2020年10月17日土曜日

【ふくおかの名宝】鑑賞ガイド④ 国宝 金印「漢委奴国王」

  昭和61931)年1214日、金印「漢委奴国王(カンのワのナのコクオウ)」は国宝に指定されました〈※註1〉。福岡市に寄贈されたのは昭和531978)年のこと。福岡市博物館では平成21990)年の開館以来、常設展示の目玉のひとつとなっています。

註1 国宝保存法にもとづくいわゆる「旧国宝」で、現在の重要文化財にあたるもの。昭和29(1954)年に文化財保護法にもとづき、改めて国宝に指定されている。

国宝 金印の全景
国宝 金印の全景

国宝 金印の印面「漢委奴國王」
国宝 金印の印面「漢委奴國王」

 金印は蛇をかたどった鈕(ちゅう ツマミの部分)がつき、高さ2.236㎝、印面幅(平均)2.346㎝、金の純度は95%で、印面に刻まれた5文字のうち、「委」は「倭」の通字とみられ、西暦57年に後漢(中国)の光武帝が「倭奴国」の遣使に与えた印にあたると考えられています。当時の日本は弥生時代。所説ありますが、「倭奴国」は福岡市南東部の御笠川や那珂川の流域一帯を統治した奴国(なこく)を指すという考え方が一般的です。


箱に紐をかけ、紐の結び目に粘土のせて印を押した「封泥」
粘土に印を押した「封泥」

さて、金印は「印」といっても現在の印鑑のように朱肉や墨をつけて捺すものではありません。竹簡や木簡に書かれた文書を梱包した結び目に粘土の塊をつけ、そこに押します。粘土は乾燥すると固くなり、これを壊さなければ文書の中身をみることができません。印が押された粘土の塊を「封泥」と呼び、文書の機密が保持されていることを証明するものでした。さらに、印文には役所名や役職名、人物の氏名などの発信元が明確に記されます。また古代中国の印は鈕のモチーフ(蛇・駱駝・亀など)や穴に通してつける綬(じゅ)と呼ばれる帯紐の色と長さが細かく規定されており、見た人に所持者の地位や所属を明確に表す役割もありました。金印の下賜は「倭奴国」が中国皇帝を頂点とする秩序に組み込まれ、領域の支配権を認められたことを示します。当時の九州北部に存在した国々は、中国の後ろ盾を得ることで多くの文物を吸収し、社会的・文化的にも大きな飛躍を得たのです。


 さて、金印の発見は江戸時代に遡ります。出土地は志賀島(しかのしま 福岡市東区)。天明
41784)年に農民である甚兵衛が水田の溝を修理するときに大石の下から見つけたとされ、そのときの様子は『口上書』として当時の那珂郡庁に提出されました。以後、金印は福岡藩主をつとめた黒田家に伝わります。ただし、明治期以降、何度か志賀島の出土推定地で発掘調査が行われましたが、金印に結びつくような成果は何も見つかりませんでした。なぜ奴国の中心域から離れた志賀島で発見されたのかは、金印の大きな謎のひとつとなっています。このように、金印には不明な点も残されていますが、裏を返せば歴史ロマンをかきたてる謎多き国宝としても魅力的な「名宝」と言えるでしょう。

(学芸課 朝岡)

国宝 金印は、「ふくおかの名宝」展の会期中(10/10~11/29)も、常設展示室で公開しています。「ふくおかの名宝」展の観覧券で、会期中に限り、常設展示室と企画展示室(名鎗「日本号」を展示中)もご覧いただけます。 

「ふくおかの名宝」展では、金印についての研究書『金印弁』(天明4・1784年 亀井南冥著)を展示していますので、お見逃しなく!! 

博物館だより『Facata』120号の表紙と特集ページには、金印の国宝指定書の写真を掲載しています。 

博物館 のホームページでは、『金印ポータブル図鑑』を公開しています。こちらも、ぜひ、ご覧ください。

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