2018年8月20日月曜日

浄土九州展ブログ 西方に極楽あり その14:煩悩美術史

正直言うと、僕は図録やキャプションの校正がものすごく不得意です。最近は年のせいか細かい文字が見えにくくなって、信じられないミスも多くなりました。。。(知らんがな)

今回も奪衣婆(だつえば)を、「脱衣婆」とうっかり表記していて冷や汗をかきました。しかし、以前にも宝満山を「豊満山」としたことがあるので、年というよりは煩悩のなせる業かもしれませんね。奪衣婆は『十王経』に登場する、三途(さんず)の川のほとりで亡者の衣をはぎ取る老婆のこと。横には懸衣翁(けんえおう)という老爺がいて亡者の衣を衣領樹(えりょうじゅ)にかけていきます。すると、亡者が生前おかした罪の量によって枝のしなり方が異なり、三途の川の渡り方が決まるのだとか。

今回の展覧会では九州最古の「奪衣婆坐像」(鎌倉時代/個人蔵)が登場します。胸をはだけてしわしわの乳房を露わにした姿を見ると、僕は小さい頃おばあちゃんとお風呂に入ったことを思い出します。それはともかく、作品としては細部までものすごくリアルに造ってあり、じっと見ているとこの老女は若い頃はさぞかし綺麗なお姉さんだったのではないかとさえ思えてきます。

「奪衣婆坐像」(鎌倉時代/個人蔵)

これと似たテーマ性をもつ作品に「九相詩絵巻(くそうしえまき)」(江戸時代・西光寺蔵)があります。

「九相詩絵巻(くそうしえまき)」(江戸時代・西光寺蔵)

冒頭には十二単衣で着飾った美しい女性が登場しますが、次の場面では彼女は死に、さらに死体が膨張して腐敗し、ウジが湧き、やがて骨になる過程が九段階に分けて描かれています。

こうした容赦のない時の移ろいや、目を背けたくなるような死の現実をあらわした作品は、仏教の無常観にもとづくもので、特に「九相詩絵巻」は男性の僧侶が修行の妨げになる愛欲を克服するための「九相観」(イマジネーションによる修行)をもとに描かれたと、一般的には説明されています。しかし、人間の煩悩とはそんなことで克服されるほど甘いものでしょうか。むしろ若く美しい女性が裸身をさらして醜く朽ち果てる、その落差の中に見えざる真実を見てみたい(表現したい)という男性の計り知れない欲望が渦巻いているような気もします。

これ以上の深入りは周囲の女性からドン引きされるのでやめておきましょう。

それにしても、ヘンタイと悟りが微妙に交錯したこうした作品を見ると、美術というものは人間の深き罪業(ざいごう)を映す浄玻璃(じょうはり)の鏡のようだなあ、と感心させられます。

Posted by 末吉(浄土九州展担当学芸員)

1 件のコメント:

  1. 東京発で台北・故宮の国宝、本展覧会、山口の雲谷等顔、奈良の正倉院展、静岡の狩野派と順番に鑑賞予定です。奪衣婆は先日も京博の1階で見ました。懸衣翁は見た記憶がありませんが、今回の展覧会に出品されますか。また、平成19年に九博で浄土教美術の特別展が開催されましたが出品が被る作品はあるのでしょうか。

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