2018年10月22日月曜日

浄土九州展ブログ 西方に極楽あり その23 BOY MEETS HANIWA

個人的な思い出でたいへん恐縮ですが、この道(博物館業界)に進んだのは小学生の頃、家の近くの造成地で古墳時代の円筒埴輪(えんとうはにわ)の破片を拾ったのがきっかけでした。

考古学少年だったというのは人文系の学芸員としてはありがちですが、埴輪片を手に取ってみたときの印象が鮮烈で、家に持ち帰ってドキドキ(土器だけに・・)しながら毎日眺めていました(※考古遺物は法的には遺失物扱いなので勝手に持ち帰ってはいけません)。その後、近くの奈良県立橿原考古学研究所附属博物館にも通うようになり、12歳の時に初めて買った展覧会図録『特別展 葛城の古墳と古代寺院』(昭和56年10月発行)は、50歳が目前となった今でも大切に手元にとってあります。

『葛城の古墳と古代寺院展』と『浄土九州展』の図録

ちなみに、手元にとってあると言えば自分が小学3年頃から書いていた短編小説がいくつか残っています(母が断捨離で捨てそうになったので引き取ってきました)。
  
末吉武史作 短編小説集
その一篇『ふしぎな動物ミニミニ』には、末吉少年がダチョウのような動物ミニミニを追いかけて二上山(にじょうさん)の地下にある埴輪の王国に迷い込み、もぐらの穴から脱出し、埴輪たちと協力して考古博物館で展示されている(捕われている)埴輪を逃がす、というインディジョーンズみたいな物語がつづられています。しかし、いま読み返してみてもプロットがしっかりした生き生きとした短編で、この頃の才能は一体どこへ消えたのか?と悲しくなりますが、当時の末吉少年はよほど古墳とか埴輪にのめり込んでいたことがわかります。

それにしても、埴輪を手にしたあの時の不思議なトキメキの正体は何だったのでしょうか?たぶんそれは埴輪に触れることで1600年前の人々と繋がった、という驚きなのでしょう。今は興味の対象が考古遺物ではなく仏像に変わりましたが、「触れる」という直接的な体験は「見る」以上に人に大きな影響を与える場合があるようです。

浄土九州展でもそうした驚きを体験してほしいと思い、エピローグに日田市大超寺の「百万遍大念珠(ひゃくまんべんおおねんじゅ)」をさわれる展示にしています。1008個のクス珠を連ねた巨大な数珠を、10人で100回「南無阿弥陀仏」を称え(となえ)ながら回すと108万回念仏を称えた効果があるとされます。

江戸時代から現在までずっと使い続けられてきたもので、一珠ずつ江戸時代の念仏僧、徳本上人(とくほんしょうにん)の手になる六字名号(南無阿弥陀仏)と、寄進した人の名前が彫られています。会場に来られた方は、ぜひ静かに目を閉じてそっと触れてみてください。

日田大超寺の「百万遍大念珠」(撮影:松原社長)

一粒ずつ彫られた六字名号
Posted by 末吉(浄土九州展担当学芸員)

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