2018年7月4日水曜日

浄土九州展ブログ 西方に極楽あり その7

涙が出た話 

去年の秋も深まったころ、福岡県八女市の荘厳寺(しょうごんじ)で、ある仏画を調査しました。


中央に立つ阿弥陀如来と蓮台(れんだい)を捧げ持つ観音菩薩、合掌する勢至(せいし)菩薩の三尊を描いた阿弥陀三尊来迎図(あみださんぞんらいごうず)です。こうした来迎図は中世に数多く制作され、臨終を迎える人の枕元に掛けられたと言われています。

まったく未調査の作品でしたが開けてびっくり、非常に細やかな截金(きりかね=細く切った金箔を貼り付けて文様にする技法)が施された、九州ではまれに見る本格的な作品でした。


一緒に調査した仏画が専門の筑紫女学園大学のK准教授と、「これ、鎌倉時代だよね!?」と感激しながら、この日初めて実戦に投入した愛機ペンタックス645Zで撮影をおこないました。

実は問題はここから。
夜、一人でその写真をパソコンの画面で拡大し、細部の表現を確認していたときのこと。
あれ?なぜか不意に涙がポロポロ出てくるではありませんか。これまで作品を調査してそんなことはなかったし、個人的にも最近悲しいことがあったわけでもありません。

いい年の男が夜中に一人涙を流している姿なんてとても人に見せられませんが、その後何となく心がスッキリとして穏やかな気持ちになりました。これがいわゆるカタルシスというやつでしょうか。

人の常として、この世に生まれたときは母や父が喜んで迎えてくれたけれど、死ぬときは一人ぼっちでどこか知らないところへ旅立たねばならない―、このように考えると誰でも不安になりますよね。善美を尽くして制作された仏画や仏像、中でも人生の最後に目にする来迎図には、ひょっとするとそんな人間の持つ根源的な不安や寂しさに応える作用があるのかもしれません。

あなたの命は、たとえどんなに罪をおかして汚れていても、それでも観音菩薩が捧げる金の蓮台に乗ることができる、勢至菩薩の合掌敬礼(きょうらい)を受ける価値がある・・
阿弥陀来迎図とは、そんな人の命に対する絶対的な肯定を形にしたものだとしみじみ感じました。
浄土九州展ではこの作品のほか10点余りの来迎図を公開します。

仏教美術に興味があってもなくても、ぜひ作品の前に立ち本物の凄みを体験してみてください。

Posted by: 末吉(浄土九州展担当学芸員)

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