2023年8月18日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈050〉百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~

           

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回(「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回(「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回(「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回(「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回(「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回(「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回(「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回(「百道海水浴場はどこにある?」
第45回(「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)






〈050〉百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~


突然ですが皆さんは小学生や中学生のころ、学校以外で何か「習い事」に通った経験はあるでしょうか?

筆者は近所の英語教室とピアノ教室に通わせてもらっていましたが、一向に興味が湧かなかったせいで、残念ながら数十年を経ったいまではどちらも身にはついておらず…(それなのに通わせてくれていた親には感謝しかないですが)。


学研教育総合研究所による「小学生白書Web版」というものがありまして、これは小学生の日常生活に関するさまざまな調査結果が公表されているのですが、その中の「学校以外で行っている習い事」ランキングによると、1位はなんとダントツで水泳なんです。


ちなみにベスト10は次のとおりでした。

 1位 水泳(24.3%)

 2位 音楽教室(16.5%)

 3位 受験のための塾・学校の補習のための塾(16.3%)

 4位 通信教育(14.9%)

 5位 英語塾(読み書き中心)・英会話教室(13.8%)

 6位 体操教室(7.3%)

 6位 習字・書道(7.3%)

 8位 そろばん(6.4%)

 9位 サッカー・フットサル(6.0%)

 10位  ダンス(バレエ以外)(4.6%)

「小学生白書Web版(2022年)」より


また、同ホームページで公表されている一番古いデータは1989(平成元)年なのですが、その中の「よくやるスポーツ」という項目を見ると、こちらもダントツで水泳が1位です(55.8%)。

※ こちらのアンケートは現在はWeb形式ですが、この時のデータ収集方法は学研の月刊雑誌『1~6年生の学習』の読者アンケートだったそうです。


さらに、企業電話データベース「グリーンページ」(日本ソフト販売株式会社)が集計した全国のスイミングスクール数ランキングでは、福岡県は94件でなんと全国5位なんですね。


このように、「水泳は日本のお家芸」と言われるほど水泳が盛んな日本において、その中でも福岡は比較的水泳に馴染みのある土地のようです。

そして実はその源流は百道にあると言っても過言ではない、という事をご存知でしょうか?


先日、世界水泳2023福岡大会、そして世界マスターズ水泳選手権2023九州大会も先日無事に閉会しましたが、今回は【世界水泳アフター企画】として、引き続き福岡の水泳の歴史と百道との関わりを振り返っていこうと思います!





海水浴と水泳教室 ―なぜ百道に水泳教室が?

以前もこの連載で少しご紹介しましたが、昔は水泳といえばプールではなく、その舞台は海や川など、自然の中で行われていて、そこでは水泳教室も開かれていました。


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前回からお届けしております、世界水泳2023福岡大会(勝手に)応援企画。今回もシーサイドももちで行われる競技にまつわるお話をお届けします。今回は、「オープンウォータースイミング」です...
http://fcmuseum.blogspot.com/2023/06/0432023.html


百道海水浴場でも水泳教室(水泳練習会)は行われています。それは海水浴場が開場した大正7(1918)年から、紙面で生徒を募集して開催されていました。


それではなぜ百道海水浴場では開場初年からわざわざ別メニューとして水泳練習会をやっていたのか? 

それには百道海水浴場をつくった福岡日日新聞社(西日本新聞社の前身の一つ、以下、福日社)が、海水浴場開場の際にお手本とした大阪の「浜寺海水浴場」に関係があると思われます。


(絵葉書「(濱寺名勝)海水浴場」、個人蔵)


※浜寺海水浴場についてはコチラをご覧ください。


浜寺海水浴場は、明治39(1906)年に開場した歴史ある海水浴場ですが、開場当初から水練学校専用の「水中練習場」エリアが設けられているほど、水泳練習に力を入れていました。


浜寺水練学校は「毎日新聞社浜寺水練学校」が正式名称なのですが、現在でも「ハマスイ」という愛称で親しまれています。そうこの水練学校、実は今でも続いているんです!(もうすぐ120年!)


浜寺水練学校は海水浴場開場当初から大きな目玉の一つと位置づけられていて、創業者の本山彦一大阪毎日新聞社社長は、「近代の国民の健康な身体を作り出すために水練が必要」で、それが大阪毎日新聞社の「社会的な貢献である」と考えていたようです(渋谷一成「ハマスイ!浜寺海水浴場と浜寺水練学校の歴史」)。



(『浜寺海水浴二十周年史』〈大阪毎日新聞社、1926年〉より作成)
浜寺海水浴場の配置図。
そもそも広大ですが、水練学校が占める割合が大きいのが分かりますね。


そんな浜寺海水浴場を手本にしてつくられた百道海水浴場ですから、そこに水練学校をもってくるのも自然なことだったのではないでしょうか。



百道の水泳学校

百道海水浴場では先ほども紹介したように、開場した大正7(1918)年8月6日から水泳練習会が開かれ、次のような規定に基づき生徒を募集しました。


一、本社主催百道海水浴場に於て水泳練習会を開設す

一、期日は八月六日より同三十日迄とす

一、会員資格は男女を問はず年齢十二歳以上の者に限る

一、申込期限は八月五日迄にて住所、姓名、年齢、職業を明記し本社又は海水浴場本社係員に申込まれたし

一、会員の練習費は無料とす但し実費を以て会員章及各階級に応じ帽子を配つ

一、練習規則は別に定め各会員に配付す


(大正7年8月2日『福岡日日新聞』朝刊7面
「涼風紺碧の浪を渡る 本社主催百道海水浴場に人出 水泳練習開始と会員募集規定」より)


また、練習会のプログラムはこんな感じでした。

 12歳以上男女不問、練習費無料、会員章・帽子実費15銭

 第一期 犬カキ
     バタ足
 第二期 横体=扁り足、一段、二段
     平体=扁平游、蛙平遊
     抜手=互抜手
 第三期 横体=片抜手(一段 二段)諸手 横遊
     平体=早抜手
     立体=扁足、踏足、巻足
     跳込=逆跳、直跳、達摩跳
 第四期 横体=片抜手、片抜手栲
     平体=小抜手
     跳込=順下、逆下
     潜水=扁平潜、蹴潜
     浮身

(大正7年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面
「水泳練習開始 本日午前十時より百道海水浴場にて」より)


これを見ると、クロールや平泳ぎなどの競泳種目は見当たらず、最初の水泳練習会は日本泳法を基本としていたようです。


また、この練習会の一環として、以前もご紹介した遠泳を必ず行っていました。


水泳練習会は、大正7(1918)年に始まって以降、戦前はほぼ毎年福日社の主催で行われていましたが、昭和2(1927)年には「百道水泳学校」と名を改め、その名のとおり学校組織という体を取るようになりました。

(一)学童部(尋常四年以上の男児童に水泳以外学習の補導をなす)

(二)女子部(尋常四年以上児童各女学校生徒及び一般女子)

(三)学生部(中等学校以上の男子に主として競泳法を授く)

(四)一般部(十五歳以上の一般男子)

(五)教生部(十七歳以上で相当の技術を有し水泳指導者たらんとする者に技術の修練、理論及び教授法の研究をさせる)

以上五部とし一定の標準に拠り進級証指導的認証等を授与するので開校期は来る八月一日より二十日迄(内十三、四、五の三日間休み)とし毎日午前十時より正午迄各部教授をなす


(昭和2年7月14日『福岡日日新聞』朝刊3面
「百道に水泳学校 来る八月一日より開設 部別と申込期日規程」より)


この頃、大濠には県営プールができ(昭和2年完成、昭和3年水神式)、福岡市にも現在の福岡県水泳連盟の前身となる「福岡水泳協会」が設立するなど、福岡の水泳界の活動が活発になってきていました。

『福岡県水泳連盟80年史』によれば、昭和13(1938)年に初めて協会と福日社とが共催で百道海水浴場を会場に水練学校を開いたとのこと。しかし、この年は8月前半までコレラの流行で海が使用禁止になったり、また福日社が海の中道に海水浴場を開きそちらの記事が多くなったこともあってか、百道海水浴場に関する記事がとても少なく、実施どのような形で水練学校が行われたのかということは確認できませんでした……。


また、それまでも学校の水泳部の活動では九州大学を筆頭に中学修猷館筑紫女学園、あるいは朝倉中学などは活動が盛んでした(当初、福岡水泳協会の事務局も九州大学内に置かれていました)。これら学校単位の活動が、協会の設立や施設整備などによりさらに活発化し、オリンピック選手として著名な修猷館の葉室鐡夫さん(1917-2005)を筆頭に、福岡から全国区の水泳選手が多く輩出され、福岡の水泳界が全国でも存在感を現していった時代でした。



福岡水泳協会と日米水上競技

ちょっと話は逸れますが、福岡水泳協会の話が出ましたので、戦前の福岡の水泳界にとって一大事となった出来事をご紹介します。

それは昭和12(1937)年の「日米水上競技大会」という水泳大会の開催です。

(市史編さん室所蔵)
昭和12年8月3日に大濠プールで開催された
日米水上競技大会のパンフレット。

場所は百道ではなく、大濠公園の県営プール。

実はこの大会のため、福岡県では大濠の県営プールをタイル張りの50mプールに大改修夜間照明を設置して、国旗掲揚台もそれまで1本だったのを3本にするなど「オリムピック大会場を型どる」大改造を行い、福岡水泳協会の上位機関である大日本体育協会(現在の日本体育協会)が指定する「公認水泳池」に申請するほど力を入れていました(昭和12〈1937〉年)


そう、この大会は結果として幻となってしまった昭和15(1940)年の東京オリンピックを見据えた大会と位置づけていたのです。


またこの大会は、協会が東京の神宮プールで開催する第12回全日本選手権大会にアメリカチームを招致しており、その関連大会として各地方に選手を招待したもので(米国選手歓迎地方大会)、当時のアメリカチームのスケジュールは次のようなものでした。

8/2 大阪(甲子園プール)

8/3 福岡(大濠水泳場)

8/5 広島(広島市県立二中プール)

8/6 京都(京都第二商業学校プール)

8/7 名古屋(振甫水泳場)

8/14~16 東京(神宮プール/全日本選手権大会)

8/18 静岡(浜松第一中学水泳場)

(『水泳』第50・51号〈日本水上競技連盟、1937年〉より)


……ものすごい過密スケジュールですよね。選手の体力は大丈夫だったのか、心配になるレベルです。


この大会を福岡水泳協会とともに大会を主催した福岡日日新聞社は、開催が決まると連日紙面でこれを宣伝。約1週間前から特集を組んで、市民に大会の開催と水泳をアピールしました。

メインイベントとして東京で開催された全日本選手権大会では競泳のほかにも高飛び込みと水球も行われましたが、福岡では競泳のみ。

試合はアメリカに対して葉室鐵夫さんを中心とした日本選手団が好記録を残し、大いに盛り上がりました(当時、女子平泳ぎ金メダリストとして有名となった前畑秀子さんは前年に競技を引退しており参加せず…残念)。


しかもこの大会、新設された照明設備をフル活用して、競技開始は午後6時半。そこから各種レースが行われ、終了したのはなんと午後9時を過ぎていたといいます。

それでも約3千人以上の観客が詰めかけ、選手たちに歓声を送り、翌日の紙面には「日米飛沫の大決戦」という見出しとともに、豊富な写真と臨場感のある実況記事がその興奮を伝えました(昭和12年8月4日『福岡日日新聞』朝刊7面「水の饗宴豪華陣 福岡の地で激戦展く」)。


この出来事は戦前の福岡水泳界に大きな活力を与え、この後に開かれる全国大会でも福岡県勢は上位常連となり、好成績を残していきました。

また実質的には福岡水泳協会にとっても組織の充実や資金の調達など、大きな成果を残す結果となりました。



戦後の百道水練学校とスイミングスクール

さて、話は戻って百道です。


戦時中~戦後しばらくは中断していた百道の水練学校ですが、昭和24(1949)年から再び再開されました(百道海水浴場の再開は昭和22〈1947〉年)。

水練学校の再開は市民からも待ち望まれていたようで、毎年100名近くの子どもたちが参加し、「最終日には初心者でも海で泳げるようになる」と保護者からも喜ばれたようです。


百道の水練学校は昭和27(1952)年からは福岡市の主催となり、その後は水泳協会なども共催(西日本新聞社は後援)し、昭和37(1962)年まで百道の夏の風物詩として行われていました(昭和38〈1963〉年からは大濠の県営プールで実施)。



一方この頃、日本水泳界にとって大きなエポックメイキングとなった出来事がありました。昭和39(1964)年の東京オリンピックです。

古くから「水泳は日本のお家芸」と言われ期待された日本水泳ですが、フタを開けてみれば結果は銅メダル1個という「惜敗」を喫してしまいます。

この事態を受け、日本水泳界では水泳選手の発掘と実力の底上げを目的として、「スイミングクラブ」なるものがつくられました。


日本初のスイミングクラブは「代々木スイミングクラブ」(東京)と「山田スイミングクラブ」(大阪)で、いずれも昭和40(1965)年3月に開校しましたが、翌年には福岡市の最初のスイミングクラブとして「福岡スイミング」が開校(昭和41〈1966〉年2月)

これは前年に薬院に完成した福岡県総合プールを本拠地としており、同クラブは現在でも元気に活動されています(ちなみに九州初のスイミングクラブは昭和40〈1965〉年6月に開校した北九州市の「黒佐水泳学校」でしたが、残念ながら令和元〈2019〉年11月にその幕を閉じました)。


* * * * * * *


いかがだったでしょうか? 

現在ではスイミングスクールの数が全国でも上位に食い込むほど、水泳が身近にある福岡。そんな「水泳王国・福岡」とも呼ばれるようになる源流の一つが百道に関係していたと考えると、今年の世界水泳のみならず前回2001(平成13)年の世界水泳でも百道が舞台の一つとなったことは、やはり感慨深いものがありますね。



(絵葉書『福岡女子高等臨海学校 体操』、福岡市博物館所蔵)



【参考文献】

・『水泳』第50・51号(日本水上競技連盟、1937年)
・『大日本体育協会史』下巻(大日本体育協会、1937年)
・『昭和十三年版 日本文化団体年鑑』(日本文化中央連盟、1938年)
・『本邦学校ニ於ケル水泳プールニ関スル調査 昭和13年12月現在』(文部大臣官房体育課、1940年)
・『水泳年鑑 昭和16年』(日本水上競技連盟、1941年)
・『福岡市史』第四巻 昭和編前編(下)(福岡市、1966年)
・江頭光『博多おやまあ―新聞一〇〇年―』(西日本新聞社、1977年)
・『西日本新聞百年史』(西日本新聞社、1978年)
・福岡県水泳連盟創立80周年記念誌編纂委員会編『福岡県水泳連盟創立80周年記念誌 飛沫を上げろ、夢をもて』(福岡県水泳連盟、2010年)

・ウェブサイト
 ・小学生白書Web版(2022年)(https://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/202209/index.html)
 ・毎日新聞社浜寺水練学校(http://www.hamasui.jp/index.html/)
 ・福岡スイミングブログ「九州最古の水泳スクール」(2019年11月6日記事)(https://fukuokasc.hatenablog.com/entry/2019/11/06/080000)
 ・『西日本新聞Me』「九州最古の水泳スクールに幕 東京五輪元代表が指導 北九州「黒佐学校」(2019年11月4日記事)https://www.nishinippon.co.jp/item/n/556643/

・新聞記事
 ・大正7年8月2日『福岡日日新聞』朝刊7面「涼風紺碧の浪を渡る 本社主催百道海水浴場に人出 水泳練習開始と会員募集規定」
 ・大正7年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面「水泳練習開始 本日午前十時より百道海水浴場にて」
 ・昭和2年7月14日『福岡日日新聞』朝刊3面「百道に水泳学校 来る八月一日より開設 部別と申込期日規程」 
 ・昭和12年7月14日『福岡日日新聞』朝刊5面「福岡市大濠公園のプール大改造 名実共に西日本一へ」
 ・昭和12年8月4日『福岡日日新聞』朝刊7面「日本飛沫の大決戦 水の饗宴豪華陣 福岡の地で激戦展く



#シーサイドももち #百道海水浴場 #水練学校 #福岡県水泳連盟 #スイミングスクール


Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル

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