2022年10月28日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈011〉よかトピアのストリートパフォーマーたち

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

10(「元寇防塁と幻の護国神社」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。



〈011〉よかトピアのストリートパフォーマーたち


よかトピアでは、毎日会場のいろんな場所で同時にイベントをおこなっていました(その数の多さから、当時はイベント博と呼ばれたほど…)。

その時間・その場所だけの体験を大事にしていたよかトピアでは、一見通路や空地に見えるような場所も、イベントを楽しむメーンパビリオン「ひろば」として設計されています。


主な「ひろば」は3つ。

大きな駐車場側につながる東ゲート前の「東広場」、福岡タワー前の「であいの広場」、観覧車があるプレイゾーン近くの「こども広場」です。

(市史編さん室作成)

この3つの「ひろば」では、朝から晩まで、入れかわり立ちかわりショーがおこなわれていて、パビリオンを移動する途中に偶然通りがかり、つい足をとめて見入ってしまう人も多かったようです。


なかでも、「東広場」「であいの広場」でのストリートパフォーマンスが人気でした(いっぽうの「こども広場」はこどもが楽しめるショーが多かったのですが、この話はまたの機会に)。

今回は会場を毎日盛り上げていた、よかトピアのストリートパフォーマーたちのご紹介です。



スパークルズ(3/17~3/19)

よかトピアのスタートを盛り上げたアメリカのパフォーマーです。お客さんからのリクエストにこたえて、風船で動物などをつくるバルーンアートを披露しました。



ロバート・ネルソン さん(3/17~5/14)

アメリカのサンフランシスコからやってきたネルソンさんは、お医者さんなのですが、インターナショナル・ジャグラーズ・アソシエーション(IJA)に参加するほどの技をもつプロのパフォーマー。「人をハッピーにするのが好き」というネルソンさんのジャグリングショーは、観客を巻き込んで、毎回ユーモアにあふれたものでした。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)



メルビン・プラマー さん(4/12~5/14)

プラマーさんはイギリスのご出身。ブレイクダンスでこどもたちの人気者になりました。なかでもヘッドスピンは、大拍手間違いなしの得意技でした。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)



ダニー・ヒグネット さん(4/29~6/4)

イギリス出身のヒグネットさんは、黒いハットとジャケットに、ハイカットのオールスターを履いたスタイリッシュな出で立ち。一輪車の世界チャンピオンであるヒグネットさんの技には、誰もが驚きました。そのいっぽうで、熊のぬいぐるみを使ったかわいいショーも披露するなど、緩急のある構成で観客を飽きさせないパフォーマンスでした。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ストリートパフォーマンスの時間はだいたい1回30分弱なのですが、それを1日に3~4回やっていました。

たとえば、このブログの第1回で紹介した男闘呼組のコンサートの日(→〈001〉よかトピアに男闘呼組がやってきた!)、5月6日(土)の「であいの広場」のスケジュールはこんな感じです。

 ロバート・ネルソンさん 11:00 13:00 14:30

 メルビン・プラマーさん 11:30 13:30 15:00

 ダニー・ヒグネットさん 12:30 14:00 15:30

3人が次々と入れ替わりながら常にショーがおこなわれていて、その頻度にびっくりします。

ちなみに翌日の5月7日(日)は、場所を「東広場」にかえ、さらに1人1回ずつ増やして、1日4回(×3人)もパフォーマンスしています…(今さらながらですが、パフォーマーのみなさん、本当にお疲れさまでした)。



ロブ・ソロフィア さん(6/6~6/18)

ソロフィアさんはアメリカのご出身。ナイフやクラブを使ったジャグリングに加えて、パントマイムタップダンスマジックも披露する多彩なプログラムでした。6月12日(月)には、リゾートシアターでもその技を見せてくれました。



バラエティ・イン・モーション(6/30~7/12)

アメリカ出身のマーディーンさんとリックさんのコンビです。覚えたばかりの博多弁で観客の笑いを誘いながら、コンビならではの迫力のある合わせ技を見せてくれました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ブルース・ジーン・スミス さん(7/6・19・26)

アメリカ出身のスミスさんのパフォーマンスは、1人でギター・ドラム・ハーモニカなどを同時に演奏する「ひとりオーケストラ」。3日間だけのパフォーマンスでしたが、独自のスタイルで記憶に残るショーになりました。



ラジャスタンの人形劇(7/13~9/3)

書籍『シーサイドももち』の「誌上よかトピア体験」でも紹介したラジャスタンの人形劇(124ページ)は、インドのラージャスターン地方に伝わる操り人形の演劇です。ナトゥ・ラム・ボーパさんが演奏する民族楽器「ラーヴァナハッタ(ラヴァンハッタ)」の音と、テジャ・ボーピさん(ナトゥさんのお母さん)の歌にあわせて、ラジ・クマール・バットさんが、糸を使って人形を動かしました。踊り子・蛇使い・音楽師の人形が登場して、かつての宮廷の宴の様子をユーモラスに演じました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ジョン・リー さん(8/10~8/20)

イギリス出身のリーさんは、よかトピアの3年前くらいから世界中を旅してパフォーマンスをしていたのだとか。綱渡り・背の高い一輪車・はしご歩きなど、見ていてドキドキするような技を、覚えたての日本語でのおしゃべりやジョークで楽しく見せてくれました。



「東広場」「であいの広場」は、オープンスペースのパビリオンとして毎日こうした楽しいショーを披露し、会場を行きかう人びとは、それに思わず足を止めました。

開催にあたっての基本構想は、よかトピアをいろいろな「みち」を通って人や物が「であい」、未来をつくるエネルギーを生みだす場所(「ひろば」)とうたっています。

会場内のオープンスペースでかわされるパフォーマーと観客との会話や笑顔や拍手は、そういうよかトピアの構想を象徴する光景になっていました。




【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #ストリートパフォーマンス #ジャグラー

 

Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル]


2022年10月21日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈010〉元寇防塁と幻の護国神社

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

9(「グルメワールド よかトピア」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。



〈010〉元寇防塁と幻の護国神社


福岡市の代表的な史跡の一つに、「元寇防塁」があります。

元寇防塁とは、鎌倉時代の文永11(1274)年の元の襲来を踏まえて防衛設備としてつくられた石築地(いしついじ)のことです。

ゲーム「Ghost of Tsushima」の影響もあってか、最近とくに話題の史跡です(こちらはその名のとおり対馬ですが……)。

※「Ghost of Tsushima」についてはコチラをどうぞ。


福岡市域の元寇防塁は、現在確認されているだけでも今津(西区)から箱崎(東区)にかけて、福岡市沿岸部の広い地域でその遺構が知られています。

約20㎞にわたりつくられた高さ2m以上の石の壁は、海から見ると相当な威圧感があったことでしょう。

これは生の松原の元寇防塁。

大正2(1913)年に今津で初めて元寇防塁の遺構が発見されると、そのドラマチックな物語とあいまって「元寇防塁」への関心が高まり、ゆかりのある各地では慰霊祭なども開かれるほどの盛り上がりを見せます。


西新町でも大正8年に西南学院構内で元寇防塁の遺構が見つかり、翌9年にはまた別の百道松原でも遺構が見つかりました。

大正9年の発掘は、教育勅語発布30周年を記念して西新小学校の児童らによって発掘作業が行われて遺構が見つかり、ニュースになりました。

こうして西新・百道地区も、「元寇を記念する場所」の一つとして名前が知られ、ますます元寇防塁熱は高まっていきました。


(『西新ー福岡市立西新小学校創立百周年記念誌』
〈福岡市立西新小学校創立百周年記念会、1973年〉より)

大正9年の発掘の様子。頑張って掘ってます!


そんな中、大正15年に「百道松原に元寇の殉難者を祀る大神社を建てよう!」という話が持ち上がったことは、あまり知られていません。


この事が大々的に報じられたのは、大正15年のことです。

当時の新聞には、

元寇の殉難者を祀る 護国神社 百道に建設(福岡日日新聞』大正15年7月8日朝刊7面)

という見出しが踊り、すでに福岡市の関係者が現地を視察し、さらには松原国有地3万坪の無償貸与まで折り込み済みだと報じられています。

※ ちなみにここで言われている「護国神社」は、今の護国神社とは何の関係もない「護国神社」ですので、あしからず……。


この写真は、戦前に発行された西新町の元寇防塁を写した絵葉書ですが、よく見るとそこにはしっかりと「護国神社建設豫定地」という標柱が写り込んでいます。

(福岡市博物館市史編さん室所蔵)
絵葉書をよく見ると……。


書いてあるーーー!!!

さらにほかの新聞報道から一部を抜粋すると、


先づ県社として百道に創建される護国神社の規模 境内地は六千坪でこと足り 別格官幣社引直は容易」(大正15年7月11日『福岡日日新聞』朝刊7面)

「護国神社祭神 福岡県当局談」(大正15年7月17日『福岡日日新聞』朝刊7面)

「百道松原に建設の護国神社 東邦の敷地寄附も纏り近く願書提出の運び」(昭和4年6月9日『福岡日日新聞』朝刊7面)

「福岡で今秋十月 元寇弘安役記念祭 城外練兵場で廿日大々的に執行 護国神社創設促進」(昭和6年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面)


といった記事が次々と見られます。

かなり本気で神社建設を推進しようとしていたようです。


この場所は、大正9年に西新小学校の児童たちが発掘した場所で、現在の西南学院大学の裏辺り。

現在は「元寇防塁跡」として整備され、いつでも見学することができます。

周辺も現在では住宅街となっていますが、当時はまだ一帯には多くの松が繁り、現在よりもより静謐な雰囲気の場所だったのでしょう。


この神社建設計画はその後、昭和になってからもしばらくは話題になったようですが、そのうち立ち消えとなり、結局百道に大規模な神社が建設されることはありませんでした。



【交通案内】

○元寇防塁跡(西新)/福岡市早良区西新7丁目

○元寇防塁跡(復元/西南学院内)/福岡市早良区西新7丁目

 ※西南学院内の元寇防塁跡の見学は、月~金:午前9時~午後5時(夏期休暇中は午前10時~)

土曜日・日曜日・祝祭日、大学事務局の休業中は公開していません。

[西鉄バス]西鉄バス「防塁前」下車、徒歩5分

[福岡市地下鉄]西新駅[K04]から徒歩約10分

 ※西新駅[K04]までは、博多駅[K11]から約13分、天神駅[K08]から約7分



 

#シーサイドももち #元寇防塁 #幻の護国神社 #あったかもしれない歴史

 

Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル]

2022年10月19日水曜日

【Discover the Feature Exhibition】 The Backing of the Documents

Feature Exhibition Room 2

August 30th (Tue.) ~ October 23rd (Sun.), 2022

Endorsement by Ashikaga Tadafuyu.

 With the use of applications and e-mail for daily communication, opportunities to write handwritten letters have decreased dramatically. Considering this dying art, this exhibition introduces the history around letter backings. When writing a letter with a letterhead, one usually writes only on the front side, not on the back. The same is true for the writing of ancient letters. When exhibiting ancient documents, attention is paid to the text on the front side. 

 However, if you look at the back of these letters, you will sometimes come across one with lines or patterns drawn around the edges, as well as some kind of writing on the back, edges, or both. Ancient documents written on scrolls are usually rolled up from the left end of the paper to the right end. When the scroll is rolled up, the back side of the edge of the document will be exposed. The right edge of the paper is cut into a thin strip from the bottom to the middle, and this is used as a band to tie the folded paper so that it does not unravel. This method of sealing scrolls is called “Kirifuu" or 切封 and the seal is called “Sumibiki" or 墨引き.

 When the “Fuushi" or 封紙, the sealing paper that wraps around a letter and is folded like an envelope today, is omitted, the name of the receiver or sender is written on the reverse side of the letter. The recipient may also add the date of receiving the letter on the reverse side as a reminder.

 Some of the letters have writing on the entire reverse side, making it difficult to tell which side is the front at first glance. The document shown in the photo is an application for secured land rights submitted to Ashikaga Tadafuyu (somewhere between 1327-1400), believed to be the bastard son of Ashikaga Takauji, the first shogun of the Muromachi Shogunate. On the reverse side of the document, Naofuyu added his "Kao" or花押 (signature). This would stand as an endorsement for guaranteeing the applicant's rights, known as "Uragaki Ando” or裏書安堵.

 In this exhibition, we focus on the reverse side of such documents and letters. By considering the meaning of the contents on the reverse side, we will delve deeper into the understanding of the document as a whole looking at both sides and their interconnected significance.

Exhibition view


2022年10月14日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈009〉グルメワールド よかトピア

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。




〈009〉グルメワールド よかトピア


福岡はラーメン・水炊き・もつ鍋・海鮮・うどん・焼き鳥(とり皮や豚バラ)・パン・餃子などなど、グルメのまち

福岡の味を求めて観光に訪れる人も多いですよね。


最近ではカレー店の激戦区にもなってます。

ひと昔(ふた昔?)の福岡のカレー店といえば、ナイル・湖月・Kサムソンが定番の人気店でしたが(3店とも閉店してもなお、いろいろな形で味が継承されています)、ここ数年でスパイスカレーを出すお店がどんどん増えて、まちでカレー待ちの行列を見かけることも珍しくなくなりました。

カレーに限らず、市内には各国のエスニック料理店もたくさん。


よかトピアをやっていた1989年だと、市内にエスニック料理店はまだ少なく、本場の味を楽しみによかトピアを訪れる人も多かったようです。

会場ではほかにも当時の福岡グルメがたくさん並んでいました。

おでかけの楽しみの1つといったら、食べ物ですものね。


というわけで、今回はそんなよかトピアのグルメについて調べてみました。


よかトピアの会場には、食堂街ともいえるグルメワールドに約1000席があって、そのほか各パビリオン内のレストラン、ホットスナックやジュース類のテイクアウト店もあわせると、約1950席で食事が楽しめました(1日3万食の供給力)。


グルメワールドは人工の川に面した2つの横長い建物。

目立つ屋根の形は、インドネシアやタイの建物をイメージしながらつくったものでした。

場所はここ。

(市史編さん室作成)
赤い部分がグルメワールド。


(福岡市博物館所蔵パネル)
川に面していて、なんとなくアジア感も増します。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

建物はこんな感じ。


このグルメワールドには14店舗が入っていました。

どのお店に入ろうかなとメニューを眺めてる感じで、主な料理と値段をざっと見てみます。



エスニックレストラン・スリランカ(60席)

ここは『シーサイドももち』の「誌上よかトピア体験」(当時の記録にもとづいて、よかトピアで1日遊んでみたコーナー)でも紹介したお店です(125ページ)。野菜以外の食材はスリランカから輸入したもので、厨房スタッフもスリランカ出身の方々。カレーは本場の辛めの味付けで、ルー・肉・野菜が分けて盛りつけられているのが当時は珍しがられたのだとか。まだあまり知られていなかったゴダンバが人気になりました。

 カレーセット 800円~ ゴダンバ 300円など


ナーナック(60席)

ナーナックは当時福岡市内では数少ないエスニック料理を味わえたインド料理店(今も親不孝通りの入り口の目印になっています)。よかトピアで提供されていたタンドリーチキンなどは、どれも本場インドの味で大人気でした。店長のグルビール・シンさんはパビリオン「アジア館」のなかにもお土産店を出されていて、その流ちょうな日本語で来場者を迎えていらっしゃいました。エスニックレストラン・スリランカとならんで、アジア太平洋をテーマにかかげたよかトピアを象徴するレストランです。

 タンドリーチキン 1000円 ニューデリーセット 1500円など

(福岡市博物館所蔵)
ナーナックの半券です。
ニューデリーセットを食べたんですね~。
(多分、博覧会のスタッフ……)

そうそう、言い忘れました。

よかトピアの最中に、消費税(3%)が導入されています(1989年4月1日)。

なにしろはじめての消費税、それも会期の途中からということで、事前に会場内の営業店が集まって講習を受けたり、対応に苦労されたようです。

ただ混乱を避けるために、実質値下げをして内税扱いにした店が多かったとのこと。

そういうわけですので、ここでの値段もちょっとずれがあるかもしれませんが、どうかお許しください。



韓国料理 食道園(60席)

カルビにライス・えごまの葉のみそ漬け・キムチ・ナムル・わかめスープがついた焼肉定食が人気でした。ランチの時間だけはバイキング形式だったそうです。食道園といえば、大阪万博(1970年)に出店していたお店をすぐに思い出すのですが、残念ながら同じ店かどうかまだ確認ができていません(どなたか教えてください…)。

 焼肉定食 1000円 韓国定食 1000円 チゲ鍋 500円 クッパ 600円など


ロイヤル・フード・コート(260席)

福岡の老舗レストラン、ロイヤルは、よかトピアのためにエスニックメニューを用意しました。サテは、ラムなら2~3時間、チキンなら5~6時間タレにつけ込んでから焼いたもので、本場と同じようにピーナッツソースがついてきました。ただ味は本場に比べると甘めに仕上げられていたそうです。「アセアンプレート」は、マレーシアのサテ、フィリピンのヒープンギサド、インドネシアのナシゴレンのセットで、ランチの人気メニューでした。マレーシアの副国王も来場の際に、ここに立ち寄られたのだとか。

 サテ(チキンorラムの2本) 300円 アセアンプレート 1300円 ガイヤーン 900円など


洋麺屋 ピエトロ(120席)

これまた福岡の老舗レストラン、ピエトロ。トマト・しょうゆ・クリームの3種類からソースを選んで、それに好きな具材を組み合わせるパスタが人気でした。

 パスタ 650~1200円 サラダ 300円~など



ここまでが海外の味。ここからのお店は福岡と日本の味です。



博多一番(150席)

福岡のうどんに加えて、梅ヶ枝餅も出していました。うどんが300円から食べられるのはうれしいですよね。ただ「祭うどん」が名前からして謎メニューでして…、現在調査中です(具だくさんでワッショイってことなのでしょうか??)。

 うどん 300円~ 祭うどん 800円 梅ヶ枝餅 100円など


そば茶屋文六(40席)

天神・西新など福岡市内にいくつかお店を出していた文六そば。よかトピアでも、文六のうどん・そば・丼物を食べることができました。白いつるつるしたそばが人気のお店です。このブログを書くにあたって、博多駅のデイトス店が2022年8月20日に閉店したと知って驚いています…。

 うどん 330円~ 丼物 500円~ 割子そばセット 600円~など


まあちゃんうどん(40席)

会場の最寄り駅、地下鉄西新駅近くのうどん店。よかトピアの地元、西新中央商店街で長年愛されていたお店でした。

 うどん 300円~など


蔵前(40席)

うどん・丼物・カレー・かき氷などを提供していたお店です。人気だった「ちゃんこうどん」はえび・牛肉・ミンチボール・椎茸・白菜・ねぎ・かまぼこが入った、ボリューム満点でした。蔵前は、1975年に大濠公園で開催された「新幹線開通記念 福岡博」にも出店したことがあります。

 ちゃんこうどん 600円 うなぎ丼 800円 天丼 600円 かき氷 200円など


すみ田(40席)

豚骨ラーメン1杯400円という値段の安さが1989年を感じさせますよね。西中洲の国体通り沿いのお店でした。

 ラーメン 400円など


名代(なだい)ラーメン亭(40席)

漫画『クッキングパパ』や小説『君の膵臓をたべたい』にも登場する福岡の有名店。学生時代に天神でバイトしていたときには、今はなきビブレ店に毎日のようにお世話になりました…。ちなみに、『君の膵臓をたべたい』の映画版では、主人公は箱崎の屋台「花山」でラーメンを食べていました。こちらも美味しいお店です。

 ラーメン 350円 チャンポン 500円など


ソーセージハウスWai Wai(40席)

ハンバーガーやソーセージのファストフード店。ソーセージはホワイトソーセージ(プレーン?)やエスニックソーセージ(カレー味)をチャパティに包んでいたようです。

 ソーセージ 値段不明 ステーキバーガーランチ 1000円など


カレーやさん(20席)

カレー専門店なのですが、詳細が不明で調査を継続中です…。

 カレー 600円など


第一玉家寿し(20席)

現在は福岡空港国内線旅客ターミナルビルにある老舗。飛び立つギリギリまで長浜の市場直送の海鮮を楽しめる人気店です。よかトピアのときの特別メニューは「鴻臚館ちらし」。エビやイイダコなど具だくさんで、容器は鴻臚館跡出土の青磁花文碗をイメージしたものになっていました。このお店も1975年の「新幹線開通記念 福岡博」に出店した、博覧会経験のあるお店でした。

 鴻臚館ちらし 1100円 にぎりずし 900円 はかたキャビア(大) 1100円など



あらためてこう見てみると、値段は思ったよりもリーズナブルです。

ただ、今ならもっとエスニック料理のバリエーションが増えそうですよね。

ちょっと物足りない…。

でもよかトピアから福岡とアジアとの交流がさかんになっていくことを考えれば、これがいろいろな国の食が集まる1つのきっかけだったのかもしれませんね。


福岡の味もそうで、このときはうどん・ラーメン・海鮮が中心。

今なら絶対並ぶだろう最初にあげたような福岡グルメが見当たらないのですが、もつ鍋でさえ全国で流行って流行語にノミネートされるのが1992年のことですから、1989年だと無理もないのでしょう。

まだまだこのときの福岡グルメは出張先の楽しみの1つで、観光の目玉になるのはもう少し後ということなのでしょうね。


(福岡市博物館所蔵)
事前に共通の食事券(ミールクーポン)を買うことができました。


今回はグルメワールドだけでしたが、よかトピアのグルメは、パビリオン内のレストランやテイクアウト店など、ほかにもユニークなものがたくさんありました。

パビリオン・食べ歩き編はまた今度に。



【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #グルメ #うどん多すぎない?

 

Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル]


2022年10月7日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈008〉ビルの谷間のアート空間へようこそ

 埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

6(「最も危険な〝遊具〟」)

7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。




〈008〉ビルの谷間のアート空間へようこそ


シーサイドももち地区は、たくさんのパブリックアートがあるエリアです。


大きなビルやマンション群の合間をぬって歩くと、さまざまなアート作品と出会うことができます。

中でも福岡タワー行きのバスに乗ると見かける大きなピンクのバルーンアートのようなピンクの犬や、福岡PayPayドーム前の地行中央公園広場にあるカラフルな鳥は有名です。

突如としてまちの中に現れるこれらのアート作品は、日常をちょっとだけ楽しくしてくれます。


photo by 加藤淳史

ババーン!!
風で動くという話ですがまだ見たことはない、
ニキ・ド・サンファル「大きな愛の鳥」。


そんなシーサイドももちの中でも、とくにアートが集まっているスペースがあることは、意外と知られていません。

今回はたくさんあるシーサイドももちのパブリックアートから、シーサイドももちセンターステージにある「エアロギャラリー “デューン”」をご紹介します。

コチラからもご覧いただけます。→ Googleマップ


ここにはUR都市機構の「シーサイドももちセンターステージ」の2階部分に当たります。

バス通りの西日本シティ銀行とMタワーの間から、階段をのぼって福岡市博物館側へ通り抜けることができます。


今回は、最寄りのバス停「博物館北口」(西向き)から博物館に向かって歩いてみようと思います。

こんな感じで歩いてみます。
赤くなっているエリアが「エアロギャラリー”デューン”」。


「博物館北口」バス停から振り返ると、いきなりピンクの犬がお出迎えです。

photo by 加藤淳史

こーんにーちはーー!


こちらの作品はその名も「poodle」。作者は申明銀(しん・みょんうん/Shin Myeong-eun)、ソウル出身のアーティストです。

彼女の作品はペインティングや彫刻で、モチーフはどれも犬、それもプードルというのが特徴です。


バス停のすぐ後ろにいます。



プードルを横目に、背後の階段をのぼるとエアロギャラリー”デューン”の中心に出ます。

この階段をのぼります。
階段の途中にはベンチもあり、ランチスポットになっています。

階段をのぼるとそこが「エアロギャラリー”デューン”」です。

住民の皆さんだけでなく、お昼時は周辺のビジネスパーソンの憩いの場にもなっています。

天気がいいと、ここでランチを食べるのも、またオススメです。

photo by 加藤淳史

東側から見るとこんな感じで、左側が「陽だまりの広場」。
意外と静かで天気のいい日の散歩休憩にはオススメです。


陽だまりの広場はこの辺。



先ほどの広場の写真の右側に写る箱も、もちろんアート作品です。

フランス出身の現代美術作家、ジャン=フランソワ・ブランによる「ナイトシーン」です。

ここは「光の塔」エリアに当たります。

これです。広場の中心にいくつもの箱……。


さらにこの作品にはもう一つ、大きな特徴があります。

なんと夜になると光を発する仕組みになっています。

photo by 加藤淳史

だから「ナイトシーン」なんですね~。


さらにさらに、それだけではありません。

この作品、なんと光が動くんです!


夜になると10分位おきに約10分間ランダムな点滅運動を繰り返しており、まるで打ち寄せる波のようにも見えます。

これは意外と知られていないかも……。

筆者も長く百道浜で働いていますが、昨年初めて知りました。

福岡タワーの夜景を見たあと、ぜひ覗いてみてほしい風景です。


photo by 加藤淳史

実はバス通りからも見えます。
下のプードルとあいまって、ちょっとシュール。


プードル奧の階段をのぼるとすぐです。



さてさて、階段をのぼって左手は「東の広場」になっていて、そこにも作品があります。

photo by 加藤淳史

鮮やかなオレンジが目をひきます。

こちらは「ウルトラファインド」と名付けられた、椿昇(つばき・のぼる)による作品です。

写真だとちょっと分かりづらいですが、結構な大きさで存在感があります。

良く見ると表面がタイルのようになっていて光を反射するので、夕方になると夕陽を反射してキラキラ光るんですよ~。


東側の奧は意外と行かない人が多いかも……。



そして反対側、階段から右手にあるのが「西の広場」。

photo by 加藤淳史

どこから見ても不思議な形。表面はざらざらです。


ここにある作品は「ノスタルジア オブ サーキュレーション」、作者は崔在銀(チェ・ジェウン/Jae-Eun Choi)。ソウル出身のアーティストです。

これまた引き込まれそうな色と不思議な形状をしています。そしてまた大きい……。


全体ではこんな配置。
各所にいくつもベンチがあるので、ゆっくり過ごせます。



広場の左奥(南側)には階段があり、そこを下ると緑道に繋がります。

階段からそのまま真っ直ぐ進むと、福岡市博物館の東口に到着です。

先ほどの「ノスタルジア オブ サーキュレーション」の左手に階段。
奧には福岡市博物館の屋根が見えます。

階段はこんな感じ。
福岡市博物館東口に続く道路につながっています。



いかがだったでしょうか。


暑さもだいぶ和らいで、秋めいてきた今日このごろ。

皆さんも街中のパブリックアートを巡る秋のお散歩に出かけてみてはいかがでしょう?


案内板もあります。



※クレジットのない写真は市史編さん室撮影。


【交通案内】

[西鉄バス]「博物館北口」バス停(西向き)

 ※「博物館北口」バス停までは、博多駅から約25分、天神から約20分(最速の場合)

[福岡市地下鉄]西新駅[K04]から徒歩約15分

 ※西新駅[K04]までは、博多駅[K11]から約13分、天神駅[K08]から約7分



 

#シーサイドももち #シーサイドももち #パブリックアート #エアロギャラリー #巨大モニュメント

 

Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル]


2022年10月5日水曜日

【Discover the Feature Exhibition】 Hairstyle Exploration in the Museum

August 23rd (Tue.) ~ October 23rd (Sun.), 2022

Feature Exhibition Room 1

“Keppatsu Zukan”- Hairdressing Scroll created by Gion Seitoku (partial)

  Preparations for this exhibition began last year when I looked through the “Keppatsu Zukan” - a Hairdressing Scroll that was kept in the museum storage room. The scroll depicts many women with excessive yet extremely glamorous hairstyles. It was worthwhile looking up to the names of the hairstyles attached to each figure in the scroll. The artist, Gion Seitoku (circa 1755-1827 - his time of death is somewhere after 1827, but no records can confirm this), was active in and around Kyoto's Hanamachi area (“flower town,” or geisha district) during the late Edo period. His painting style has been identified as being likened to that of Yamaguchi Soken of The Maruyama School. 

 However, his name is seldom mentioned in “Gajin Den” - biographical compilation book. There are many ambiguous reports about the authenticity of his work, making him an extremely mysterious artist. What do you think about Seitoku? Would you be interested to learn some more about him?

 Now, while thinking about how to display this exhibition and from what angles, I remembered a newspaper cutting of Kojima Yoichi, a master of Hakata Dolls. It was an article related to the “Fukuoka Koutou Kai,” which is believed to have brought brightness to postwar Fukuoka in many ways. Koutou means "shiny head" which can mean "bald-headed," and kai means "group." So, here we are talking about a bald-headed group. In this exhibition, I decided to not focus on the general history of hairstyles, but rather on exhibiting a collection of interesting items associated with hairstyles from different places and times.

 Thus, the title of this exhibition is a little unusual, but we hope to convey to you the pleasure of delving into the depths of the museum and encountering unexpected items.

Exhibition view

2022年10月3日月曜日

【Discover the Feature Exhibition】 The Adaptation of the Movement and Tools Related to the Word “Toru”

Feature Exhibition Room 4

August 17th (Wed.) ~ October 23rd (Sun.), 2022

Painting depicts people catching tunas

 The Japanese word “toru” has many different Kanji characters and different meanings, but the pronunciation remains the same. A dictionary search of "toru" reveals more than 30 kanji characters, including , , , , , , , among others. These mainly mean "take," "get," "obtain," "pick up," "catch," "manage," "gather," or "ingest," as well as other related meanings. Many of these words are deeply connected to obtaining food and other items to live and the movement of our hands is a big part of that action.

 For example, the method of “hunting” or “catching” (toru, 捕る, 獲る) an animal for human consumption began with or “throwing” (nageru, 投げる) stones at the beast and “hitting” (ateru, あてる) it. The throwing of stones eventually led to the creation of more effective weapons like stone spears that were thrown using the entire body. Later, in order to efficiently kill fast-moving animals, the action of “shooting” (hanatsu, 放つ) arrows was added to the action of throwing. In the Edo period (1603-1867), when hunting rifles became more popular, it became possible to hunt a larger variety of prey at greater distances. The action of drawing the bow with the whole body and releasing the arrow was transformed into the action of “pulling” (hiku, 引く) the trigger with the fingers.

 Among the various “toru” activities seen in daily life, this exhibition focuses on capturing or hunting animals and gathering plants, and introduces various human activities, with a focus on the tools used in them.

Exhibition view