今週は仏像学芸員が多忙のため、仏像が代わりにブログを書きました。(ああ、有り難や~)
私が木造如来像残欠である |
今では体の部材がバラバラとなり、ほれこのとおり、「木造如来像残欠(もくぞうにょらいぞうざんけつ)」などという無粋な名前で呼ばれておる。
私が造られたのは何しろ今から九百年くらい前のことで、今では自分が何如来だったのかもよく思い出せないほどじゃ・・
そうそう、だんだんと昔の光景が甦ってきたゾ。
当時は華やかな台座や光背があり、立派なお堂に安置され、坊さんたちの読経の中で多くの人々に拝まれていたような気がするのう。
当時はみんな「末法(まっぽう)じゃ」「世も末じゃ」と言って、56億7000万年後に現れる弥勒仏に会って救われるため、それまで阿弥陀如来のいる西方極楽浄土に往生(平たくいえば一時避難かな)しようとしていたのじゃった。
それから時代は移り変わり、お堂も無くなり、いつしか私もこのような姿になったが、やはり人の世というのは変わらぬもので、相変わらず苦しみが多いようじゃ・・
それはさておき、浄土九州展では久しぶりに当時の仲間たちに会えるようで私も楽しみじゃ。
仏(ほとけ)として拝まれないのは少し残念な気もするが、壊れても仏は仏。
もし会場でこんな「つぶやき」を聞いたらそっと手を合わせてほしいものじゃな。
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