「やまいとくらし~今みておきたいモノたち~」の中期展示では、「みえないものと生きる-ウチとソトにいるもの」をテーマに様々な資料を紹介しています。
今回はその中からひとつ。
「鬼瓦」をご紹介しましょう。
鬼瓦といえば、瓦屋根の棟の端に乗っかった怖い・厳つい顔を思い出す方も多いのではないでしょうか。
某芸人さんのネタにもありましたね(・・・古い?!)。
鬼の顔を表現したものは、「鬼面文鬼瓦」といいます。
鬼の顔ではない鬼瓦もあるのでしょうか?
瓦が日本へやってきた7世紀頃の日本の瓦には、鳳凰(ほうおう)などの神獣や蓮の花をモチーフにした鬼瓦(と言っていいのでしょうか)が使われていました。
鬼瓦は、物怪(もののけ)や怨霊(おんりょう)などの邪悪なものが建物に寄り付かない・入らないようにするためや、火災・落雷などの災害から建物を守るための瓦、と言われていますが、最初は吉祥を呼び込んだり、清浄な場所であることを示すものとして使われていたのかもしれません。
鬼の顔をモチーフにした鬼瓦が多く作られるようになるのは、8世紀以降のこと。
当館の寄託資料の中に、その頃作られた鬼瓦があります。
角はありませんが、大きく見開いた目と口からのぞく牙は、私たちが知っている鬼瓦に近いものがあります。
怡土城(いとじょう)は、糸島市と福岡市にまたがる高祖山(たかすやま)西側山麓一帯に、756年~768年に造られた山城です。安史の乱から始まった国際情勢の混乱に備える軍事拠点として吉備真備(きびのまきび)が築城に当たりました。この鬼瓦は海の向こうから来る脅威に対してもにらみをきかせていたのでしょうか。
さて、今回展示しているのはこのような鬼面文鬼瓦です。
一部折れてしまっていますが、にょっきりと伸びた二本の角、口から飛び出している牙、ぎょろりとした目、大きな鼻と立派な髭は、まさに私たちが想像する鬼の様相です。
二本の角がついた鬼面文鬼瓦が登場するのは、鎌倉時代の終わり頃以降と言われていますが、なぜ二本の角が付いた鬼の形が一般的になったのか、はっきりしたことはまだわかっていません。
外部からの悪疫に対しては恐ろしい存在でも、私たちにとっては、それから守ってくれる善き存在。そう考えながら見るとなんだか親しみを感じられるのは私だけでしょうか。
普段は見上げることしかできない鬼瓦。
今回の展示では真正面から向き合ってみてはいかがでしょう。
(学芸課 福薗)
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