2020年8月19日水曜日

ダルマさん覚悟しな

達磨といえば禅を伝えた尊い祖師、だからその像に不埒なことをするとバチがあたる・・というのが普通の感覚かもしれません。それは前回のブログでもふれたように、たとえ「雪だるま」であったとしても、です。

ところが人間というものはなかなか一筋縄ではいかないようで、江戸時代になると達磨を面白おかしく描いた作品が登場します。河鍋暁斎(かわなべきょうさい:1831~89)が、様々な有名絵師の画風によって描いた絵手本集「暁斎画談」にもそんな達磨さんの姿がいくつか見られます。

涼しげな美女の横に、あろうことかニタ~と嫌らしい笑みを浮かべた毛むくじゃらの達磨さんが立っています。まさに「美女と野獣」ですね。江戸中期の浮世絵師・奥村政信のタッチで描いた絵では、達磨さんと遊女がお互いの衣を取り替えて、しかも達磨さんが三味線を弾いて遊女をもてなしたりしています。

この達磨と遊女という何とも場違いな組み合わせの背景には、10年の年季奉公を終えないと自由の身になれなかった遊女が「面壁九年(めんぺきくねん)」の達磨さんより偉いのだという、洒落(しゃれ)に似た考え方があったと言われています。また、不特定のオジサマたちを相手にせねばならなかった遊女にとって、せめて客を達磨さんに見立てるという「笑えない笑い」の産物であったのかもしれません。

とはいえ、そこでは聖と俗、醜と美という本来最も遠いはずの概念が交錯(こうさく)していて、何だかもっと深い意味が込められているような気もします。

実は、こうした対立概念の交錯や反転は古くから文芸の世界で取り上げられていて、淀川で春をひさいでいた遊女・江口の君(えぐちのきみ)が実は普賢菩薩の化身であったという謡曲「江口」の話や、一休禅師とのからみで有名な地獄太夫(じごくたゆう)の話がよく知られています。

地獄太夫は地獄の様子を描いた衣を着ていたという泉州・堺の遊女でした。一休さんが地獄太夫に会いに行き「聞きしより見て恐ろしき地獄かな(聞きしに勝る、恐ろしいほど美しい地獄太夫だな)」と最大級の賛辞を贈ったところ、太夫は「し(死)にくる人の落ちざるはなし(私を買いに来る男で私の魅力にオチない奴はいない、だから一休さんアンタも地獄行きだ、覚悟しな)」と返したとか。〔以上、超意訳〕

江口の君にしても地獄太夫にしても、一流の坊さんを向こうに回す相当に肝の据わったインテリ遊女だったわけです。しかも、両者の間で交わされる「性」や「遊芸(ゆうげい)」の世界の中では、聖なるものが尊く俗なるものが下劣、というような二項対立式の価値観は、まったく意味をなさないことがわかります。

もちろん、それは客がたとえ本物の達磨さんであったとしても同じこと・・・遊芸恐るべし。

仏像学芸員

2020年8月12日水曜日

ダルマさんの涼しいお話

毎日暑いので、今回は少し涼しそうなネタをひとつ・・

インドから来て中国・北魏で禅を広めた達磨さんはやがて亡くなり、熊耳山(ゆうじさん)に葬られました。一説には達磨さんの活躍を妬(ねた)んだ別のインド人僧に毒殺されたとも言われます・・

それから3年後のこと、北魏の外交官であった宋雲という人物が西域から帰国する途中、パミール高原でなぜか片方の履(隻履)を持って歩く達磨さんと出会いました。

宋雲「達磨さんじゃないですか、どこへ行かれるのですか?」

達磨「インドに帰るのだ。そうそう、あんたの主(皇帝)は既に亡くなっているよ・・」

宋雲は不思議に思いながらも帰国してみると、はたして皇帝はこの世を去り、また人々が達磨さんのお墓を開けてみると遺体がなく、もう片方の履だけが残されていたのでした。

これがいわゆる「隻履達磨(せきりだるま)」の逸話です。


今回の展示で紹介した歌川広景の「江戸名所道戯尽廿二 御蔵前の雪(えどめいしょどうけづくしにじゅうに おんくらまえのゆき)」〈写真〉も、この逸話を踏まえた内容となっています。

 


真冬の江戸蔵前(現・東京都台東区)は一面の雪景色となり、一人の男が雪だるまの前で下駄の鼻緒を直しています(江戸時代の雪だるまって結構リアルな顔をしていたんですねー)。

この男が雪だるまを作った本人かどうかは定かではありません。ただ、雪だるまの顔の前には夕食の具材とみられる魚(タラ?)とネギが乗せられていて、鼻緒を直している隙に野良犬がそれを狙っているようです。

一見すると、「ああせっかく今夜はタラ鍋で一杯やろうと思ったのに油断も隙もありゃしねぇ・・」と単なる残念なお話のように見えますが、さにあらず。

禅寺ではよく門前に「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と刻んだ標石が立てられているように、ネギなどの臭いのきつい野菜(葷)や酒は建前上禁じられていました。

達磨さんの顔の前に置かれたのはお供えではなく正真正銘の生臭モノ。だから鼻緒が切れて隻履になったあげく楽しみにしていた食材を犬に盗られる、つまり達磨さんの罰(バチ)が当たったというオチなのでしょう。

そういえば男が着ている衣のデザインも仙厓さんの禅画みたいだし、広景さんなかなか芸が細かいですね。 

仏像学芸員


2020年8月11日火曜日

【企画展示室4】発掘された戦争の痕跡 8月12日(水)~9月13日(日)



 今年は戦後75年。市内で行われた2500か所を超えるこれまでの発掘調査では、明治時代以降の「戦争」に関する遺構や遺物も出土しています。福岡城跡には明治19年(1886)に陸軍歩兵第24連隊が置かれ、それ以降多くの軍関係施設が設置されました。福岡城跡・鴻臚館跡の発掘調査では、それらの建物跡の他、軍刀・銃剣・弾丸などの武器類、建材や建具、認識票など各種の軍隊関係遺物が多く出土しています。

博多などの街中の遺跡からは、各家庭の庭や床下などに掘られた防空壕の跡が見つかり、福岡大空襲の痕跡と考えられる遺物が出土することがあります。また、大戦末期に不足する金属の代替品としてガラスや陶磁器で作られた製品も見つかっています。

実際に遺跡から出土した、これらの戦争に関連する遺構や遺物から、あらためて戦争と平和を考える機会になれば幸いです。

【Feature Exhibition 4】Excavated Traces of War Wed.12th August, 2020 – Sun. 13th September, 2020

This year marks the 75th anniversary of the end of World War II. Artifacts and relics of war from the Meiji period or later were found in research excavations conducted in more than 2500 sites in Fukuoka City.  

In 1886, the 24th infantry regiment was positioned in the Fukuoka castle ruins. Numerous other military facilities were also placed there in successive periods.  Numerous military-related items were excavated from the ruins of Fukuoka Castle and the Korokan guesthouse. They include the remains of infantry facilities, building tools and materials, dog tags, and armaments like swords, guns, and bullets.  

The remains of the bomb-proof shelters were found at archaeological sites in urbanized areas like Hakata. From such shelters, some relics which show the impact of the Fukuoka air raids were found. Some items made of glass or porcelain used as substitute for metals that were missing at the end of World War 2 were found.   

We sincerely hope that this exhibition will provide an opportunity for you to think about war and peace while viewing these relics and articles of war. 

exhibition leaflet


【기획전시실 4】발굴된 전쟁의 흔적 2020년 8월 12일(화)~ 9월 13일(일)

 

땅 속에서 다시 부활한 전쟁 당시의 유물들

올해는 제 2차 세계대전이 끝난 후로부터 75년이 되는 해입니다. 후쿠오카 시내에서 행해진 2500여 곳이 넘는 지금까지의 발굴조사에서는 근대 이후의 “전쟁”에 관한 유구와 유물이 출토되고 있습니다. 후쿠오카 성터에는 1886년에 육군보병 제 24연대가 설치된 후로 많은 군 관계 시설이 자리하였습니다. 후쿠오카 성터, 고로칸 터의 발굴조사에서는 건물터 외에 군용 칼, 총검, 탄환 등의 무기류, 건축 자재와 도구, 인식표 등 각종 군대 관련 유물이 다수 출토되고 있습니다.


하카타 등의 유적에서는 각 가정의 뜰과 바닥 밑에서 방공호의 흔적이 발견되어 후쿠오카 대공습의 흔적이라 여겨지는 유물이 출토되는 일이 있습니다. 또한 전쟁 말기에 부족한 금속의 대체품으로 유리와 도자기로 만들어진 제품도 발견되었습니다.


실제로 유적에서 출토된, 전쟁에 관련한 유구와 유물로부터 다시금 전쟁과 평화에 대해 생각하는 기회가 되었으면 합니다.