特設展示「やまいとくらし」の連載ブログにお越しいただきありがとうございます。この企画は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の予防・対策が大きな課題となっている今、当館で見ていただきたい資料を紹介するものです。
このブログでは、企画に合わせて展示室に展示している資料や、展示ケースにおさまりきれなかったモノ・コトを紹介します。
連載第1回目である今回は、第1章「伝染する病に向き合う」から、大正7年(1918)の新聞記事を紹介します。
さて、今からざっと100年前、スペインで大流行したインフルエンザウイルスがまたたく間に全世界に広がりました。いわゆる「スペイン風邪」です。スペインでの流行の印象が強くこのような名前になっていますが、発生源はアメリカ合衆国とされています。少しスペインがかわいそうですね。
それはさておき、「スペイン風邪」は大正7年に初の感染者が確認され、第一次世界大戦という大きな人の移動によって爆発的に感染者を増やしていきます。日本でも、同年から軍隊を中心に感染者が増えました。当時は、「流行性感冒」(りゅうこうせいかんぼう、かんぼうは風邪を指す言葉)、「悪性感冒」と呼ばれていました。
福岡での「スペイン風邪」の流行は、大正7年10月から12月にかけてのことでした。当時の県内シェアトップの新聞『福岡日日新聞』には、「スペイン風邪」の流行が、まさに文字通り報道されています。感染者の増加をあらわす表現は、「暴風の如き」(10月30日)、「魔の如く」(11月3日)、「魔風の如き」(11月4日)といった過激なもので、ものすごい勢いで広がった様子がうかがえます。小学校や中学校は休校に、公共機関や会社も休みになるなど、現代と同じような対応がとられました。郵便局員に感染者が多く出た結果、近隣の学校の生徒に配達をまかせたというような記事も見られます。
11月8日の記事には、谷口留五郎福岡県知事から予防に関する告知が出されています。これによれば、「スペイン風邪」は飛沫を介して感染するため、人と話す際には4尺(約121cm)以上間隔をあけるか「マスケ」(マスク)を着用すること、患者は速やかに隔離して静養させること、回復後の患者も数日間は健康な者との接触をさけることなどが必要とされました。ウイルスへの対処法は、100年前と現在で、ほとんど同じだったことがわかります。ちなみに、東京に出張した谷口知事は、福岡に戻った後の11月6日に「スペイン風邪」に感染していたことが判明しました。
知事の告知が役に立ったのかは不明ですが、12月に入ると流行は下火になり、終息に向かいます。『福岡市史』第2巻大正編(福岡市役所、1963年)によると、福岡警察署の調査による大正7年12月末までの患者数は36,265人、死者は252人にのぼりました。
大正7年11月4日の『福岡日日新聞』 スペイン風邪の流行を「魔風の如き」とたとえて報じる |
大正7年11月8日の『福岡日日新聞』
県知事からの告知として「マスケ」(マスク)の着用がすすめられる。
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(学芸課 野島)
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