…)。


* * * * * * *



さて、次回はいよいよ縄文時代のお話、そしてついにムシたちが登場します。

第2回の放送もどうぞお楽しみに!





9月3日(木)の放送は、radikoでも1週間以内であればタイムフリーで聞くことができます。

すでに聞いてくださった方も聞き逃した方も、ぜひ来週の第2回に備えて聞いてみてくださいね!


月下虫音 (げっかちゅうね) | LOVE FM | 2026/09/03/木  21:30-23:00

radikoタイムフリーはコチラから聞くことができます。



『新修 福岡市史ブックレット・シリーズ④ 縄文時代のタネとムシ』目次

はじめに

第1章 狩猟と遊動の旧石器時代
1-1 旧石器時代のくらしと家
項目情報 旧石器時代とは/旧石器時代の環境/世界の旧石器時代のイエ/旧石器時代の囲炉裏はどこ?/石器ブロックは男性が残したのか?

1-2 旧石器人の道具と技術
項目情報 道具を進化させた旧石器人/福岡市最古の旧石器/朝鮮半島から来た石器/今山で採集された角錐状石器/最初の組み合わせ槍/遊動生活に最適な石器・細石刃/究極の組み合わせ道具・植刃器/週游生活と石材原産地の「埋め込み戦略」/北部九州の旧石器時代遺跡と生活圏/移動生活の必須アイテム・水筒/狩猟場に残された狩猟具/解説コラム① 姶良Tn火山灰の降灰/解説コラム② 繊維と結びの歴史

Column 1 「害虫」が語る衣服の歴史と人類の拡散
Column 2 楽器を奏でた旧石器人
Column 3 考古学の真実とは~発掘者の心得~

第2章 縄文人の自己紹介
2-1 縄文人のくらし
項目情報 縄文人の一生/骨に残る縄文人の病理と生活習慣/墓地の発生/縄文人の利き手/イヌと仲良し縄文人/土偶と祈り/解説コラム① ひっつきむしと縄文人

2-2 縄文人の生活道具
項目情報 平底土器と尖底土器/土器発明の意義/多様な生活材、籠・網・衣類/土器が教える縄文の布と衣/縄文時代の網/福岡市内の編組製品/縄文時代と旧石器時代の道具立ての違いとその意味/罠猟の発達/解説コラム② 見よう見まねの大切さ/解説コラム③ 年代を知る~放射性炭素年代IntCal20~

第3章 遊動から定住へ
3-1 定住はいつ始まったのか?
項目情報 定住という生活スタイル/遊動生活から定住生活への動機の変化(定住革命)/縄文時代の家比べ/屋外の調理施設

3-2 縄文人のトイレとゴミ問題
項目情報 縄文時代のトイレはどこ?/貝塚から出た食べものとゴミ/ゴミ処理問題の発生と森林への負荷/解説コラム① 縄文時代の環境変化①~縄文海進~

Column 1 食料貯蔵とともに始まったムシとの闘い
3-3 縄文人の交易
項目情報 ヒトが動く→モノが動く/交易による資源調達システムの確立/石斧の生産と交易/縄文人のアクセサリー/クロム白雲母と九州ブランドの拡散

3-4 縄文人の対外交流
項目情報 韓国最古の穀物発見/対馬越高遺跡の発掘調査/アカホヤを遡らない隆器文土器/石器石材とクジラ漁/解説コラム② 縄文時代の環境変化②~鬼界カルデラの噴火~

第4章 ムシとの共同生活
4-1 縄文コクゾウムシの発見
項目情報 コクゾウムシの意味するもの/コクゾウムシの起源と害虫化/ムギ害虫とイネ害虫(コクゾウムシの拡散)/イネを食べなかった縄文コクゾウムシ/海峡を越えたコクゾウムシ(食料運搬)/中国初の新石器時代コクゾウムシの発見/解説コラム① 土器圧痕と土器圧痕法

4-2 土器の中のコクゾウムシ
項目情報 土器に練り込まれたコクゾウムシ/冷蔵庫と食器棚の中身―コクゾウムシの居場所―/土器はおうちの中で作られた/土器作りと混和材/土器作りともう一つの混和材/土器圧痕として発見されるタネやムシの特性/解説コラム② 「雑草」を食べた縄文人/解説コラム③ 大原D遺跡は「80%コクゾウムシ」?

Column 1 法垣遺跡のノミとコクゾウムシ
4-3 縄文人のムシとの付き合い方
項目情報 「ガイチュウ」って何?/縄文時代の防虫剤?/縄文時代の害虫たち/縄文人の家に侵入したゴキブリ/ネズミだらけだった縄文ハウス

Column 2 ムシ食はあったのか?

第5章 縄文農耕論の今
5-1 縄文時代の栽培植物
項目情報 四箇遺跡の栽培植物の謎/縄文時代の栽培植物/イネ・ヒエ・オオムギは別時代のもの/解説コラム① ダイズとアズキの見分け方

Column 1 栽培とは?
5-2 「縄文農耕論」とは何か?
項目情報 考古学の「栽培化」と新たな理論/「縄文農耕論」とは?/縄文時代の真の栽培植物とは?/アク抜きか中長期貯蔵か/福岡市内にも縄文晩期の雑穀農耕はあったのか?/樹木を育てた縄文人/植物性資源利用の増大/南九州縄文にヒエ栽培はあったのか/定住化と濃厚開始による人口増加のメカニズム/解説コラム② AIは遺跡出土のタネを同定できるか

Column 2 土器にタネをまいた縄文人

第6章 弥生時代の開始と新たな縄文人像
6-1 縄文時代の稲作
項目情報 時代区分の基準とは/土器圧痕を用いた新たな手法/稲作の始まり=弥生時代の始まりではない?

6-2 新たな縄文時代・縄文人像
項目情報 土器圧痕のタネとムシからみえてきたもの/新たな縄文時代・縄文人

Column 1 X線が見つけた大発見~日本最古の貝殻入り土器~

おわりに


(文責:加峰)

2025年12月18日木曜日

博物館おたのしみオンラインツアーを開催しました!

 先週、博物館では、「博物館おたのしみオンラインツアー」を開催しました✨

 このツアーは、対面での体験学習や出前学習が困難な福岡市立の小・中学校の児童・生徒の皆さんを対象としたもので、これまで様々なテーマのもと、常設展示室やみたいけんラボの展示資料を紹介してきました。

今回のテーマは、「福岡城の大きさ比べをしよう」

常設展示室に展示している「正保福博惣図」(江戸時代描かれた福岡の地図)の前からスタートしました。

福岡城のあった場所や、城下町「福岡」と商業都市として栄えた「博多」が「双子都市」と呼ばれていることなどが紹介されました👯


その後、黒田家に関する資料や甲冑などをご紹介。


⬇️常設展示室の甲冑のコーナー。

ここは、定期的に甲冑を入れ替えて展示しています。

 


最後に、福岡城下町の模型を使い、福岡城がどれくらいの大きさなのか、皆さんにイメージを膨らませていただきました。

例えば、大きさくらべ。

Q. 福岡城と熊本城は、どちらが大きいでしょうか

皆さん、どちらだと思われますか?🤔


続いて、

Q. 福岡城と大阪城ではどちらが大きいでしょうか❓

Q. 福岡城と中国の故宮では❓

Q. 福岡城とピラミッドでは

 (答えを知りたい方は、ぜひ展示室でご覧ください😉)


ツアーに参加されている皆さんにも、ご意見をお聞きしました。

なかなか難しい質問に、皆さんの意見も割れ、クイズを出す私たちも楽しいひと時となりました。

オンラインツアーを通して、当館の展示をお楽しみいただき、福岡の歴史や文化、文化財に興味を持っていただけたら大変嬉しく思います。

本ツアーは、福岡市立の小・中学校の児童・生徒の皆さんを対象に行っています。ご興味のある方は、ぜひ福岡市博物館までご連絡ください😊

2024年12月13日金曜日

【別冊シーサイドももち/増刊号】まちの移り変わりをシーサイドももちから考える~福岡教育大学附属福岡小学校の授業から~

 

11月19日、福岡教育大学附属福岡小学校3年生の皆さんが社会科学習のために来館されました。

今回は、【増刊号】としてその時の様子をご紹介したいと思います。


* * * * * * *


この日は3年生17名の皆さんと先生方2名が来館されました。

授業のテーマは「ともに描こう! 未来の福岡市~福岡市の移り変わり~」。

まちの移り変わりについて、現在まさに開発真っ只中の「天神地区」と、約35年前に埋立地として新しくつくられた「シーサイドももち」を比較し、交通・公共機関・土地利用の時期による違いを捉え、福岡市や人々の生活の変化について考えるという授業です。


まずは今日の授業の説明から。


今回は「シーサイドももち」が題材ということで事前に先生から相談があり、書籍『シーサイドももちー海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来ー』を下敷きに、まちの開発やその後の人々の暮らしに焦点を当てた構成で、座学と見学を行うことになりました。




まずは30分ほどの座学からスタートです。

シーサイドももち地区は埋立地としてつくられたまちですが、時代をさかのぼるとそこには白砂青松の海岸があり、海水浴場として人々が賑わっていた時代がありました。


よかトピア通りには「百道海水浴場の碑」があります。


ですが、1970年代になると水質の悪化が進み、ついに海では遊ぶことができなくなってしまいます。

当時は海に直接下水などを流していたこともあった」というお話をした際には「信じられない!」といった悲鳴にも似たリアクションが。

現在の常識からはとても考えられないことですよね。



さらにはこの時期、博多湾内では少しずつ埋め立てが進んでおり、その影響で潮の流れが変わったことで百道の海岸は浸食で削られ、逆にガレキや岩が流れ着く有様。

かつての美しい砂浜は面影もなくなってしまいます。


また、そこには海岸線で生計を立てていた人々も存在していました。

海浜にあった旅館や休憩所で組織された海水浴場組合や、百道の沖合で養殖を行うノリ漁師の方々です。


問題が山積み…どうしよう??



そこで福岡市は1976年の「福岡市総合計画」の中で、次のことを決めました。


・新しい住宅地をつくる

・場所は百道・地行など

・海を埋めて場所をつくる

・緑をたくさん植える

・元の海辺のようにする

※百道を埋め立てて住宅地にすることは1960年の「福岡市総合計画」でも触れられています。






こうして計画された埋め立て工事が進む中、1984年には当時の進藤一馬市長が市制100年を記念した事業として、この埋立地を会場として博覧会を開催することを明言しました。


当時はまだ名称がなく「福岡国際博覧会」と仮称が付けられていましたが、これがのちの「よかトピア」です(正式名称は「アジア太平洋博覧会―福岡’89」)。

また博覧会開催にあわせて都市高速道路などの整備も進みました。


(福岡市博物館所蔵)
お祭りが集まったような賑やかさ!


一方で、総合計画にもあった「元の海辺のようにする」という目標については、単なる埋め立てではなく、そこに人工海浜をつくり美しい砂浜を再現することに。

さらには百道の代名詞でもあった美しい緑の松原を再現するため、有志の方々によって海浜沿いに松原が植えられました(はかた夢松原の会)。

これを記念した碑がシーサイドももち海浜公園の一番西側の一角に建てられており、松原は現在でも青々とした美しさを保っています。


海岸沿いに建つ「夢松原」の碑。
近くには協賛された方々のお名前を記した陶板も。



こうして新しいまち「シーサイドももち」が誕生しました。

当初は住宅地として計画されていましたが、最終的にはそれだけでなく、人々が働く場所や学ぶ場所、文化施設や病院、救急センターなどが集まる場所となっています。





…といったところで座学は終了。

質問や意見も飛び出し、皆さんメモを取りながら真剣に聴いてくれました。



次は常設展示室に移動です。





常設展示室では、先ほど学んだ「よかトピア」について、その会場の模型を見ながら内容をおさらい。

現在の姿を思い浮かべながら、博覧会会場の様子をみんなで想像します。


みんな真剣です。



博物館内での学習はここまで。


最後に実際にシーサイドももちのまちの中にある「よかトピア遺産」を探しに、福岡タワー周辺に向かいました(余談ですがこの「よかトピア遺産」というワードは、以前発行した広報誌『市史だよりFukuoka』22号〈2016年〉でシーサイドももちを特集した際に市史編さん室が提唱したと言っても過言ではない!…と思っています ^^; )。


お話と模型の内容を頭に入れて、実際にまちへ。

途中、ついでに博物館敷地の工事も少し見学。

タワーが見えてきましたよ。




まず見つけたのは巨大な「よかトピアマーク」。

これには皆さんも興味津々です。


足下にあるよかトピアマークを確認。


経年でちょっと一部欠けていますが、こんな感じです。



そしてその周りに立つ「インドの神像」。

こちらは元々あった場所から移動しているものの、よかトピアの際に実際にインドからやってきた神様たちです。


周囲に居並ぶ神様を見学。
ちなみにみんなが見ているのは「ガネーシャ」ですよ。



最後はちょっとニッチなよかトピア遺産として、福岡タワー前にある時計もご紹介。

これはちょっと言われないと気付かないかもしれませんね。


実はこれも立派な「よかトピア遺産」です。



以上、約1時間半ほどの授業を終え、最後はタワー前で質問タイム


次々と質問の手が挙がります。


皆さんからは続々と質問が飛び出し、中には「なぜ新しいまちを作ったからといって博覧会をやる必要があるの?」といった質問も。



考えてみると、これまで福岡市は明治時代からまちの開発と博覧会は切っても切れない関係でした。

明治になり、まず東中洲(岡新地)の開発後に開催された「第5回九州沖縄八県連合共進会」(1887/明治20年)と、その後に福岡城の外堀の一部を埋め立てた広大な土地(天神周辺)を使って行われた「第13回九州沖縄八県連合共進会」(1910/明治43年)で天神・東中洲という、福岡の中心地の開発が進みました。

第13回共進会を契機に市内路面電車が整備された明治通りは、現在でも福岡市の大動脈となっていますよね。


その後も須崎裏(現在の須崎公園付近)と西公園下の整備とともに行われた「福岡工業博覧会」(1920/大正9年)、大濠公園の整備後に開催された「東亜勧業博覧会」(1927/昭和2年)、博多港の築港工事完成を記念して沿岸の埋立地(現在の中央区長浜・舞鶴周辺)で開催された「博多築港記念大博覧会」(1936/昭和11年)など、枚挙に暇がありません。


余談ですが、西新でもかつて「大東亜建設大博覧会」(1942/昭和17年)が開催され、西新町の発展に勢いを付けました。




シーサイドももちでの博覧会開催もそのような流れの一つだったとも言えそうですが、現代を生きる子供たちには「わざわざ? なぜ??」という感想をもった子たちも多かったようです。



博覧会「よかトピア」が開催されてもう35年が経ちました。

今回学んだ3年生の皆さんのお父さん・お母さん世代でも、その記憶はあまり…というか全然知らない…という方が多いかもしれません(ということはおじいちゃん・おばあちゃん世代の思い出なんですね…)。

そんな皆さんからすると、この場所がかつては海だったというだけでも驚きの事実でしょう。


この学習から皆さんが何を感じてもらえたか、われわれとしても気になるところですが、皆さんの新鮮な反応を見ながら何も数百年、数千年とさかのぼるだけがまちの歴史ではないということを改めて実感した機会となりました。






※ クレジットのない写真はすべて福岡市史編さん室撮影。



新修福岡市史ブックレット・シリーズ』のご紹介

福岡市史編さん室では福岡市域の歴史をより身近に感じてもらうために、『新修福岡市史ブックレット・シリーズ』を刊行しています。

第1弾は「わたしたちの福岡市」。
これは小学校3年生~6年生で学習する内容(市の様子の移り変わり・身近な地域や市区町村の様子・地域に見られる生産や販売の仕事・人々の健康や生活環境を支える事業・県内の伝統や文化、先人の動き・県内の特色ある地域の様子・我が国の歴史上の主な事象)をベースにしながら、福岡市域のさまざまな事象をまとめた一冊です。
小学生の皆さんだけでなく、子供たちを教える先生方や地域の方々にぜひご覧いただきたい内容になっています。
また、市外・県外から福岡市に引っ越して来られた皆さん、あるいはずっと福岡市にお住まいの皆さんにも、きっと新しい発見があると思いますよ。




そして第2弾が「シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―」。
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りし、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。



また、こちらのブログでも書籍『シーサイドももち』には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを【別冊シーサイドももち】として紹介していますので、ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。

【別冊シーサイドももち】を読むにはコチラをクリックすると、これまでの記事がまとめてご覧いただけます。



どちらの本も各書店のほか、Amazonや楽天ブックスなどのECサイトからもご購入いただけますので、ぜひお手にとってご覧ください!

※「わたしたちの福岡市」についてはコチラをクリックすると目次などの紹介ページがご覧いただけます。

※「シーサイドももち」についてはコチラをクリックすると目次などの紹介ページがご覧いただけます。



[Written by かみね]

2024年12月2日月曜日

「国史跡首羅山遺跡」をご存知ですか?久原小6年生の皆さんのプレゼンテーション

 

1016日、久原小学校6年生の皆さんが来館し、グラントホールにて「国史跡首羅山(しゅらさん)遺跡」の魅力について、プレゼンテーションを行いましたのでご紹介します😊


首羅山遺跡⛰️は、福岡県糟屋郡久山町にあり、平安時代後期から鎌倉時代を最盛期とする中世山林寺院跡です。2005年度に地元の方の声から調査が始まり、発見から8年後、20133月に国史跡に指定されました。

久山町の2校の小学校では、2008年度から、首羅山遺跡を題材にした総合的な学習「わたしたちの首羅山遺跡」が継続して行われています。今回もその一環で、「首羅山遺跡の魅力を多くの人に『伝え、広げる』」ことを目的とした来館でした。

プレゼンテーションがおこなわれたグランドホールは、多くの来館者が行きかうオープンなスペースです。関係者や博物館職員など、多くの人が見守るなか、研究成果を発表しました。


緊張もあったかもしれませんが、首羅山遺跡がどのような遺跡か、イラストや図、クイズも交え分かりやすい説明ができていました。

2015年には、久原小学校・山田小学校6年生の皆さんが、「わたしたちの首羅山ものがたり」という絵本をつくったというエピソードも紹介されました📚

内容はもちろん、印象に残ったのは、皆さんのジェスチャー🙌
手を広げたり、ダン❗と足踏みで聴衆の注意を引いたり。原稿を覚えるだけでも大変だったかと思いますが、そのプレゼンテーションの完成度の高さに驚かされるばかりでした👏

プレゼンテーションの後は、中野総館長より皆さんへ、講評やメッセージが送られました


久原小学校の皆さんにとっては、地元の遺跡について学び、様々な場所で発表する貴重な機会になったことと思います。私たちも、首羅山遺跡について、また、首羅山遺跡がいかに地域の方々に大切に守られているか、学ぶ機会をいただきました。

 久原小学校の皆さん、博物館での素晴らしいプレゼンテーションをありがとうございました!😊✨


2024年11月22日金曜日

第19回福岡市史講演会「近代都市福岡の発展と筑豊炭坑家」を開催しました!


さる10月14日(月・祝)、毎年恒例の福岡市史講演会を開催しました。

市史講演会は今回で19回目となり、毎年1回だいたい秋ごろに開催しています。


第19回福岡市史講演会のチラシ


ありがたいことに、いつも多くの方がお越しくださるのですが、今回はとくに申込みの時点で定員を大幅に超えてしまっため、やむなく抽選となってしまいました。

残念ながら落選してしまった皆さまには、せっかくお申込みいただいたにもかかわらずお断りせざるを得ない状況になってしまい、本当に申し訳ございません。


なんとか落選した方にもご覧いただけないかということで、市史講演会としては初めての試みでしたが、YouTubeでのライブ配信も行うことにし、多くの方々にご視聴いただくことができました。


開演を待つ会場の様子。



今回のテーマは「近代都市福岡の発展と筑豊炭坑家」。

大正期~昭和初期の資料を集めた『新修 福岡市史 資料編 近現代3 モダン都市への変貌』(令和6年3月刊行、以下『資料編 近現代3』)の内容にちなみ、当時の福岡の都市発展について、安川敬一郎や麻生太吉といった筑豊炭坑家たちとのかかわりから見ていくという趣旨の講演会です。



『資料編 近現代3』では、九州大学附属図書館記録資料館に寄託された膨大な「麻生家文書」のうち、「麻生太吉宛安川敬一郎書簡」をはじめ、大正前半期の福岡市長候補者選定や安川敬一郎の衆議院選挙立候補に関する資料を掲載しています。


そのご縁で、今回の市史講演会は同館との共催という形で行い、会場も西新の樋井川沿いにある「九州大学西新プラザ」(早良区西新2丁目16-23)での開催となりました。


樋井川沿いに建つ九州大学西新プラザは、
九州大学創立80周年記念事業の一環として
平成13年に建てられた施設です。



今回のプログラムは次のとおり。

講演1本と報告2本、そして講師そろってのシンポジウムという3部構成です。


[講演]
遠城 明雄 先生
(九州大学大学院 教授/福岡市史編集委員会 近現代専門部会副部会長)
「福岡市の都市発展と市政の展開」


[報告]
日比野 利信 先生
(北九州市立自然史・歴史博物館 学芸員/福岡市史編集委員会 近現代専門部会専門委員)
「安川敬一郎と福岡市」


原口 大輔 先生
(九州大学附属図書館付設記録資料館 准教授)
「麻生太吉と福岡市」


[シンポジウム]
パネラー:遠城明雄先生・日比野利信先生・原口大輔先生
コーディネーター:有馬 学 先生(九州大学名誉教授/福岡市史編集委員会 委員長)




開催にあたっては、まずは記録資料館館長である井手誠之輔先生にご挨拶をいただきました。

ご挨拶いただいた井手誠之輔先生。






そしていよいよ本編がスタートです。

まず最初は、遠城明雄先生によるご講演「福岡市の都市発展と市政の展開」。


市史の編集を通して見えてきた、福岡市の都市発展(市制施行~昭和初期)の特徴を、「インフラ整備と工業化」、「近世と近代」、「中央と地方」というキーワードをもとに、講演いただきました。


遠城先生ご講演の様子。
福岡市の近代化は「社会資本の整備と工業化」がカギとのこと。




次に、日比野利信先生によるご報告「安川敬一郎と福岡市」。


安川敬一郎がどのような人物であったか、福岡市にどう関わったかを、生い立ちや家族関係、その後の事業展開などをふまえて、福岡市での政治的な動向はもとより、教育的、文化的な貢献についても報告していただきました。


ご発表いただいた日比野先生。
長年安川敬一郎についてご研究されており
その成果の一端をお話しいただきました。




2本目のご報告は、原口大輔先生による「麻生太吉と福岡市」。


麻生太吉は購入整備した浜の町別荘(現・中央区舞鶴3丁目付近)を拠点として、電力会社合併や製鉄会社誘致など福岡市での事業展開を計画していた一方で、同業組合の運営など政治的手腕にも高い期待が集まっていた、とのことでした。


ご報告いただいた原口先生。
記録資料館での「麻生家文書」整理事業を踏まえて
お話しいただきました。





プログラムの最後は、すでにご登壇いただいたお三方に加え、有馬学福岡市史編集委員会委員長をコーディネーターとして、ここまでの内容を総括し、さらに理解を深めるためのシンポジウムを行いました。


短い時間ではありましたが、麻生や安川が残した資料について、また近代都市の発展と現代への転換についてなど、話題は多岐にわたりました。


コーディネーターをお願いした有馬先生。


「麻生家文書は少なくとも10万点を数える膨大なもの。
段ボール箱にして1600個程度はあります」(原口)


「安川敬一郎資料は古文書だけで約1000点。
麻生に比べると少なく思えますが、膨大な資料です」(日比野)


「福岡市は工業化がなかなか進まなかった。
だからこそいろいろなものを受け入れることができて
変化しやすかったのではないでしょうか」(遠城)



最後に有馬先生から、「やっぱり歴史はとにかく1にも2にも資料ありき。資料が残っていなければ、われわれは過去を再構成できないのです。幸いにして内容豊かな大きな資料を残していただいたので、そういうものを活用しながら、多様な地域の歴史というものをこれからも掘り起こしていきたいと思います。」とのコメントがあり、シンポジウムは幕を閉じました。





ご来場くださった皆さんの中にはもともと炭坑の歴史に関心があったという方も多かったようで、皆さん熱心に先生方の話に聞き入っておられました。

筑豊炭坑家」というと北九州との関係をまず思い浮かべがちですが、今回のような福岡市の市政や経済など都市発展に深く関わっていたというお話は、新鮮な驚きだったのではないでしょうか。


ご講演ご報告くださった講師の先生方、講演会にお越しくださった皆さま、本当にありがとうございました。



なお、今回の講演会の様子は、福岡市博物館公式YouTubeチャンネルから全編ご視聴いただけます(動画はプログラムごとに分かれています)。



※ コチラをクリックすると別画面でYouTubeページが開きます。




また、来年3月に発行予定の研究誌『市史研究 ふくおか』第20号には、講演会記録として内容を掲載する予定ですので、こちらもどうぞお楽しみに!

※『市史研究 ふくおか』は福岡県内をはじめとする各図書館で閲覧が可能です(非売品)。くわしくは、コチラをクリックすると『市史研究 ふくおか』についての紹介ページがご覧いただけます。






新修 福岡市史 資料編 近現代3 モダン都市への変貌』のご紹介

本書は、今回の講演会で取り上げた麻生家文書のほか、大正~昭和初期の福岡市が近代都市として成立していく足跡を示す資料群を多数掲載しています。

大正時代から昭和初期までの福岡市の政治・行政・社会の動向を中心に、今日の福岡市の出発点となった「モダン都市」への変貌を資料から浮き彫りにした一冊です。

基本的には古文書や公文書などの資料を翻刻したものですが、資料の概要をまとめた解説も載っていますので、今回の講演会で初めて福岡市の近代史に関心をもってくださった方も、よかったらぜひお手にとってみてください。


『新修 福岡市史』は、各図書館のほか、販売については福岡市博物館ミュージアムショップをはじめ、ジュンク堂書店福岡店さんや丸善博多店さんなどで購入できます。


※「資料編 近現代3」についてはコチラをクリックすると目次などの紹介ページがご覧いただけます。




(文責:鮓本・加峰)