シリーズ最終話(といっても3回だけですが)は、きわめてお堅い話です。
金印が最初に国指定文化財に指定されたのが、昭和6年、国宝保存法によってです。
昭和6年と言えば、日本国内は政党政治まっさかりの時ですが、中国東北地方において、満州事変が勃発した年です。翌昭和7年には五・一五事件が起こります。軍靴の響きが次第に大きくなっていく頃です。
この昭和6年に、博多湾岸にある元寇防塁が国の史跡指定を受けました。元寇防塁の史跡指定には「国威発揚」という時代的な背景もありそうですが、福岡の歴史を象徴する「金印」と「元寇防塁」が同じ年に指定されていることは、大変意義深いものがあります。
さて、金印が昭和6年に国宝に指定された時の説明書(文部省)を見てみましょう。
「この金印は天明四年二月二十三日筑前志賀島から発見されたと伝えらるるものである。これを作法の上からみると印文白字の態正しく彫法鋭く蛇鈕の形にも古体を窺うべく、蛇体に施されたる斑文にも力ある技法を示して居る。なほ印に関しては漢代の制に蛮夷は蛇、其の字は白文とあることとも一致している。惟ふにこれは印文並に製作等によって漢代の作と認められるもので、我国古代に於ける大陸交渉の徴証となるべき重要なる遺品である。」(カタカナはひらがなに、旧字体は新字体にあらためた。)
この説明書きを読むと、金印の形態・印文等を正確にとらえ、この金印は「蛮夷」印であると言い切っています。「蛮夷」とは、当時の中国「漢」からみて、野蛮な国、というほどの意味ですが、最初に述べたような時代的な背景にも関わらず、文部省は金印の持つ意味を正確に記述していると言えそうです。
昭和6年に国宝に指定された「金印」、国史跡に指定された「元寇防塁」、ともに歴史の証人として、福岡の歴史のシンボルとして今後も輝き続けることでしょう。
江戸時代以来、金印を保護してきた紫檀製の箱や、上記の文章を記載した「文部省の指定理由説明書」などを、常設展示室で初公開中(12月26日まで)です。
年内の開館も12月26日(日)までです。年明けは1月5日(水)からの開館です。
令和4年も、福岡市博物館をよろしくお願いします。
(学芸課 米倉)
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