2020年7月23日木曜日

〔連載ブログ3〕山笠に願いを込めて

特設展示「やまいとくらし~今みておきたいモノたち~」連載ブログの第3回目。今回は江戸時代担当の髙山が、第1章「伝染する病に向き合う」で展示している「博多祇園山笠番付」を紹介します。

博多祇園山笠は、毎年71日から15日にかけて行われる櫛田神社(福岡市博多区)の祭礼です。今年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で延期となってしまいましたが、例年、祭りの期間中には歴史上の逸話などを題材に、煌びやかに飾り付けられた山笠を街の各所で見ることができます。

今回紹介する「博多祇園山笠番付」は、天明元年(1781)から文久3年(1863)までの82年間、山笠の標題(飾りの題材)を書き継いだものです。筆者は、江戸時代、山笠の人形制作に携わっていた土居町(博多区)の人形師・小堀家の人物と考えられています。

同じように山笠の標題を記録した番付は、他にも数点存在することが知られていますが、この番付の特徴的な点は、山笠の標題に加え、福岡藩の政治向きや藩主の動静、米の価格、地震や台風などの天災、町中で起きた出来事などの情報を、ほぼ毎年簡潔にまとめて記述している点です。

今回の特設展示の準備で番付を見ていますと、天明3年(1783)と文化元年(1804)に疱瘡(天然痘)が流行、享和3年(1803)と万延元年(1860)に麻疹(はしか)が流行、文久2年には麻疹とコレラが流行したという疫病(伝染病)に関する記述がありました。麻疹については「小児大人迄致申候」(享和3年)、「男女若物ハ残す病気仕候」(万延元年)、「大はやり申候」(文久2年)と記され、流行状況も詳しく知ることができます。

「博多祇園山笠番付」の寛政元年(1789)の部分
疱瘡山が立てられたと記されている。

また、疱瘡の流行に関わる「疱瘡山」の記述もありました。疱瘡山とは、例年立てられる6本の山笠とは別に、疱瘡の終息を願って立てる山笠のことです。番付によれば、寛政元年に土居町下・行之町・片土居町・鰯町下・川端町(いずれも博多区)で、文化元年(1804)に薬院町(中央区)で、文化2年には福岡新大工町(中央区)で、弘化4年(1847)に対馬小路(博多区)で疱瘡山が仕立てられたことが分かります。疱瘡山が仕立てられていることから、いずれの年にも疱瘡が流行していたことがうかがえます。また、福岡の町方(薬院町、新大工町)でも疱瘡山が仕立てられていることは注目に値する点です。

去る7月1日、今年唯一の山笠となる飾り山が櫛田神社に奉納されました。博多祇園山笠は、仁治2年(1241)、疫病退散のため承天寺(博多区)の聖一国師が施餓鬼棚に乗って甘露水をまいたことを起源とされる祭礼です。私も、江戸時代の人々と同じように神社に奉納された飾り山に疫病退散の願いを込めたいと思います。

※「博多祇園山笠番付」の全文翻刻や詳しい内容については、宮野弘樹「資料紹介 博多瓦町中村家伝来博多祇園山笠番付」(『福岡市博物館研究紀要』第28、福岡市博物館、2019年)をご参照ください。
(学芸課 髙山)

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