2020年11月10日火曜日

【ふくおかの名宝】鑑賞ガイド⑪ 福岡で生まれた現存最古の国産自動車─アロー号

 福岡市博物館に寄託されている「アロー号」(株式会社矢野特殊自動車所有)は、福岡で作られた自動車です。現存最古の国産乗用自動車として、日本機械学会によって平成21年(2009)に「機械遺産」に認定されました。アルミ板で覆われた銀色の車体は、現代の自動車よりも二回りほどコンパクトですが、常設展示室でも目を引く存在のひとつです。

常設展示室で展示中の「アロー号」
アロー号(常設展示室)

制作者は、福岡工業学校(現福岡工業高校)出身の矢野倖一。矢野は当初、模型飛行機用のエンジンを自作するほど、飛行機に強い関心を持っていました。そんな矢野に自動車の制作をすすめたのは、運輸業で財を成した福岡の実業家村上義太郎でした。村上は陸上交通の重要性を認識し、日本の道路事情に合う自動車が必要であると考えていました。村上の勧誘を受け、矢野は自動車の研究に乗り出します。そして、学校卒業後の大正2年(1913)から本格的に国産自動車の設計を開始しました。車の名前は自身の名字から「アロー号」としました。

 矢野は、村上の仲介で鉄工所を作業場として借り、時には福岡工業学校や九州帝国大学工科大学(現九州大学工学部)の施設を使用しました。必要な部品は手作業で金属を加工して自作しました。ただし、タイヤやプラグ、マグネットは外国製を使用しています。

 大正4年(19158月、アロー号はテスト走行を行いましたが、エンジンの不調のため動きませんでした。矢野は、ドイツ・ベンツ社の技師から気化器に原因があると聞きます。技師が福岡にいたのは、第一次世界大戦の最中で、ドイツ軍の捕虜が福岡市内の収容所に収容されていたためでした。矢野は海路上海に向かいイギリス製気化器を購入し、アロー号に取り付けました。この結果、エンジンが動くようになりました。その後、アルミ板と和紙で車体を制作し、アロー号は完成しました。大正51916)年8月のことでした。総制作費は約1224円。当時の大卒者の初任給は35円程度、国産自動車の製作にかなりの費用がかかっていたことがわかります。

アロー号のフロントグリル部分のアップ
クラシカルなフロントグリル部分、細いタイヤはリヤカー用を転用した

ガソリンタンクの栓のアップ
エンジン冷却水用とガソリン用の2つのタンクの栓にはアロー(矢)の意匠がある

さて、アロー号の大きな魅力のひとつに、現在でも走行できるという点があります。博物館では、株式会社矢野特殊自動車のご協力のもと、平成28年(201610月にアロー号完成100年を祝して「走る!!アロー号」というイベントを開催しました。200名ほどの観客が見守る中、エンジンを掛けられたアロー号は、少し高めのエンジン音を響かせながら、博物館の前庭の池の周りを無事に周回しました。その時、私は、アロー号の勇姿を近くで見ながら、100年前の確かな技術力やアロー号を今日まで維持してきた方々の熱意に思いを馳せていました。私事はさておき、展示室内では、残念ながらエンジンを掛けることはできませんが、据え付けのモニターでエンジン音を聞くことができます。長文失礼いたしました。ではでは★☆

博物館前庭を走るアロー号
イベントで博物館前庭を走るアロー号。運転手は株式会社矢野特殊自動車の矢野社長。
手前でベストショットを狙う館長の姿も。

(学芸課 野島)


1 件のコメント: