2024年5月24日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈080〉シーサイドももちにはお金が置いてある ―ヤップカヌー外伝(その1)―



埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。









〈080〉シーサイドももちにはお金が置いてある ―ヤップカヌー外伝(その1)―


シーサイドももちのメーンストリートはサザエさん通りと呼ばれています。

広い歩道があって、福岡タワーまでまっすぐのびている道です。


(福岡市史編さん室撮影)



このサザエさん通りをタワーに向かって歩くとすぐに出会うのがこれ、「ウォーターゲート」。


(福岡市史編さん室撮影)


情報彫刻家の菊竹清文さんの作品です。

菊竹さんは長野オリンピックの聖火台をつくられたことでも有名ですよね。


1989年のアジア太平洋博覧会(よかトピア)のときにつくられて、当時と同じこの場所で通る人を迎えています(博覧会のときは太陽・風・温度・人の動きを感知して表情を変える噴水でした。今はもう動かなくなっているのですが…)。




「ウォーターゲート」はよかトピアをしのぶモニュメントの代表的存在なのですが、実はそのすぐ近くにもう1つよかトピア遺産があります。



これ。


(福岡市史編さん室撮影)


ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島ガチャパル村から運ばれてきた石貨です。

よかトピアのとき、会場に展示されていました。


今はサザエさん通りの横にある百道中央公園の歩道に野外展示されています。



今置かれている場所は、地図でいうとこのあたり。


(地理院地図より作成)
福岡市博物館からも西口からだと歩いて30秒くらい。



よかトピアの1年前、同じヤップ州のサタワル島から福岡市まで太平洋5000キロをカヌーで縦断する航海がおこなわれました。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
博多湾に到着して歓迎されるヤップカヌー。


ヤップ島やサタワル島と日本はこれくらい離れています。


(GoogleMapより作成)



しかも、空と風と波を頼りにしたヤップの伝統的な航海術による人力でのチャレンジ。

8名の船員を乗せたカヌーは、途中で危ない目にあったり、予定を変更しなければならないこともありましたが、約1か月かけて無事に博多湾に到着しました。


船員たちは福岡の人びとに歓迎されて、どんたくに参加するなど翌年に迫った博覧会の開催を大いにアピールして盛り上げました。



そのときのことはこちらが詳しいです。




カヌーが出発したヤップ州は石貨の使用で世界的に有名な場所。


この5000キロの航海をご縁に、博覧会に石貨を展示させてほしいとお願いしたところ快諾してもらい、福岡に運んでくることになったのだそうです。



ヤップの石貨は、現地ではライと呼ばれていて、500年くらい前から使い始めたと伝えられているのだとか(今はすでにつくられていないそうです。ちなみに日常の買い物はアメリカドルが使われています)。



石貨の石は結晶質石灰岩で、パラオ産。

古くはパラオまで行き、人力で切り出してカヌーで運んだそうですが、なかには近代になって西洋人が機械で切り出して島まで運んだものもあるらしいです。



パラオはヤップ島の西南方向にあるのですが、けっこう離れています(切り出すのはもちろんですが、運ぶだけでも大変そう…)。


(GoogleMapより作成)


ヤップの石貨は円くかたちづくり、真ん中に穴をあけているのが共通した特徴ですが、その大きさはさまざま。

直径30センチのものから、3メートル(重さ5トン)におよぶものまで大小いろいろあるのだそうです。



昔は島のなかに1万3000個あまりもあったといわれる石貨ですが、今はそのうち6000個くらいが残っていると推定されています。


小さなものは個人の敷地などに置かれるのですが、大きいものはマラルというムラの目立つ場所に立てて並べられているのがおもしろいです(通称「石貨銀行」)。

人に見せることが前提になっているのですよね。


大きいものは動かせないので、そこに置いたまま所有権だけが移ってゆき、その石貨が今誰のものかはみんな知っているという仕組みだそうです。



ミクロネシア連邦大使館の公式サイトのトップ画面には、立てかけた石貨が写っているヤップ島の写真があります。

またこのサイトのミクロネシア連邦情報コーナーでダウンロードできるガイドブックには、石貨の説明やヤップの見どころも載っていて楽しいです。





ただ、石貨は石の貨幣という意味なのですが、通常のお金とは違うようです。

商品と交換するためのものではなく、祝い事、家屋建築、名誉を傷つけられたときの慰謝料など、人と人との結びつきの場面でやり取りされるとのこと。


石貨の価値も私たちがなれているお金のそれとは違っています。


額面が記されていませんし、それなら大きさや重さで決まるのかなと思っていたら、それもまったく関係ないのだとか。

価値はその石貨の来歴が決めるのだそうです。


なので、その石を切り出して運んできた人びとの苦労や、過去どういう場面でそれをやり取りしてきたかといった履歴が、その石貨の今の価値になります(そのほか見た目の美しさも考慮されるそうではあるのですが)。

そのため、機械でしか切り出せないような大きなものはむしろ価値が低いのだとか。


ヤップの石貨は、物を動かさずに所有権を移していったり、それをみんなが認めていることなどから、近頃の仮想通貨や電子マネーの先駆けのように考えることもあるのですが、自由に商品と交換できないとしたら、やっぱり貨幣が果たしている役割とは大事な部分で重ならないように思えますよね。

ヤップの石貨は単にお金に置き換えられないおもしろさがあります。



そんなヤップの石貨なのですが、よかトピアで展示されたものは1989年2月4日に船便で日本に到着し、6日には会場に届きました(全部で1か月かかったそうです。もとはガチャパル村の集会所にあったものとのこと)。

それから2週間がかりで会場に立てかけられたのですが(ちなみに博覧会の開幕が3月17日ですので、展示されたのはようやくその1か月前ということになります)、その場所は現在地ではなくて、会場内のアジア太平洋ゾーンにあった「とうきゅう トロピカルビレッジ」。


(福岡市史編さん室作成)



「とうきゅう トロピカルビレッジ」は東急グループが出展した太平洋の島々をテーマにしたパビリオンです。

でもパビリオンというよりは、その自然とくらしを再現して、まるでそこに行ったかのような景色を見られるムラのようになっていました。


このムラのなかには、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアの3つの展示館がそれぞれの伝統家屋を模して建てられていて、大きな川に沿ってシアターやステージも備えていました。

(「とうきゅう トロピカルビレッジ」自体はいろいろご紹介したいものが多いので、またの機会に)


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
「とうきゅう トロピカル・ビレッジ」のミクロネシア館。


ヤップのくらしもミクロネシア館で展示されたのですが、石貨はその展示館を飛び出して、屋外のムラの中心部に置かれ、来場者の注目を集めました。

まるでヤップの「石貨銀行」のような置かれ方ですよね。



その場所は『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』227ページのモニュメントの配置図によると、ビレッジ内のこのあたりになるようです(赤丸部分)。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


そうすると、「とうきゅう トロピカルビレッジ」を俯瞰した写真だとこのあたりのはずなのですが…。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


どの写真も石貨の背面方向から写したものばかりで、全然姿が見えませんでした…(残念、引き続き別角度の写真を探索します)。



ちなみに、この場所は今だとシーサイドももちのAIビル(百道浜2丁目)の西側にある駐車場あたりになりそうです。


(地理院地図より作成)


場所が分かったので、さっそく行ってみました。


(福岡市史編さん室撮影)
かつて「とうきゅう トロピカル・ビレッジ」があったあたり。
白い格子状のデザインの建物がAIビル。


今はまったくその面影はありません…(当然そうですよね…)。




このよかトピアに展示された石貨は100年くらい前のものだそうで、最大直径2.8メートル(きれいな丸じゃないため)、厚さ60センチ、重さ約4.5トン、真ん中に直径50センチの穴が空いています(ただ各数値は資料によって一定してないです)。


確かに今の姿をざっと計ってみても2.5メートル以上はありますし、その大きさだと4.5トンの重さもうなずけます。

今は土に埋まっているので厚みは直接見られないのですが、近づいて穴を覗けば、それなりの厚みも感じることができます。


(福岡市史編さん室撮影)


(福岡市史編さん室撮影)



実はこの石貨、よかトピアの展示中に一度修理されています。


当時の新聞によると、一部が欠けたようで、そのほかにもひび割れが見られたとのこと。


仮の修理をおこなったうえで展示していたのですが、ヤップ州と協議した結果、よかトピアの会場で7月22日に「ヤップの日」というイベントをおこなうので、それにあわせて本格的に修復することになりました。

(よかトピアに参加した国や地域はこうした「○○の日」という特別な日をもうけて、親善をはかるイベントを開いていました。)


修復には1週間かかり(7月3日~10日)、修理費用もけっこうな額になったようです(保険に入っていたそうです)。

(確かに今も見ても、表面のひび割れをつないでいるように見える部分があります。)


でも、この修復のおかげで「ヤップの日」を無事に終えることができました。




本来、石貨はヤップ州から借りたものでしたので、よかトピアの閉会後は返却する予定だったのですが、ヤップ州のご厚意で福岡市に寄贈されることになりました。


こうして閉会後、百道中央公園に移設されて今に至っています。


(福岡市史編さん室撮影)
実はここがよかトピア遺産4兄弟(勝手に今名付けました)、福岡タワー・
福岡市博物館(よかトピアのテーマ館)・ウォーターランド・ヤップの石貨が
一緒に画面におさまる隠れスポット。




ところで、シーサイドももちの石貨はいくらなのでしょうね。


もともと価値が低めといわれている大きなサイズですし、すでにヤップの地から離れてしまいましたので、もう価値はないのかもしれませんね。



でも石貨の価値は、その来歴や人との関わり方で決まるといわれています。


5000キロにおよぶヤップカヌーで遠く離れた人びとが結ばれ、その縁で福岡まで運ばれてきて、よかトピアで多くの人に出会い大事にされ、博覧会が終わった後もシーサイドももちの移り変わりを長年見続けてきたこの石貨ですから、数あるヤップの石貨のなかでも特別な経験(苦労も)を積んできていますし、ヤップと福岡のたくさんの人びとを結び付けてもきました。


実はこの石貨こそ価値が高いのでは??と感じてしまうのは、ひいき目でしょうか…。


少なくとも福岡市民にとっては、ヤップとの思い出がつまった品。

これからも大切に受け継いでいって、福岡とヤップとの関わりをこの石貨に語り続けてもらうことで、その価値をもっと上げられるといいですよね。




さて、石貨の修復のタイミングでおこなわれた「ヤップの日」。


これはこれでよかトピアの会場を飛び出して、福岡のまちを盛り上げた特別なイベントになりました。



今度はぜひこの話をさせてください。





【参考文献】

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)

・印東道子編『ミクロネシアを知るための60章』(明石書店、2015年)

・石村智「ミクロネシア連邦ヤップ州 ヤップの石貨」『考古学研究』69-2(通巻274)、2022年

・『西日本新聞』1989年2月7日「ヤップのジャンボ石貨届く」

・『フクニチ』1989年2月7日「現在も通用、石の貨幣 ヤップからア博会場に届く」

・『毎日新聞』1989年2月7日「マイホーム1軒分のヤップ石貨」

・『西日本新聞』1989年7月11日「ヤップの石貨欠ける」

・ウェブサイト
 ・ミクロネシア連邦大使館の公式サイト https://fsmemb.or.jp/


 


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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル

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