2022年8月26日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈002〉ダンスフロアでボンダンス

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。

 

本についてはコチラ

 

この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。

 

1回はコチラ(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)。

 

2回は、さらに時をさかのぼり、昭和の時代にあった海水浴場でのお話です。

 



〈002〉ダンスフロアでボンダンス

 

お盆といえば、なんといっても盆踊りですよね!

ここ数年はコロナ禍ということもあり、人が集まるお祭りなんかは中止を余儀なくされましたが、今年は3年ぶりに行動制限のないお盆休みということで、開催されたところもあったようです。

 

盆踊りといえば、提灯が飾られたやぐらの上に太鼓やお囃子、そして歌い手が立ち、その周りをみんなでぐるぐる、一定のリズムに乗って同じ踊りを踊る…。

この音頭のリズム、もはやDNAに深く刻まれているのでは? と思うほど、正確な振付を知らなくても、自然と身体が動いてしまいます。

 

盆踊りは日本に限らず、今ではハワイやマレーシアなどでも「ボンダンス」として広まっていて、時には数万人が集まって盛り上がるのだそうです。

そんな一体感も楽しい盆踊りは、今も昔もまさに夏の風物詩です。

 

なぜか身体が動いてしまう…。

ところで昭和初期、当時の福岡市内で初めて盆踊り大会が開催されたのは、実は百道だったという話があることをご存知ですか? 

それは昭和31928)年のこと。会場は、当時百道にあった海水浴場でのことでした。

 

百道海水浴場を運営していた福岡日日新聞社(西日本新聞社の前身)はこの年、姪浜町の炭鉱から踊り手を呼んで、盆踊り大会を開催しました(姪浜は昭和8年まで福岡市ではなく早良郡でした)。

これが当時の新聞紙面で「福岡市内で最初の盆踊り」と報じられています(「福岡日日新聞」昭和3815日夕刊)。

 

盆踊りはそもそも、村や町内など、ごく限られたコミュニティの人々による、死者の供養や地域の娯楽のための行事でしたが、西新で初めて行われた盆踊りは、別の地域から踊り手を呼んだ〝イベント盆踊り〟だったんですね。なんて都会的…。


盆踊りが普及していった背景には、レコードやラジオの存在が大きな意味を持っていました。

昭和81933)年に「東京音頭」が大ヒットしたことで音頭ブームが起こり、戦後は昭和231948)年に発売された赤坂小梅の「炭坑節」の大ヒットなどにより、民謡ブームが巻き起こります。そして、これらのヒット曲が盆踊りに採用され、広まっていきました。

こうして広まった盆踊りですが、昭和20年代後半になるとさらに大きな進化を遂げていきます。当時のレコード会社は、戦後に各所で設立された民謡(民踊)団体と提携し、制作した音頭や民謡に振付をして「踊る音楽」として売り出しました。今でいう、ダンスミュージックです。


そうしたダンスミュージックが求められた背景には、戦時中の厳しい抑圧から解放された若者の間でフォークダンスやスクエアダンスなど、みんなで踊る〝ダンス〟(レクリエーション)が流行していたこともありました。

その中で、盆踊りもレクリエーションの一環として広まり、年齢を問わず楽しまれたのでしょう。


さらに、レコード会社はプロモーションのため、また協会は民踊普及のため、新曲レコードを流して日本舞踊の一流の師匠が踊りを教えるという、その名も〝ボンダンス講習会〟を、全国各地で開催します。

百道海水浴場は夜も営業していたので、こうしたボンダンス講習会や、またフォークダンスなどのダンスパーティの会場として頻繁に利用されました。百道の浜は、夜な夜な若者が集まる場所でもあったようです。


最近話題になる、Bon Joviやサカナクションの曲に合わせて盆踊りを踊るという、いわば〝盆踊りアップデート〟ですが、実は昨日今日に始まったものではなく、約50年前の若者も同じように、盆踊り会場をダンスフロアにして、みんなでボンダンスを楽しんでいたんでしょうね。


ダンスフロアでボンダンス! ※ イメージです。


ところで、戦後の〝民謡ブーム〟ではさまざまな「音頭」が作られますが、今でも知られている「サザエさん音頭」もその一つです。

 

「サザエさん音頭」は昭和29年にキングレコードから発売。B面は「かっぱ踊り」で、歌詞カードには2曲の振付解説が付いていました。

そして発売から5年後、百道で開催された「海浜フォークダンスパーティと盆踊り」では、ついに百道でも「サザエさん音頭」が踊られたのです!(昭和3484日、キングレコード・日本ビクター・講談社協賛)

 

ご存知の方も多いでしょうが、百道の浜は長谷川町子さんがサザエさんの構想を練った「サザエさん誕生の地」としても有名です。

町子さんが「サザエさんうちあけ話」(昭和53年「朝日新聞」日曜版で連載、翌年に姉妹社より刊行)で百道のお話をするずっと前に、百道の浜ではサザエさん音頭が踊られていた…そう考えると、偶然にもサザエさんは思ったよりも早い時期に、百道に〝里帰り〟を果たしていたのでした。




#シーサイドももち #海水浴場 #盆踊り #ボンダンス #サザエさん音頭

 

Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]

2022年8月19日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈001〉よかトピアに男闘呼組がやってきた!


『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)の販売が始まりました。


こんな本です。イラストがカワイイ!!(自画自賛)

※ 本の内容についてはコチラをクリックしてご覧ください。


この本は、埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」を、その前史からマニアックに深掘りした1冊です。


1つのまちだけを取り上げる本なんて、なかなかないのですが、「シーサイドももち」の歴史をふり返ると、福岡市全体の過去と今と未来の姿までもが浮かび上がってきました。


博多・天神とは違った歴史をたどる「シーサイドももち」を通してはじめて知ることができる福岡の姿。

これまでにない新しい視点の本になっています。


ここがかつて海だったときに大賑わいだった「百道海水浴場」、まちのスタートと福岡の未来を印象づけた「アジア太平洋博覧会―福岡'89(よかトピア)」など、当時の写真や記録にもとづいて描いたイラストも満載。

知っている人は懐かしく、知らない人も楽しくどうぞご覧ください。


おいでよ! シーサイドももち!


ところでこの本、全部で176ページあるのですが、いざ作り始めると、実は全然ページが足りなかったのです…。

書きたいことは山ほどあって、載せられなかった出来事や、詳しく触れられなかったこともたくさん。


そこでこの連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本に載らなかった蔵出し記事やこぼれ話など、スピンオフとして発信していこうかなと思っています。

本と一緒に楽しんでもらえるとうれしいです。


記念すべき第1回は、「よかトピア」のお話から…。


 

〈001〉よかトピアに男闘呼組がやってきた!


先日、男闘呼組(おとこぐみ)のメンバーが久しぶりに集まってテレビで演奏したことが話題になりました。


男闘呼組は1988年にジャニーズ事務所からデビューしたバンド。

メンバーは、成田昭次さん(Vo、G)、前田耕陽さん(Vo、key)、高橋和也さん(Vo、B)、岡本健一さん(Vo、G)の4人です。


ジャニーズ事務所のアイドルが本格的なバンドでデビューしたとあって、当時はアイドルファンだけにとどまらず、幅広い人気を集めました。


1993年の活動停止以来の再結集には、ほんとびっくり。

カラオケの場所がコンテナや電話ボックスみたいな形だったころに(文字通りの「カラオケボックス」)、友達と「TIME ZONE」(オリコン週間1位)を歌っていたことが蘇ってきました。


この男闘呼組、実は「シーサイドももち」にやってきています。


埋め立てられたばかりの「シーサイドももち」で開かれた「アジア太平洋博覧会―福岡'89(よかトピア)」(1989年3月17日~9月3日)は、“イベント博”と呼ばれていたくらい、毎日たくさんのステージやショーをやっていました(その数なんと全部で8881回!)


当時人気だったタレントも数多く出演していますが、なかでも飛び抜けて人気だったイベントの1つが、この男闘呼組のコンサートです。

(もう1つはジャッキー・チェンのショーなのですが、この話はまた今度…)


男闘呼組のコンサートは5月6日(土)、ゴールデンウィーク中の週末でした。

公演は午後に2回、博覧会に入場した人であれば、コンサートの観覧は無料です。


会場は、福岡タワーの北側にあった、海辺の大ステージ「リゾートシアター」でした。

帆船をイメージした外観の「リゾートシアター」は、開会式・閉会式や大きな国際イベントもおこなう、よかトピアのメーンステージです。

収容人数は2200人、常設大型劇場なみの音響・照明装置を備えた本格派でした。


(福岡市博物館所蔵パネルより)
リゾートシアターは砂浜に面した場所にありました。
海沿いのステージなんて、まるで夏フェスみたい!


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

リゾートシアターの平面図。ほ、本格的…。


ただ、当時の男闘呼組といえば、よかトピアの前年に発売したシングル1枚目「DAYBREAK」、2枚目「秋」はともにオリコン週間1位を獲得しています。

その年には日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞して、NHK紅白歌合戦にも出場していますし、年が明けて1989年2月発売の3枚目シングル「TIME ZONE」もオリコン週間1位という、人気の絶頂です。


「リゾートシアター」でおこなわれる人気のコンサートでは、当日会場前で座席券が配布されるのが通常でした。

しかし、そういう大人気のなかでのコンサートでしたので、異例の事前応募という措置がとられました。


男闘呼組のコンサートへの入場には、往復ハガキに2回のうちどちらかの回を指定したうえで、住所・名前・電話番号を書いて、よかトピアを主催しているアジア太平洋博覧会協会へ送る必要がありました。


あて先は、「〒814 福岡市早良区郵便局内 アジア太平洋博覧会協会・男闘呼組係」。


今ならインターネットでの受け付けがメーンになるのでしょうけど、往復ハガキのみというのが時代を感じさせます(郵便番号もまだ3ケタ)。

「男闘呼組係」という直球のネーミングは、当時の大人気があってこそ通じる文字面ですよね。


締め切りは4月18日(火)必着で、2枚以上の応募は無効でした。

今見ると、4月18日に受け付けを終えて、それから抽選、開催までにハガキの返送というスケジュールですから、協会職員さんのご苦労も忍ばれます。


また、今でしたらSNSを通じて事前応募制であることを拡散できますが、当時は募集に気付いたときには、もう締め切られていたという人もいたのではないでしょうか。


当日は満員御礼のなか、15時と17時の2回にわたってコンサートが無事に開催されました。


ただ、会場にはやはり男闘呼組を観たいという入場者が「リゾートシアター」の外にあふれていました。

そのため、この日だけ会場の「東広場」に大型のモニターを置いて、「リゾートシアター」に入れなかった人にもコンサートを楽しんでもらったそうです。


(市史編さん室作成)
リゾートシアターと東広場の位置関係はこんな感じ。


男闘呼組は、その3か月後の8月には東京ドームでコンサートをおこないましたので、福岡で無料(博覧会の入場料は必要でしたけど)で見られたこのコンサートはまさにプレミアチケットになりました。


この男闘呼組のコンサートは、これから連日開かれた「ヤングフェスティバル1」という人気アイドルのコンサートのスタートをかざるものでした。


男闘呼組の翌日、5月7日には荻野目洋子さん、8日は芳本美代子さん、9日は渡辺美奈代さん、10日は早見優さんが、次々とこの「リゾートシアター」に登場して、中盤にさしかかる博覧会を盛り上げました。


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #男闘呼組




【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)


[Written by はらださとし/Illustration by ピー・アンド・エル]



2022年8月4日木曜日

【Discover the Feature Exhibition】 Ever-changing Uminonakamichi -Vanishing Ruin

 

July 12th (Tue.) ~ October 23rd (Sun.), 2022

Feature Exhibition Room 3

Photo by Kinoshita Fumio

While most ruins in Japan are underground, the Nata Dune B Ruin, located in the middle of Uminonakamichi in Higashi Ward of Fukuoka City, is a rare site that is partially exposed above ground and can be observed in its original state.

Because the ruin faces the Genkai Sea, it is affected by crashing waves and winds, and the topography of the site changes rapidly.

The area around the ruin is constantly changing as the sand is scraped away and deposited again. What has been found at the Nata Dune B Ruin are paleolithic tools from around 20,000 years ago and earthenware from around 1,800 years ago. 

If you walk along the coast near the ruins, you can feel the strength and intensity of the wind and waves. But what kind of environment did Uminonakamichi have all those years ago, and how did people live there?

In this exhibition, we will look back at the changes in nature beyond the power of humans to control through photographs, as well as introducing materials collected during excavation of the site.


Exhibition view