2025年3月7日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈101〉よかトピア遺産に会いにいく ―人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その1)―

     

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。








〈101〉よかトピア遺産に会いにいく─人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その1)─


このブログ「別冊シーサイドももち」は、前回で100回を迎えました。


ただ、その後はぱったりと更新が止まりまして…。


切りの良い回数を迎えたのでこれで終わっちゃうの?というお問い合わせもあったりなかったりでしたが、ご安心ください、何事もなかったかのように続いて参ります。


この間も取材班は、ももちネタを求めて文字通り東奔西走・南船北馬しておりました(ただの右往左往かも…)。




とにかく今日はそのなかから1ネタを。





100回記念はシーサイドももちの歩道に敷かれたレンガから、「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)のシンボールマークを全部探し出すという企画でした。




「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)は、埋め立て地である「シーサイドももち」ができてすぐ、まだまちづくりが本格化する前に、福岡の市制100周年を記念して開かれた国際的な博覧会です。

会期は1989年3月17日~9月3日でした。


博覧会終了後もそのまま使う歩道に、よかトピアのシンボルマークを刻んだものがいくつかあることは知っていたのですが、だれもその数を数えたことはなくて、調査結果を聞いたときには私もびっくりしました。

同時に、よかトピアの遺産が36年経っても、なおまちのなかに溶け込みながら残されていることにうれしさも感じました。




ところで、ちょうどこの歩道レンガの取材班が調査計画を立てていたころなのですが、福岡市史編さん室にはよかトピアについての問いあわせがありました。


『南日本新聞』の記者さんからで、鹿児島県阿久根市のスーパー「A-Zあくね」の駐車場に、よかトピアで飾られていたモニュメントがあるというのです。

(そんな話、聞いたことない…)


スーパーの経営者さんはもう世代交代していて、詳しいことが分からないと仰っているそう。


ただ、モニュメントのそばにある記念碑には「七頭竜神」、案内板にはタイでつくられてよかトピアでアジアのシンボルとして飾られていたと書いてある、あとから写真を送るので何か分かることがあったら教えてほしい、ちなみに金色に輝いている、夜になるとライトアップされるという内容でした。



まだ写真を見る前でしたが、実は金色に輝く「七頭竜神」と聞いて、思い当たるものがありました。


よかトピアが終わって刊行された公式記録(これなしではこのブログが100回も続くことはなかったという、よかトピアを知るためのマストアイテム)の口絵で、これまで何度も見た写真がすぐに頭に浮かんだからでした。



その口絵というのがこれです。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


口絵に載っているのはタイの「パヤナーク」 。

キャプションには、「(タイの)チェンマイの仏教寺院、ワットプラタートの参道の竜の像」を再現したものと書いてあります。


金色に輝いていて、頭は7つ(奥の1つは大部分が隠れていますが、細く高く伸びた頭の先がわずかに見えています)、どれも竜のような顔つき。

いかにも「七頭竜神」と呼ばれそうです。



そしてこちらが南日本新聞社からすぐに送られてきた写真。

(南日本新聞社撮影)

(南日本新聞社撮影)


やっぱり、「A-Zあくね」の「七頭竜神」はよかトピアの「パヤナーク」で間違いないです。

まさか鹿児島に現存していたとは…。




さっそく南日本新聞社さんには、このモニュメントの名前とよかトピア当時にこれが置かれていた場所や参考図書も紹介しました。


参考図書となるのは、当時福岡市役所の職員として会場のメーンエリア「アジア太平洋ゾーン」の屋外展示を担当された、貞刈厚仁さんのご著書『Ambitious City―福岡市政での42年―』。

このブログでもたびたび参考にさせてもらっている本です。


貞刈さんはアジア太平洋の各地域をまわられ、博覧会のテーマにふさわしい展示物を直接ご自身で選んで来られた方です。

ご著書の口絵には、この「七頭竜神」も載っています。



こうして、「A-Zあくね」の「七頭竜神」がよかトピアの「パヤナーク」であることは、2025年元旦に『南日本新聞』の記事になりました

記事は今年の干支、ヘビにちなんだお正月特集の1つで、貞刈さんへの追加取材も含めたものになっています。


記事を読んで、お正月からこの「七頭竜神」を見に行かれる方もいらっしゃったそうです。



よかトピアが開かれた1989年はヘビ年

干支が3周しての再ブレイクとなりました。



この記事は今でもネットで読むことができますので、ぜひご覧ください。

『南日本新聞』のサイトだと、デジタルとそのテキスト版が公開されています。

※ テキスト版はコチラをクリックすると見られます。



ヤフーニュースでもまだ見られるようです。






この「パヤナーク」、よかトピア当時は「アジア太平洋ゾーン」で野外展示されていました。


場所は福岡タワーのすぐ下、「三和みどり・エスニックワールド」の北側です。

「三和みどり・エスニックワールド」への入り口を挟むように2頭の「パヤナーク」が向き合っていて、観客は両側から「パヤナーク」にじろりと見られながら出入りしていました。



平面図で見ると、ここに置いてありました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

⑧番の位置です。




写真で見ると、このあたり。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ただ、この写真だと全然「パヤナーク」が見えないですね…。



写真を変えてみます。

(『アジア太平洋博覧会―福岡’89 福岡市出展パビリオン
福岡鴻臚館―アジアから、そしてアジアへ―記録と資料』
〈福岡市経済農業水産局博物館推進対策室企画・編集、
㈱博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年〉より)


こっちの写真だとこのあたりです。

(『アジア太平洋博覧会―福岡’89 福岡市出展パビリオン
福岡鴻臚館―アジアから、そしてアジアへ―記録と資料』
〈福岡市経済農林水産局博覧会推進対策室企画・編集、
㈱博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年〉より)


もっと寄ってみます。

(『アジア太平洋博覧会―福岡’89 福岡市出品パビリオン
福岡鴻臚館―アジアから、そしてアジアへ―記録と資料』
〈福岡市経済農林水産局博覧会推進対策室企画・編集、
㈱博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年〉より)


いたー!


ぼんやりですが、金色の細長い体が向かい合っている姿が見えます。




でも、これって今だと、どのあたりになるのでしょう…??




これがシーサイドももちです。

(地理院地図Vectorで作成)


今、タワーのふもとは今こうなっています。

(地理院地図Vectorで作成)



先ほどの「パヤナーク」の位置を示した平面図の⑧番を参考にすると、今だとこのあたりになるでしょうか。

(地理院地図Vectorで作成)



TNCテレビ西日本の社屋の北端ですね。



空中写真で見ると、この位置。

(地理院地図Vectorで作成)

TNCと駐車場の間くらいでしょうか。



行ってみました。





ここです。

(福岡市史編さん室撮影)


今は大蛇ではなくて、自転車が並んでいました…。




ちなみにさきほどの平面図の⑧の説明にはこのように書いてあります。


⑧パヤナーク(2基) タイ

チェンマイ・ワットプラタートの参道の竜の像(バンコク製のレプリカ)



なるほど、モデルがあって、よかトピアの「パヤナーク」はそのレプリカなのですね。


この説明によれば、モデルはタイのチェンマイにある仏教寺院「ワットプラタート」の参道にあるとのことです。


ただレプリカとはいっても、バンコクで製作されて福岡まで運ばれてきた「made in Thailand」ですから、その意味では現地の本物だったということになるでしょう。

「A-Zあくね」の案内板に書いてあった「タイでつくられた」という説明も正しいようです。




この「パヤナーク」のモデルがあるという「ワットプラタート」の場所を検索して見ました。

(GoogleMapより)


タイの北西部あたりにあるのですね。



タイ国政府観光庁の公式サイトには、「ワット・プラタート・ドイ・ステープ」として観光案内が載っていました。



この観光案内によると、「ワット・プラタート」は650年以上前に建立された有名な寺院で、1080mのステープ山の山頂にあるとのこと。


参拝するには306段の階段をのぼらないといけないようですが(ケーブルカーもあるみたいです)、この階段の両端をながーく、大蛇が飾っているようです(上から下に這っている感じ)。


これがよかトピアの「パヤナーク」のモデルのようです。


よかトピアではモデルよりも長さが短くなって、先ほどの入り口サイズにおさまったのでしょうね。

それでも参道と同じく内と外との境で、出入りする人々を観察する役割は変わらなかったことになります。


「ワット・プラタート」はチェンマイの有名な観光地とのことですので、このブログをご覧になっている方のなかには行かれたことがある方もいらっしゃるかもしれないですね。




私はタイまで本物を見に行く機会は当面なさそうですが、せっかく南日本新聞社さんが教えてくださったよかトピアのモニュメントの原物ですから、阿久根には行ってみたい!

(よかトピア遺産を追いかけている「別冊シーサイドももち」的には、むしろタイよりも阿久根の方が本物なわけですし…)


そして「パヤナーク」を展示されている「A-Zあくね」さんは、車も売ってるスーパー(ホームセンターと一緒になっています)として、その筋では全国で知られた有名店。

実は前から一度行ってみたかったのです。



なので行くのなら、あえて仕事の出張ではなく、日曜日の個人のレジャーとして満喫するつもりです。


さっそくGoogleMapでルートを検索して見ました。

(GoogleMapより)


さすがに歩いてはいかないので(52時間って、ほんとにそれで着けるのでしょうか…)、車で再検索。

(GoogleMapより)



高速を使うと、3時間ほどで行けそうです。



『南日本新聞』の記者さんに聞いたところでは、九州新幹線を使っても最寄り駅から「A-Zあくね」まではレンタカーが必要になりそうでしたので、列車の乗り換えやレンタカーの手続きの時間なども含めて考えて、いっそ福岡から一気に車で行くことにしました。


日曜のドライブとしてもいい距離です。



熊本県の八代までを九州自動車道、そこから南九州西回り自動車道に乗り継いで、途中の未供用部分(熊本県水俣~鹿児島県出水)を国道3号で繋げば、阿久根まではほぼ1本道。


しかも「パヤナーク」が待つ「A-Zあくね」は、南九州西回り自動車道を阿久根北ICで降りて、それに繋がっている国道3号を走れば、もう道沿いです。

ナビも必要なさそうなルートで、これなら大丈夫そう。





というわけで、行って参りました。


日曜の朝9時に福岡を出発して、迷うことなく13時くらいには到着(GoogleMapの仰る通りでした。時間が余分にかかったのは、途中で基山・玉名・宮原と3か所もSA・PAを満喫したからです…)。



さて、「A-Zあくね」さんにはたどり着きましたが、肝心なのは「パヤナーク」の位置です。

実は「A-Zあくね」さんは敷地がすごく広いのに、駐車場のどこにあるかを記者さんに聞き忘れていたのです…。





敷地はこのようになっています。

(地理院地図Vectorで作成)


車の販売場所は別区画になっていて、それも合わせると広大です…。


スーパー(ホームセンター)の店舗の駐車場はこの部分。

(地理院地図Vectorで作成)


空中写真だと、こうです。

(地理院地図Vectorで作成)



これは探すのは大変だ…と思っていたのですが、出水市方面から国道3号でやってきて、この店舗の駐車場に入るときに、あっけなく見つかりました。




ここにありました。

(地理院地図Vectorで作成)



車を駐めると、目の前にこの案内板。

(福岡市史編さん室撮影)



確かに、南日本新聞社さんからの問いあわせで伺っていたように、このように書いてあります。


この龍神様は、タイで多くの技術者の手により、2年がかりで制作されたものです。1989年、福岡市制100周年記念行事のアジア太平洋博覧会(よかトピア)にアジアのシンボルとして登場し、後に熊本県のアジアコレクション展で県立図書館正面に展示されたものを、現在地に移転安置したものです。




少し離れたところに「七頭竜神」の石碑もありました。

(福岡市史編さん室撮影)



近づくと、石碑は平成31年2月3日の日付になっています。

案内板の見た目と比べると、石碑の方が新しそうです。

ただ、石碑のほかの面に文字はなく、なぜこの日に建立されたのかは分かりませんでした。


(福岡市史編さん室撮影)



そして、その後ろには…。

(福岡市史編さん室撮影)




いよいよ「パヤナーク」との対面です。

(福岡市史編さん室撮影)



公式記録の写真と比べるために反転させてみます。

(福岡市史編さん室撮影)



こちらが最初に見た公式記録の写真。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


色が退色しているのか(基礎部分など一部は塗り直されているようにも見えます)、ヘビ感が増してはいますが、よかトピアのものに間違いないです。



正面です。

(福岡市史編さん室撮影)



逆サイドにはもう1頭。

(福岡市史編さん室撮影)




離れて見ると、こういう場所に置いてあります。

(福岡市史編さん室撮影)


ちょうど池の淵の高いところ。

この池は大部分は水量がなく、降りられるようになっていました。



降りてみます。

(福岡市史編さん室撮影)

2頭が向かい合っています。

こう見ると大きい(長い)ですね。




もう少し近づきました。

(福岡市史編さん室撮影)

おお、なんと神々しい光が現れました!(逆光でレンズに光が入っていたみたいです…)



こちらが向かって左側のパヤナーク。

(福岡市史編さん室撮影)


こっちは右パヤナーク。

(福岡市史編さん室撮影)



もっと近寄ります。

左。

(福岡市史編さん室撮影)

(福岡市史編さん室撮影)


右。

(福岡市史編さん室撮影)




よかトピアの会場でこうやって向かい合い、その間を通っていく観客を見ていた姿を想像しながら、しばらくの間、眺めてしまいました(池から腕組みをして竜を見ながら、うんうんとうなずいたり、いろんな角度で写真を撮ったり、完全に怪しい人でした…)。


(福岡市史編さん室撮影)


(ちなみにその後は、「A-Zあくね」の店内をすみずみ歩き回って大満喫しました)




ところで「パヤナーク」の実物を見ながら、あらためて『南日本新聞』の記事が思い出されました。

記事のなかで貞刈さんはこのように仰っているのです。


モデルは蛇神の「ナーガ」。よかトピアではいつの間にか「パヤナーク」に名前が変わっていた。




記事では「ナーガ」と「パヤナーク」と「竜」の言い換えについて、タイ国政府観光庁福岡事務所がこう説明されていました。


「パヤナーク」は「ナーガ」の王の意味。タイには竜はいないが、観光ガイドでは竜にあてはめて紹介していることが多い。




よかトピアではこのモニュメントを「ナーガ」の王「パヤナーク」と呼んで、それを竜と訳し説明していましたが、確かに日本では伝わりやすいように思います。

顔も竜っぽいですしね。



ただ頭が7つあるのはなぜなのかとか、どうして蛇が神に見立てられたのかとか、仏教寺院で装飾に使われているのはどういう由来なのかとか、ちょっとまだ分からないことが多いです…。



そこで遅ればせながら、「ナーガ」についていくつか本を読んでみることにしました(阿久根に行く前に勉強しておけば良かったと大後悔…)。


そんなわけで、この勉強の結果はまた今度に。






【参考資料】

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 福岡市出展パビリオン 福岡鴻臚館─アジアから、そしてアジアへ─記録と資料』(福岡市経済農林水産局博覧会推進対策室企画・編集、(株)博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年)
・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)
・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)
・ウェブサイト
A-Zあくね https://a-zmakio.com/akune/
・南日本新聞 https://373news.com/





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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル 

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