2022年9月9日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈004〉開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。


1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

2(「ダンスフロアでボンダンス」)

3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。



〈004〉開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン

 

1989年3月1日、まだ開会していない「アジア太平洋博覧会―福岡'89(よかトピア)」の会場で、FMラジオの放送局が開局しました(博覧会の開会は3月17日から)。


よかトピアのためにつくられたイベント放送局、「よかトピアFM」です。

(コールサイン JOBZ-FM、周波数 76.3MHz、送信出力 100W)


愛称は「MOMO」。

応募853通のなかから選ばれたニックネームです。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

博物館の横にあった「よかトピアFM」。

場所は今の福岡市博物館の西口あたり(福岡市総合図書館がある方向ですね)。

ここはよかトピアのときには、メーンストリートに面していて、目立つ場所でした。


こういう放送局は、これまでも「国際科学技術博覧会(つくば万博)」(1985年)などでつくられたことはあったのですが、それは試験放送扱い。

なので、正規の放送局のようには運営できず、CMも入れられませんでした。


ところが、よかトピアの前年に放送法が改正されて、大きなイベントがおこなわれる間に限って、その情報などを提供する臨時目的放送局(イベント放送局)を開くことができるようになりました。

これで正規の放送局と同じように活動できます。


博覧会を主催するアジア太平洋博覧会協会は、さっそく国に免許を申請して、1988年10月27日に受理されました。

「よかトピアFM」が新設されたイベント放送局の第1号でした。


1989年1月26日にスタジオの建物が完成すると、次々と機材の搬入が始まって、2月6日にはもう試験電波が出されています。

22日に免許証を受け取り、3月1日の開局を無事に迎えました。

放送エリアはおおむね、東は宗像、西は糸島、南は小郡あたりまでを想定していました。


当時はFMの音楽番組が人気の時代です。

80年代の前半には、『FM Fan』『週刊FM』『FMレコパル』『FM STATION』といったFM雑誌で、事前に番組でかかる曲を調べて、ラジカセでカセットテープにエアチェックするのが、音楽ファンの楽しみでしたが(懐かしい)、よかトピア開催時はそのなごりがまだあったころ。

『FM STATION』は鈴木英人さんのイラストをつかったりしていて(イラストレーベルがほしくて毎号買ってました…)、FMがおしゃれな媒体だったのですよね。


ところが、福岡にはFM局がNHKとエフエム福岡くらいしかまだなくて(CROSS FMの開局は1993年)、そこに突然「よかトピアFM」が現れたわけです。


(福岡市博物館所蔵

「よかトピアFM」のタイムテーブル(3~4月)。


「よかトピアFM」は、「海と夏」をイメージした音楽パビリオンとして、ロック・ポップスを中心に選曲する、おしゃれな番組づくりを目指しました。


そのため、スタッフは大学生・専門学校生・外国人など若い世代が中心。

若いスタッフが、はじめてのことが多いなかで、企画・技術・パーソナリティーとして、国際色豊かで既存の放送局とは違った番組をつくっていきました。


「よかトピアFM」の運営に協力していたのは、九州朝日放送(KBC)です。

若いスタッフの研修にあたったのは、KBCの岸川均さんでした(当時50歳・KBCラジオ局制作部副部長)。


岸川さんといえば、ラジオ「歌え若者」で福岡から多くのミュージシャンを世に送り出したディレクター。

福岡内外の多くのミュージシャンから信頼が厚く、退職されたときには、山下達郎さん浜田省吾さんスターダスト・レビュー海援隊チューリップ甲斐バンドサンハウスARBロックンロール・ジプシーズほか、たくさんのミュージシャンが集まって、福岡サンパレスでわざわざコンサートを開いたほどでした(1998年2月26日~3月1日の4日間!)


ちなみに、「FMよかトピア」の開局パンフレットには、山下達郎さんが写真入りで、「いつも心がわき立つような楽しいFMであってほしい」とコメントを寄せています。

もしかしたら、これも岸川さんと山下さんの音楽を愛する交流から実現したことだったのかもしれません。


岸川さんが亡くなってからも、岸川さんの音楽への思いを受け継ぐイベント「風音」が、毎年開催されていました(ARBの石橋凌さんが発起人)。

「風音」はコロナ禍の前までは、毎年秋ごろに西南学院大学のチャペルで開かれるのが恒例でした。


MCのスマイリー原島さんの進行で、西南学院高校出身の杉真理さんが毎回ギター1本でご出演されたり(賛美歌と「ウイスキーが、お好きでしょ」が定番)、Charさん・麗蘭(RCサクセションの仲井戸麗市さんとザ・ストリート・スライダーズの土屋公平さんのバンド)・チバユウスケさん(The Birthday)などゲストも豪華。

石橋凌さんが客席に降りて観客と目を合わせて歌ってくださったり、最後は出演者全員と観客が一体になってセッション大会になるなど、岸川さんの人柄や音楽への向き合い方を追体験できる、とてもあたたかいコンサートでした(またやってほしいなぁ)。


岸川さんはこの西南学院大学の卒業生(1956年卒業)。

在学中はグリークラブに所属されていて、建てかわってはいますが、チャペルはたくさんの練習・本番をおこなった思い入れのある場所なのだそうです。


岸川さんの在学中は、キャンパスから少し北に歩けば、すぐそこが百道の海でした。

その海が埋め立てられ、よかトピアの会場になって、そこで若者・音楽を中心とする新しいラジオ局を一からつくることには、岸川さんも特別な思いがあったのではないでしょうか。

開局5日前の岸川さんは「ほぼ完全な状態で本番に入れそうだ」と自信を見せています(『日刊スポーツ』1989年2月24日)。


実は福岡市博物館のアジア太平洋博覧会の資料には、博覧会閉会後に岸川さんからいただいた物もいくつかあります。

『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』に写真を載せている、よかトピアFMのTシャツ(P128)、カード型ラジオ(P137)もそうです(岸川さんに改めて感謝致します)。

(福岡市博物館所蔵

本にも載っている岸川さん寄贈のカード型ラジオ。


さて、こうして始まった「よかトピアFM」。

岸川さんのおかげもあって評判がよく、人気パーソナリティーも生まれていきました。


今もテレビのナレーションで活躍されている木村匡也さんも、そのお一人。

先日RKBラジオにご出演されていたのですが、学生時代に優勝したDJコンテストのオーディションテープは、「よかトピアFM」の機材でつくったのだそうです。

このときの優勝が現在のお仕事に繋がっていったと聞いて、びっくりでした(RKBラジオ「田畑竜介 Grooooow Up」)。


開局後の話はまだまだ尽きませんので、また今度に。



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参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)


 

Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル]


※ タイトルを一部変更しました(2023.4.28)


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