2020年10月15日木曜日

【ふくおかの名宝】鑑賞ガイド③ 唐物への憧れ ─博多遺跡群出土品─

 博多遺跡群は博多駅の北西側に広がる遺跡です。開発が進む以前、ここには博多湾に張り出す古砂丘があり、その上で生活が営まれてきました。昭和52(1977)年に発掘調査が始まり、現在まで200を超える地点が調査されています。

2015年撮影 博多駅から博多湾をのぞむ
【写真1】現在の博多遺跡群(2015年)

 博多遺跡群の出土品の中で目を引くのはなんといっても中世港湾都市の生活を物語る多様な遺物です。平安時代以降、博多は対外貿易の拠点となります。ここでは「綱主」と呼ばれる中国人貿易商人が居を構え、多くの品をもたらしました。日本各地の土器も出土しており、博多が国全体の中でも重要な存在だったことがわかります。特に中国・朝鮮・東南アジアなどから運ばれた輸入陶磁器が数多く出土しており、1遺跡あたりの出土量は国内一です。平成29(2017年、博多遺跡群から発掘された遺物のうち、選りすぐりの2,138点が国の重要文化財に指定されましたが、そのうち1,496点を占めるのも輸入陶磁器でした。


では、なぜこのように大量の陶磁器が輸入されたのでしょうか。実際のものをみてみましょう。

白磁の碗と皿
【写真2】白磁の碗と皿

写真2】は博多が貿易の拠点となった最初の頃、平安時代後期に中国で焼かれた磁器碗です。

長石などを砕いて作った素地を、高温で焼き上げ、丈夫で端正な器を実現したのが磁器で、釉薬をかけることで表面はガラス質になります。本品は無色の釉薬を用いた白磁です。

当時の日本にはまだ磁器を作る技術がありませんでした。人々にとって白磁の持つ美しい光沢は新鮮で、海を越えた異国への憧れを募らせたことでしょう。


青磁の碗と皿
【写真3】青磁の碗と皿

続いてご紹介するのは平安時代末期の青磁です。碗や皿の内側にはヘラで華やかな文様が描かれるようになります。

こうした青磁は、当時の人々の土葬墓に遺体と一緒に入れられることも多かったようです。死後の世界にも持っていきたい、そう思うほど魅力的だったのでしょうか。平清盛が日宋貿易に力を入れた時期にも近く、彼もこうした器に魅せられた一人かもしれません。


ぴょんと飛び上がったような魚文様の青磁の皿
【写真4】魚の文様がある青磁皿1

このような魚をモチーフにした文様もあります。ぴょんと水面から飛び出た場面でしょうか。躍動感を感じる絵柄で、顔もどこか笑っているように見えます。


ぬらりと泳いでいるような魚文様の青磁の皿
【写真5】魚の文様がある青磁皿2

それに対して、こちらはぬらりと泳ぐ魚がやる気のなさそうにこちらを見つめています。この何とも言えないけだるい感じ。私はどちらかというとこちらに親近感を覚えます。


黒褐色の釉薬をもちいた天目茶碗
【写真6】天目

最後に天目とよばれる黒褐色の釉薬をもちいた碗を紹介しましょう。

中国では宋の時代に抹茶式の喫茶法が広まると、茶を点(た)てたときの白色が映えるなどの理由から天目が珍重されます。博多でも天目が出土するので、ここで暮らした人々も喫茶を楽しんだのでしょう。日本の茶祖とされる栄西が『喫茶養生記』で抹茶式の喫茶法を紹介するのは13世紀前半(1211年)ですが、博多では12世紀前半頃の天目が出土します。博多は日本における最先端文化の需要地でもありました。


博多遺跡群出土品の中から陶磁器をご紹介しました。当時、中国からの輸入品は「唐物」と呼ばれ、重宝されたといいます。中世の陶磁器は、今なお美しい輝きを放ち、私たちを魅了し続けます。

(学芸課 朝岡)

重要文化財 博多遺跡群出土品は、博物館の常設展示室で公開していますが、「ふくおかの名宝」展の会期中(10/10~11/29)は、一部を特別展示室で開催中の「ふくおかの名宝」展でも展示しています。「ふくおかの名宝」展の観覧券で、会期中は、常設展示室(国宝 金印を展示中)と企画展示室(名鎗「日本号」を展示中)も観覧できますので、是非、あわせてご覧ください。


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