2021年4月26日月曜日

鬼の嫌いな香り、好きな香り?!  企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の肆

   

 今年の福岡は、藤の開花が早かったように思います。「藤」といえば、昨今話題の漫画によると鬼は藤の香りが苦手なのだそうです。本展で展示中の「大江山絵巻」【写真1】に描かれている酒呑童子の屋敷には、東西南北に四季が存在し、梅、芒(すすき)萩(はぎ)、菊、柳のほか藤の花も常に盛りを迎えています。藤はあまり例がないのですが、多くが年中行事や風習の中で魔除けや厄除けとされる植物ばかりです。好きなのか?嫌いなのか?一体どちらなのでしょう?

 

【写真1】「大江山絵巻」 右下に藤(東・春)が描かれています。

 

  さて「鬼と香り」と言えば、節分の日に門口に飾る「鰯(ひいらぎいわし)」があります。柊の枝に(いわし)や鯔(ぼら)などの頭を挿したもので、鬼や邪気はその強力な魚臭を嫌がると言われています。(反対に好むとする地域もあるのですけれど…)

  

漫画の中では、藤の「匂い袋」が鬼除けのお守りになっているのですが、季節限定の藤より、産地や種類によっては年中獲れる鰯の「臭い袋」の方がもしや便利なのでは?と考えてしまいました。とはいえ鬼みたいに「刺激的なニオイ」なのでしょうけれどね。(其の壱「鬼はくさい?!」を参照 http://fcmuseum.blogspot.com/2021/04/blog-post.html

  

 また本展での「護摩を焚く」コーナーでは、『源氏物語』を主題とする能の演目「葵上」で、高貴な女性が変じた鬼(六条御息所)について取り上げています。恋敵への強い嫉妬のあまり生霊となる六条御息所は、自身に染み付いた芥子(けし)の香に気づき、自らが護摩で調伏されるべき物の怪(鬼)と化したことを悟る云々というものです。

 

 仏教の世界では、芥子の辛味が災いや不幸を取り除くことに功能がある、芥子の種を焼いて煙を服に染み込ませれば邪鬼払いになる、とされているようです。『源氏物語』に記される「芥子の香」とはどのような香りなのでしょうか。「けし(芥子・罌粟)」には、古くから仏教の護摩で用いられてきた「カラシナ」【写真2】と室町時代に日本に入ってきたとされる「ポピー」(あんぱんに付いている粒々ですね)【写真3】があります。現在ではポピーを護摩でつかうお寺もあるとのことで、園芸用カラシナと護摩用ポピーを使って芥子の香を学芸課鬼殺係が確かめてみました。

 

【写真2】カラシナ(焚く前)

 

 

 

 

 

【写真3】ポピー(焚く前)
 

 

 

 

 

 

 

 焚く前の状態は「無臭」です。わずかにカラシナの種に肥料臭さを感じる人もいました。火であぶる(一部は火に直接投げ込みました)と「バチバチッ」という破裂音とともに香ばしい匂いが漂ってきました。ふむふむ、これが生霊(鬼)を調伏する際の香りなのですね。

 
【写真4】「芥子の香」を嗅ぐ学芸課鬼殺係 

 

 学芸課鬼殺係の表現を引用するならば、「どちらも香ばしいけれど、カラシナはポピーよりツンとする感じ(わずかに刺激的)」、「ポピーは甘く、米粉パンのようなにおい」とのこと。また少量では鼻を近づけないと香りが分かりにくく「芥子の残り香」というには結構な量が必要そうです。一説には六条御息所のお話に出てくる「取れない芥子の香」自体、六条御息所の精神状態が正常ではないことを示している(芥子の香が取れないのは幻覚である)という見方もあるようです。本展では、実験で使ったポピーを(実際に嗅ぐことはできませんが)参考資料として紹介しています。 

 

次週は「鬼を食らう?!」は53日公開です。つづく!

 

 (学芸課鬼殺係・かわぐち)

 

■企画展「鬼は滅びない」は613日(日)まで。

■参考文献

 定方晟2002「芥子粒」『文明研究』(21 

 藤本勝義2002「六条御息所の幻覚の構造―芥子の香のエピソードをめぐって」『日本文学』(51

2021年4月20日火曜日

鬼は朝日が苦手?! 企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の参

 こちらは百鬼夜行図巻の最後に描かれる赤い玉。



 そして、それに背を向けて逃げる鬼。



「百鬼夜行図巻」より

 

 皆さんはこの赤い玉は何だと思われますか? 

 太陽!と思われた方。私もそう思っていました

 今回はそんな太陽と鬼の話です。

 さっそく話は脱線しますが、時代が下りつくられた様々な百鬼夜行の絵には、同じような構図で火の玉に「朝日」と詞を添えて描かれるものもあります。一方で、近年の研究では、説話での退散理由の傾向や、絵巻の成立過程などの検討が重ねられ、尊勝陀羅尼、不動明王の火炎、火車など仏教に関わるものと解釈される説もみられるようになりました。

 

 闇夜に活動し夜明けとともに姿を消す鬼。その活動の様子は、世の中を明るく照らす太陽を嫌うようです。平安時代に成立した説話集などからは、鬼のその活動スタイルを探ることができます。

 例えば、「(アク)(ホド)(ナリ)ヌレバ」鬼たちが皆「(カエ)(サリ)ヌ」(『今昔物語集』巻13の1)。日の出の直前、明け方の空が明るくなる時分に、いずれかの場所へ戻ったようですね。

 もう一例ご紹介しましょう。「(あかつき)(とり)など()きぬれば、(おに)ども(かえ)りぬ」(『宇治拾遺物語』1の3)。夜から朝に変わろうとするあたりに、こちらも鬼たちが住処に帰っています。(この頃の「暁」はまだ暗い時間帯のことをさしていたようです。)

 

 ちょっと物足りなく思われたでしょうか。

 今回の展示のテーマである「滅ぼす」という点で非常に有効そうな「太陽」ではありますが、陽光を浴びて鬼の身体がジュワッと焼き尽くされるような描写は、説話などからはなかなか探すことができません。

 先にあげたように、鬼が夜明けに消えるというのは、朝日を浴びる前に鬼が自らの足で退散をしているのです。

 

 実は嫌いというだけで、そこまで決定的なダメージを与える要素ではないのでしょうか。

 太陽を避けることに関して、ちょっと緩そうな鬼たちはいました。

 

 『今昔物語集』には、自身の身を助けるために交渉しあう人と鬼の話があります(巻2019)。鬼は最後に「暁」、つまり明け方に人のもとに現れて、交渉が上手くいったことを報告し、「掻消(カキキエ)(ヨウ)(サリ)」ます。すぐに消えたとはいえ、ほかの話では鬼がいなくなる時間帯に登場するとは、鬼の立場からするとはらはらしてしまいます。

 

 もう一つ、鬼と太陽の関係を気にしながら文献をめくっている中で、ちょっと興味深い話がありました。今度は日の入り近くの話です。

 

 8世紀、奈良時代に成立した『日本書紀』には、朝倉宮(いまの福岡県朝倉市あたり)で行われた斉明天皇の喪儀を「(よひ)」に、山から鬼が大笠を着てみていた、という記述があります(斉明天皇78月条)。人々がその姿を怪しんだということですから、日が沈んでいてもその姿を目視できた、まだ明るい時間帯の出来事のようにも考えられます。

 

 鬼と対峙した人にしてみても、基本的にはその局面を乗り切り一安心といったところのようで、去っていく鬼に「逃げるな!」と叫ぶほどのモチベーションはなさそうです。(言いそうなのは……頼光でしょうか。※前回ブログ参照

 鬼は太陽を避けるけれど、薄明の時間は大丈夫だったりするのかもなと、想像してみるのでした。

 

 次回は、 「鬼の嫌いな香り、好きな香り⁈」です。どきどきのレポートがあるみたい?つづく!

(学芸課鬼殺係・さとう)

■企画展「鬼は滅びない」は2021年613日(日)まで開催中。

2021年4月12日月曜日

刀だけじゃ滅ぼせない?!  企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の弐

 あるとき都で、美しい女房の失踪事件が相次いだ。人々は怒り悲しみ、武家の棟梁(とうりょう)・源頼光に「悪鬼を滅」せと勅命(ちょくめい)が下った。頼光は家臣とともに山奥へ分け入り、鬼のボス・酒呑童子(しゅてんどうじ)を毒酒で弱らせ、見事、首を斬り落とした。首だけとなった童子は頼光の兜(かぶと)に噛みついて力尽き、「童子滅て後ハ」鬼の住処も、他の鬼たちの神通力も消え失せた―――(※「 」の中は絵巻詞書からの引用)

これが酒呑童子退治の大筋です。

 

「鬼は滅ぼすものではなくて祓うもの」という言説を時々耳にしますが、大江山絵巻では「鬼を滅ぼせ」と命令が下りますし、討伐隊も「鬼を滅ぼしてやろう」と豪語しますし、酒呑童子は滅びたと記されます。

 

 その滅ぼし方は、一見「刀で首を斬る」ことであるかのように読めますが、よく読むと、毒がなければ童子は弱らず、その首は斬れなかったことがわかります。

また最後にひと噛みされた時、相討ちとならずに無傷で済んだのは特別な兜をかぶっていたおかげなのですが、実はこの兜、人の心を読む酒呑童子の神通力を無効化できる不思議アイテムでもあり、これがなければ、そもそも肝心の毒を盛ることも、鬼のアジトに潜入することもできなかったのです。

 

 童子討伐の鍵となった毒酒と兜は、山奥で出会った「大切な人を鬼にとられた」方々からもらったものでした。彼らは鬼の住処に関する情報も色々と教えてくれ、道に迷ったときも助けてくれました。

 

つまり鬼のボスを滅ぼせたのは、毒と協力者あってこそ! 刀だけでは滅ぼせなかったと言ってよいかもしれません。

 

ちなみに、横で上司が「それだけ鬼が強いってことやろ?」などと言っております。

いやいやここは「似たような話をどこかで読んだ気が…(すっとぼけ)」って反応してほしいところですよ!とりあえず、机に漫画23冊置いときましょう。ドンッ

 

次週「鬼は朝日が苦手?!」は419日公開です。つづく!


(学芸課鬼殺係・ささき)

■企画展「鬼は滅びない」は2021年613日(日)まで開催中。

2021年4月5日月曜日

鬼はくさい!? 企画展「鬼は滅びない」担当ひとこと裏話 其の壱

企画展「鬼は滅びない」がはじまりました!展示室におさまりきらなかった鬼にまつわる裏話、その名も「担当ひとこと裏話」をブログにて連載します。今回は、鬼のにおいに関するお話です。

 

 

『狭衣物語(さごろもものがたり)』に、「鬼は臭うこそあんなれ」という女房のセリフが登場します。鬼ってくさいらしい、といった意味です。

実際、『本朝法華験記(ほんちょうほっけげんき)』にも、鬼の住処と知らずに宿を求めた修行者が、夜中に牛の鼻の息を吹き掛けるような「甚だ臭い」においを嗅ぐ場面があり、翌朝それが鬼のにおいだったと判明します。

また『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』でも、夢の中で羅刹鬼(らせつき)となり猪を生きたまま食った人が、目覚めてからも現実に「腥キ(なまぐさき)」唾や血が口中に湧き出て「極テ腥シ(きわめてなまぐさし)」と記されます。

 

 平安時代の「臭」「生臭」「腥」の使用例を調べた研究者によると、これらの語は、他の生き物を生きたままむさぼり食らう性質をほのめかす表現なのだそうです。

 つまり、鬼がくさいのは、人間を生きたまま食べた証…?

おぞましい!!

 

なーんて怖がってはみたものの、実は、平安文学において「くさい」と表現される存在には、鬼や毒蛇のほか、人間も挙げられています。

確かに白魚、白海老、牡蠣等々、他の生き物を生きたままむさぼり食らった覚えが…はい、あります。

 

『本朝法華験記』によれば、たとえ肉食を断った僧や断食を長年続ける苦行僧であっても、仙境に至り食物を口にしなくなった聖人(しょうにん)からすると、臭すぎてたまらないのだそうです。

おそらく生野菜サラダであっても、植物を生きたままむさぼり食らうことになるのでしょう。生きるって難しいなぁ。

 

鬼のくささは、野蛮で卑俗な性質のあらわれではあるけれども、実は人間自身の匂いと何ら変わりがない―――なんだか「鬼」を知れば知るほど、「人間」について考えさせられます。

 

そんなこんなで、しみじみと展示作業をしていたら、上司が裏話パネルのタイトルをみて一言。

「鬼白菜ってなに?」(※実話です)

 

がーん……鬼 ‘わ’ くさい、ですってば!!!

皆さんにはちゃんと伝わっていたでしょうか? 万が一、'白菜' の話を期待して読みはじめた方がいらっしゃったらごめんなさい。日本語ってむずかしい…

 

ひとことでは終わりませんでしたが、次の「担当ひとこと裏話」もひとことでは終わりません!

次週「刀だけじゃ滅ぼせない?!」、412日公開です。つづく!

 


(学芸課鬼殺係・ささき)

■企画展「鬼は滅びない」は2021年613日(日)まで開催中。

■参考文献:森正人著『古代心性表現の研究』(岩波書店2019)