2022年11月16日水曜日

The 34th Annual Exhibition of New Acquisitions

Feature Exhibition Room

October 25th, 2022 ~ January 15th, 2023


Fukuoka City Museum has continued to collect materials in the fields of archaeology, history, folklore and art since the establishment of the Fukuoka City Museum's Preparatory Office in 1893, seven years before the museum opened. The museum has collected more than 180,000 items through donations, deposits and purchases.

In order to ensure that the collected items are passed on to future generations properly and securely, and that they are effectively used for exhibitions and study, the museum researches and organizes all newly collected materials and annually publishes a list of them in the "Collection Catalog." In conjunction with the publication of the catalog, the Museum also holds the “Annual Exhibition of New Acquisitions” to provide Fukuoka citizens with an opportunity to learn about the Museum's activities.

This year's exhibition, the 34th edition of this series, showcases approximately 80 items related to the history and daily life of the people in Fukuoka City. The exhibits are carefully selected from 3,793 items collected in 2019, as listed under No.37 in the "Collection Catalog."

This exhibition is divided into four chapters: Admiring, Believing, Thinking and Learning, which evoke emotions and thoughts in the viewer.

1. Admiring

This chapter focuses on arts and crafts. You will see not only their beauty, but also their production techniques.

Hakata Doll, Bodhidharma by Harada Kahei.


Armor of Kiriyama Tanba.
The helmet is luxurious, decorated with the shapes of
a gold-lacquered bottle gourd on its top and crab claws on both sides.
   

2. Believing

This chapter displays a selection of items related to faith. Each of these materials conveys not only inner strength but also people’s feelings, and provides us a clear window into the emotional and spiritual bond they felt with these objects.

Line-engraved stone with the Buddhas image enshrined in Kanetake, Nishi ward, Fukuoka city.
The flat, smooth stone is engraved with the image of Nyorai Buddha,and the back of the stone
 says that it was dedicated in 1179 by Ryoshin, a Buddhist priest.


Former sacred, wooden statue from Kamiakizuki Shrine in Asakura City,
dedicated to Sakata Echigo-no-kami, who served the Akizuki clan during the Warring States period.

3. Thinking

In this section, we exhibit materials that trigger our remembrance of the past and of people of the past. Items that show what people in the past were thinking and feeling are also important to the museum collection.

Hakata-chanpon, a glass toy, generally called a "vidro,"makes a sound when you blow into the tube.
The tip of a regular Hakata-chanpon is bell-shaped, but these are shaped like a drum and a raccoon dog.

Imperial Japanese navy hat used by the contributor's father,
who became a petty officer in the Navy during the war.

4. Learning

In this chapter, we showcase a variety of records and tools from the past. They are strong reminders that we should learn more about Fukuoka's people and culture, and preserve its history and memory for the future.

Potter’s kick-wheel for the production of Noma ware, which was produced until around 1975.
It is literally a potter’s wheel that is turned by people with their feet.

Daimaku, a curtain used in Hakata Gion Yamakasa, a famous summer festival in Hakata. The pattern depicts a samurai wearing a braided hat and dancing in imitation of a sparrow, a popular "sparrow dance" in the Edo period. During the festival, the curtain was draped around the town's station for the festival participants, and became a familiar symbol of the town.



2022年11月14日月曜日

博物館オンラインツアーを行いました!

 

福岡市博物館では先日、市内の院内学級の児童さんに向けて

「博物館オンラインツアー」を行いました。

これまで、封泥体験や民族楽器づくりをオンラインで行ったことはありましたが、館内や展示室のツアーは初めて。

たくさんの展示資料のなかから、授業で習ったことなど、参加する皆さんに興味をもってもらえそうな資料、ポイントを、事前に教育普及チームと先生とで話し合いました。

当日、実際にご紹介したものの一例はこちら↓

・グランドホールにあるユニバーサルなもの(車いすや多目的トイレ、エレベーターなど)

・博物館の壁に隠された化石(階段の壁の所にあります。知らない方も多いのでは?)

・アジア各国を中心に収集してきた多彩なモノが並ぶ「みたいけんラボ」

・常設展示室で皆さんを最初にお迎えする国宝 金印「漢委奴国王」

・野多目遺跡で発掘された縄文時代のどんぐり(当時は大切なエネルギー源でした)

・籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる細い木の棒(ツアーでは、この棒の使われ方がクイズになりました。答えは、なんと、トイレットペーパー!)

・様々な種類の江戸時代の小判

・展示室の最後を飾る、博多祇園山笠の「舁き山」 などなど


盛りだくさんの内容で、30分を少し超えるツアーとなりましたが、先生によると、児童さんそれぞれのペースで楽しんでくださったとのこと。

授業で学んだことも、実際の資料や、当時の人たちの暮らしを伝える展示を見ることで、歴史をより身近に感じたり、何か新たな発見につながったりするかもしれません。

会話やミニクイズに答えながら、楽しく学べるところもいいですね!

「舁き山」の大きさを体で表現する教育普及担当(楽しそうですね)

参加してくださった皆さん、ありがとうございました。


外出が難しい方にも博物館を楽しんでいただけるよう、福岡市博物館の教育普及チームは、それぞれのニーズに合わせたオンライン出前授業をご提案いたします。

ご興味のある方は、ぜひお気軽にご相談ください。

 博物館ではそのほか、

「おうちDE!展示室観覧♪」

「おうちDE!よんでみよう♪」

「おうちDE!ワークショップ♪」

など様々なコンテンツをホームページで紹介しています。

こちらも、ぜひご覧ください。

◆「おうちDE福岡市博物館!」詳細はコチラ↓

http://museum.city.fukuoka.jp/topics/ouchi-museum/


2022年11月11日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈013〉よかトピアのパンドールはアジアへの入り口

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ。


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

第2回(「ダンスフロアでボンダンス」)

第3回(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

第6回(「最も危険な〝遊具〟」)

第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

第8回(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

第9回(「グルメワールド よかトピア」)

第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)

第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。




〈013〉よかトピアのパンドールはアジアへの入り口


アジア太平洋博覧会(よかトピア)が、同時期のほかの地方博覧会と大きく違っていたのは、アジアの景色や人びとの生活をそのまま再現したことでした。


会場では、南ゲートから入って、テーマ館(福岡市博物館)を右に見ながら、福岡タワーに向かってメーンストリート(今のサザエさん通りです)を歩いていくと、まずは企業のパビリオンが並んでいます。

さらに進むと川が現れて、その向こうには、アジアの植物・動物・建物・暮らしが広がる「アジア太平洋ゾーン」がありました(ゾーン内の詳しい様子は書籍『シーサイドももち』P100~106でご紹介しています)。

入場者は、突然福岡に集結したアジア各地の景色に囲まれ、まるで海外旅行に行った気分になれました。


このアジア太平洋ゾーンの入り口になっていたのが「パンドール」。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

この写真の下の方に写っているのが、パンドール(正面)です。

その向こうには丸い「であいの広場」(→〈011〉)があって、福岡タワーも見切れていますね。


ちなみに裏はこんな感じ。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


写真を見ても、とても大きなものだったことが分かりますが、高さが約20メートル、幅が約16メートルもあります。


全体の位置からすると、このあたりでした。

(市史編さん室作成)

今のシーサイドももちだと、ちょうど2つの放送局(RKB・TNC)に挟まれた広場あたりですね。

よかトピアを訪れた人は、アジア太平洋ゾーンと企業パビリオンのゾーンを行き来するために、1度は必ずこのパンドールを通ったはずです。


本来、パンドールはスリランカのお祭りで飾られるものです。

スリランカでは、5月の満月の日(ポーヤ・デー、ポヤ・デー/Poya day)に、お釈迦さまの人生(誕生・成道・涅槃)を記念するベサック(ヴェサック、ウェサック/Vesak)というお祭りが開かれます。

街中にランタンや灯籠が並んで、とても華やかなのだそうですが、パンドールもそのときにまちに飾られるのだとか。


なので、よかトピアのパンドールもお釈迦さまの絵が描いてある訳ですね。なるほど。

確かによく見ると、お釈迦さまのいろいろな場面が描かれています。


このよかトピアのパンドールについては、当時アジア太平洋ゾーンの野外展示を担当した貞刈厚仁さんの本に詳しくその経緯が載っています。


それによると、アジア太平洋ゾーンの展示物を探しにアジア各国を訪れるなか、スリランカでこのパンドールをご覧になって、展示を決めたとのこと。

現地のパンドールは竹製のやぐらに絵を貼り付け、シンプルな電極装置で電飾をつけるものらしいのですが、博覧会では安全面を考慮して鉄骨でつくり、電飾もコンピューター制御にしたそうです(これだけ大きなものを会期中の約半年間、野外に置いておくのですから、その実現には大変なご苦労があったわけですね……)。

制作にあたっては、1989年1月下旬、スリランカの都市コロンボから3人の職人さんが来福して、日本の業者さんと共同で52日間かけてつくりあげました。

スリランカの方々はパンドールが福岡の博覧会に展示されることをとても喜ばれたそうです。


貞刈さんの回想からは、その制作過程で現地の方々とのふれあい・信頼・協力が生まれて行く様子がよく分かります。

よかトピアのテーマの1つ「であい」は、博覧会の準備段階からすでに始まっていたのですね。


このパンドール、昼もとても目立ったのですが、日が落ちて電飾がともりその姿が浮かび上がると、さらに迫力があって、福岡タワーとならぶよかトピアの夜景の名物でした。


夜はこんな様子です。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)




この電飾は会期中にクイズにもなっています。


このクイズへの応募は、官製ハガキ(郵便事業が民営化された今となっては懐かしい言い方ですね……)で、6月18日を締め切りにアジア太平洋博覧会協会「パンドール係」で受け付けられました。

正解者には抽選で、ペア1組にスリランカ賞(スリランカ1週間の旅)、99人にパンドール賞(セイロンティー)がプレゼントされました。


さて、その正解は…













【正解】2万個!


応募総数は526通、そのうち正解は445通でした。

ちなみにスリランカ旅行は、7歳のお子さんに当たりました。


それにしても、2万個も電球がついていたら、メンテナンスも大変だったことでしょう……。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)






【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)

・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)

 

#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #パンドール #スリランカ

 

[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]

2022年11月4日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈012〉百道地蔵に込められた祈り

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ。


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

第2回(「ダンスフロアでボンダンス」)

第3回(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

第6回(「最も危険な〝遊具〟」)

第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

第8回(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

第9回(「グルメワールド よかトピア」)

第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)

第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。





〈012〉百道地蔵に込められた祈り


かつて百道の浜の近くに「百道地蔵」というお地蔵さんがあった事をご存知でしょうか?

場所はよかトピア通りの裏手、現在ではマンションが建ち、その面影はありません。



西新公民館横、地下鉄西新駅7番出口から地蔵跡地まではこんな感じです。
(地蔵の場所は最後の電柱の場所あたりです)


10年ほど前までは地蔵跡地の碑がありましたが、こちらもマンションの建設によってなくなってしまいました。

(2007年撮影)
移転後、しばらくは碑が建てられていました。

この百道地蔵建立の背景には、百道海水浴場にまつわる悲しい出来事がありました。

※ 藤崎にある百道地蔵は「藤崎百道地蔵」といって、また別のお地蔵さんですので、あしからず……。



海水浴場の水難事故

百道海水浴場は、大正7(1918)年の開場から昭和40年代に閉鎖されるまでの約50年間、福岡市内のみならず遠方からも海水浴客が訪れる、大変人気の高い海水浴場でした。

(絵葉書「(福日主催)百々道海水浴場」より)
戦前の百道海水浴場の様子。
ここはたくさんの人が集まる人気の場所でした。

とはいえ、水のレジャーにつきものの水難事故が多く起こっていた事も事実です。

戦前の百道海水浴場での最大の水難事故は、大正15(1926)年7月28日に起きました。

しかもこの事故は、福岡女子高等小学校の夏季聚楽(林間学校)で起こったのです。


(絵葉書「福岡女子高等臨海学校 学習」)
福岡女子高等小学校の夏季聚楽(林間学校)の様子です。
水泳だけでなく、松林のテントでの学習の時間もありました。

その年の林間学校は7月17日から28日まで。全生徒160名ほどが参加し、28日はその最終日の納会として、競泳や浅瀬での宝探しなど楽しい余興が行われていました。


(絵葉書「福岡女子高等臨海学校 寶探し」)
宝探しは海の中に桃や玉を撒いてそれを探すというもの。
当時はよく行われていました。


事故のあらまし

納会の最中、多くの人に揉まれて30名近くの児童が溺れてしまいます。

同行した教員や居合わせた福岡市医師会のスタッフ、あるいは遊泳中だった海水浴客らが協力して救助を行いましたが、そのうちの児童5名が命を落としてしまったのです。

また助かった他の児童も蘇生処置を必要としたほどの重大事故でした。


事故の一報は、その日開かれていた市会(市議会)にも報され、当時の時實市長や久世市会議長らは議会閉会後に現場へ弔問に急行。後日市として弔慰金を贈るなどの対応を取っています。

市会はその他にも、救助に尽力したとして、市医師会と海水浴場を主催する福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社の前身)に対し、市会の決議をもって感謝の意を表明しました。


一方、同行していた校長は涙ながらに「教育者としての私の生命も亡(ほろ)びました」と新聞に語り、後日辞表を提出。ほかの全職員も責任を取り1ヶ月分の減給と、遺族に対して弔慰金を贈った事などが報じられました。



盛大な葬儀と慰霊祭

学校ではこの事故を受け、犠牲となった児童の葬儀を「学校葬」として校庭で執り行いました。

葬儀には、職員・児童のほか市内の他の高等女学校代表や、市長代理として助役や市会議員、また一般の人もあわせると約3000人が参列したといいます。

時實市長、久世市議会長もそれぞれ弔辞を出し、市長弔辞は全文が新聞に掲載されました(大正15年8月1日『福岡日日新聞』朝刊3面)。


一方で、海水浴場を主催する福岡日日新聞社でも、この事故で犠牲になった児童と、これまで水難事故にあった人たちの霊を慰めるため、8月7日から3日間にわたり、盛大な慰霊祭を行いました。

慰霊祭は、百道海水浴場の浜辺約100坪を使い、大テントを張って祭壇を設け、そこには海の幸や山の幸、あるいは福岡市が寄贈した御神酒や篤志家による供物や花輪が供えられました。

その様子を伝えた新聞記事によると、式は住吉神社と香椎宮の宮司が執り行い、さらには竈門神社、筥崎宮、太宰府天満宮からも宮司や関係者が参集した、とても大がかりなものだったようです。



百道地蔵の建立

その後もこの痛ましい事故は人々の記憶に残り、海で亡くなった人たちを弔うため、昭和18年に「中村屋」という海の家の中村与八郎さんによって「百道地蔵」が建てられました。

百道地蔵について地元の人は、「此処のお地蔵様は日によって顔の表情が変わられる」といい、いつも誰かがお花を供えるなど、とても大事にされていたそうです。


* * * * * * *


現在、百道地蔵は博多区にある崇福寺の心宗庵に移され、大切に祀られています。

その表情は優しく、隣には松の木が植えられていて、まるで水難事故で亡くなった人たちの霊を慰め、また海で楽しむ人々を見守ってきた往時の姿を思い起こさせるようでもあります。


崇福寺に移された百道地蔵。隣には松の木が。


【交通案内】

○崇福寺/福岡市博多区千代4丁目7番79号

[西鉄バス]西鉄バス「千代町」より、徒歩約5分

[福岡市地下鉄]千代県庁口駅[H03]7番出口から徒歩約5分


【参考資料】

『福岡日日新聞』

・大正15年7月28日夕刊2面「福岡高等女学校 女生徒廿八名溺る 内五名は哀れ絶息 百道夏期聚落納会の惨事 医師会救護班の大活動」

・大正15年7月30日夕刊2面「哀れな五少女の遺族へ 福岡市から弔慰金を贈る」

・大正15年8月1日3面「真夏の陽も光鈍く 痛ましき五少女の校葬 三千の会葬者涙に暮る」

・大正15年8月6日3面「慰霊祭の準備を急ぐ」

・大正15年8月8日3面「厳かな百道慰霊祭―昨夕より― 五少女のみ霊安らかに眠れと 山の幸海の幸くさぐさ供えへ」

・大正15年8月10日夕刊2面「百道慰霊祭 厳かに終る 昨朝の納祭最終行事 稀に見る大仕掛の大祭無事済む」

西新公民館歴史研究会『西新町の歴史(1)歴史物語散歩』(西新公民館、1986年)


※ 絵葉書はすべて福岡市史編集委員会所蔵。




 

#シーサイドももち #百道海水浴場 #百道地蔵 #崇福寺

 

[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]

2022年10月28日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈011〉よかトピアのストリートパフォーマーたち

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ。


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

第2回(「ダンスフロアでボンダンス」)

第3回(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

第6回(「最も危険な〝遊具〟」)

第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

第8回(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

第9回(「グルメワールド よかトピア」)

第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。



〈011〉よかトピアのストリートパフォーマーたち


よかトピアでは、毎日会場のいろんな場所で同時にイベントをおこなっていました(その数の多さから、当時はイベント博と呼ばれたほど…)。

その時間・その場所だけの体験を大事にしていたよかトピアでは、一見通路や空地に見えるような場所も、イベントを楽しむメーンパビリオン「ひろば」として設計されています。


主な「ひろば」は3つ。

大きな駐車場側につながる東ゲート前の「東広場」、福岡タワー前の「であいの広場」、観覧車があるプレイゾーン近くの「こども広場」です。

(市史編さん室作成)

この3つの「ひろば」では、朝から晩まで、入れかわり立ちかわりショーがおこなわれていて、パビリオンを移動する途中に偶然通りがかり、つい足をとめて見入ってしまう人も多かったようです。


なかでも、「東広場」「であいの広場」でのストリートパフォーマンスが人気でした(いっぽうの「こども広場」はこどもが楽しめるショーが多かったのですが、この話はまたの機会に)。

今回は会場を毎日盛り上げていた、よかトピアのストリートパフォーマーたちのご紹介です。



スパークルズ(3/17~3/19)

よかトピアのスタートを盛り上げたアメリカのパフォーマーです。お客さんからのリクエストにこたえて、風船で動物などをつくるバルーンアートを披露しました。



ロバート・ネルソン さん(3/17~5/14)

アメリカのサンフランシスコからやってきたネルソンさんは、お医者さんなのですが、インターナショナル・ジャグラーズ・アソシエーション(IJA)に参加するほどの技をもつプロのパフォーマー。「人をハッピーにするのが好き」というネルソンさんのジャグリングショーは、観客を巻き込んで、毎回ユーモアにあふれたものでした。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)



メルビン・プラマー さん(4/12~5/14)

プラマーさんはイギリスのご出身。ブレイクダンスでこどもたちの人気者になりました。なかでもヘッドスピンは、大拍手間違いなしの得意技でした。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)



ダニー・ヒグネット さん(4/29~6/4)

イギリス出身のヒグネットさんは、黒いハットとジャケットに、ハイカットのオールスターを履いたスタイリッシュな出で立ち。一輪車の世界チャンピオンであるヒグネットさんの技には、誰もが驚きました。そのいっぽうで、熊のぬいぐるみを使ったかわいいショーも披露するなど、緩急のある構成で観客を飽きさせないパフォーマンスでした。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ストリートパフォーマンスの時間はだいたい1回30分弱なのですが、それを1日に3~4回やっていました。

たとえば、このブログの第1回で紹介した男闘呼組のコンサートの日(→〈001〉よかトピアに男闘呼組がやってきた!)、5月6日(土)の「であいの広場」のスケジュールはこんな感じです。

 ロバート・ネルソンさん 11:00 13:00 14:30

 メルビン・プラマーさん 11:30 13:30 15:00

 ダニー・ヒグネットさん 12:30 14:00 15:30

3人が次々と入れ替わりながら常にショーがおこなわれていて、その頻度にびっくりします。

ちなみに翌日の5月7日(日)は、場所を「東広場」にかえ、さらに1人1回ずつ増やして、1日4回(×3人)もパフォーマンスしています…(今さらながらですが、パフォーマーのみなさん、本当にお疲れさまでした)。



ロブ・ソロフィア さん(6/6~6/18)

ソロフィアさんはアメリカのご出身。ナイフやクラブを使ったジャグリングに加えて、パントマイム、タップダンス、マジックも披露する多彩なプログラムでした。6月12日(月)には、リゾートシアターでもその技を見せてくれました。



バラエティ・イン・モーション(6/30~7/12)

アメリカ出身のマーディーンさんとリックさんのコンビです。覚えたばかりの博多弁で観客の笑いを誘いながら、コンビならではの迫力のある合わせ技を見せてくれました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ブルース・ジーン・スミス さん(7/6・19・26)

アメリカ出身のスミスさんのパフォーマンスは、1人でギター・ドラム・ハーモニカなどを同時に演奏する「ひとりオーケストラ」。3日間だけのパフォーマンスでしたが、独自のスタイルで記憶に残るショーになりました。



ラジャスタンの人形劇(7/13~9/3)

書籍『シーサイドももち』の「誌上よかトピア体験」でも紹介したラジャスタンの人形劇(124ページ)は、インドのラージャスターン地方に伝わる操り人形の演劇です。ナトゥ・ラム・ボーパさんが演奏する民族楽器「ラーヴァナハッタ(ラヴァンハッタ)」の音と、テジャ・ボーピさん(ナトゥさんのお母さん)の歌にあわせて、ラジ・クマール・バットさんが、糸を使って人形を動かしました。踊り子・蛇使い・音楽師の人形が登場して、かつての宮廷の宴の様子をユーモラスに演じました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡'89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ジョン・リー さん(8/10~8/20)

イギリス出身のリーさんは、よかトピアの3年前くらいから世界中を旅してパフォーマンスをしていたのだとか。綱渡り・背の高い一輪車・はしご歩きなど、見ていてドキドキするような技を、覚えたての日本語でのおしゃべりやジョークで楽しく見せてくれました。



「東広場」「であいの広場」は、オープンスペースのパビリオンとして毎日こうした楽しいショーを披露し、会場を行きかう人びとは、それに思わず足を止めました。

開催にあたっての基本構想は、よかトピアをいろいろな「みち」を通って人や物が「であい」、未来をつくるエネルギーを生みだす場所(「ひろば」)とうたっています。

会場内のオープンスペースでかわされるパフォーマーと観客との会話や笑顔や拍手は、そういうよかトピアの構想を象徴する光景になっていました。




【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #ストリートパフォーマンス #ジャグラー

 

[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]


2022年10月21日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈010〉元寇防塁と幻の護国神社

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ。


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)

第2回(「ダンスフロアでボンダンス」)

第3回(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)

第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)

第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)

第6回(「最も危険な〝遊具〟」)

第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)

第8回(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)

第9回(「グルメワールド よかトピア」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。



〈010〉元寇防塁と幻の護国神社


福岡市の代表的な史跡の一つに、「元寇防塁」があります。

元寇防塁とは、鎌倉時代の文永11(1274)年の元の襲来を踏まえて防衛設備としてつくられた石築地(いしついじ)のことです。

ゲーム「Ghost of Tsushima」の影響もあってか、最近とくに話題の史跡です(こちらはその名のとおり対馬ですが……)。

※「Ghost of Tsushima」についてはコチラをどうぞ。


福岡市域の元寇防塁は、現在確認されているだけでも今津(西区)から箱崎(東区)にかけて、福岡市沿岸部の広い地域でその遺構が知られています。

約20㎞にわたりつくられた高さ2m以上の石の壁は、海から見ると相当な威圧感があったことでしょう。

これは生の松原の元寇防塁。

大正2(1913)年に今津で初めて元寇防塁の遺構が発見されると、そのドラマチックな物語とあいまって「元寇防塁」への関心が高まり、ゆかりのある各地では慰霊祭なども開かれるほどの盛り上がりを見せます。


西新町でも大正8年に西南学院構内で元寇防塁の遺構が見つかり、翌9年にはまた別の百道松原でも遺構が見つかりました。

大正9年の発掘は、教育勅語発布30周年を記念して西新小学校の児童らによって発掘作業が行われて遺構が見つかり、ニュースになりました。

こうして西新・百道地区も、「元寇を記念する場所」の一つとして名前が知られ、ますます元寇防塁熱は高まっていきました。


(『西新ー福岡市立西新小学校創立百周年記念誌』
〈福岡市立西新小学校創立百周年記念会、1973年〉より)

大正9年の発掘の様子。頑張って掘ってます!


そんな中、大正15年に「百道松原に元寇の殉難者を祀る大神社を建てよう!」という話が持ち上がったことは、あまり知られていません。


この事が大々的に報じられたのは、大正15年のことです。

当時の新聞には、

「元寇の殉難者を祀る 護国神社 百道に建設」(福岡日日新聞』大正15年7月8日朝刊7面)

という見出しが踊り、すでに福岡市の関係者が現地を視察し、さらには松原国有地3万坪の無償貸与まで折り込み済みだと報じられています。

※ ちなみにここで言われている「護国神社」は、今の護国神社とは何の関係もない「護国神社」ですので、あしからず……。


この写真は、戦前に発行された西新町の元寇防塁を写した絵葉書ですが、よく見るとそこにはしっかりと「護国神社建設豫定地」という標柱が写り込んでいます。

(福岡市博物館市史編さん室所蔵)
絵葉書をよく見ると……。


書いてあるーーー!!!

さらにほかの新聞報道から一部を抜粋すると、


「先づ県社として百道に創建される護国神社の規模 境内地は六千坪でこと足り 別格官幣社引直は容易」(大正15年7月11日『福岡日日新聞』朝刊7面)

「護国神社祭神 福岡県当局談」(大正15年7月17日『福岡日日新聞』朝刊7面)

「百道松原に建設の護国神社 東邦の敷地寄附も纏り近く願書提出の運び」(昭和4年6月9日『福岡日日新聞』朝刊7面)

「福岡で今秋十月 元寇弘安役記念祭 城外練兵場で廿日大々的に執行 護国神社創設促進」(昭和6年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面)


といった記事が次々と見られます。

かなり本気で神社建設を推進しようとしていたようです。


この場所は、大正9年に西新小学校の児童たちが発掘した場所で、現在の西南学院大学の裏辺り。

現在は「元寇防塁跡」として整備され、いつでも見学することができます。

周辺も現在では住宅街となっていますが、当時はまだ一帯には多くの松が繁り、現在よりもより静謐な雰囲気の場所だったのでしょう。


この神社建設計画はその後、昭和になってからもしばらくは話題になったようですが、そのうち立ち消えとなり、結局百道に大規模な神社が建設されることはありませんでした。



【交通案内】

○元寇防塁跡(西新)/福岡市早良区西新7丁目

○元寇防塁跡(復元/西南学院内)/福岡市早良区西新7丁目

 ※西南学院内の元寇防塁跡の見学は、月~金:午前9時~午後5時(夏期休暇中は午前10時~)

土曜日・日曜日・祝祭日、大学事務局の休業中は公開していません。

[西鉄バス]西鉄バス「防塁前」下車、徒歩5分

[福岡市地下鉄]西新駅[K04]から徒歩約10分

 ※西新駅[K04]までは、博多駅[K11]から約13分、天神駅[K08]から約7分



 

#シーサイドももち #元寇防塁 #幻の護国神社 #あったかもしれない歴史

 

[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]

2022年10月19日水曜日

【Discover the Feature Exhibition】 The Backing of the Documents

Feature Exhibition Room 2

August 30th (Tue.) ~ October 23rd (Sun.), 2022

Endorsement by Ashikaga Tadafuyu.

 With the use of applications and e-mail for daily communication, opportunities to write handwritten letters have decreased dramatically. Considering this dying art, this exhibition introduces the history around letter backings. When writing a letter with a letterhead, one usually writes only on the front side, not on the back. The same is true for the writing of ancient letters. When exhibiting ancient documents, attention is paid to the text on the front side. 

 However, if you look at the back of these letters, you will sometimes come across one with lines or patterns drawn around the edges, as well as some kind of writing on the back, edges, or both. Ancient documents written on scrolls are usually rolled up from the left end of the paper to the right end. When the scroll is rolled up, the back side of the edge of the document will be exposed. The right edge of the paper is cut into a thin strip from the bottom to the middle, and this is used as a band to tie the folded paper so that it does not unravel. This method of sealing scrolls is called “Kirifuu" or 切封 and the seal is called “Sumibiki" or 墨引き.

 When the “Fuushi" or 封紙, the sealing paper that wraps around a letter and is folded like an envelope today, is omitted, the name of the receiver or sender is written on the reverse side of the letter. The recipient may also add the date of receiving the letter on the reverse side as a reminder.

 Some of the letters have writing on the entire reverse side, making it difficult to tell which side is the front at first glance. The document shown in the photo is an application for secured land rights submitted to Ashikaga Tadafuyu (somewhere between 1327-1400), believed to be the bastard son of Ashikaga Takauji, the first shogun of the Muromachi Shogunate. On the reverse side of the document, Naofuyu added his "Kao" or花押 (signature). This would stand as an endorsement for guaranteeing the applicant's rights, known as "Uragaki Ando” or裏書安堵.

 In this exhibition, we focus on the reverse side of such documents and letters. By considering the meaning of the contents on the reverse side, we will delve deeper into the understanding of the document as a whole looking at both sides and their interconnected significance.

Exhibition view