2020年10月23日金曜日

〔連載ブログ11〕疫病を祓う⁉ 歌舞伎のちから

 江戸時代、人気を博した娯楽のひとつが歌舞伎でした。木戸銭(きどせん=見物料)は安くなく、見物するのも一日がかりだったようで、そうそう気楽な遊びではなさそうですが、それでも人々が詰めかけたのは、歌舞伎が日頃の憂さを晴らしてくれる「自己解放」の場でもあったからだと言われています。

江戸時代の芝居小屋を遠近法を使って臨場感たっぷりに描いた浮世絵

「浮絵歌舞妓芝居之図」(展示中):今は懐かしい、すし詰めの芝居小屋。群衆の熱気が伝わってくる。

 

熱烈な人気は、伝説を生む土壌となります。よく知られるのは、「團十郎のにらみを受けると一年を無病息災で過ごせる」というもの。そのほか、実際に2代目團十郎や7代目團十郎が、にらみや見得をきることで、瘧(マラリヤ)の患者をたちどころに治してしまったという逸話も、幕末~近代の資料に残されています。

 こうした不思議な逸話の成立背景として、しばしば近世期の不動信仰と市川團十郎の関係が指摘されますが、そもそも、歌舞伎すなわち芝居というものは「芝の上で疫病を退ける舞を舞ったこと」を起源とするのだと記す資料もあります。

 歌舞伎が本来的に疫病を祓う存在だったというのは興味深い言説ですね。

 ここでなぜ舞・芝居・歌舞伎に疫病を祓うちからがあるのかを説明するには、神事・祭礼とのつながり、芸の様式美、また中近世の社会構造と民衆の心理など、多方面の研究をひもとかねばなりません。でもそうした難しい考察を抜きに、ふと、一観客の身で想像してみると―――心惹かれる役者が自分の目の前で、同じ空間で、生きて、動いている、それも縦横無尽に!―――そりゃあ問答無用で免疫力あがっちゃうよなぁと、妙に納得できてしまいました。

もしかすると疫病を祓う歌舞伎のちからの正体は、熱狂しすぎてテンションごと免疫力もあげてしまうファン自身のちからだったりするのかもしれません。

コロナ時代を乗り切る秘訣、ここにあり?

(学芸課 佐々木)

 

 

 

【おまけ情報】

外出せずにweb上でのみ楽しまれる方のため、以下こまごました補足情報やネットサーフィンのきっかけになりそうなリンクを貼っておきます。

 

①木戸銭について

劇場や座席、時代によってかなり幅がありますし、現代の貨幣価値に換算するときに何の物価を基準にするかによっても大きく値が変動します。したがって正確にいくらと算出するのは難しいのですが、歌舞伎を座ってみようと思えば、感覚的にはテーマパークの1日フリーパス付入場券くらいの出費になったと思われます。もちろん、パンフレットや食事代、お土産代は別途必要で、できたらお洒落もしてゆきたい、という点は現代と変わりません。

総合すると当時の歌舞伎は、おいそれとは行けないけれど全く行けないわけじゃなく行けたら絶対はしゃぐやつ、だったと推察されます。

 

②歌舞伎の上演時間について

芝居小屋は自然光を取り入れており、上演時間はだいたい日の出から日の入り前まででした。顔見世興行という年に一度の節目には、前日から徹夜でお祭り騒ぎをする者もいたそうです。

 

③芝居の起源・語源について

 『古今役者大全』巻之一「芝居の始りのこと」に、「上代のことだっただろうか、奈良の南円堂の前にできた大きな穴から煙が噴出し、その邪気にあたった人がみな疫癘(えきれい=疫病)に侵された。芝の上で三番叟を舞って邪気を払い退けたことから、芝居の語がうまれた。」(大意)とあります。

原文を読みたい方はこちら → 国立国会図書館デジタルコレクション『古今役者大全』巻之1,3-6コマ番号10~11196https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533801

 

 
【参考文献など】もっと知りたい方へ。

◆西山松之助著・日本歴史学会編集『人物叢書 市川団十郎』(1960年・吉川弘文館)

◆田中久夫編『不動信仰』(1993年・雄山閣出版)

◆服部幸雄著『歌舞伎歳時記』(1995年・新潮社)

◆高橋幹夫著『シリーズ江戸博物館4 芝居で見る江戸時代』(1998年・芙蓉書房出版)

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