福岡市の志賀島から発見された国宝「金印」が今なお多くの人々の関心を集めるのは、それが権力を象徴する印章であり、また印面の文字や伝来に関して多くの謎が秘められているからでしょう。しかしもっと重要な要素は、やはり富を象徴する金で作られているという事実ではないでしょうか?
実は、志賀島にはもうひとつ、奇しくも金にまつわる文化財が伝わっています。
志賀海神社(しかうみじんや)所蔵の「鍍金鐘(ときんしょう)」(重要文化財)と呼ばれる、朝鮮・高麗時代(13世紀)の梵鐘です。青銅(ブロンズ)製で、全体の高さが52.8㎝、口径が30.5㎝、重量は約30㎏あります。大人の男性ならなんとか一人で持ち上げられるくらいの重さです。
鍍金鐘 志賀海神社蔵 |
特筆されるのは表面に金メッキ(鍍金)が施されている点。鍍金した梵鐘は高麗時代に登場し、現在世界に数点しか残っていませんが、その中で最も出来栄えの優れた作品です。残念ながら今は全体が緑青(ろくしょう)に覆われていますが、よく目をこらして見ると金の部分があるのがわかります。
鍍金鐘(部分) |
ところで、鍍金鐘は江戸時代には既に志賀海神社の宝物として「神鐘」と呼ばれていたことや、時には表面を研磨したこと(!)も記録に見えますが、いつ頃志賀島にもたらされたかは不明です。
ただ、志賀海神社は志賀島周辺で古代から航海や製塩などに従事した阿曇(あずみ)氏の祖先を祀った神社で、九州でも有数の海神信仰の聖地でした。
そのためか、志賀島は遣唐使の寄港地となったほか、平安時代には長講堂領(ちょうこうどうりょう)と呼ばれる天皇家の荘園に属し、中央貴族が熱望した唐物(からもの)を輸入する窓口の役割を担っていました。また、室町時代には日本と朝鮮の双方の外交使節が志賀島を訪れた記録も残されています。
こうした歴史を顧みると、鍍金鐘は中世のある時期に九州と大陸を往来した人々の手でもたらされた可能性が高いと言えるでしょう。
なお、もうひとつ忘れてはならないのは、梵鐘は海の神である龍神への奉納品とされることもあったという事実です。それは梵鐘には龍頭と呼ばれる部分があるからで、実際に梵鐘を海に沈めた例も知られています。
梵鐘とは本来、寺院などで音を鳴らして時刻を知らせるためのもの。しかし鍍金鐘はたぐいまれな精巧さとまばゆい金の輝きゆえに九州の海の神に奉納されたとも考えられます。そのおごそかなイメージは、まさに韓国ドラマ『太王四神記』に登場する「神器(じんき)」を彷彿とさせます。
(学芸課 末吉)
重要文化財 鍍金鐘(志賀海神社所蔵)は、福岡市博物館の常設展示室に展示しています。 「ふくおかの名宝」展の観覧券で、11月29日(日)までの会期中に限り、常設展示室(国宝 金印を展示中)と企画展示室(名鎗「日本号」を展示中)もご覧いただけます。
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