2018年8月28日火曜日

浄土九州展ブログ 西方に極楽あり その15:髪と紙のアナロジー

展覧会のオープンまであと半月ほどになりました。そろそろ図録は手を離れますが、これからは作品集荷や展示作業がぎっちり詰まっています。いったい誰が200点にも及ぶキャプション(展示品の解説)を書くのでしょう?こんな時こそ重宝するのが持ち前の「鈍感力」や「現実逃避力」ですね。

・・さて、正気を取り戻して仏教美術のお話を少々。誰でも忙しくて髪を切りにいく時間がなくて、頭がボサボサになることってありますよね。実は、仏さまも同じだったというお話です。

行橋市・安楽寺 五劫思惟阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)

今回展示する行橋市・安楽寺の五劫思惟(ごこうしい)阿弥陀如来坐像は高さ20センチほどのかわいい阿弥陀さまですが、頭の螺髪(らほつ)がやけに盛り上がっています。大分市・片島下区の像になると、ほぼアフロ状態ですね。いったいなぜこんな髪型になってしまったのでしょうか?

大分市・片島下区 五劫思惟阿弥陀如来坐像(室町時代)

『無量寿経(むりょうじゅきょう)』によると阿弥陀如来は悟りを開く前は法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と呼ばれていたそうです。法蔵は世の中の人々を救うにはどうしたらいいか、それはそれは長い時間考え続けていました。そしてついに悟りを開く頃にはなんと5劫(こう)という時間が過ぎていたのです・・。
劫というのは仏教の時間の単位です。どれほどの長さかというと、巨大な岩山の表面を男が100年に1回やわらかい布で払ったとして、岩山がすり減って完全になくなってもまだ1劫は終わっていない、という気の遠くなる時間だと仏典には説明されています。億劫(おっくう)という言葉もここからきています。

阿弥陀さまはその5倍の時間修行をした結果、髪の毛がアフロになったというわけですね。つまり、髪の量は修行の時間の長さを視覚的にあらわしていることになります。

ここまで書いてふと気がつきました。実は我が学芸課の中にも何名か法蔵菩薩がいるんじゃないかと。

法蔵菩薩の机
うず高く積み上がった髪ならぬ紙の山!人がどこにいるのかわからないほどです(時々山崩れが起きます)。これを見るとうちの学芸員が、いかに社会の役に立つべく長い時間努力をしていることが一目瞭然ですね。

でもたまには掃除したほうがいいと思うよ。

Posted by 末吉(浄土九州展担当学芸員)

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