2020年11月13日金曜日

【ふくおかの名宝】鑑賞ガイド 特別編 コクホー「漢委奴國王」金印ちゃん

 ※このお話は史実を基にしたフィクションです。

 

国宝 金印を斜め上からみた写真

 私の名前は金印ちゃん。今からだいたい2000年前〈※西暦57年〉、中国(当時は後漢(ゴカン)と呼んでたわ)の都だった洛陽(ラクヨー)で生まれたの。身長2.2cmととっても小柄なんだけど、今でも2000年前から変わらない美しさだとよく褒めてもらえるわ。光武(コウブ)(テー)っていうとってもえらい人が私のお父さんだったんだけど、私が生まれてすぐ死んじゃった〈※註1

※註1 後漢の皇帝、光武帝の崩御は倭の使節への金印贈与と同年の西暦57年のことであった。

 お父さんが亡くなる前、東の島から来たっていう人たちがお父さんに会いに来たの。突然、「娘さんを僕に下さい。」って言うんだけど、お父さんも「娘をよろしく頼む。」って最初からその気だったみたい。何人かいた兄弟〈※註2と別れるのが辛くて涙がでてしまったけれど、新しい土地での生活は新鮮でワクワクしたわ。

※註2 1981年に江蘇省で発見された広陵王璽こうりょうおうじ(金印)が「漢委奴國王」金印と同一工房で製作されたものという説がある。

 

金印(複製)を使って封印をしている様子

そんなこんなで海を渡って、しばらくは
()(コク)っていうところ中国に送る大事なお手紙に封をするお仕事((フー)(デー)っていうの。私にしかできないのよ!)をしてたんだけど、それからが我慢の日々だったわ。ひょんなことから志賀(シカノシマ)っていう島に閉じ込められたの。とっても寂しかった。っていうか退屈すぎて寝ちゃったわ。

目が覚めたのはそれから1700年後〈※天明41784)年〉よ。そうね、江戸時代っていうのかしら。(ジン)兵衛(ベー)っていうお百姓さんが、田んぼの中にいた私を見つけたの。それから私があまりにもキュートだったから、お城に召し上げられちゃった。それからしばらくはお殿様のお家(黒田家っていうの。官兵衛(カンベー)さまが有名でしょう?私は会ったことないんだけど。)で暮らしたわ。江戸時代が終わってから東京に引っ越したんだけど、今から90年くらい前〈※昭和61931)年〉には国宝(コクホー)に選ばれたのよ(ミス・ジャパンみたいなものね。)。

またしばらくして今から50年前〈※昭和531978)年〉には、「福岡に帰って仕事をしてほしい」って熱烈なオファーがあったものだから、福岡に帰ったの。新幹線〈※註3がとっても早くてびっくりしちゃった。最初は福岡市美術館ってところで働いてたんだけど、30年前〈※平成21990)年〉に福岡市博物館ができるっていうから異動したの(今も学芸課にいるY倉くんなんて、当時若くてかわいかったのよ)。それからずーっと博物館の看板娘として頑張ってるのよ。週に一回の休館日以外はお仕事してるの。みんなすごく顔を近づけて私をみるもんだから、けっこう恥ずかしいのよね・・・。

※註3 山陽新幹線の博多への乗り入れは1975年のこと。 
実際に金印の輸送に新幹線を使ったかどうかは定かではない。

(学芸課 あさおか)

 

※金印ちゃんについてもっと詳しく知りたい方は↓まで。

福岡市博物館公式ホームページ 金印

福岡市博物館公式ブログ 【ふくおかの名宝】観賞ガイド④ 国宝 金印「漢委奴国王」

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