2020年7月23日木曜日

〔連載ブログ2〕イメージキャラクター「鍾馗」について

7月21日(火)から特設展示「やまいとくらし~今みておきたいものたち~」が当館常設展示室内で行われています。



皆様は、タイトルの右側にいる “ゆるかわ”な髭を生やした人物が誰だか分かりますか。これは『人物略画式図』(鍬形蕙(くわがたけい)斎(さい)画)に描かれた「鍾馗(しょうき)」です。

鍾馗は中国の民間信仰に伝わる道教系の神様で、本来は眼光鋭く、豊かな髭を持ち、黒衣を纏(まと)い、冠を身に着け、剣を抜いた、“ゆるかわ”とは無縁な厳(いか)つい姿をしています。その鍾馗について次のような伝説があります。

唐の玄宗皇帝が、激しい熱病を患った際に不思議な夢を見ました。夢の中で突然現れた大鬼が、皇帝をからかう虚耗(きょこう)という小鬼の体を引き裂いて食べてしまったのです。皇帝が大鬼の正体について尋ねると、科挙(中国で行われた官吏登用試験)に落第し、自害した鍾馗であることが分かりました。その後、夢から醒めた皇帝は熱病がすっかり治っていることに気が付き、夢の中の大鬼の姿を悪霊や邪気を払う守り神として画家に描かせ、宮中に掲げました。そして、これが一般に伝わり、年末には鍾馗の絵を家の中へ掲げて魔除(まよ)けにするようになりました。※タイトルの左側にある赤みがかった生き物は、夢の中で鍾馗に追われた小鬼です。

このように中国で疫病(えきびょう)を払う神として信仰されていたものが、室町時代以降、日本でも信仰されるようになりました。日本では端午の節供に飾る幟(のぼり)に描かれ、武者人形が作られるなどしました。
天保9(1838)年の『東都歳事記』には江戸の市中を描いた「端午市井(しせい)図」(長谷川雪旦画)が収録され、そこには鍾馗の幟が描かれています。他にも、明治31(1898)年の『風俗画報』第159号には「十軒店(じっけんだな)幟店の図」(山本松谷画)が収録され、五月人形店の景況を記録しています。十軒店はかつて現在の東京都中央区日本橋にあった地名です。(分かりにくいかもしれませんが、店内に鍾馗の幟と掛軸、人形があります。)

「端午市井図」(長谷川雪旦画)『東都歳事記』
「十軒店幟店の図」(山本松谷画)『風俗画報』第159号


また、疱瘡(ほうそう)(天然痘(てんねんとう))除けの呪(まじな)いとして用いる疱瘡絵にも鍾馗が描かれました。治療法が確立していなかった時代は疱瘡をもたらす疫(えき)神(しん)が近づかないように、疫病や厄除けに効果があるとされていた赤一色で鍾馗などを描きました。当館所蔵資料には、天保年間(1830-43)に制作された「疱瘡絵(為朝 達磨 鍾馗)」(歌川国安画)があります。(達磨の方が目立っていますが・・・手前にいるのが鍾馗です・・・。)

「疱瘡絵(為朝 達磨 鍾馗)」(歌川国安画)当館蔵

この他にも、新潟県東蒲原郡地方では、一年間の集落の安全や無病息災を願って村境に鍾馗像を象(かたど)った大きな藁(わら)人形を奉納する行事が残されています。また、京都では、向かいの家の鬼瓦から睨まれることを嫌い、その防御策として小屋根に瓦製の鍾馗像を飾る町家も見られます。
 このように鍾馗に関係する魔除けの民間信仰は全国各地に分布し、日本人に馴染みの深いものとなっています。

ぜひ皆様、この“ゆるかわ”鍾馗様を目印に、常設展示室へお越しください。
ご来館お待ちしております。

(学芸課 石井)

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