こちらは百鬼夜行図巻の最後に描かれる赤い玉。
そして、それに背を向けて逃げる鬼。
「百鬼夜行図巻」より
皆さんはこの赤い玉は何だと思われますか?
太陽!と思われた方。私もそう思っていました※。
今回はそんな太陽と鬼の話です。
※さっそく話は脱線しますが、時代が下りつくられた様々な百鬼夜行の絵には、同じような構図で火の玉に「朝日」と詞を添えて描かれるものもあります。一方で、近年の研究では、説話での退散理由の傾向や、絵巻の成立過程などの検討が重ねられ、尊勝陀羅尼、不動明王の火炎、火車など仏教に関わるものと解釈される説もみられるようになりました。
闇夜に活動し夜明けとともに姿を消す鬼。その活動の様子は、世の中を明るく照らす太陽を嫌うようです。平安時代に成立した説話集などからは、鬼のその活動スタイルを探ることができます。
例えば、「曙ル程ニ成ヌレバ」鬼たちが皆「返リ去ヌ」(『今昔物語集』巻13の1)。日の出の直前、明け方の空が明るくなる時分に、いずれかの場所へ戻ったようですね。
もう一例ご紹介しましょう。「暁に鳥など鳴きぬれば、鬼ども帰りぬ」(『宇治拾遺物語』1の3)。夜から朝に変わろうとするあたりに、こちらも鬼たちが住処に帰っています。(この頃の「暁」はまだ暗い時間帯のことをさしていたようです。)
ちょっと物足りなく思われたでしょうか。
今回の展示のテーマである「滅ぼす」という点で非常に有効そうな「太陽」ではありますが、陽光を浴びて鬼の身体がジュワッと焼き尽くされるような描写は、説話などからはなかなか探すことができません。
先にあげたように、鬼が夜明けに消えるというのは、朝日を浴びる前に鬼が自らの足で退散をしているのです。
実は嫌いというだけで、そこまで決定的なダメージを与える要素ではないのでしょうか。
太陽を避けることに関して、ちょっと緩そうな鬼たちはいました。
『今昔物語集』には、自身の身を助けるために交渉しあう人と鬼の話があります(巻20の19)。鬼は最後に「暁」、つまり明け方に人のもとに現れて、交渉が上手くいったことを報告し、「掻消ツ様ニ去」ます。すぐに消えたとはいえ、ほかの話では鬼がいなくなる時間帯に登場するとは、鬼の立場からするとはらはらしてしまいます。
もう一つ、鬼と太陽の関係を気にしながら文献をめくっている中で、ちょっと興味深い話がありました。今度は日の入り近くの話です。
8世紀、奈良時代に成立した『日本書紀』には、朝倉宮(いまの福岡県朝倉市あたり)で行われた斉明天皇の喪儀を「夕」に、山から鬼が大笠を着てみていた、という記述があります(斉明天皇7年8月条)。人々がその姿を怪しんだということですから、日が沈んでいてもその姿を目視できた、まだ明るい時間帯の出来事のようにも考えられます。
鬼と対峙した人にしてみても、基本的にはその局面を乗り切り一安心といったところのようで、去っていく鬼に「逃げるな!」と叫ぶほどのモチベーションはなさそうです。(言いそうなのは……頼光でしょうか。※前回ブログ参照)
鬼は太陽を避けるけれど、薄明の時間は大丈夫だったりするのかもなと、想像してみるのでした。
次回は、 「鬼の嫌いな香り、好きな香り⁈」です。どきどきのレポートがあるみたい?つづく!
(学芸課鬼殺係・さとう)
■企画展「鬼は滅びない」は2021年6月13日(日)まで開催中。
素晴らしい!! 鬼の話、素敵です!! これからも、不思議たくさんの美術、芸術、歴史のお話、楽しみにしております!!
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