2020年10月10日土曜日

【ふくおかの名宝】鑑賞ガイド① この赤き壺 ─壺形土器─

 

 松風の音をかなづる松の木の幾千代移りこの赤き壺   澤田藤一郎

                            

この赤き壺は、「赤く美しい」ことが、最大の特徴です。文化庁の重要文化財説明によれば、「弥生式土器完形品中の白眉である」。鮮やかな赤い色の土器が多い福岡の弥生土器の中でも、ひときわ美しい土器です。全面に塗っているのは、「ベンガラ」と呼ばれる酸化鉄成分の赤い塗料です。表面をよく見ると、口から頸にかけて、10本前後をひとまとまりにした縦線が見られます。「暗文」と呼ばれるもので、土器を作るときにヘラで軽く線を引き、ベンガラを塗って、文様のようにしたものです。

この赤き壺は、優美な形をしています。朝顔状に開く口縁部、やや腰高の胴部、底部が小さいためやや安定感には欠けるもの、全体として端正で、スマートな形をしています。世界各地の農耕文化の土器に通じる形です。この赤き壺は、欠けたところがほとんどありません。また表面の赤い色についても、他の多くの弥生土器は土中に埋もれている間にベンガラが剥げたり薄くなりますが、この土器は2000年前のままの輝きを放っています。


この赤き壺は、西区城ノ原から出土したと伝えられています。どういう状態で出土したかよくわかっていませんが、土器の表面の劣化がほとんど見られないことから、この土器が砂地にあった可能性が高いと思われます。城ノ原近くの砂地と言えば生の松原が思い浮かびますが、残念ながら正確な出土場所は分かっていません。

この赤き壺は、ほとんど欠けたところが無い良好な状況とその優美さから、1967(昭和42)年に国の重要文化財に指定されました。

この赤き壺は、1982(昭和57)年に福岡市に寄贈されました。旧蔵者は、澤田藤一郎氏で、氏が亡くなられた後、ご令室のヒサ氏より寄贈されました。澤田藤一郎氏は、1985(明治28)年、岩手県花巻市で生まれ、盛岡中学校では宮沢賢治と同級、その後九州帝国大学医学部に進み、台北帝国大学や九州帝国大学医学部教授などを歴任されました。

この赤き壺は、澤田氏によって「歌」としても詠まれました。澤田氏は歌人としても活躍されており、「赤い壺」と題した連作があります。冒頭の一首もそのひとつです。

 

 求めたる弥生の小壺の素朴さを紫檀の台にのせてながむる

 

国指定重要文化財

名 称 壺形土器

指定日 1967615

 (学芸課 米倉)

                     参考 新修福岡市史 資料編考古①


重要文化財 壺形土器(福岡市埋蔵文化財センター所蔵)は、普段、福岡市博物館の常設展示室で公開していますが、「ふくおかの名宝」展の会期中(2020年10月10日~11月29日)は、特別展示室で展示します。

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