※このお話は史実を基にしたフィクションです。
私の名前は金印ちゃん。今からだいたい2000年前〈※西暦57年〉、中国(当時は後漢と呼んでいたわ)の都だった洛陽で生まれたの。身長2.2cmととっても小柄なんだけど、今でも2000年前から変わらない美しさだとよく褒めてもらえるわ。光武帝っていうとってもえらい人が私のお父さんだったんだけど、私が生まれてすぐに死んじゃった〈※註1〉。
※註1 後漢の皇帝、光武帝の崩御は倭の使節への金印贈与と同年の西暦57年のことであった。
お父さんが亡くなる前、東の島から来たっていう人たちがお父さんに会いに来たの。突然、「娘さんを僕に下さい。」って言うんだけど、お父さんも「娘をよろしく頼む。」って最初からその気だったみたい。何人かいた兄弟〈※註2〉と別れるのが辛くて涙がでてしまったけれど、新しい土地での生活は新鮮でワクワクしたわ。
※註2 1981年に江蘇省で発見された広陵王璽(金印)が「漢委奴國王」金印と同一工房で製作されたものという説がある。
そんなこんなで海を渡って、しばらくは奴国っていうところで中国に送る大事なお手紙に封をするお仕事(封泥っていうの。私にしかできないのよ!)をしてたんだけど、それからが我慢の日々だったわ。ひょんなことから志賀島っていう島に閉じ込められたの。とっても寂しかった。っていうか退屈すぎて寝ちゃったわ。
目が覚めたのはそれから1700年後〈※天明4(1784)年〉よ。そうね、江戸時代っていうのかしら。甚兵衛っていうお百姓さんが、田んぼの中にいた私を見つけたの。それから私があまりにもキュートだったから、お城に召し上げられちゃった。それからしばらくはお殿様のお家(黒田家っていうの。官兵衛さまが有名でしょう?私は会ったことないんだけど。)で暮らしたわ。江戸時代が終わってから東京に引っ越したんだけど、今から90年くらい前〈※昭和6(1931)年〉には国宝に選ばれたのよ(ミス・ジャパンみたいなものね。)。
またしばらくして今から50年前〈※昭和53(1978)年〉には、「福岡に帰って仕事をしてほしい」って熱烈なオファーがあったものだから、福岡に帰ったの。新幹線〈※註3〉がとっても早くてびっくりしちゃった。最初は福岡市美術館ってところで働いてたんだけど、30年前〈※平成2(1990)年〉に福岡市博物館ができるっていうから異動したの(今も学芸課にいるY倉くんなんて、当時若くてかわいかったのよ)。それからずーっと博物館の看板娘として頑張ってるのよ。週に一回の休館日以外はお仕事してるの。みんなすごく顔を近づけて私をみるもんだから、けっこう恥ずかしいのよね・・・。
※註3 山陽新幹線の博多への乗り入れは1975年のこと。
実際に金印の輸送に新幹線を使ったかどうかは定かではない。
(学芸課 あさおか)
※金印ちゃんについてもっと詳しく知りたい方は↓まで。
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