1月もやがて終わろうかという頃になり、ほとんど気が抜けてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。博物館総館長の中野です。
前回の「ひとりごと」に、今後は展示が難しそうなものなど、いろいろな博物館資料を紹介する場をつくっていきたいと書きました。同時に、市民の皆さんに博物館をより身近に感じていただけるような工夫はできないかとも、ずっと考えております。ご案内のように、博物館では、展覧会に関わるイベントや市史編さん事業の一環として、これまで何度も講演会やシンポジウムなどを企画・実施してきました。それはそれで好評を博しているようですし、成果発信の場としても重要な意味を持っています。とはいえ、講師が高い壇上から語りかけるかたちは、どこか堅苦しく、窮屈なものがあります。もう少し気楽に参加できて、肩の凝らない場があれば、市民の皆さんと博物館の関係も面白くなっていくのでは…。
こんな漠然とした想いを具体化したのが、ようやく動き始めた「楽史(らくし)の集い」です。命名にあたっては、「講演」というニュアンスを極力排除すべく、「エンジョイ・ヒストリー」や「総館長の歴史サロン」などいくつかの怪しげな候補があがりましたが、結局は「気楽に歴史を楽しむ集まり」というモチーフそのままに、「楽史(らくし)の集い」に落ち着きました。今考えると、「らくし」より「たのし」と読んだ方がいいようにも感じます。いずれにしろ、企ての趣旨がご理解いただければ幸いです。
まだ先のことはよくわからないので、とりあえず今回は「試行第一回」という位置づけでした。博物館も役所ですので、来年度以降に本格始動できればと思っています。1月25日の「試行第一回」は、「手紙の歴史に学ぶ手紙の書き方」といった内容の話でした。広報にかける時間も十分でなかったのですが、閑古鳥の大合唱というていたらくはなんとか避けることができました。特別展『九州真宗の源流』会期中、最後の週末に重なったのが幸いしたのかもしれません。
テーマは「手紙(書状)の書き方」で、具体的には、前近代の日本社会では、どのような約束の下で手紙が書かれていたのか、昔の手紙をいくつか紹介して、考えていくというものでした。いわゆる「古文書学」とは異なるアプローチを試みたのですが、なかなかに難しいところがありました。手紙を書く上でのいろいろな決まりや約束事は、社会の身分制を前提にしてつくられてきました。いうまでもなく、今の日本社会に身分などは存在しませし、従ってこうした決まり事のなかにはほとんど意味のないものもあります。
近代的な郵便制度が導入され、電信・電報ついで電話が広く普及することで、手紙をめぐる環境は大きく変わっていきました。ひとびとの重要なコミュニケーション手段であった手紙の占める比重は、この過程でどんどんと軽くなっていきました。今に続くEメールやLINEの登場はまさに致命的といって過言ではありません。日常風景のなかに、手紙を書く・送るという行為を見いだすことも、もはや難しくなっています。
そんな時代に「手紙の歴史に学ぶ手紙の書き方」といった話は時代錯誤で、まさに「博物館的所為」かもしれません。しかし、手紙がコミュニケーション手段として、全く役割を終えたわけではありません。何らかの重大局面にたったとき、求められるやりとりはメールや電話などではなく、手紙それも自筆で手紙を書くことだったりもするでしょう。そう考えると、きちんとした手紙を書けるというスキルは未だ必要なものであり、レアな状況であるからこそ、むしろ重要度が増している、といってもいいように思います。
なにやら熱く語ってしまいましたが、要は円滑かつ良好な人間関係・社会関係を創っていく上で、ちゃんとした手紙の書き方を知っていても損はないだろう、ということです。こうした手紙の書き方について、歴史的に遡っていろいろな決まりや約束事を紹介しようというのが、「試行第一回」のはずでした…。
過去形になっていますが、実は用意した内容が一時間半に収まりきれず、残った後半は次回へ繰り越すこととなったのです(苦笑)。用意した内容がすべて消化できなかったこともそうですが、より大きな反省点はやっぱり「講演」のようになってしまったということです。次回(試行第二回)はもう少し工夫して、よりくだけた感じの、できれば双方向のやりとりができれば、と思っています。
今後は、奇数月の第4土曜日の午後で定例化できれば、と計画しております。ということで、次回は3月22日の予定です。話は「手紙の歴史に学ぶ手紙の書き方」の途中からにはなりますが、前回の復習からはじめたいと考えておりますので、ご関心の向きには博物館にお運びいただければと思います。もちろん、展示を観に来たついでにのぞいてみる、というのも大歓迎です。ではまた。
令和七(2025)年一月二十八日
福岡市博物館総館長 中野 等
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