埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
〈083〉小学校の体育用具倉庫で山笠のムルティをつくってほしい─よかトピアで大活躍だったインド(その1)─
今日は6月14日。
すでに福岡は博多祇園山笠の準備期間に入っていて、舁き山笠・飾り山笠の今年の標題も発表されました。
新天町商店街(中央区天神)の飾り山笠の見送り標題は「サザエさん」だそうですね。
ちなみに表標題は「武門之棟梁清盛」。
人形師はどちらも小副川太郎さんです。
このブログ「別冊シーサイドももち」には欠かすことができない西新のスター「サザエさん」ですから、新天町商店街をさらに賑やかに飾ってくれることと思います。
なぜ山笠の話をはじめたかというと、先日、昔の新聞を見ていましたら、1989年のアジア太平洋博覧会(よかトピア)に「インドの山笠」がお目見えしたという記事を見つけたからなのです。
インドの山笠??
さっそく記事を読んでみると、3月17日の博覧会開催を前にインドから人形師さんが来福されたとのこと。
会場のメーンステージ「リゾートシアター」に飾る人形をつくるために、はるばるインドのコルカタから来られたのだそうです。
(福岡市史編さん室作成) |
リゾートシアターのことは過去のこの回のブログが詳しいです。
コルカタはインド共和国の東、バングラデシュに近い大都市。
よかトピアの当時は「カルカッタ」と呼ばれていて、新聞記事でもそう書いてあるのですが、現在はコルカタと改められています。
インドではヒンドゥー教のお祭り「ドゥルガー・プージャ」(9月か10月ころ)と「サラスヴァティー・プージャ」(2月)で、豪華に飾りつけたムルティ(神像)に祈る風習があります。
そのために「ドゥルガー・プージャ」では「ドゥルガー」(正義の女神。手がたくさんあってさまざまな力を持っています)の神像が、「サラスヴァティー・プージャ」では「サラスヴァティー」(知恵の女神。仏教でいうと弁財天です)の神像がそれぞれつくられます。
この2体を福岡でつくってもらって、本物のムルティを「リゾートシアター」入り口の両脇に飾ろうという企画だったようなのです。
なんて贅沢な…。
博覧会のころがバブル景気だからというより、空前の円高のためにこうしたこともやりやすかったのでしょうね。
先ほどの「インドの山笠」という言い方は、このときの新聞取材にあたって、山車にムルティを乗せている様子を「山笠」に例えて説明したためのようです。
たしかに福岡の人にはイメージしやすい例えかもしれないですね(実際は山車の形が山笠とはだいぶん違ったのですけど…)。
このとき来福されたのは、マニー・パールさん。
コルカタの人形師のまち「クマトゥリ」ご出身の45歳(当時)です。
マニーさんは人形師歴30年のベテランで、前年の「ドゥルガー・プージャ」の人形コンテストでは、2000体のなかから優勝された人形製作の第一人者なのだそうです。
来福したマニーさんは8日(水)に桑原敬一市長を表敬訪問したのち、さっそく10日(金)から作業に取りかかり、2月末には完成させるというスケジュール(2体を20日でつくってしまうとは、さすがの職人技…)。
新聞記事によれば、神像は木とわらで骨組みをつくって粘土で形づくると書いてありますので、塑像のような作り方ということになるのでしょうか。
神像の身長は2.6メートル。
これを山車の上に乗せるので、全高は3.6メートルになるとのこと(山車の幅は1.8メートル)。
マニーさんは神像に着せる衣装も自ら最高のものを選んで持ち込まれていて、「素晴らしいムルティをお見せできるでしょう」と新聞記者のインタビューに答えています。
マニーさんがムルティをつくる場所なのですが、福浜小学校の体育用具倉庫とのこと。
こどもたちが国際感覚を身につける良い機会になるからと、小学校がこの場所を提供されたのだそうです。
福浜小学校はよかトピアの会場になった埋め立て地「シーサイドももち」まで歩いて行けますので、距離的にも絶好の場所。
なるほど、一石二鳥です。
(地理院地図Vectorを基に作成) |
つくりはじめる10日には児童全員が集まってマニーさんの歓迎会を開き、さっそくみんなでインドの話を聞いたそうです。
インドの人形製作の第一人者が人形をつくる過程を最初から完成まで、しかもそれを自分たちの学校のなかで毎日間近に見られるのですから、まるで博覧会が前乗りで出張してきたようなもの。
海外の文化を肌で感じられて、きっと今でも思い出になっているのではないでしょうか。
こうして福岡の小学校でつくられて、会場に置かれた人形がこれです。
(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』 〈アジア太平洋博覧会協会、1990年より) |
なかなか写真がなかったのですが、博覧会の公式記録のなかに写り込んでいるものを見つけました(この写真の構図だと、リゾートシアターの「満員」の様子を撮りたかった1枚なのでしょうね)。
手がたくさんあるので、これは「ドゥルガー」の像。
足下に獅子と男性を置くのは定番の形です。
貞刈厚仁さんのご著書『Ambitious City―福岡市政での42年―』を読んでいましたら、この神像の製作についてふれておられました。
貞刈さんは当時アジア太平洋博覧会協会にいらっしゃって、マニーさんを招かれた方です。
本のなかには、公式記録にはなかった「サラスヴァティー」像の写真や、福浜小での製作風景、マニーさんの送別会の写真もあって、どれもここだけの貴重な記録になっています(勝手に転載はできないので、ご覧になりたい方はぜひ貞刈さんの本をご覧になってみてください。とても良い写真です。口絵と55ページにあります)。
ところで、その送別会の写真には1メートルもないくらいの小さな神像が写っていました。
貞刈さんによれば、これはマニーさんがこのときのお礼としてつくって福浜小に贈られた品で、サラスヴァティー像のようなのです。
これは貴重なよかトピア遺産!(福岡市史では、今もまちに残るよかトピアにまつわる物を勝手にこう呼んでいます)
しかも当時一流の人形師の作品です。
福浜小学校の関係者の方々、もしこの神像の所在をご存知でしたら、福岡市博物館の市史編さん室までお知らせくださらないでしょうか。
ぜひ拝見したいです。
よかトピアのテーマは「であい」。
〈081〉のヤップの話もそうでしたけど、この博覧会をめぐる「であい」は会場や会期にとどまらず、もっと広がりをもったものだったことを感じるエピソードでした。
インドはこの神像だけではなく、パフォーマンスやお店でも国際色豊かによかトピアを盛り上げた国です。
もう少しそんな話を調べてみようと思っています。
そうそう、インドといえば、明日とても楽しそうなイベントが福岡アジア美術館で開かれますので、最後にご紹介。
福岡アジア美術館は博多区下川端町にあるリバレインセンタービル7・8階。
ここで今、「アジアン・ポップ」という展覧会が開かれているのですが、明日その関連イベントとしてインド映画『SHOLAY』(邦題「炎」)が上映されます。
詳細はこちらをご覧ください。
『SHOLAY』は1975年につくられた「インドで最も大衆に愛されたインド映画の金字塔」と言われている映画。
監督はラメーシュ・シッピーさん、主演はインド映画のスター、アミダーブ・バッチャンさん、サンジーヴ・クマールさんのお二人です。
ストーリーは『七人の侍』『荒野の七人』を思わせる、村を守る2人の用心棒の物語。
もちろんこちらはインド映画独特のエンターテインメントと、何で?という展開を詰め込んで仕上げられています(長尺の204分!)。
「七人」ではないので、むしろ今話題の舘ひろしさん・柴田恭兵さん主演『帰ってきた あぶない刑事』や、ウィル・スミスさん・マーティン・ローレンスさん主演『バッドボーイズ RIDE OR DIE』のようなバディ物として見ることもできそうですね。
この『SHOLAY』、「アジアン・ポップ」展の作品『ガンボージ色のガッバル』(インドの画家アトゥル・ドディヤさん作、福岡アジア美術館所蔵)のモチーフになった映画なのだそうです。
アトゥル・ドディヤさんの『ガンボージ色のガッバル』はこちらで見ることができます。
今回の上映は貴重な日本語字幕付き。
しかも上映前には、館内のアートカフェでアジアをテーマにしたDJイベントがあったり、インドビールも飲めるのだとか。
いや、「急に明日なんか行けない!」「ブログを見たときにはもう終わってた!」という方、ご安心ください。
8月17日(土)の「アジアン・ポップ☆イベントⅡ」で、ふたたび上映されます。
この日はDJイベントではなく、『SHOLAY』を翻訳されたアジア映画研究家・松岡環さんの解説トーク(オンラインでのご登場)があります。
松岡さんは『ムトゥ 踊るマハラジャ』などの字幕も担当された方です。
インド映画は作品の背景を知っていると、いろんな視点からもっと楽しめそうですよね。
よかトピアではテーマを考えるにあたって、人や物の「であい」によって、エネルギーを生産するプロセス「まつり」が生まれ、それは博覧会場の外へと広がっていく、そしてそこでまた新たな「まつり」がはじまると構想していました。
まさに「まつり」無限装置。
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)
・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)
・『朝日新聞』1989年2月9日「インドから人形職人」
・『西日本新聞』1989年2月9日「インドの人形師来福─ヒンズー様式の山車製作─」
・『フクニチ新聞』1989年2月9日「アジア博にインドの山笠?─祭りの人形制作 第一人者のマニーさん来福─」
・『毎日新聞』1989年2月9日「カルカッタから人形職人が来福─リゾートシアター正面入り口を飾る─」
・『読売新聞』1989年2月9日「ヒンズー教人形飾る─製作の第一人者来福─」
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #インド #飾り山? #福岡アジア美術館 #アジアン・ポップ #SHOLAY
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
0 件のコメント:
コメントを投稿