埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
〈103〉よかトピア遺産に会いにいくー人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その2)ー
〈101〉では南日本新聞社さんからいただいた情報をもとに、鹿児島県阿久根市まで走りました。
これは阿久根市のスーパー「A-Zあくね」さんの駐車場に、よかトピアの展示物「パヤナーク」が「七頭竜神」という名で今も置かれていると伺ったからでした。
よかトピアとは、1989年に「シーサイドももち」で開催されたアジア太平洋博覧会の愛称です。
この情報のおかげで、36年を経て鹿児島の地で「パヤナーク」との対面を果たしました。
突如現れて駐車場をやたらと歩き回り、いろんな方向から「パヤナーク」を見ては感激する姿は、完全に変な人…。
行き交う買い物客から怪訝に見られながらも、これでまたひとつよかトピア遺産が増えたことにとても満足したのでした。
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(福岡市史編さん室撮影) |
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(福岡市史編さん室撮影) |
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(福岡市史編さん室撮影) |
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(福岡市史編さん室撮影) |
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(福岡市史編さん室撮影)
鹿児島県阿久根市の「A-Zあくね」の駐車場に置かれている
「七頭竜神」こと、よかトピアの「パナヤーク」。
池の淵で2頭が向かい合っています。
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ところが、その過程ではいろいろと分からないことが出てきました。
よかトピアでは、この「パヤナーク」像を「チェンマイ・ワットプラタートの参道の竜の像(バンコク製のレプリカ)」と説明していました。
タイのチェンマイにある寺院「ワットプラタート」の参道を飾っている竜の像をモデルにして、同国バンコクでつくった複製品だというのです。
「パヤナーク」を竜と言い換えながら説明しているのですが、タイに竜はいないそうなのです…。(パヤナーク=竜ではない??)
では、タイで「パヤナーク」とはどういう意味かというと、「ナーガ」の王なのだそうです。
「パヤナーク」の意味が分からないのに、もう1つ知らない単語「ナーガ」が増えました…。
さらには、どうもこの「ナーガ」は蛇神として信仰されているようですが、一方では、仏教施設の装飾にもよく使われているのです。
神と仏、それぞれとの関係はどうなっているのでしょう??
そしてよく見ると、「パヤナーク」の姿はだいぶん変わった形をしています。
頭が7つもあります…。
どうして蛇が神に見たてられたのかとか、仏教のデザインに取り入れられているのはどういう経緯があるのかとか、謎に頭が7つもあるとか、「パヤナーク」? 「ナーガ」?? 分からないことだらけです…。(きっと詳しい方には何をいまさらという基礎的なことだろうと思うのですが…。全然知らず、お恥ずかしい…)
そこで、今回せっかく阿久根で生き続けている「パヤナーク」に対面しましたので、これを機会にもっと知っておきたいと思い、福岡に戻ってからいくつか本を読んでみました。(行く前に読んでおけばよかったと激しく後悔しています…)
まずは「ナーガ」ですが、アジアで水神として広く信仰されている蛇のことだそうです。
「ナーガ」はサンスクリット語の「蛇」に由来する言葉です。
そしてこの「ナーガ」が、タイ語の発音では「ナーク」と聞こえるようなのです。
「ナーク(=ナーガ)」に「パヤ」をつけると、「パヤナーク」(พญานาค [phayaanâak])。
ナーガの王といった意味で、上級のナーガ神を指すそうです。
なるほどなるほど、とにかく蛇なのですね。
そうなると、まずは「ナーガ」(蛇神)から調べはじめた方が良さそうです。
そのなかの上級なものが「パヤナーク」なわけですものね。
ただそうはいっても、「ナーガ」はアジアの各地域でさまざまに伝えられ、信仰されているようです。
あらかじめもう少ししぼり込んでから調べはじめないと、「パヤナーク」にたどり着く前に迷子になりそう…。
そこで、よかトピアの(現在は「A-Zあくね」の)「パヤナーク」の一番目立っている特徴が何かといえば、例の頭が7つもあることのように思います(今は「七頭竜神」と呼ばれているくらいですし)。
頭が7つの「ナーガ」。
まずは、これを手がかりにしてみました。
そうすると、インド神話に7つの頭をもつナーガ王「ムチャリンダ」(「ナーガラージャ」の1人)が登場することがわかりました。
「ムチャリンダ」は仏教にも取り入れられました。
仏教では、菩提樹の下で瞑想するブッダが嵐に見舞われたときに、7回とぐろを巻いて自分の頭をブッダの頭上にもたげ、傘のようにしながら雨風からブッダを7日間守ったという話になっています。
その後、「ムチャリンダ」は人間に姿を変えて、仏に帰依したのだそうです。
このブッダを守る場面は、仏教の造形物の題材にもよく採用されています。
たとえばよかトピアの「パヤナーク」のご当地であるタイでも、このような仏像が見つかっています。
仏教では「ナーガ」をブッダに忠実な生き物として、ほかにもいろいろなデザインのなかに取り入れていきました。
ブッダが悟りを開いた日にその徳を守護していた「ナーガ」は、幸せの象徴と考えられているのだそうです。
タイのブッダイサワン礼拝堂の壁画(バンコク国立博物館)では、ブッダが母がいる天上界で教えを説き、地上へ降りてくるときのハシゴのようなものが、金色に輝く「ナーガ」の体として描かれています。
上から這ってきて顔は下にある状態なのですが、その顔は「パヤナーク」に似ています。
この礼拝堂の壁画は、HISOUR.comのサイトでGoogleマップを使ってバーチャルに見学することができますので、ぜひご覧になってください。
とはいえ、四方の壁にびっしりとブッダの生涯が描かれているので、この場面を探すにはちょっと苦労するのですが…。
「ナーガ」のハシゴが描かれている場面は、部屋の中央に安置されているシヒン仏像を正面に見て左手、手前から数えて3番目の壁です。
ちなみに2番目の壁に描かれた別の場面では、躍動的な7頭の「ナーガ」も見ることができます。
よかトピアの「パヤナーク」がモデルにしたのは、タイのチェンマイにある仏教寺院「ワットプラタート」の参道にあるものでした。
この参道というのは、山の上にある寺院へと続く長い階段なのですが、その両脇の手すりが「ナーガ」になっていて、ブッダのハシゴと同じく、やはり上から「ナーガ」が這ってきて、顔が下にある形です。
こういう仏教説話をもとにした「ナーガ」を取り込んだデザインは、「ナーク・サドゥン」と呼ばれていて、タイではよく見られるのだそうです。
よかトピアでは、この「ナーガ」がメーンエリア「アジア太平洋ゾーン」にあった「三和みどり・エスニックワールド」の門として使われていました。
タイの寺院で参拝者を迎えるように、博覧会では観客を迎え入れていたのですね。
よかトピアで「パヤナーク」が置かれていた場所については、〈101〉をご覧ください。
一方、ヒンドゥー教でも「ナーガ」はよく知られています。
あるとき「ナーガ」が地上の水を飲み干して、スメール山(仏教でいう須弥山)の黒雲になってしまいました。
インドラ神(仏教でいう帝釈天)がこれを雷によって砕き、ふたたび水が地上にあふれ出した、という話があるのだそうです。
これにより、「ナーガ」は水とそれがもたらす豊穣の象徴として、アジア各地で広く信仰されるに至っています。
そのため、「ナーガ」は水に関わる場面にもよく現れ、そうしたデザインにも使われるようになりました。
タイのナコーン・パノムでは、雨安居(仏教で雨季にこもって修行する期間)のあとにおこなわれる祭り(ライ・ルア・ファイ)で、イルミネーションできらびやかに輝く船がメコン川に浮かべられるのですが、王の船をかたどった船には、「ナーガ」が飾られるそうです。
また、同じころタイの南部では「チャクプラ」が開かれ、仏像を載せた船(ルア・プラ)や山車(ノム・プラ)がパレードします。
船の先端では「ナーガ」が首をもたげていて、仏像を安置するために船上にもうけられた建物(ブッサボック)にかけられたハシゴにも「ナーガ」がかたどられることがあります。
いずれも仏教だけでなく、水と「ナーガ」との関わりもうかがわせる祭りです。
蛇がインド神話・仏教・ヒンドゥー教と宗教をまたぎながら、仏や水と交わり、人々の信仰を集めていったことが、アジア各地でさまざまな「ナーガ」の姿を生み出したということなのでしょう。
その1つがタイの「パヤナーク」のようなのです。
中国や日本では、蛇とともに竜が仏教や水との関わりのなかで信仰を集めてきましたので、「ナーガ」や「パヤナーク」の複雑な性格を説明するときに「竜」と置き換えた方が、イメージしてもらいやすいのでしょうね。
よかトピアでの「パヤナーク」=竜の説明も、そういうことだったのではないでしょうか。
ただ、「ナーガ」(蛇)と竜とでは形に大きな違いがあります。
なかでも、脚があるかないかという点は決定的です。
よかトピアの「パヤナーク」を見ると脚は見えませんので、やっぱり竜ではなくて蛇ということになるのではないでしょうか。
「いや、さっきの写真で見たよかトピアの「パヤナーク」は脚があったじゃん」と思った方(私も最初そうでした…)、もう一度よーく見てみてください。
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(福岡市史編さん室撮影) |
確かに脚は見えるのですが、7つのナーガの頭の後ろには、もう1つ別の頭が…。
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(福岡市史編さん室撮影) |
そういう言い方だとだいぶんホラーな感じですが、このよかトピアの「パヤナーク」、実は別の生き物がまるで「ナーガ」を吐き出しているかのような姿になっているのです。
「ナーガ」の脚かと思ったのは、「ナーガ」を吐き出している別の生き物の脚でした…。
この別の生き物、「マカラ」という想像上の生き物だそうです(また、知らない名前の生き物が出てきた…)。
もとはインド神話の「ヴァルナ」(仏教では水天)やヒンドゥー教の「ガンガー」(女神。ガンガーはガンジス川のこと)の乗り物で、ワニやライオンやゾウなどの特徴を合わせ持つ顔の怪魚のことなのだとか。
大きな口でいろんなものをのみ込んだり、吐き出したりするようです。
そう言われても、全然その姿を想像できないのですが、仏教だと「摩伽羅」と書いたり、「摩竭魚」と呼んだりして、竜のような顔つきで、屋根に置かれるシャチホコのモデルにもなっているとのこと。
「摩竭魚」であれば、12世紀半ば過ぎに日本で編集された『今昔物語集』にこんな話が載っていることを思い出しました。
おおまかに意訳すると、こういう話です。
天竺(インド)の大勢の商人たちが宝を求めて航海をしていると、海上に2つの太陽と白い山が見えた。海水の流れが急になり、それはまるで大きな穴に吸い込まれるようだった。
船頭が言うには、「これは魚の王、摩竭大魚だ。2つの太陽は魚の目で、白い山は歯だ。流れが急になったのは大魚の口に吸い込まれようとしているのだ。船が口に近づいたら、もう帰ってこれないぞ。早く仏に助けを乞うんだ」。
これを聞いて商人たちが一心に観世音菩薩の名をとなえたところ、大魚は口を閉じて海に潜っていき、難を逃れた商人たちは無事に航海を終えることができた。
なお、この摩竭大魚は命が尽きたあと、人に生まれ変わって僧になったという。
(『今昔物語集』巻第5・第28 「天竺の五百の商人、大海において摩竭大魚(まかつたいぎょ)に値(あ)える語(こと)」)
この「摩竭大魚」は、話の内容からするとクジラをイメージしてそうですけど、インドの商人たちが「摩竭大魚」と称される生き物にのみ込まれそうになった話として語られ、そのピンチを救ったのが観音様であるところに、インド神話の「マカラ」が仏教に取り入れられ、日本にも伝わってきた一端を知ることができます。
しばらくこの「マカラ」をネット検索していましたら、禅宗の1つである黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院のシャチホコによく見られるという話を複数見かけました。
何という偶然。
「シーサイドももち」の隣りにある早良区百道には、黄檗宗の「千眼寺」があるのです。
そしてこの千眼寺、福岡市内で唯一の黄檗宗の寺院です。
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(GoogleMapより) |
江戸時代の『筑前国続風土記拾遺』(福岡藩の学者である青柳種信が編集した地誌)によれば、千眼寺は元禄11(1698)年に開山されたとのこと。
創建当初は「曇華庵」と呼ばれていたそうですが、正徳3(1713)年に「千眼寺」と改められたと書かれています。
埋め立て地である「シーサイドももち」を特徴づけたまち、西新・百道はもともとは「百道松原」と呼ばれていた松林でしたが、江戸時代から東には紅葉八幡宮が、西にはこの千眼寺がそれぞれ鎮座して、「百道松原」の東西のランドマークになっていました。
紅葉八幡宮は移転しましたが、千眼寺は今も同じ場所にあります。
おそらく何百回とその前を通っているのですが、そういえば屋根の上をじっくり見たことはないですし、そんなことを考えたこともありませんでした…。
千眼寺までは、福岡市博物館から歩いて15~17分の距離。
これはもう行くしかありません。
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(GoogleMapより) |
さっそく出かけてきました。
入り口はこんな感じ。
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(福岡市史編さん室撮影) |
福岡市の東西の幹線道路である明治通りに面していて、車がよく渋滞する場所、さらにはすぐそばに西鉄の藤崎バス乗継ターミナル、福岡市営地下鉄の藤崎駅、早良区役所などがあって、人通りも多いところなのですが、なぜかここはいつもとても静かです。
この入り口の門をくぐると駐車場、その奥には山門があって、本堂へと続いています。
今回は屋根が見えれば良いので、中には入らず塀の外の道路から覗いてみます。
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(福岡市史編さん室撮影) |
見えました!
手前が山門の屋根、奥が本堂の屋根。
両方ともしっかりシャチホコ的なものが乗っています。
カメラをズームしてみます。
まずは手前の山門の方。
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(福岡市史編さん室撮影) |
ありました、脚!
爪も見えますね。
つぎに奥の本堂はというと…。
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(福岡市史編さん室撮影) |
こちらは爪はもちろん、関節(ひざ?)もあります。
どちらもアゴが長めで、歯があって、その顔つきはワニや竜に似ています。
ウロコやヒレがあって、背ビレはギザギザ。
このあたりはシャチホコもよく似ているのですが、シャチホコの場合は脚がなくてヒレだけなのですよね。
あくまで魚の形。
そうすると、千眼寺の屋根に乗っているのは、やはりシャチホコではなくて、「マカラ」(摩伽羅)で間違いないようです。
よかトピア(今はA-Zあくね)の「パヤナーク」と並べてみると、こんな感じです。
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(福岡市史編さん室撮影) |
まさかこんな普通に百道にもマカラがいたとは…。
「パヤナーク」のおかげで、今回思わぬところであらためてアジア太平洋とのつながりを感じることになりました。
タイでは、この何でものみ込んで吐き出す「マカラ」が「ナーガ」を吐き出しているデザインが好んで使われるそうで、寺院の手すりなどではむしろ珍しくない姿なのだとか。
なお、「マカラ」はこの世とあの世の境界に現れるのだそうです。
なるほど、ハシゴといい手すりといい、この世の私たちと聖なる空間とを結ぶデザインとして、確かにふさわしい生き物のように思います。
異空間を結ぶデザインである「(「マカラ」に吐き出されている)パヤナーク」は、よかトピアではアジア太平洋の現地を再現した「三和みどり・エスニックワールド」の出入口に置かれていました。
福岡から別空間へとジャンプさせる役割として、適任だったのかもしれませんね。
今は「A-Zあくね」さんで池をじっと見つめて水辺を守るのと同時に、楽しい買い物とのであいへも誘っている、よかトピア遺産「パナヤーク」の話でした。
【参考資料】
・ウェブサイト
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