2020年11月16日月曜日

【ふくおかの名宝】観賞ガイド⑬ 拵が重要文化財! 重要文化財・金霰鮫青漆打刀拵

 重要文化財への指定は刀身ではなく、この拵(こしらえ)によるものです。福岡藩祖・黒田孝高(よしたか)(官兵衛(かんびょうえ)・如水(じょすい))の差料安宅切(あたぎぎり)の拵(こしらえ)です。

刀 名物「安宅切」の拵
刀 名物「安宅切」の拵 金霰鮫青漆打刀拵

鞘(さや)は返角(かえりづの)の先から鐺(こじり)まで霰地(きんあられじ)を圧(へ)し出した金の延べ板で巻き込み、腰元は青漆(せいしつ)塗りとする大胆なデザインとなっています。柄(つか)は朱塗りの鮫着せに薫韋巻(ふすべがわまき)を施し、目貫(めぬき)は赤銅金色絵桐紋三双(しゃくどうきんいろえ きりもんさんそう)、頭(かしら)は金無垢(きんむく)、縁(ふち)は赤銅で、ともに波濤(はとう)文様を肉彫りで表現しています。栗形(くりがた)の鵐目(しとどめ)は金無垢、鞘尻(さやじり)の鐺(こじり)は銀製の鍬形(ぎんくわがた)とします。鍔(つば)は鉄地で、やや角張った丸形に周縁をやや厚く肉取りした角耳で、表裏とも全面に日足鑢(ひあしやすり)をかけています。

金・銀・朱・緑のコントラストが鮮やかです。豪華絢爛な意匠は、華やかな桃山時代の気風をよく表しています。

はばき台尻の針書き
鎺(はばき)台尻の針書き

 安宅切には金無垢二重鎺(にじゅうはばき)が付属します。この台尻(だいじり)の差表(さしおもて)側には「小判(こばん) 明寿(みょうじゅ)」の針書きがあり、桃山時代に活躍した金工師で、新刀鍛冶の祖と評される埋忠明寿(うめただみょうじゅ)の作になる鎺だと分かります。したがってこの拵も明寿の監修によって制作されたことが窺えます。明寿には重要文化財・刀 銘 山城国西陣住人埋忠明寿(花押)/慶長三年八月日他江不可渡之(たへこれをわたすべからず)(京都国立博物館蔵)があり、慶長3年(15988月以前に出家して明寿と名乗っていますので、その頃から孝高(如水)が没する慶長9年(1604)以前に制作されたことになります。国宝・圧切長谷部(へしきりはせべ)(福岡市博物館蔵)の拵はこの安宅切の拵を模して作られたものです。ともに金霰地は精密な造りで、大粒の周りに小粒が6粒、規則正しく緻密に配列されていますが、圧切の拵に比べ安宅切は、つぶれた金霰地が散見し、柄巻の汚れとともに使用された痕跡が明瞭です。 

「安宅切」の拵えの金霰地のアップ
「安宅切」の金霰地のアップ

刀身は差表(さしおもて)に作者銘「備州長船祐定(びしゅうおさふねすけさだ)」、差裏に制作年「大永(だいえい)二二年八月日」が切られ、大永4年(15248月、末備前(すえびぜん)の長船祐定(おさふねすけさだ)の作になることが分かります。

金霰鮫青漆打刀拵の刀身 刀「安宅切」
刀 名物「安宅切」

安宅切の名称の由来は、黒田孝高が四国攻めに際して用いた事績にもとづくものです。『黒田家譜』『黒田家重宝故実』によると、淡路(あわじ)に渡海した孝高は、三好氏の一族、安宅河内守(あたぎかわちのかみ)の由良城(ゆらじょう)(兵庫県洲本市)を攻め落とし、この刀で孝高が安宅河内守を討ち取ったことによる命名と伝えています。

 茎(なかご)の差表には作者銘のほかに金象嵌銘「あたき切 脇毛落(わきげおとし)」があります。これは名物としの名称と後世試し切りをした際の截断銘(さいだんめい)を刻んだものです。試し切りでは骨の多少により部位によって難易があり、脇毛は両手を上げた姿勢で両脇を結んだ線を指します。通常行う試し切りの部位より切るのが難しい箇所で、安宅切の切れ味の鋭さを表わしています。

(学芸課 堀本)

重要文化財 金霰鮫青漆打刀拵は、福岡市博物館開館30周年記念展「ふくおかの名宝」で、ともに重要文化財に指定されている刀「安宅切」とあわせて展示中です。また、この拵を模して作られた、国宝 刀「圧切長谷部」の拵も展示していますので、あわせてご覧ください。

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