企画展「鬼は滅びない」がはじまりました!展示室におさまりきらなかった鬼にまつわる裏話、その名も「担当ひとこと裏話」をブログにて連載します。今回は、鬼のにおいに関するお話です。
『狭衣物語(さごろもものがたり)』に、「鬼は臭うこそあんなれ」という女房のセリフが登場します。鬼ってくさいらしい、といった意味です。
実際、『本朝法華験記(ほんちょうほっけげんき)』にも、鬼の住処と知らずに宿を求めた修行者が、夜中に牛の鼻の息を吹き掛けるような「甚だ臭い」においを嗅ぐ場面があり、翌朝それが鬼のにおいだったと判明します。
また『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』でも、夢の中で羅刹鬼(らせつき)となり猪を生きたまま食った人が、目覚めてからも現実に「腥キ(なまぐさき)」唾や血が口中に湧き出て「極テ腥シ(きわめてなまぐさし)」と記されます。
平安時代の「臭」「生臭」「腥」の使用例を調べた研究者によると、これらの語は、他の生き物を生きたままむさぼり食らう性質をほのめかす表現なのだそうです。
つまり、鬼がくさいのは、人間を生きたまま食べた証…?
おぞましい!!
なーんて怖がってはみたものの、実は、平安文学において「くさい」と表現される存在には、鬼や毒蛇のほか、人間も挙げられています。
確かに白魚、白海老、牡蠣等々、他の生き物を生きたままむさぼり食らった覚えが…はい、あります。
『本朝法華験記』によれば、たとえ肉食を断った僧や断食を長年続ける苦行僧であっても、仙境に至り食物を口にしなくなった聖人(しょうにん)からすると、臭すぎてたまらないのだそうです。
おそらく生野菜サラダであっても、植物を生きたままむさぼり食らうことになるのでしょう。生きるって難しいなぁ。
鬼のくささは、野蛮で卑俗な性質のあらわれではあるけれども、実は人間自身の匂いと何ら変わりがない―――なんだか「鬼」を知れば知るほど、「人間」について考えさせられます。
そんなこんなで、しみじみと展示作業をしていたら、上司が裏話パネルのタイトルをみて一言。
「鬼白菜ってなに?」(※実話です)
がーん……鬼 ‘わ’ くさい、ですってば!!!
皆さんにはちゃんと伝わっていたでしょうか? 万が一、'白菜' の話を期待して読みはじめた方がいらっしゃったらごめんなさい。日本語ってむずかしい…
ひとことでは終わりませんでしたが、次の「担当ひとこと裏話」もひとことでは終わりません!
次週「刀だけじゃ滅ぼせない?!」、4月12日公開です。つづく!
(学芸課鬼殺係・ささき)
■企画展「鬼は滅びない」は2021年6月13日(日)まで開催中。
■参考文献:森正人著『古代心性表現の研究』(岩波書店2019)
最後まで読んで「学芸課鬼殺係」で吹き出しました(笑)
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