埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回(「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。
〈015〉よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた
アジア太平洋博覧会(よかトピア)が1989年9月3日に閉会すると、さっそくパビリオンが解体されて、シーサイドももちのまちづくりが本格的に始まりました。
よかトピア会場の建物で残ったのは、マリゾン・福岡タワー・西部ガスミュージアム・福岡市博物館くらいです。
ところが、この閉会直後のシーサイドももちが、キングギドラに襲われました。
もちろん映画の話なのですが……。
この映画は『ゴジラVSキングギドラ』(東宝)。
脚本・監督を大森一樹さん、特技監督を川北紘一さん、音楽を伊福部昭さんが担当して、1991年12月14日に公開されました(観客動員約270万人)。
まずはあらすじを。
1992年7月1日、東京にUFOが現れます。同じ日、福岡の「シーサイド公園」では、展覧会「恐竜ワールド」がオープン。ティラノサウルスの模型の前で「自分は本物の恐竜を見た」と演説する男が取り押さえられました。男は長浜の屋台「らごす」の店主、池畑益吉(上田耕一さん)。
雑誌『ムー』などで超常現象について執筆するノンフィクションライターの寺沢健一郎(豊原功補さん)は、池畑に会うために福岡へ向かいます。屋台「らごす」で寺沢に自分の過去を話す池畑。その内容は、1944(昭和19)年2月、太平洋戦争中のラゴス島(マーシャル諸島)で、自分は恐竜に守られたというものでした。この話を聞いて、寺沢はラゴス島の恐竜「ゴジラザウルス」が、1954年の核実験によってゴジラへ変異したと考えます。
「恐竜ワールド」は巨大企業「帝洋グループ」が主催したものでしたが、その総帥、新堂靖明(土屋嘉男さん)は恐竜マニアで知られた男。実は新堂もラゴス島で恐竜に守られた1人だったのです。この事実を掴んだ寺沢に、新堂は恐竜「ゴジラザウルス」の写真を見せます。
その一方、例のUFOは富士山麓に着陸。乗っていたのは、2204年の未来からタイムワープしてきたウィルソン(チャック・ウィルソンさん)・グレンチコ(リチャード・バーガーさん)・エミー(中川安奈さん)の3人。ウィルソンたちは地球連邦機関の一員だと名乗ります。首相官邸にテレポートした彼らは、23世紀では日本がゴジラによって致命的な破壊をうけていると説明。この未来を変えるために、恐竜「ゴジラザウルス」がゴジラに変異する前に、別の場所にワープさせることを提案します。その根拠として示したのが、寺沢がこれから書こうとしている著書『ゴジラ誕生』でした。
政府に呼び出された寺沢は、エミーとともにタイムマシンに乗り、1992年7月6日(14:30)から1944年2月6日(21:00)にタイムワープします。恐竜「ゴジラザウルス」をマーシャル諸島からベーリング海にテレポートすることに成功する一行。そのかげで密かにエミーは、タイムマシンで連れてきたドラット(遺伝子操作でつくられたペットで、羽があり飛ぶことができる)3匹を1944年のラゴス島に置いていくのでした。
ところが、ゴジラが歴史から消えると同時に、キングギドラが太平洋に出現。日本を目指して飛んできたキングギドラが現れたのは福岡上空でした。福岡に甚大な被害をもたらしたキングギドラ。これはゴジラの代わりに核実験の放射能をあびた3匹のドラットが合体した姿でした。ウィルソンたちは、本当は地球均等環境会議(国家間の極端な力の差をなくそうという運動グループ)のメンバーで、21世紀以降強力になりすぎた日本の国力を弱めるために、過去を変えようとやってきたのでした。彼らの目的は、ゴジラ以上の怪獣キングギドラを生み出して操作することで、日本の国力を消耗させ、自分たちが指導する新しい日本をつくることだったのです。
このあと、時空間を超えて現代人・未来人の思惑が錯綜。さて、暴れ回るキングギドラを倒すことはできるのか、ゴジラはもう現れないのか、そして日本の未来は……。(というお話)
* * * * * * *
キングギドラに福岡が襲われるシーンでは、よかトピアが終わった頃の実際の景色と特撮が組み合わされています。この作品のDVDに収録されている大森監督・川北特技監督のオーディオコメンタリーや特典映像も参考にしながら、福岡が舞台になっている場面をふり返ってみます。
池畑が演説する「恐竜ワールド」は架空の展覧会ですが、その会場の外観は、シーサイドももちにあった西部ガスミュージアムです(2003年に閉館し、今は建物も残っていません)。
このシーンでは、西部ガスミュージアムが面しているサザエさん通りに、よかトピアで使ったシェルター(日よけのテント)がまだ並んでいて、博覧会の雰囲気を残しています。ただ、わずかに映ったパビリオンゾーンにもう建物は見えず、整地のための重機が映っていて、まちづくりが始まっている様子が分かります。
このシーサイドももちのシーンは、大森監督が3~4人でロケハンに行った際に撮ったものも使っているのだとか。ちなみに「恐竜ワールド」の建物内のシーンは、宇都宮市で開催されていた恐竜展で撮影されたものだそうです。
(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』 〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より) よかトピアのときの西部ガスミュージアム。 |
池畑が寺沢に自分の過去を語る屋台「らごす」でのシーンには、今では景色が変わっている長浜の屋台街が遠景で映っています(これも大森監督のロケハン時の映像とのこと)。
屋台での大森監督の一推しポイントは、屋台の壁に貼った映画『連合艦隊』(東宝・1981年公開)のポスターなのだとか。これは東宝の会長室にあった貴重なポスターの原画なのだそうです(探しても東宝にポスターが残ってなかったらしいです……)。ちらりとしか映りませんが、店主の人物像をよく表したシーンでした。
そして、いよいよキングギドラが現れます。
DVDの特典映像で見られる川北特技監督の絵コンテでは、キングギドラの目線で福岡の風景が描かれています。
博多港から荒戸大橋を超えて福岡に進入するキングギドラ。その絵コンテでは、荒戸大橋を越えた後、わざわざ南東側から福岡タワーとシーサイドももちに向かうように、大きく矢印が描かれています。直接福岡タワーには行かず、一度旋回して、ちゃんと福岡タワーの正面に向かってきてくれるところが良いですね。
この福岡タワーのシーンについて、川北特技監督は、ここはよかトピアをやっていた場所と紹介したうえで、キングギドラと合成するために空撮をおこなったので、だいぶんお金がかかったと話されています(そのおかげで、当時の福岡の様子を空から見ることができます、ありがとうございます……)。
キングギドラは、そのまま福岡タワーに一撃を食らわしますが、幸い一部の破損だけで済みました。
このとき福岡タワーには、ウォーターフロントの会議で福岡を訪れていた、「帝洋グループ」総帥の新堂らがいました。新堂のうしろには、「SEASIDE MOMOCHI VERDE CORT 海と文化の深呼吸」というパネルが貼られていて、よかトピア後のシーサイドももちの将来図が描かれています。
このシーンで、開発中の福岡を破壊された新堂は「許さんぞ、あの怪獣め」と憤っています(これが伏線になって物語は展開していきます)。
キングギドラは福岡タワーへの一撃のみで、シーサイドももちを破壊することはありませんでした(もっとも、当時はまだほとんどが更地だったのですが……)。
それでもわざわざキングギドラをここに立ち寄らせたのは、これから福岡のランドマークになる福岡タワーを最初に見せることと、実際にウォーターフロントのまちづくりが進んでいて当時福岡のもっとも熱い場所だったからなのでしょうね。全国的には、この映画で福岡タワーを知ったという人も多かったのではないでしょうか。
ちなみに、福岡タワーのガラスに小さく映るキングギドラが飛び去る姿は、このシーンの密かな推しポイントになっています。
(撮影:加藤淳史) 現在の福岡タワー。 |
さて、キングギドラはシーサイドももちから天神へと向かいます。
映画のなかの実景では、天神コアや開業したばかりのイムズ(1989年4月開業)・ソラリアプラザ(1989年4月開業)が見えます。一方で、イムズに隣接する愛眼ビルは旧建物のまま、福岡市役所西側ふれあい広場は工事中、ソラリアステージ(1999年開業)や三越が入るソラリアターミナルビル(1997年竣工)はまだありません。
このシーンの絵コンテでは、天神コアの屋上看板やイムズの三角の屋根が描かれていて、ここがキングギドラの攻撃ポイントとして当初から想定されていたことが分かります。キングギドラが口から吐く引力光線でイムズは大破し、現在三越がある辺りも破壊されてしまいました。
川北特技監督によると、キングギドラの天神襲撃は、映画『空の大怪獣 ラドン』(東宝・1956年公開)で、ラドンが岩田屋(現在のパルコの場所)を襲ったシーンをオマージュしたものだったそうです。
天神を破壊したラドンについては 『市史だよりFukuoka』第12号をご覧ください。 → 第12号「ひとくちコラム/天神壊滅の日?!」(P.4) |
その後、キングギドラは中洲方向へ。これにより、中洲から現キャナルシティ方面が甚大な被害を受けました(ただキャナルの開業は1996年なので、まだこのときは映っていません)。
福岡市には避難警報が発令され、最寄りの地下街・地下道への避難が呼びかけられます(もちろんフィクションですが……)。キングギドラが飛び回るなか、西中島橋や福博であい橋などを逃げる人びとが映し出され、緊迫したシーンになっています。この西中島橋などで逃げている人びとは、東宝九州支社のスタッフを総動員したとのこと。大森監督もこの撮影には同行されていて、大変楽しかったのだそうです。
中洲襲撃のシーンは、特撮風景がDVDに特典映像として収録されていて、ミニチュア模型の中洲のまちを見ることができます。
天井から吊られて、ミニチュア福岡の上空を飛びまわるキングギドラが、思っていたよりも大きくて驚きです。このキングギドラの着ぐるみは、4万枚以上のうろこでおおわれていて、70日で制作する予定だったところを、時間の都合で40日間に短縮してつくられたのだとか(あの迫力のあるシーンの裏には、大変なご苦労があったのですね……)。
川北特技監督は、中洲のシーンはミニチュアと実景を使いわけて、うまく撮ることができたと自負されています。
こうしてみると、怪獣の襲撃という形で、シーサイドももちが天神・博多にならぶ福岡の顔としてお披露目されたことが分かります。
これにより、よかトピアが終わったあと、今度は映画館で全国に福岡タワーやシーサイドももちを知ってもらう機会になりました。
先日、この『ゴジラVSキングギドラ』の監督、大森一樹さんの訃報に接しました。
『ゴジラVSキングギドラ』から30年を超えて、今福岡はまた大きく姿を変えようとしています。怪獣映画に限らず、新しい福岡を大森さんならどういう物語のなかで撮られるのか、それをもう観られなくなったことが大変残念な思いです。
心よりご冥福をお祈り致します。
【参考文献】
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・DVD『ゴジラVSキングギドラ』(東宝株式会社)
・東宝映画資料データベース https://www.toho.co.jp/movie
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[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]