2018年10月1日月曜日

浄土九州展ブログ 西方に極楽あり その20 特別編「トイレの文殊さん」

今回はブログ20回達成を記念して、5年前に中国に行った時のお話をします。

2013年の3月上旬、僕は九州大学の井手先生を団長とする学術交流調査団に入れてもらい、中国の杭州、寧波(ニンポー)、天台山を旅行しました。(「イデの導き」というやつですね〔注1〕

寧波は中世に博多と国際貿易で結ばれた都市で、周辺には日中の文化交流を物語る寺院や遺跡が数多く残っています。その郊外にある南宋石刻公園を訪れた時のこと。

南宋石刻公園
一通り調査を終え、次の訪問地に移動する前に小用を済まそうと、熊本のA木さんと佐賀のT下さんと石刻公園のトイレに入りました。(下ネタですみません)

T下「末吉さん、中国語で『トイレはどこですか』ってどう言うと?」
末吉「廁所在哪裡(ツァーソウ ツァイ ナーリ)だよ。」
(以前少しだけ中国語を習ったことがあります)

トイレには他に誰もいないと思っていたので、3人並んで用を足しながら「廁所在哪裡!」「廁所在哪裡!」と大合唱していると、突然背後の個室から野太いおじさんの声(中国語)が聞こえてきました。

もちろん全部は聞き取れませんが、「廁所在這裡決定。您們不要開玩笑說!」、どうやらニュアンス的には「ここが便所や!あんたらアホなこと言うたらあかんで!!」と言っているようです。3名はなんだか怖くなって逃げるようにトイレを後にしたのでした。

その後、道元禅師も修行したという天童山景徳寺に移動する車内で、年長者のA木さんが言いました。

A木「さっきのは有名な道元禅師の典座(てんぞ)教訓と同じでは・・」〔注2〕

用を足しながらトイレはどこだと叫んでいた我々は、修行や悟りが日常の生活の中にあるのに、それがどこか別の所にあるかのように探し回る愚をおかしていたのではないか、というのです。

末吉「では、あの誰も姿を見ていないおじさんは何者だったのでしょう?」
A木「おそらく文殊菩薩の化身(けしん)であろう。」〔注3〕

こうして3名の日本人学芸員は「豁然(かつぜん)として大悟」したのでした・・チャンチャン

天童山景徳寺

〔注〕
  1. 「伝説巨神イデオン」に出てくるセリフですが、別に知らなくていいです。
  2.  典座教訓:道元禅師が禅を学ぶために宋に渡ったときのこと。寧波の港で上陸の許可を待っていると、ある年配の典座(食事当番の僧)が出汁に使うシイタケを買いに来た。道元はその僧と禅問答がしたくて、食事の準備なんか若い僧に任せて泊まっていくように勧めた。すると、その老僧は「日本の若い僧よ、あなたは修行の何たるかがわかっていないようだ。」と言った。つまり、日常的な普通の生活こそ修行であり、禅における食事の重要さを教える教訓。
  3. 文殊菩薩:釈尊の弟子で最も智慧に優れていた菩薩。禅宗では僧侶の模範、あるいは僧侶の生活を見守る存在としてしばしば僧形にあらわされ、食堂(じきどう)や禅堂に祀られる。

0 件のコメント:

コメントを投稿